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エクリプス(競走馬)

登録日:2026/10/10 Sat 23:23:14
更新日:2026/10/11 Sun 01:23:45NEW!
所要時間:約 27分で読めます




最強馬。それは競馬に関わる者のロマン。

例えば神讃、皇帝、覇王、英雄、暴君、閃光。
世界に目を向ければビッグ・レッド、グレイファントム、勇者、奇跡の様な馬達それぞれが、その時代を生きた競馬ファンを魅力した。

そして、そんな馬達に並ぶ、或いは越えうる馬がかつて18世紀のイギリスに存在していた。

その名はエクリプス。当時の英国で絶対的な強さを誇り、今なお『最強』の代名詞として語られる伝説の神馬………そして、現代のほぼ全ての競走馬にとっての神である。






データ


生誕:1764年4月1日
死没:1789年2月27日
性別:牡
父:マースク
母:スピレッタ
母父:レギュラス
母父父:ゴドルフィンアラビアン
生産者:カンバーランド公爵
馬主:ウィリアム・ワイルドマン→デニス・オケリー
調教師:ジョン・オークリー
主戦騎手:ジョン・オークリー(!?)

通算戦績:18戦18勝(生涯無敗!)
主な勝ち鞍:
1769:キングズプレート5勝
1770:キングズプレート6勝、150ギニーズプレート

特記事項:キングズプレート11勝(当時史上最多)、単走8回(!?)


はじめに


データの項目を見て分かる通り、如何せんこの馬活躍時期が古すぎる。

当たり前だが18世紀に写真も動画もデジタルなデータもあるわけない。そのため彼についての情報源は当時の紙に記された情報、或いは絵画のみであり、それ以上の詳しいことを語ることは出来ないし、正確性はあまり担保されていない。特に数字が絡むものはまず間違いなく「※諸説あり」の注意書きが付くだろう。当然ながら今から語られることには誇張されたり脚色されたものも恐らく含まれるがそこは許してほしい。
更に、そもそも近代競馬自体が生まれて間もない時期。今の感覚で考えると何かおかしい物が沢山出てくるがそこは御愛嬌。戦績?いや当時の感覚で見ても余裕でおかしいが?

着差計測、無し。タイム計測、無し。グレード制、無し。レーティング、無し。現代でも広く知られるレース、無し。調教師と騎手の区別、無し。ダッシュレース、無し。日本で行われる競馬ももちろん無し。
それどころか、サラブレッドという概念すらも無し。

今から記されるのは、そんな無いない尽くしの世界を揺るがせた一頭の神馬についての神話なのだ。

血統


父マースクは生涯戦績6戦3勝のイギリス馬。最強にして最後の河原毛馬ブリリアントらを破ってジョッキークラブプレートを制したりと活躍したが、4戦4勝無敗のスナップ*1には2度にわたってシバかれたりととても最強クラスとは言えない、よくいる強豪くらいの立ち位置であった。
引退後は種牡馬として大活躍。最初こそパッとしなかったがエクリプスという特大ホームランをブチかまし種付け料も高騰。その後も1発屋では終わらず2年連続でリーディングサイアーを獲得する快挙を達成した。

母スピレッタは現役時代未勝利。繁殖牝馬としてもエクリプスの他にもプロサーパインなんかを輩出。そしてそのプロサーパインの娘ルナ(ライオンさんのことではもちろん無い)の牝系子孫は現代に至るまでいわゆる12号族の主流として繁栄し続けている。

母父レギュラスは現役時最強の座を欲しいままにし、8戦8勝無敗で引退。種牡馬としてもさっきのマースクを鼻で笑える大活躍をし、計8回リーディングサイアーの座に輝いた化け物。*2まっ父系はすぐに消えたんですがね。

そしてマースクの曾祖父ダーレーアラビアン、レギュラスの父ゴドルフィンアラビアンはもはや説明不要の三大始祖。詳しくは当該項目で。


………と、なんかとんでもなく濃い(血液や遺伝子的意味でなく)血統背景である。なんならライバル枠で名前だけ出てくる奴らも揃って情報量が多い。神話生物も平伏する本物の神みたいな偉大な奴らが勢揃いである。というかこのコーナーだけで無敗馬の名前が注釈含めて4頭いるの中々におかしい。


生涯


神話の第一章〜光すらも喰らう馬〜




1764年4月1日、世界は闇に包まれた───



…………あ、何も世界の終わりとかそういう奴ではない。ある一大イベントが起こったのだ。

日食である。

すべての生命の根源であり、世界全体を照らし、時には神話や宗教などで最高神として崇められてきた太陽が陰る。それは当時のヨーロッパからすれば超絶ビッグイベントであり、大衆が「あかんこれ絶対ヤヴァいやつやんあかんあかん」とgkbrして、天文学者が「研究やめられないんだけどwww」と沸き立ったりと社会がてんやわんやする中、カンバーランド公爵が所有する牧場の一つでは新たな命が生まれようとしていた。

こんな出来事に生まれてくる馬となっては何か特別な物があるに違いない。凶兆か。はたまた輝きを失った太陽が代わりに生み出した光の化身か。

人々は生まれてきた1頭の栗毛馬に様々な思いを込めて……「Eclipse」(エクリプス)、日食を意味する名前を与えた。

………ちなみにこのEclipseという単語、もう一つ意味がある。
それは日食が光を無くすことから転じた、「他者に光を与えなくする」………つまりは『凌駕』という物。


何の偶然か、この幼駒の運命を予見する様な名であった。


そして生まれてきた本馬がすくすくと成長し1歳となった1765年、所有者のカンバーランド公爵が死亡。これによって彼の所有馬は全頭競売にかけられ、様々な馬主の元へ散っていく。エクリプスも例外では無く、彼の素質を見込んだウィリアム・ワイルドマンに75ギニーで落札され、無事彼の元で調教が行われることになった。

しかし、本馬はどうやらとんでもない気性難だったらしい。しかも鼻を地面スレスレにまで下げる極端な走法を取るという特徴があったそうで、ほとんどの騎手が匙を投げるほどの問題児であることが発覚。一時は去勢を検討されるものの………

ワイルドマン「こいつは絶対金になる!!去勢とかやったら許さんからな!!」

周りの奴ら「じゃあどうやって調教すんだよバカ!!」

ワイルドマン「あ!?ほらあの荒馬乗りで有名な奴いたろあいつにしろ!!」

周りの奴ら「そいつクソみてぇな密猟者じゃねえか!!良い訳ねぇだろうが!!」

ワイルドマン「知るかボケェ!!!」

……というわけで去勢を回避し、荒馬を上手く乗りこなすことと調教という名目でその馬を密猟のための足に使うことに悪評定評のあったジョン・オークリーに任せることに。

今後の競馬界を思えばとても良い判断どころのものでは無かったのだが……うん………


まぁ何だかんだで上手いこと躾けられる日々を送り、そしてようやく5歳となった本馬のデビュー日が決まったのである。

そんな訳で、颯爽とデビュー勝ちを決めるために、そして実力を知るため他馬を使っての本格的な試走を行うことに。
その情報を目ざとく聞きつけた予想屋達が集まってきたそうなのだが、残念ながら彼らが着いた時にはレースは終わっていた。エクリプスが勝ったらしいことは分かったが、彼らは更に詳しく調べるべく近くにいたキノコ狩りの老婆にインタビューを行った。

彼女曰く


「あれが本当の競馬だったのかは分からないが……栗毛の馬が物凄い形相で他馬を引き離していくのを見たんです……」

「地の果てまで走り続けても、きっとあの馬に追いつくことは…………」






…………得体の知れない予感。嵐の前の静けさ。

新たな神が、生まれようとしていた。




第二章〜絶対なる唯一神〜


神の君臨


1769年5月3日のエプソム競馬場、デビュー戦のノーブルメン&ジェントルメンズプレート(4&color(red){マイル})にエクリプスが降り立った。約54kgを背負い、まずは第1ヒートの勝ちを狙う。

…………うん、わかるよ。第1ヒートって何やねんって思ったよね。ここにヒートレースの解説を折りたたんで置いておこう。



対戦相手が4頭、中にはヒートレースで有利とされる年上馬もいたが試走の評判もあって1番人気に。ジョン・オークリーを背に、ワイルドマンら関係者、観客、そしてエクリプスの馬券を握りしめたある1人の男に見守られ、第1ヒートがスタートした。

そして結果は………大・圧・勝

どの様に勝ったのかまでは分からない。が、少なくとも第2ヒートでのオッズが変動、このままでは賭けが成り立たないレベルにまで変化してしまったことだけは確かである。

そして、この状況を面白く思わない男がいた。エクリプスに1点賭けの、生粋のプロ賭博師デニス・オケリーである。彼は自身のリターンを更に増やすため、ある行動に出た。

自分と同じ観客達に向けて、『どの馬が勝つか』についてでは無く、独自の賭けを持ちかけたのである。それは、エクリプスがどの様に勝つかについて。

そして彼はこう賭けた。恐らくは揺るがぬ自信と確信を込めて、

「Eclipse first, the rest nowhere(エクリプスが1着。2着以降は居ない)」

…………と。

「2着馬が居ないって何さ?」と思うアニヲタもいるだろう。ここで一つヒートレースについて情報を付け加えておくと、当時のルールとして、

『1着馬が決勝線に到達した時点で、決勝線より240ヤード(約219.5m。馬身換算なら92馬身!!)以上遅れていたものは「失格」となり、次のヒートへ進めない』

というものがあったのだ。つまるところ、オケリーは『エクリプスが最低でも他馬を92馬身以上突き放して勝つ』と言ったのだ!


…………ところで、92馬身以上の着差で勝った馬なんて最近いたっけ?

ぶっちゃけ、建て主は少し考えてもマンノウォーくらいしか浮かんでこなかった。そのマンノウォーと双璧を成す、アメリカが誇るUMAセクレタリアトですら最大31馬身、その再来と言われたフライトラインで19馬身弱、芝なら最近はガガーリンズムーンが低人気の伏兵という立場から30馬身の圧勝を決めたなんて例もあるが、どれも92馬身と比べれば控えめ。
とにかく、現役どころか史上最強レベルとすら謳われる馬であってもこれだけの着差をつけるのは難しいし普通出来ないのだ。

そんな常識は当時でも変わらず、オケリーを除いたほぼ誰もが、『オケリーの予想は外れる』に賭けた。まぁ当たり前だ。まだ第2ヒートで、相手のスタミナ切れ失速にはあまり期待できない。休憩時間の間に誰も出走辞退を申し入れてこなかったという事実がそれを物語る。

そして出走。もちろん途中でスイッチが入った本馬は他馬をグングンと、別格の脚色を以て引き離し独走態勢へ。ここまでは誰もが思い描いた光景だろう。

それ以降が問題だった。

突き放し、突き放し、突き放し………止まらない。前走の本馬自身すら軽々上回る走りが止まる気配が無い……!

他馬が必死で繰り出す全力が止まっているかのような走りをマイル単位で続け、着差を広げ、ただ一人旅を続け、(Eclipse first)他馬が見えなくなるまで走り続け、(the rest nowhere)そして……………




着順表に名が刻まれたのは、エクリプスただ1頭のみ。





「地の果てまで走っても、あの馬に追いつくのは…………」という言葉は、単なる老いぼれの妄言などでは無かった。

例え古今東西のあらゆる馬を掻き集めたって、絶対に追いつける訳がない。

そう誰もが思わされるほどの圧勝劇であった。

そして、オケリーもまた、エクリプスの次にこの場での勝利を手にした。

この新馬戦の一連は半ば伝説、或いはおとぎ話として後世に語り継がれるほどの影響力を持つこととなる。


神てづからの創世記



こうして、鮮烈という言葉すら生ぬるいデビューを決めた本馬。次は同月29日のアスコットにてザ・ノーブルメンズプレートに出走。斤量は58.5kgに増やされ、距離は1ヒート2マイルに縮小されたこのレースでは唯一クリームデバルバドが対戦を申し込んできたのだが、残念ながらお話にならず楽勝。確約されていた2連勝を飾る。

次はウィンチェスター競馬場に転戦、76.2kgのバカみたいな斤量を背負わされてのキングズプレート(4マイル、これ以降は特記無ければ全レース4マイル戦)に挑む。この競走、イギリス王室から直々に賞金が下賜される、当時最も権威ある競走であり出走馬も当時基準では多い6頭立て。中にはキングズプレート勝利経験もあるスラウチといった強敵もいた。

しかし、そんなお飾りの戦績も神の前では未勝利と大差ない。全頭をそこらの駄馬と同じ様に扱っての勝利を決め、キングズプレート初戴冠と相成った。

あ、これ以降もキングズプレートに出走することがあるが、それら全て斤量76.2kgなのでそこんとこよろしく。

そして2日後の同競馬場のシティプレートに出走……したのだが、敵はいなかった。いや、比喩では無く。

もはやエクリプスが出走する場所には、賢明な馬主なら近づかないようになってしまったのだ。たった3戦だけでこの有様である。

ただ悠々と走るだけの作業を終え、初の単走での勝利となった。

更に2週間後、ソールズベリー競馬場で再度キングズプレート*5に出走するが、これも単走で終わり。勝利がイギリスの競馬界においての最高の栄誉となる競走ですら、観客とエクリプス以外の誰も寄り付かなかった。

翌日シティフリープレートに出走。ここでは無謀果敢にも2頭が挑んできたが、一切の希望なぞ見せず試合終了。

そこから約1ヶ月、本馬にしては長い出走間隔を隔ててカンタベリー競馬場のキングズプレートに出走。これも単走。

そこから中1日でルイス競馬場への輸送を完了させる荒業を使ってキングズプレートに出陣。ここではキングストンのみが立ち向かってきたが、当然歯牙にもかけず、サッサと終わらせた。

次は約1ヶ月半の休養を経てリッチフィールド競馬場のキングズプレート(3マイル)へ。この場所でもターディという馬が立ちはだかったが、いるもいないももはや大した差ではない。誰もが予想したであろう結末で年最後のレースを締めくくった。

9戦全勝うち単走3つ、他馬と戦えば全てが圧勝か大圧勝。5月のデビューから僅か4カ月間で打ち立てた戦績としてはハッキリ言って異常という他なく、この年のみでも現役どころか史上最強クラスであったことは疑えないと言えよう。



そして年が明け6歳となった4月、ワイルドマンは計1750ギニーの大金でエクリプスの所有権を譲り渡すことを決めた。
相手は何時ぞやのデニス・オケリー。実は2戦目のノーブルメンズプレートの際、彼は650ギニーで本馬の所有権の半分を買い取る取引を行なっていたのだ。それ以降も本馬のレースには必ず出向いて大金を賭け、その利益で食いつなぐ日々を過ごしていた。そしてとうとう追加の1100ギニーで完全な買取が成功したわけだ。

ワイルドマンは既にエクリプス関連のレースの獲得賞金600ギニー100ポンドに今回の買取額1750ギニー追加で計2350ギニーとちょっと*6を稼いだため、彼の「こいつは金になる」という予想は見事的中したのだった。

さて、そんなこんなでオケリーのもとに迎えられたエクリプス。主戦騎手&調教師は変わることなく、普通に現役続行。4月17日、ニューマーケット競馬場にやってきた。

いつもならこの後蹂躙かお散歩なのだが、今回は事情が違った。というのも本戦はいつものヒートレースでは無くマッチレース。一対一の1戦で勝敗が決する戦いである。んで、正式なマッチレースの場でエクリプスの相手が務まる馬がいたのだ。
その名はビュセファラス。
詳しい戦績は不明なのだが、どうやら彼もここに至るまで無敗であり、イギリス最強馬の一角として認められていたそうなのだ。
思えばエクリプスも強い強いとは言われながらも、自身に比肩する戦績やパフォーマンスを持つ相手に勝ったことは無かった。本馬の名声を更なるものにするべく陣営も招待を受諾。
こうして2頭の最強無敗馬が邂逅する夢の舞台が整った。

こうしてイギリスを揺るがした世紀の1戦、結果は…………

もちろんエクリプスの圧勝だった。

レースはエクリプスが先行、それにビュセファラスが追随する形で始まり、4マイルを駆けていく。途中途中でビュセファラスが詰め寄っていくシーンもあり、惜しいシーンもあったそうだ。しかし、恐らくはエクリプスとの絶対的なスピード差を埋めようと無理をしたビュセファラスが力尽き、最終的に『かなり差が開いた』決着を迎えたらしい。

別の最強馬相手ですら隔絶した差。地の果てまで追い詰めても超えられないとされた走りをイギリス中にまたも見せつけ、唯一にして絶対の馬であることを完全に知らしめてみせた。

とはいえ、ビュセファラスも最もエクリプスを追い詰めた馬であることは確実視されており、『エクリプスに唯一本気を出させた馬』『唯一互角に近い勝負をした馬』と資料で語られることさえある。どちらの強さも間違いなく超一級であり、讃えられるべき名勝負であったことは疑いようのないだろう。


そしてこの勝負から中1日で同競馬場のキングズプレート出走。たった2日前の圧勝劇を忘れたのかなんと3頭も襲いかかってきたのだが、無敗でも最強でもない馬など対戦相手として論外。いつも通りの結果でシバいた。

その後はギルフォード、ノッティンガム、ヨーク競馬場を転々としそれぞれ1頭立てのキングズプレートへ。世の中には金の貰える公開調教とでも言うべき走りをする馬がいるがそれ以上の、ただ12マイル分お散歩するだけで"本来"300ギニー手に入るボロい商売をやってのけた。

3日後のヨーク競馬場では当時珍しいダッシュレースのグレートサブスクリプションパースに突撃。ここでは2頭がいたが当然さっさと終わらせ後に。

翌月のリンカーン競馬場のキングズプレートは単走。そこから更に1ヶ月後はニューマーケット競馬場のダッシュレース150ギニーズプレートに出走。コルシカンという相手を迎え撃った。以上。結果はお察しください。

翌日、同競馬場のキングズプレートを単走で終え、引退決定。結果的にラストランとなった。

理由?怪我でも衰えでも種牡馬としての価値を見据えたものでもない。オケリーが原因である。
後で詳しく話すが、オケリーは色々な事情があってレースの獲得賞金を受け取ることが無かった。そのため専ら自らの馬に大金を賭けることで金を稼いでいたのだが、そろそろ元返しになること、そして単走になることが多すぎて賭けが成り立たなくなってきたのだ。これではエクリプスをいくら走らせても旨味が無いから、というのが事の真相である。『絶対の強さは時に人を退屈させる』とはよく言ったものだが、この馬は絶対を突き詰め過ぎた結果自らの主すらも苦しめる所までいったのだ。

生涯戦績18戦18勝*7、うち単走8回。更に史上最多のキングズプレート11勝。こんな頭がおかしい記録をたった一年と5カ月で息をする様に叩き出した本馬が、競走能力の1点のみで見ても史上最高レベルの名馬として語られるのに異存は無いだろう。


第三章〜創造神、最後の仕上げ〜



引退後はサリー州エプソム近郊のクレイ・ヒル にあったオケリーの牧場で種牡馬として供用された。そして、やはり皆様が気になるのは種牡馬成績だろう。
名馬の仔は名馬、といけばいいのだが世の中そう甘くない。現役時文句なしの最強でも繁殖は鳴かず飛ばずな馬など掃いて捨てるほどいる。さて、エクリプスはどうかというと…………?




大・成・功!!!!!




種牡馬成績は、1774年にホライゾンという芦毛馬が勝利したのを皮切りに、生涯で344頭の勝ち馬、中には18世紀でも屈指の最強馬や種牡馬、或いはそれらを兼任する名馬を含む産駒を輩出し、産駒の勝利数は862勝に上るなど文句の付け所が無い圧倒的な成績を叩き出し、エクリプス系と呼ばれる一大父系を作り出した。今や現代のサラブレッドの実に97%がこの系統に属するとされている。

やっぱりエクリプスはあらゆる点で文句のつけようが無い最強馬だったんだ!イチモツも無双の神様だったんだ!バンザーイ!!バンザーイ!!!


追記・修正はあらゆる点で完璧な神を讃えながらお願いします。




























エクリプス「くっ…」





…………大成功したことに間違いは無い。


無いが、なんとエクリプス、生涯でリーディングサイアーに輝いたことは一度もない。惜しむらくは……………


同時代に、エクリプスを超えるほどの超絶スーパーウルトラアタオカ大成功をかました親子がいたことだろう。

その馬達の名はヘロド、そしてその直仔ハイフライヤー。

前者はエクリプスに先んじて種牡馬入りすると産駒ガチャが大・爆・発。エクリプス産駒の成績862勝、勝ち馬344頭を嘲笑う1042勝&497頭という異次元の記録を叩き出し、マースクからリーディングを奪った後実に8年間不動のリーディングサイアーとして君臨したのだ。エクリプスも猛追するがこの絶対王政を揺るがすことは出来ず、とうとう初の完全敗北を喫することになった。

しかしここで朗報。*8ヘロドが1780年にとうとう死亡したのだ。これ以降当たり前だが種付けは止まり、実際に5年後リーディングサイアーの座から陥落……!さぁ、その空の玉座に座り、今度こその戴冠を………許さなかったのが満を持して登場のハイフライヤーである。

このハイフライヤー、12戦無敗かつ全戦圧勝の立派な戦績で現役引退、種牡馬として飛び込んでくるとまたもや大・爆・発。
サーピーターティーズルに代表される圧倒的な数の勝ち馬を輩出、その成績なんと1108勝&469頭!この圧倒的成績を以てリーディングサイアーの座を12年間死守。名実共に親父の座を継ぐ……どころか、僅かに超える無双を超えた無双。エクリプスはまたも2位に甘んじることになったのである。エクリプス「何だよもぉぉぉぉ!!またかよぉぉぉ!!!」

勘違いしないでほしいが、エクリプスもとんでもなく優秀な種牡馬である。1778年から89年まで11年連続リーディング2位を獲得。いつかの世紀末の様に2頭がかりでほぼ全ての他馬を寄せ付けなかった。それに、例えば今でいう三大父系の一角マッチェム系の祖として知られる超絶名種牡馬マッチェムの成績は781勝&354頭。そんな彼を完全に超えている。

ただ、生まれた時代が悪かっただけなのだ。


最終章〜神話の終わり〜



1787年、種付けをひーこら頑張っていたエクリプスだが、そんな彼の馬生を大きく揺るがす出来事が起こる。

デニス・オケリー、死去。59歳であった。

この出来事を期に種牡馬を引退し、ミドルセックス州エッジウェアに移動。そこで晩年を過ごすことになった。

そして運命の1789年2月27日の午後7時頃、疝痛が原因で死亡。当時25歳であり、サラブレッドとして大往生であったと言えるだろう。


エピローグ〜彼が作った世界の行く末〜



エクリプスは19世紀の始まりを見ること無く死を遂げたがしかし、彼の血を継いだ者たちが後世へと影響を与えていった。

19世紀初頭、この頃はまだヘロド系の天下であった。ハイフライヤー系とウッドペッカー系がしのぎを削り、ウォルトン、ファントム、サルタン、ペイミドルトンらがまたヒャッハー&ヒャッハーを重ねていた。

しかし、エクリプス達の子孫も負けじと奮闘。偉大な先祖の仇を取ろうとするかの様にタッチストンやストックウェルらが活躍、徐々に、徐々に、勢力を拡大していった。

そして、決定的となったのがキングファーガス系から生まれた煮えたぎる蒸気機関車セントサイモン。彼が種牡馬として空前絶後の成績を収めたのを皮切りにハイフライヤー系やウッドペッカー系がどんどん駆逐されていき、19世紀が終わる頃にはイギリスから彼らは完全に消滅した。

エクリプス系は、ヘロド系に勝ったのである。

その後うっかりヒャッハーしすぎて自滅したセントサイモン系と入れ替わる様にポテイトーズの系譜ファラリス系が台頭。セントサイモン系もイギリスでこそ駆逐されたがその血の影響力はやはり凄まじく、彼らのおかげで、今ではサラブレッドの97%がエクリプス系の直系子孫に属しているとされている。


こうして神話は一旦の区切りを迎えた。しかし、神が作ったこの世界は終わらない。まだまだ偉大なる神の血を受け継ぐ名馬達の時代は続いていくのだろう。



代表産駒



ポテイトーズ(Potoooooooo)


ジャガイモォォォォォォォ!!!!!!
…………ふぅ。

皆さんご存知、最高の知名度と強さを誇る珍名馬。最代表産駒候補その1。
このふざけた名前の発端は厩務員がジャガイモを食べた時、英語での綴りを知らなかった彼がpot+oooooooo(eight-oで読みはエイトオー)=potato(読みはポテイトォー)となるように表現して、何でかこれを厩舎の壁に書きつけておいた。それを見た馬主が悪ノリではっちゃけた末馬名に採用されたというもの。名前も適当なら馬主も適当だった。名前が長いせいで「Pot-8-os」と略される事も。

そして名前だけが知られる本馬であるが強さはネタに出来ないくらいガチ。最初こそパッとしなかったが、6歳時に本格化すると父を思わせる快進撃を続け、あっという間に現役最強に。10歳まで息の長い活躍をし、最終的に46戦34勝の好成績で引退。種牡馬としても史上初のイギリスクラシック二冠馬チャンピオン、後にリーディングサイアーを取るワキシーらを輩出、ポテイトーズ系という大父系を作るなど彼もまた18世紀屈指の名馬であった。

ヘイルトゥリーズン、ノーザンダンサー、ミスタープロスペクター、トニービンなど今の日本競馬を支配するありとあらゆる名馬達が此奴の子孫である。なんなら欧州を埋め尽くすサドラーズウェルズ、ノーザンダンサーやミスタープロスペクターに並ぶ米国競馬の主流のシアトルスルーもみんな子孫。冗談抜きに世界の競走馬の殆どがジャガイモの子孫になっている。

記憶にも記録にも残る彼のあり方は、あらゆる競走馬の理想形とも言えるのでは無いだろうか。

キングファーガス


最代表産駒候補その2。ポテイトーズと共にエクリプス系の発展に貢献した孝行息子。
競走成績はイマイチだったが、種牡馬としては19戦18勝の現役最強馬ハンブルトニアンや、そのハンブルトニアンを遥かに上回る種牡馬成績を誇り、19世紀にヘロド系を上回ってサラブレッドの主流血統となる父系を打ち立てたべニングブローらを輩出。

べニングブロー系はポテイトーズ系のタッチストンやストックウェルに押され、ヘロド系に前後して滅亡するも、ハンブルトニアン系からは蒸気機関車セントサイモンやイタリア史上最強馬リボーが誕生。一時期他の血統をまとめて圧倒するほどにヒャッハーし、サラブレッドの血統図を塗り替える偉業を成し遂げた。


ジョーアンドリュース


競走成績も繁殖成績も二流だったが、唯一、多数のクラシックホースを出した名種牡馬ディックアンドリュースの父となったことでエクリプス系第三分岐の祖となった。ディックアンドリュース産駒のトランプ、トランプ産駒のロッテリーにリヴァプールというように優秀な種牡馬を代々生み出し、それぞれ1世紀近くにわたって父系を存続させた。
しかしその後は衰退。現在では残念ながら断絶されてしまっている。


マーキュリー


エーオ!!な方では無い。

本馬自体も主な勝ち鞍にキングズプレートなどを持つ優秀な能力を持っていたが、種牡馬として2頭のオークス馬を出すなど成功。そのまま破竹の勢いで前述の3頭に並ぶ大傍系を作り上げる。栄華を極めたが残念、欧州では19世紀半ばに絶滅。

一方、子孫のトラスティーはアメリカに輸出されるとそこでなんとまさかの産駒ガチャSSR。生涯戦績36戦32勝、アメリカ史上トップレベルの名牝ファッションを送り出し米リーディングに輝いた。さらに別の産駒レベニューも31戦27勝にして種牡馬としても成功する名馬プラネットを輩出するなどして親子二代のリーディングに輝いており、大いに繁栄した。
ただ残念ながらその栄華も永遠には続かず、20世紀に入るころにはひっそりと終わりを迎えた。


ヤングエクリプス


…………ひねりがないなぁこの馬名。
さて、そんな本馬だが、別に飛び抜けた戦績だったわけではない。じゃあ繁殖成績かといえばそれも違う。彼の一番のアピールポイントは、エクリプスの子孫の中で最も早くダービーを制したこと。しかもこのダービー、なんと第2回目のまだ初期も初期の頃のもの。いち早く父にダービー勝利の栄光を捧げ、エクリプスの子孫たちのクラシック無双の嚆矢となった。
ちなみに同じくエクリプス産駒のサルトラム、サージェント、アネットがこの後それぞれ第4回、第5回のダービー、第9回のオークスを制していくことになる。

ミーティア


『競走馬』としてはポテイトーズに並ぶエクリプス産駒代表。強さガチ枠。3歳でデビューすると、ダービーで僅かに届かず2着に敗れるとそこから完全覚醒。父を超える怒涛の21連勝、ダッシュレースでもヒートレースでも超一流の活躍をし、生涯戦績33戦30勝の完全連対で競走生活を締めくくると、種牡馬としても活躍。36戦24勝を記録し、オークスを勝つだけでなくダービー馬やセントレジャーステークス勝ち馬の様な牡馬も蹴散らした最初期のゴリウーことメテオラ}、あのナポレオンにトドメを差したワーテルローの戦いを2日間ぶっ続けで走り抜き活躍した、歴史に名を残す名軍馬にして一応競走馬コペンハーゲンらを輩出した。


無双の神、その全貌



……さて、そんな神の血を継ぐ馬達が走る世界だが、我々人間は考えた。そして知りたくなった。


今や絵画と記録でしか分からないエクリプス。その強さの秘訣を!


取り敢えず戦績やレースの勝ちっぷりを見るに、少なくともスタミナは誰も比肩出来ないほどに抜けていたと言えるだろう。4マイルを連続で数回走っても、疲れで極端にパフォーマンスを落とすこと無く走り続けるなんて真似が、果たして他の馬に出来るだろうか?
また、スピードも当時の馬にしては規格外であったことは疑いようのない。でなければデビュー戦とはいえ相手に"最低でも"92馬身つける芸当は不可能だろう。海外の資料曰く、トップスピードは秒速25m以上*9に達したと言うものがあるのもそれを物語る。まぁ流石に誇張されているだろうが……
ちなみにストライド型の馬であり、1ストライドで7.6mを"飛んだ"とされる。*10
あとは身体の頑強性も物凄い。76.2kgというとんでもない斤量を結構な頻度で背負い、時々おかしい出走間隔でコンスタントに走り続けても故障の記録が存在しない規格外の体を持っていた。ちなみにこれは当時の馬は皆そうだったと言うわけでなく、例えばゴールドアリュール*11という馬は引退間近のエクリプスにマッチレースを挑もうとしたのだが、直前に故障したせいで戦いが実現しなかった……なんてこともある。

とはいえ、すごい戦績を残す馬なら程度の差こそあれど、大体上記の特徴は全て持ってるものである。それ以外のことも知るためには、その他の資料が必要であった。

まずは貴重な当時の物品として、エクリプスの検死の際に分かったことを医師が纏めた書類がある。これに幾つかの身体的特徴が記述されており、それによると例えば、

・地面からキ甲までの高さ66インチ(167.6センチ)。今ほど馬格の大型化が進んでない当時としては規格外の体格である。

・心臓が発達しており、その重さ14ポンド(6.35kg)。現代のサラブレッドの平均が9ポンドであることから考えると、高い心肺能力を持っていたことが科学的に示された。*12


などのことが分かった。高い心肺機能はスタミナに影響を及ぼすため、数マイルものヒートレースを何度も繰り返せるスタミナに繋がったろう。

また、これまた貴重な研究材料としてエクリプスの骨格が現在も保存されている。イギリスの名門大学『王立獣医学校』のエクリプス館にて展示されているのがそれで、ちゃんとDNAの精査をし、エクリプスのものであるとほぼ確定した代物だ。

これらの骨格による研究では、

・現在のサラブレッドと肉体的な意味で顕著な変化は見られない。

・恐らく前述の体高測定は誤りで、実際はキ甲まで154.4cm程度だったのではないか

ということが分かった。特に後者の測定に間違いが無ければ、本馬はむしろ当時基準でもチビ*13だったということになり、大きく今までの常識が揺らぐ結果であった。

そして、この骨格標本以外にもエクリプスの『遺品』と言えるものとして、

・たてがみと尾の毛が編み込まれた鞭。もちろんただの鞭では無く、レースの優勝賞品として貰える権威ある一品。

・インクスタンドに改造された蹄が添えられたプレート。うち一つ、当時の国王がジョッキークラブに贈呈したものが存在し、現在も保管されている。

・同様に貴族からジョッキークラブに贈呈された皮

が残されている。
………まぁ、前述のもの含めて本物とされる蹄が『5つ』存在しているらしいがね。

また、絵画や関係者の証言から見るに赤みがかった栗毛であり、右後ろ足のみにソックス*14、顔の流星の形は大流星鼻梁白鼻白*15だったそうだ。

神を讃えて


さて、エクリプスがいかに不世出の名馬だったかをここまで語ってきたが、もちろん競馬に関わるお偉いさんがこんな馬をそのまま『単なる歴史上の1頭』で終わらせようとするわけは無かった。

例えば英国では1886年、本馬を記念しての新競走エクリプスステークスを創設。当時は国内で最も賞金額が高い競走であり、これ以降多くのレースが設立されてきた現在でも上半期の中距離馬最強決定戦、そしてサンダウン競馬場唯一のGⅠレースとして存在感を持ち続けている。歴史的名馬を記念して作られた競走で現在GⅠの格付けを持つものは少なく、気合の入れようが分かるというものだ。
更に1989年に没後200年を記念し銅像が作られ、その内の1体がニューマーケット競馬場で展示されることになった。現在でも、今にも動き出して駆け抜けそうなリアルな本馬の像がお出迎えしてくれる。
そして、もう一つが王立獣医学校。ここの大学図書館棟の名が『エクリプス館』と名付けられており、先述の全身骨格の他、もう一つの銅像も飾られている。いくらイギリスでは競馬の人気が高意図言えど、ただの一獣医大学がここまで1頭の過去の馬を推すのは普通有り得ないことだと言うのは周知の事実だろう。

フランスでも同じように1891年、エクリプス賞が設立。こちらも2歳GⅢのスプリント戦として今も続けられており長い歴史を持つ競走である。

そして、欧州から離れたアメリカですら自国競馬の年度代表表彰に『エクリプス賞』なる名前を与える事態に。この賞の設立は1971年。この時点で既にマンノウォー、ネイティヴダンサー、サイテーション、エクスターミネーター、ケルソ、ドクターフェイガーetc……の様な国を代表する歴史的名馬を幾つも生み出してきたアメリカですら、彼らを差し置いてエクリプスの名を使ったのだ。これが凄いことなのはやはりまた言うまでもないことであろう。

また、競馬に関係ない所でもエクリプスの名に由来する商品が世に出たり、エクリプスの文字が名前に入った競走馬が今でもちょくちょく存在したりと、決して少なくない影響を現在にまで与えている。

しかし、やはり最もエクリプスの名を後世に知らしめるのは、これしかないだろう。

Eclipse first, the rest nowhere.

やっぱこれだよこれ。
近年はある超人気ソシャゲの舞台である学校のスローガンとして、日本でも一定の知名度を得たこの言葉だが、英語圏では昔から一般的な慣用句、或いは一種の決まり文句として使われてきた。意味は当然、『圧倒的な勝利』。日本語での直訳は『エクリプス1着、2着以降は無し』*16とでもなるのだろうが、そこから転じて現在は『唯一抜きん出て並ぶ者無し』という訳で定着している。端的でいてそれでいてカッコいい、センスに溢れた名意訳と言わざるを得ないだろう。



余談


愉快なエクリプスファミリー


ここでいうファミリーとは血縁のある馬達のことではない。エクリプス陣営のメンバー達のことである。

何故余談で彼らのことを語るのかというと、エクリプスの関係者、何故かキャラがとてつもなく濃いのである。まるで漫画かの様に。

取り敢えず各人物を端的に説明すると

・デニス・オケリー(馬主):平民として生まれるも、一発逆転を求めてロンドンへやってきた。金を稼ぐためには手段を選ばず、女たらし、詐欺師、ギャンブラー、そして前科者と肩書を増やし、最後はエクリプスによってもたらされた富で見事に成り上がりを決めた悪党

・シャーロット・ヘイズ(オケリーの妻):違法大規模娼館の経営者。稼ぎもよく頭もキレたそうで、オケリーと監獄内で意気投合。釈放後にビジネスパートナーかつ人生のパートナーとして関係を築くと2人で悪行三昧で荒稼ぎした悪党

・ジョン・オークリー(調教師兼主戦騎手):イングランドいちの荒馬乗りにして密猟者。エクリプスを任せられたときには昼夜問わず引きずり回し、時には整地されていないであろう山を夜通し本馬と駆け回って密猟を行った悪党

・カンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス(生産者):王家&軍人&馬産家の顔を持つ男。エクリプスやヘロドといった馬の生産に関わるなど競馬界に多大な功績を持つも、一方で残虐な人物であり、特に自らが指揮したカロデンの戦いでは敵勢力の負傷兵、捕虜、更には彼らに関わったとされる市民すら大勢虐殺。付いた異名は『屠殺公』の大悪党



…………ヤバいやつばっかじゃねーか!!!


ちなみにオケリーがエクリプス関連の賞金を受け取れなかった理由だが、ここで書いた様に平民生まれであるが故、上流階級に受け入れられ無かったからである。また、ジョッキークラブへの入会も同様の理由で断られ続けたそうだ。


唯一の友達?


超絶気性難として知られるエクリプスだが、いくつかの例に漏れず、小動物には比較的寛容だったらしい。

その代表例が、オケリーのペットとして知られるオウムの『ポリー』。どうやらこの鳥とは仲良くしていたそうだ。

ちなみにこのオウムもまたキャラが濃く、簡単な会話を成り立たせるどころか、賛美歌を自分で暗唱できるほどの知能の持ち主だったらしい。


地味な史上初


種牡馬を引退してミドルセックス州に移送される時に馬車……今でいう馬運車に乗って移動したそうだが、実はこれより前に馬車で移動した競走馬の例は確認されておらず、史上初の『車に乗った馬』としても知られている。
ちなみにこの馬運車を引いたのは下級の牝馬であったため、「エクリプスほどの馬をそんな駄馬に運ばせるのは酷い侮辱だ!」という声もあったそう。





追記・修正は将来の人類の血統を自分色に塗り替えれるほど繁殖できた者だけがお願いします。

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最終更新:2026年10月11日 01:23

*1 4年リーディングサイアーにも輝いた名馬。代表産駒は13戦無敗の怪物ゴールドファインダー

*2 ゴドルフィンアラビアンの直仔としては史上最多

*3 例えばノーブルメン&ジェントルメンズプレートの横に4マイルと書いたが、これは1ヒート4マイルという意味。仮に5ヒート分走な出走したなら計20マイル走ることになる

*4 もちろん馬体の疲れを取るためのものでは無く、次の出走への準備等が行われる。

*5 少なくともこの競走は高頻度かつイギリスの色んな所で行われていた

*6 現在の日本円で数千万〜一億くらい。

*7 現在でも無敗記録としては史上4位タイかつイギリス調教馬史上最多。ヒートレースの時代の馬に絞ればブッちぎりの史上最多

*8 ヘロドさんごめんなさい

*9 時速91km。日本で一番速い馬とされるカルストンライトオが最高時速75km。ちなみに現代のサラブレッド種は淘汰と改良の末、エクリプスの時代の馬と比べてスピード型になっている

*10 ディープインパクトのストライドが7.53mとされる

*11 フライングチルダーズの孫にして大種牡馬スナップを父に持つ名馬にして生涯戦績13戦無敗の超強豪。故障で引退した。

*12 参考までに、心臓が大きかったことで知られるテイエムオペラオーが7.0kg。サンデーサイレンス最大のライバルとして知られるイージーゴアが6.8kg、米国最強馬の一角セクレタリアトが10kgである。もちろん、心臓の大きさだけで競走能力の優劣が決まるわけではないのでそこはご注意を

*13 あのドリームジャーニーでも158cm。体高ならメロディーレーンといい勝負になる

*14 馬の足にある白い柄

*15 トウカイテイオーの様なもの

*16 『エクリプス1着、他はまだ見えない』という訳も知名度があるが、これは誤り。ヒートレースのルールを知らない訳者が意訳した結果と推測される。まぁ92馬身以上離してたらホントに見てなくなってるかもだが