各務元正

登録日:2009/11/07 (土) 23:34:33
更新日:2025/03/12 Wed 09:49:52
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各務元正(かがみもとまさ、1542-1600)は、戦国時代の武将である。別名、兵庫助。

天文11年(1542年)に各務盛正の子として美濃(現在の岐阜県)に生まれる。
森可成の家臣であり、森家の三家老の一人という重臣。戦場でも凄まじい戦ぶりを示し、鬼兵庫と呼ばれた。
可成死後は長可に仕え、長島一向一揆や長篠など数々の戦いで活躍する。

彼の中でも殊勲とも言うべき武功の一つに高遠城攻防戦がある。

各務(以下、かがみん)は戦闘の合間に単身偵察に向かう。
城壁の狭間から中を窺うとまさしく兵に指示を出している所。「この作戦を伝えよう」と勇むかがみん。
しかし、いざ帰ろうとしたら彼を悲劇が襲う。なんと付けていた旗指物が引っ掛かり抜けない。

ようやっと引っこ抜いたかがみんは勢い余って転がる。
そう、城内へ。

かがみん「(゜д゜)」
敵兵「(゜д゜)」
かがみん「…Σ(゜д゜;)ニゲナキャ」

取り敢えず敵に囲まれてしまったので暴れるかがみん。そのうちこれに城外の味方も気付く。
長可「あの勇者誰wマジ凸とか乙w」
家臣「あ…あれ兵庫殿です!」
長可「(゜д゜)…あいつを殺させるな~!」
森軍を初めとする各軍の猛攻により高遠城は落城した。恐るべきドジっ子である。
宇佐山城攻防時は、主君可成、その長男可隆が戦死した状況下、1000の手勢で織田の援軍到着まで城を守り抜いた。

その後もかがみんは長可によく仕え、彼の激戦の生涯を戦い抜き、そして内政面でもよく支えた。

だがしかし、小牧長久手の戦いでは岩村城の守備に当たっており、本軍には居なかった。
これが再び主君の死命を決してしまったのかもしれない……

かがみんのいる岩村城も徳川軍の攻撃を受けこれを余裕で退けるも、主君長可はかがみんを欠いていたためか野戦の天才である徳川家康本軍の前に舅の池田恒興と共に大敗を喫してしまう。
そして長可は恒興と共にその雪辱を果たさんとするも、奇襲を受けて恒興共々あえなく戦死してしまった。

可隆の息子の中で唯一生き残っていた*1末弟森忠正は長可が文字通り命懸けで(ものすごく荒っぽいやり方であったが)助け、遺書において将来は医者になるようになどとその命をとても危ぶんでいたが、羽柴秀吉の命により忠正は長可の遺領を継ぎ大名になるように命じられる。
かがみんはその後見役となり重臣として森家を支えることとなったが、忠正の転封に従った後間もなく病の悪化により死去した。享年59。




彼を取扱った作品
信長の野望(ごく一部の作品のみ)
戦国✝恋姫(立ち絵はないが森家の事務一切を取り仕切る才女として語られる。)



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最終更新:2025年03月12日 09:49

*1 蘭丸ら他の兄弟は本能寺で信長と運命を共にした