森長可

登録日:2009/11/07 Sat 21:26:31
更新日:2023/10/12 Thu 23:43:10
所要時間:約 5 分で読めます




(もり)長可(ながよし)(1558~1584)は戦国時代の武将、大名である。通称、武蔵守、鬼武蔵。
織田の勇将・森可成の次男に生まれる。ちなみに兄は可隆、3人の弟(三男、四男、五男)が織田信長に最期まで仕えた成利(蘭丸)、坊丸、力丸。末弟(六男)が忠政(千丸)である。
千丸も小姓として仕えたのだが、不祥事を起こして帰されたために難を逃れている。

非常な豪勇で知られ、主君信長も一目置いていた。

1570年、浅井との宇佐山城攻防戦で父が、手筒山城の戦いで兄・可隆が戦死した為、元服して跡を継ぎ美濃兼山を領有。
甲州征伐では織田信忠に従って参加。武田家の滅亡後、北信濃(川中島四郡)をさらに領有する。

本能寺の変以降には信濃を失ったものの、秀吉傘下として尽力する。

しかし、小牧長久手の戦いでは前哨戦で大敗を喫した上に小牧山城を奪われてしまう。
奮起した長可は舅の池田恒興と共に奇襲を進言、秀吉も最初は反対するも熱意に押されて派遣を決定した。
しかし、徳川家康にそれを見抜かれ、逆に奇襲を受けて眉間を打ち抜かれ戦死した。
死後、森家は弟の忠政が継いだ。



















とまあ、知ってる人は知っている程度の、一般的にはマイナーな武将である。
そんな彼の項目がこのアニヲタwikiになぜあるのか。

それは、戦国ちょっといい話・悪い話スレの常連だから、それもDQN四天王筆頭としてその名に恥じない働きをしているからである。

戦国DQN四天王にはそれぞれ傾向があるが、
彼の場合は「逸話の悉くが血腥い

逸話の悉くが血腥い

大事なことなので(ry

彼の前に立った者は、それが織田の家臣だろうが関守だろうが門番だろうが敵だろうが神蛇だろうが全て命を落としている。
初陣の伊勢長島でいきなり首級を上げたり、
武田崩れでは屋根板外して配下の兵たちとともに 鉛弾を敵兵にシューッ! 超!エキサイティン!したりと暴れている。
同僚との諍いも絶えなかったが、だいたいのことは信長が「ははは、こやつめww」と許してしまうので手に負えなかったとか。
結局、これと言った重罰は一度も受けなかったのだが、軍紀違反に関しては信長でも庇いきれず注意せざるを得なかった事例も少なくなかったという。

何故あまり注意されなかったか?血生臭い逸話で溢れているということから想像出来るかもしれないが、
この人命令違反を繰り返しているが主に先走っているが故の行動であり、結果としても配下共々DQNとしか言い表せないレべルでめちゃくちゃ勇ましくて武功を挙げていたから。
また、父などの一族の多くが信長に良く仕えていた(それも本当に文字通り命を投げ出すレベルで)ことも影響していると思われる。
つまりこれらはエコひいきや謎の重用といった話ではなく、相応の働きと評価によるものだと思われる。

本能寺の変後の信濃からの撤退時には人質を取ることで無事撤退に成功する。
この際、人質にとった信濃国衆の縁者らは皆殺しにしている。

で、これらの流血沙汰ばっかりな逸話は彼の26年という短い生涯の中で起こっている。
どう言い繕っても問題児であることは現状疑いようがない。
小牧長久手での戦死時には味方であるはずの秀吉が喜んだという真偽不明の噂もある。
(※ただしそうだとしても、問題児だからというより、織田家の有力武将の一人だったために『まだまだ不安定な当時の秀吉の権力闘争的に亡くなってくれた方が良かったのでは?』とする見方もある)
それだけの嫌われ者であった……とされていたりもするが、前述しているように信長・秀吉それぞれ主君としていた者への忠節は父や兄弟と同様十二分に見せていたため、
信長からは上記の通り大事にされ、秀吉も(諸事情があったものの)彼の意見や遺言に折れたりと甘いところを見せていた。

血で血を洗う、という言葉すら生ぬるい程の血みどろのDQNなためそういった点がクローズアップされがちだが、
実は優れた文化人にして、非常に有能かつ真面目な政治家でもあった。
戦場での報告書を自ら書くほどの能筆で、茶道を嗜んでいたのが高じて名物茶器収集も趣味になっており、
ある茶器を購入する際に秀吉から多額の借金をしてまで資金を調達している。

妻との関係は対等だったのか、意外と気を遣える紳士だったのか、妻に託した遺言は丁寧な文体で書かれていた。*1
そもそも他にも本能寺の変後の信濃の者に対する非道についても、
長可が信長の死を聞いて仇を取ろうと決めたら信濃国衆のほぼ全員が裏切ったことが原因であるため、信濃国衆の主張も分かるものの自業自得ではある。
しかもその中で唯一裏切らずに撤退に協力してくれた出浦盛清には深く感謝し、脇差を与えたと伝えられている。
そうして金山城に帰ってすぐ、これ以上身内を失いたくないという一心から、岐阜城で人質となっている忠政を単身潜入して30m下の布団に投げ入れ救出している。うん?
弟蘭丸を討ち取った人物も、武功は武功だからといって召し抱えている。
この様に決して傍若無人な人物というわけではない。関所などの件から沸点についてはフォロー致しかねるが。
武功の数々も暴れたかっただけかもしれないが、むしろ忠誠心が為した(あるいは忠誠心を見せるための)ものだと言うべきだろう。多分。


領地運営にも積極的で、商業を重視した内政によって領内を潤しており、その時に制定した専売制は非常に優秀で明治時代まで存続した。
このように文人としては十分に文句無しであり、死後のことを考えて詳細な内容の遺書を用意するなど後先もキチンと考えられる人物だったが、
だからこそ気性の激しさとそれに起因する流血沙汰の数々が余計に際立ってしまった感は否めない。




愛馬は「百段」。品種は甲斐黒。
居城である美濃金山城の急な百段の石段を一気に駆け上がる程の強い馬だったらしい。
(100反を全力疾走できるとの説も)

槍は和泉守兼定作の十文字槍・通称「人間無骨」。
片面に「人間」、裏に「無骨」と彫って愛用した。
ちなみに、「人間無骨」とは「(この槍は)人間など骨のない肉塊と同じく貫ける」という意味。
長可が敵を突き刺したら、十文字の部分を抜けて石突まで達したという逸話を持つ。


余談だが、後を継いだ森忠政もかなりのDQNであることで有名。
しかもドン引き行動がやたら多いものの、一連の行動を見るにこちらも(長期的視野で良かったかまでは分からないが)頭脳は決して悪くなかった模様。
例えば後に信濃の旧領を回復したときには、兄を裏切った者たちを皆殺しにしている。
もっともそうする理由もある上、身内を裏切った者に死を以て償わせる(仮に許そうにも到底信用できない)のはこの時代では極普通ではある。
…が、その後検地で石高を高直ししており、数百人を処刑するなどいささかやりすぎである。
やっぱり助けない方が良かったんじゃ



彼を取扱った作品

◆ライトノベル

◆ゲーム
  • 戦国大戦
  • 太閤立志伝
  • 信長の野望

◆漫画



追記・修正は人間無骨を振り回しながらお願い致します。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 戦国時代
  • 人物
  • 戦国武将
  • 鬼武蔵
  • DQN四天王
  • 武将項目
  • 森長可
  • Fateサーヴァントネタ元項目

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年10月12日 23:43

*1 なおこの遺言、弟の忠政には跡を継がせるな、娘は京で医者かなにかに嫁がせろ、母は京で暮らさせて、など武士に嫌気が差したかのような「お前が言うのか」と言いたくなるもの。しかし、別の解釈として忠政は秀吉さまのお側に、家族は京在住にしたいと考えると、政権中枢が存在する京から森家を離れさせたくないとする、とても生々しい内容だとする説が出てきている。