忠犬ハチ公

登録日:2011/12/22(木) 15:14:53
更新日:2023/10/09 Mon 21:40:42
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忠犬ハチ公


忠犬ハチ公は秋田県生まれの秋田犬。1923-1935年。



最近ヒーロー化した



…はさておき、

飼い主が亡くなった後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」として有名になった。
現在、ハチ公ゆかりの地には銅像があり、世界的に有名なのは渋谷駅前の銅像である。
この銅像以外にも日本中に点在しており、何年か前にも山形県のとある町にハチ公像が設置された。
渋谷のハチ公像は本家であり、現在のものは二代目。
実は、二代目はハチ公に感銘を受けたGHQが有志を募ったことが元で復元された。
復元は初代を作った方の息子、安藤士氏が担当した。
また、ハチ公の生涯を元にした映画もある。


【生涯】

1923年、秋田県に生まれる。

1924年、東京帝国大学農学部の教授、上野英三郎に飼われることになった。この時から渋谷に移る。
教授は他にも犬を飼っており、ハチは3匹目。

教授の存命中は、玄関先や門の前で教授を見送り、時には最寄駅の渋谷駅まで送り迎えすることもあった。

しかし…

1925年5月21日、教授が大学で勤務中に脳溢血で倒れ急死。ハチ2歳の時であった。

いくら待っても帰って来ない主人のことを憂ってか、ハチは3日間何も食べなかったと言われている。
教授の通夜が行われても、犬に人間の風習は理解することはでいきない…

教授の死を理解できないハチは通夜の時も教授を渋谷駅まで迎えに行っていた。

教授の死後飼い主を転々とし、教授宅出入りであり家も近かった植木職人、小林菊三郎のもとに落ち着いた。

小林宅に移った1927年以降、頻繁に渋谷駅に現れるようになる…



【忠犬として】

「ハチの渋谷駅へ行く日課は正確であった。小林宅を出るのは毎日午前九時ごろ。暫らくすると戻る。夕方は四時近くなると出かけ戻るのは午後五時過ぎから六時頃であった。 これは、故主、上野博士の朝出かける時間と夕方の帰宅時間であった」


(『ハチ公文献集』より)

ハチは教授と過ごした時を忘れようとしなかったのか…ただ帰って来ることを信じ続けたのか…
2年しか過ごしていなかったのに…

小林宅に移って以降、ハチはこうして死ぬまで駅で主人の帰りを待ち続けた。

また、駅だけでなく教授宅にも毎回行っていた。
教授の帰りを確認しに…


ハチは有名になる前までは周囲から邪険に扱われており、酷いときには顔が墨で真っ黒、さらには野犬狩りで命の危機に何度も晒されている
野犬狩りの危機の度に屋台の人が助けてくれていた。というより、そのループだったらしい。
(ちなみに有名になった後も稀に殺されそうになった。屋台の人、本当にナイス…)
屋台の人々から焼き鳥を分けてもらって食べており「焼き鳥が目当てで駅に通っていただけだ」と憎まれ口を言うものもいた。
どちらにせよハチが屋台で焼き鳥を食べていたのは事実であり目撃証言も多かった上に
死後の病理解剖で胃袋の中に串が3本ほど入っていた

そんなハチが有名になったのは1932年、教授を迎えに来るハチのことを知っていた日本犬保存会初代会長が、渋谷駅で邪険に扱われているハチを哀れみ、
ハチのことを新聞に寄稿したことがきっかけである。
これが「いとしや老犬物語」として新聞に載り、有名になったハチは渋谷駅の人々から一転してかわいがられるようになる。

これ以降、忠犬ハチ公と呼ばれるようになった。

1934年、募金により初代銅像完成。
作成を担当したのは日本の彫刻家の安藤照、鹿児島の西郷隆盛像を作成した人物。

初代銅像完成時にまだハチは存命であり一緒に写っている写真も残っている。

しかし、戦時下の金属不足のためこの像は供出され、奇しくも終戦の前日である1945年8月14日に溶かされてしまった。






1935年3月8日、普段行かない渋谷駅の反対側の渋谷川に架かる稲荷橋近くにある、路地の入り口で亡くなりました。享年11歳。


ハチのご冥福と、教授との再会をお祈りします。


ハチの告別式は渋谷駅で盛大に行われ、教授ゆかりの人々や小林夫妻、駅や町内の人々が多数参列し、寺から僧侶が来て読経も行われ、
人間さながらの葬儀が執り行われました。


ハチは教授と同じ青山霊園に葬られ、亡骸は剥製となり今は上野・国立博物館に安置されています。



その後、ハチ公像は安藤照氏の息子で、彫刻家である安藤士(たけし)氏によって1948年に再建された。

初代ハチ公像を作った安藤照氏は空襲で亡くなっていたため、士氏が後を受け継いでいる。

このとき、士氏は材料が不足したため、父の遺作「大空に」を溶かしてハチ公像を制作した。

溶かされた「大空に」は照氏が帝国美術院賞を受賞したときの作であり、決して失敗作をリサイクルしたわけではない。
士氏の苦悩がうかがえる。


【余談】



忠犬ハチ公の鳴き声のレコードがある


というトリビアが取り上げられたことがある。

そのレコードの最後にハチの肉声が入っており、その際番組でバウリンガルによる翻訳が試みられた。
その翻訳結果が…








「さびしいよぉ~」






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最終更新:2023年10月09日 21:40