千聖は何ごともなかったかのように、私の爪を直し始めた。
「千聖?」
「んー…」
一つの事に集中力を使う千聖は、もう生返事モードになってしまった。
薄いパールピンクのマニキュアを、先の方だけ何度か重ね塗りしてグラデーションみたいに色を変えている。
凝ったことをするなあ。千聖の爪がこういう感じになってるのは見たことがないけど、家ではよくネイルアートを楽しんでいるのかもしれない。
「できたわ」
速乾スプレーで爪を覆って、千聖は私の手をポンと叩いた。
白に近いピンクが、指先に向かって少しずつ濃い色に変化して、さきっぽは大粒のラメがちりばめられている。
「すごい…!ありがとう、何かお店でやったみたいだよー!明日みんなに自慢するから。ケッケッケ」
お世辞でもなんでもなく、手間を惜しまずこんな可愛い爪にしてくれたことが嬉しかった。
「喜んでもらえて嬉しいわ。こんなことしかできなくてもうしわけないけれど、今日のお礼の意味をこめて」
「お礼?」
「…愛理は、私の様子が変だから、様子を見に来てくれたのでしょう?」
こういう時は嘘でも「いやいやそんな」とか言うものなんだろうけど、千聖の魔法の瞳に捕らえられた私は、無意識にうなずいていた。
「ありがとう、愛理。最近、いろいろなことがありすぎて。今までは気にせずにいられたことに傷ついたり、なんでもないようなことで涙が出るほど笑ったり。・・・私自身が、私のことをよくわからなくなってしまってるの。」
千聖は私の手を握って、胸に頭をコツンとぶつけてきた。
・・甘えられている?犬のフードの上から頭を撫でると、千聖は犬みたいにキュンと喉を鳴らした。
「まだ私たち、たったの中学2年生だよ。これからも毎日変わっていくんだと思うし、気にすることないって。」
「でも・・・私はなるべく、いつでもいつもの千聖でいたいの。誰にも心配をかけたくないわ。」
「千聖・・・・」
誰にも心を見抜かれずに、いつでも悠然と微笑んでいることが、千聖のプライドなのかもしれない。
だったら、せめて私がそれを助けてあげられたら。
「じゃあさ、さっきも言ったけど、私にだけは本当の千聖を見せてほしいな。辛かったら頼って、苦しかったら愚痴でもこぼして。そうじゃないと、千聖の心が壊れちゃうよ。」
「そんな、だってそれじゃあ愛理が」
「いいんだよ。私は、千聖が私にだけそうしてくれるならむしろ嬉しいもん。ね、どうかな?」
しばらく黙って考え込んでから、千聖はゆっくり私の顔を見つめた。
「愛理は優しいのね・・・私、きっと愛理を好きだったら幸せになれたかもしれないわ。」
うひゃあ。こんなセリフ、最近ドラマで見た気がする。
そんで私が「じゃあ俺にしとけよ」とか言って千聖を抱きしめて・・・って、何考えてるんだ私。
「もう寝ましょうか。明日の打ち合わせ、頑張りましょう。」
私の動揺を知ってか知らずか、千聖は視線をベッドに移して手招きをした。
今日はあっすーは弟くんと一緒に寝るらしい。ふだんはあっすーのスペースになっているベッドの右サイドに体を横たえると、部屋の明かりを薄暗く調節した千聖が左にもぐりこんできた。
最初は正面を向いていたけれど、そんなに大きなベッドじゃないから、私と千聖じゃ肩がぶつかってしまう。
体の小さいあっすーとは勝手が違うことがわかったのか、千聖はちょっと困った顔で体を横向きに変えた。
背中を向け合うのは寂しいから、私も千聖の方に向き直る。
「・・・・えりかさんが私を抱きしめてくれる時はね、」
突然、さっきまでとは違う濡れた声で千聖が喋りだした。
「こうやって、横向きになって触るの。私が怖くないように、痛いことや苦しいことは何もしなかった。・・・押し倒すようにされたのは、最後の一回だけ。」
「千聖、」
「・・・どうして、あのままではいられなかったのかしら。きっと、私が悪いのね」
千聖の息が少しずつ荒くなる。
私は思わず千聖の胸を強く掴んだ。・・・あの、トイレの時みたいに。
「あいり・・?」
「ごめん、何か、わかんないけど・・・私じゃえりかちゃんみたいにはできないけど」
そのまま力を入れたり、緩めたり。千聖はとまどうように私の手を見つめていたけれど、やがて力を抜いて、私に体を預けてきた。
「千聖。これは私がしたくてしてることだから、嫌なら払いのけていいんだよ。」
千聖が無言で首を横に振ったことで、私の迷いは消えた。
前よりももっと大きくなった胸。女の子らしく柔らかなラインになった体。きっとえりかちゃんが、千聖の身体を大人に変化させてしまったんだ。心だけ突き放して。
「本当、ずるいね・・・・」
胸を通り抜けたわけのわからない切なさをふりきるように、私の指は千聖に溺れていった。
最終更新:2011年02月08日 21:16