教室を後に、おっかない先輩の後ろを俯きながら歩いていく。
先輩曰く、彼女は意味不明の言葉を連呼したあとに、僕の名前を出して、そいつを連れてきて!とだけ言ったそうだ。
高校に単身乗り込んでくるような凶暴ラッパーに名指しで呼び出される、そんな恐ろしい状況に置かれているのか、僕は。
しかも、我が校に殴りこんできたその人は熊井ちゃん。
もう僕には何が何だか、全く状況が理解できなかった。
生徒指導室の扉を開けて中に入ると、そこにはいました、先ほど当高校に侵入してきた凶悪ラッパーが。
僕の姿を認めた熊井ちゃん。彼女の第一声。
「ヘイユー!なに泣きそうな顔してんだYO!」
泣きたくなる元凶の人にそう言われ、その瞬間僕の視界は涙で滲んでいった。
「なんだよ、熊井ちゃん何してるんだよ。てかまだその格好してるのかよ。僕を呼び出してどうしようって・・・」
「チッチッ、質問ってのは一つにまとめてするもんだぜチェケラ!」
周りを怖そうな先輩方に囲まれて、僕はもう息がつまりそうだ。
他の学校の奴にナメられてんじゃねーぞ、という先輩からのプレッシャーを全身で受けつつ、目の前の熊井ちゃんと向き合った。
目の前の熊井ちゃんは、この状況でも、勿論いつもと全く変わらない熊井ちゃんだった。
まぁ彼女のブレなさは一級品だから、それは当然のことなのかもしれないけど。
堂々としたその態度。いったいどこからこの自信満々のエネルギーが出ているのだろう。
緊張感あふれる空気の中、僕は恐る恐る熊井ちゃんに問いかけてみた。
「あのー・・・ それで、今日は何の用でうちの高校へ? 熊井ちゃん」
「もちろん用事があって来たんだけど、それに対してこの学校の人の対応はひどいよねー」
先輩たちをじろりと睨みまわす熊井ちゃん。
この状況でよくそん態度取れるな。ホント尊敬するよ、この人。
「もう最初からケンカ腰だしー」
「それが殴り込んで来た人間の言うセリフか!」
「だって、そうでしょ。こっちは一人なのに大勢でかかってきてさー。男のくせに情けなくないの?」
お願いだから刺激しないで、熊井ちゃん。
「なんだと!!下手に出てりゃ付け上がりやがって。女のくせに!」
「女のくせにって何? そうやって性別で差別するなんてダメなんだよ!」
僕はもう縮み上がっていた。この空気、怖すぎる。
先輩方を横目で伺って見ると、一様にうんざりした顔をしている。
なるほど、校庭でも終始こんなやりとりだったのだろう。
先輩方も、すでに薄々お分かりのようですね。反論するだけ労力の無駄遣いだということが。
そんな空気にはお構いなしの熊井ちゃん。
一同をジロリと見回したあと、気を取り直したように話し始めた。
「まぁ、いいや。今日うちが来たのは、これを持ってくるためだったの」
熊井ちゃんが何かをカバンから取り出す。
「これ。チラシを作ったから、これをこの学校でも配布してもらおうと思って」
チラシ? 何だそれ?
ちょっと嫌な予感がする。それを顔に出さないように気をつけながら、熊井ちゃんに続けて尋ねる。
「チラシって、何?」
「より良い学生生活を送るための手助けをしようと思ってさ。いろいろな学校の人にもね」
見せてもらったチラシ。それは、
(学生生活の上で何か事件はありませんか。身の回りで起きたあらゆる出来事を解決します。学園・もぉ軍団)
もぉ軍団、って・・・
そんな怪しい団体に頼みごとをする生徒なんかいるわけがない。
そもそも、何だ?事件って。
そんなチラシをわざわざ作って、しかもうちの高校まで配りに来たと。
それは分かったが、それが何でこんなトラブルになるんだ。そっちの方がよっぽど事件だよ。
「これを配るために、一人で乗り込んできたんだ」
「うん、そうだよ」
「言ってくれれば、この学校には僕が持ってきたのに」
「たった今出来上がったばかりだし。だから直接持ってきちゃった」
僕を名指しで呼び出したってことは、配るのは最初から僕にやらせるつもりだったな、熊井ちゃん。
でも、配布するっていっても、持ってきたチラシはせいぜい20枚ぐらいじゃないか。配るってほどの部数ではないじゃん。
「学園の生徒会室で大量にコピーしようとしたら、なかさきちゃんが経費がどうのこうの言い出すから、それだけしかコピーできなかったんだぜ」
「うちがよりよい生徒社会の実現を考えてるのに、そんな些細な事でケチつけようとする人がいるんだから。
そんな抵抗勢力に負けるわけにいかないでしょ。うちひとりでも頑張らないと」
微笑みを浮かべながら崇高な理念を語る熊井ちゃん。なかさきちゃん、抵抗勢力扱い。
それじゃあ、まるでなかさきちゃんが悪者のようだ。
先輩方の中には熊井ちゃんのこの話しに頷き始めてる人もいる。
彼女のことを何も知らない人は、こうやって熊井ちゃんの笑顔に騙される人もいるんだな。
でも、まあいいや。とにかく、こんな話しだけど無理にでもまとめていくのが今の僕の仕事だろう。
「というわけなんですよ。この人は決して悪い人ではないんです。
えーと、この人、熊井ちゃんは、熊井ちゃんというジャンルの人なんで、つまり、こういう人なんです。
僕がよく言って聞かせておきますから、ここは一つ穏便に事を済ませて頂けないでしょうか」
先輩方は、もうそれほど怒ってはいない様子だった。
むしろ、貰ったチラシを興味津々に眺めている。あー、この人達がシャレの分かる人達で良かった。
何だ、ちゃんと説明すれば全く話しがこじれずに済んだじゃないか。
熊井ちゃん校庭ではどういう説明をしたんだよ。
違うか。
この応援団の人達がいま熊井ちゃんの言うことに頷いているのは、説明に納得したとかそんな「理屈」じゃないのだろう。
この人達、最近の大人しい風潮に退屈していたのかもしれないな。
もうここ何年も他校の生徒が殴り込みにやってくるなんてことは無かったのだから。
なんだかんだ言って、乗り込んでくるような漢(おとこ)を待っていたのかもしれない(そこにやってきたのは女の子だし、熊だったけど)。
だから、一人でやってきた熊井ちゃんの度胸は、応援団の人達の心の琴線に触れるものがあったのだろう。
この人達は、そういう世界観の人達なんだろうから。
僕にはよく分からないが、熊井ちゃんにはそういう世界観も分かったりするのだろうか。
チラシを読みながら頷いている人がいる様子に、熊井ちゃんの口上も滑らかになっていく。
「そこに書いてある通り、学生さんたちの間で起きた事件を解決してあげるから。うちらもぉ軍団が」
「質問だけど、このもぉ軍団っていうのは、学園のどういう団体?」
その質問に、待ってましたとばかりに得意気な表情で答える熊井ちゃん。
「うちが率いる学園のエリート集団。筋さえ通りゃ気分次第でなんでもやってのける命知らずの集まりさ」
「不可能を可能にし、巨大な悪を粉砕する。うちらにかかれば解決できない事件などこの世に存在しないから」
・・・・・
このあたりから、先輩たちの口数が少なくなっていくのだった。
しかしだ、あらゆる出来事を解決してあげますって、いったい誰が解決してあげるんだろう。
もぉ軍団が解決してあげるって? そんなこと出来るのか?
恐らく熊井ちゃんはこんな相談が来ることを期待しているんだろう。
(家の古い納屋の奥から徳川埋蔵金のありかを書いた古文書が見つかりました)
川*^∇^)||<よし、発掘に行こう
(昨日、謎の飛行物体が裏山に着陸するのを見ました)
川*^∇^)||<よし、裏山に探検に行くよ
熊井ちゃん、影響されやすいからなあ・・・ テレビで何かそんな映画でも見たのだろうか。
そうやって映画や小説に出てくるような面白いストーリーに影響されてるんだろうけど、現実社会ではそんな話しは絶対ありえないよ。
この平凡な日常に、そうそう面白い出来事などあるわけはないのだ。
あるとすれば、もっとこう楽しさのあまり感じられない、つまらない事件とかじゃないだろうか。
ましてや持ってこられたのが面倒くさい人間関係のトラブルとかだったら、どうするつもりなんだ熊井ちゃん。
「そんなの、決まってるじゃん!」
最高の笑顔を浮かべた熊井ちゃんが、ビシッと僕を真っ直ぐに指差す。
「その時は、やっと君の出番だよ! 頑張れ!!」
ダメだ。僕の力では、この人に太刀打ちできない。
もとより僕のかなう相手では無いのだ。
誰か助けて、と先輩方を見回すが誰も目を合わせてくれない。
今の話や一連のやりとりを目の当たりにして、この熊井ちゃんと積極的に関わろうなどと思うような奇特な人は、もちろん一人もいなかったのだった。
語り始めたときは崇高な理念を語っていたのに、だんだん話しがグダグダになってきている。
この展開に、先輩達もようやく分かってきたようだ。そして疑問に思い始めてる。この先の話しを真剣に聞く必要性というものを。
先輩方がこの熊井ちゃんの扱いにそろそろ疲れてきたのが、ありありと分かる。
このままでは僕は熊井ちゃんのこの話しに一人で付き合わされることになる。それだけは避けたい。
この状況を打破しなければ。
必要とされるのはこの状況で熊井ちゃんに対抗できるようなメンタルの強い人だ。
いま僕の頭に浮かぶのはあの人しかいない。
「あの、先輩、僕の手には負えません。生徒会の久住先輩を呼んできてもらえませんか?」
「久住? どうして彼女を?」
「生徒会の渉外部の部長さんですから。この場に適役なのは久住先輩しかいません」
そのやりとりを聞いた熊井ちゃんが話しをかぶせてくる。
「生徒会の人が来るの? うん、その方が話しが早いかもねー。ここから先は実務レベルで話しが出来る人がいいからね」
ここから先の話しって。
まだ、何かあるのか。もう勘弁してくれ。
「生徒会の話しは生徒会の人同士で話しをしたほうがいいと思う。うちは学園の生徒会の代表として、この学校に来たんだから」
「そう!そういうことなんですよ。ですから早く久住先輩を!」
学園の代表とか、それ絶対に熊井ちゃんの脳内設定だろうけど、そういうことにしておこう。
先輩方もこの辺で幕引きをしたいと思ったのか、そこに落としどころを見出してくれたようだ。
「そういうことなら、あとは生徒会の仕事だな。俺達はこれで失礼する。それじゃあ久住を呼んでくるから、ちょっと待ってろ」
応援団の人達が行ってしまうと、僕はどっと疲れが噴出してきた。ぐったりと机に突っ伏してしまう。
部屋には熊井ちゃんとふたりきり。
「熊井ちゃん、あのさあ・・・・」
「なに?」
「あんな殴り込みみたいなやり方しなくても・・・」
「だってその方がインパクトがあるし、カッコいいじゃん」
「なんていうか、さすがだとしか言いようがない・・・ おかげで僕はこれで完全に応援団の人から目をつけられry」
「なに?聞こえない? まぁ、感謝してよねー。今日はリーダー自ら来てあげたんだからー。本来もぉ軍団の切り込み隊長は梨沙子の役目でー」
「また勝手にそんなこと決めて・・・ いいのかよ?梨沙子ちゃんはそのポジション承諾してるの?」
「でも、良かった。あの人達もうちのこと分かってくれたみたいだし。やっぱり話せば分かるんだね。ラブ&ピース。あははは」
もうすでに僕の話しを聞いてない熊井ちゃん。
そして何故か、とてもご機嫌な様子。
熊井ちゃん、今日の出来事は、たぶん語り継がれちゃうよ。
初めてうちの高校に来るなり伝説を作ってしまう熊井ちゃんって、いったい・・・
最終更新:2013年11月24日 11:22