「・・・・・」
目的の観覧車に乗り込んだ後、あんなにはしゃいでいた舞ちゃんは、急に無口になった。
「綺麗だねー。天気いいから、遠くまで見渡せるかな?」
「ええ、私のおうちも見られるかしら?」
「ちょっと遠すぎない?でも、方角わかるなら探してみようよ。どっち?」
わりと盛り上がっている私たちとは明らかに空気が違う。
両手をガッチリ千聖の腕に絡めて、頭を肩に乗せて、視線はえりかちゃん。ちょこちょこ振られる千聖の話も耳に入っていない様子で、舞ちゃんは生返事しか返さない。
だけど、私たちも長年の付き合いでよくわかっている。舞ちゃんが急に不機嫌になったり、黙り込んでしまった時は、逆にあまり気を使わないほうがいい。
おしゃべりに参加したくなったらそのうち乗ってくるし、乗ってこなくても別に誰かに八つ当たりするようなタイプじゃないから、今も、舞ちゃんの好きなようにしてもらうことにした。
今日一日一緒に過ごしてあらためて思ったけど、どうやら舞ちゃんは千聖のことが本気の本気で好きらしい。子供の独占欲じゃなくて、ちゃんとした意味で。その大好きな人が、今から寝盗られる(と言っていいのか)のだから、そりゃあ穏やかではいられないだろう。
最初の決意どおり、私はどちらに肩入れするつもりもないし、千聖がしばらく答えを出さないのならそれはそれでいいと思う。でも、それぞれの気持ちを思うと、何か本当に難しいな・・・。
学校の友達でも、恋して悩んでいる子は何人かいるけど、相手の一挙一動に振り回されたりして大変そうだ。まあ、私はまだそういうのはちょっとわからないし、当事者じゃないからこんな暢気に構えていられるんだろうけど。
「千聖、舞ちゃんと撮ってあげる。2人、真ん中にずれてくれる?」
観覧車がもうすぐ頂上につくという頃、えりかちゃんはデジカメを取り出した。
「ええ、もちろん。舞さん、いいかしら?」
「うん・・・」
千聖はえりかちゃんのお願いに応じて、体を舞ちゃんにより密着させる。舞ちゃんの腕に、千聖の大きめなおっぱいが乗っかった。
「でっかー・・・」
「え?」
「いえいえ。ケッケッケ」
多分、こんなどうでもいいことを考えているのは私だけだろう。えりかちゃんは写真に夢中になってるように見えるけど、手元のデジカメのシャッターはなかなか押されない。さっきムラムラしてるとか言ってたし、どうみても上の空。
「えりかちゃん、ピント合ってるみたいだけど・・・」
「ん?え?あ、そうだね、ありがと。はい、撮るよー。」
ちょうどてっぺんに到達したその時、えりかちゃんは改めてカメラを構えた。そして、眩いフラッシュが2人を包んだとき、私は信じられないものを目の当たりにすることとなった。
「・・・・・むぐ?」
千聖の肩を抱き寄せて、唇と唇をくっつける舞ちゃん。よっぽど強く押し付けているのか、二人の唇はアヒルみたいにむにゅっとつぶれている。
「・・・・・へぇえ?」
あまりのことに、私は自分が何を見ているのかちゃんと理解できなくて、半笑いで変な声を出してしまった。おそるおそるえりかちゃんの方を見ると、呆然とした顔のまま固まっている。その手から、デジカメがポロッと落ちた。
「わっわっ!」
慌てて手を差し出して、両手でしっかり受け止める。画面を覗くと、バッチリ2人のキスシーンが写ってしまっていた。
光の加減とかで、まるでドラマのワンシーンみたいに綺麗だった。モノクロの絵葉書でよくあるような、小さな子供2人が無邪気にキスしているような。・・・全然、そんなシチュエーションじゃないんだけれど。
「ん・・・」
「むぐ・・・」
目の前の2人はまだ唇をくっつけている。一足先に正気に戻った私は、「舞ちゃん、舞ちゃん!」と慌てて膝をペシペシ叩いた。
「だ、だめだよ、舞ちゃん!もう観覧車下がってるから、人に見られちゃうよ!」
一歩出遅れて、えりかちゃんも舞ちゃんを止めにかかる。ほどなくして、舞ちゃんはやっと千聖の後ろ髪を掴んでいた手を離して、唇も開放した。紅潮したほっぺたもそのままに、横目でえりかちゃんを捕らえてニヤッと笑う。
「ち・・・千聖・・・」
一方の千聖は、未だに何が起こったかよくわからないような呆けた表情で、目をまん丸にしたまま微動だにしない。気まずい空気の車内に、“本日は、ご利用ありがとうございました・・・・”と、タイムリミットを告げる無機質なアナウンスが響く。
「えりかちゃん。」
その時、舞ちゃんが再び体を起こして、千聖の手を握った。
「な、なに、舞ちゃん」
えりかちゃんはいつになく緊張した面持ちで、それでも千聖の空いている方の手を掴んだ。すごい、何てベタすぎる三角関係図!
このまま下に着いてしまったら、乗り場にいる人や係員さんの目を引いてしまうかもしれない。どうしよう、また仕切り屋愛理に変身するべきなのかな・・・
ハラハラしながら動向を探っていると、ふいに舞ちゃんの表情が緩んだ。そのまま私の横に移動してきて、えりかちゃんを押し出して千聖の隣に座らせる。
「舞ちゃ・・・」
「・・・・えりかちゃん、今日は貸してあげるから、ちゃんと返してね。ちーは舞のなんだから」
――かっこいい・・・・
後光すら差しているように見える、舞ちゃんの堂々とした振る舞いに、私はついつい見入ってしまった。
「あ・・あの・・・・」
「舞ちゃん・・・」
えりかちゃんと千聖がどうしていいかわからないように顔を見合わせているうちに、観覧車は地上に到着した。
「お疲れ様でしたー」
「ありがとうございまーす。・・・ほら、早く降りよ?もう一周しちゃうよ?」
さっきまでのハードな人間ドラマの主役っぷりが嘘のように、舞ちゃんは無邪気な笑顔で私たちを手招きする。
出口でつっかえてコケそうになるえりかちゃんを千聖と2人で支えながら、釈然としないまま私たちも後に続く。数歩歩いたところで、舞ちゃんはくるっと振り返った。
「それじゃ、舞は愛理と帰るから。楽しかった。」
「えっ!」
何か手痛い罵倒の一つもあるのかと思いきや、晴れ晴れした表情で、舞ちゃんは私の腕を引いた。
「愛理・・・舞ちゃん・・・」
「またレッスンでね、バイバイ!」
とまどう2人を残して、舞ちゃんは振り返らずにぐんぐん歩いた。
虚勢を張っているようには見えないけど、こんな時、何て声をかけていいのかよくわからない。
駅まであと少し、というところで、赤信号に引っかかって、舞ちゃんの足が止まる。
「・・・良かったの?」
そのタイミングで私が話しかけると、舞ちゃんは黙って大きくうなずいた。
「・・・舞が千聖にキスしたとき、えりかちゃんが止めに入らなかったら、どんな手を使ってでも千聖を連れて帰るつもりだったんだ。でも、えりかちゃん、愛理と2人でちゃんと私達を引き離したでしょ。だから、いいの」
好きな人を取られちゃったっていうのに、舞ちゃんは満足そうに唇を触って微笑んでいる。
「今日一日ちーとえりかちゃんのこと見てて、2人とも本当に楽しそうだった。えりかちゃんがちーのこと都合のいいように弄んでるってわけじゃないのもわかった。
それならいいんだ、今日だけは譲ってあげる。舞だって、ちーには笑っていてほしいんだよ。イジワルばっかしてるけど」
「・・・・えらいっ!」
舞ちゃんの優しさが胸を打つ。私はたまらなくなって、おどけたふりして舞ちゃんを抱きしめた。
「うわっ何!いきなり!」
信号は青に変わったけれど、私はしばらくそのまま舞ちゃんの髪を撫で続けた。
「もう、わけわかんないよ・・・愛理ってば」
少しだけ顔を赤らめて、ニヒヒと笑う顔がとっても可愛い。
「舞ちゃん、今日、うち泊まる?」
「え・・・・」
「ね、泊まろう!それとも、何か用事ある?」
「ないけど・・・・わかった、そうする!パジャマとか、借りるね。初じゃない?お泊りするの」
このままバイバイするのは、なんとなく名残惜しかった。私のいきなりの申し出を、舞ちゃんは笑って受け入れてくれた。
「今日は、大好きな舞ちゃんのこと、もっと大好きになっちゃった。ケッケッケ」
「・・・・なぁーに言ってんの、愛理ウケるー!」
ちょっぴり顔を赤くした舞ちゃんは、手を飛行機みたいにして、パーッと先に走っていってしまった。
「愛理、早くー!」
「ちょっと待ってよう」
同じようなポーズで、私も舞ちゃんを追いかける。
私たちのお楽しみの時間は、まだまだこれからが本番になりそうだ。
**********
「・・・・千聖」
「あ・・・は、はい」
遠ざかる舞さんと愛理の背中をぼんやり見つめていると、つないだままのえりかさんの手に力が篭った。
「そろそろ行かないと、チェックインの時間過ぎちゃう」
「はい」
それきり無言で、舞さんたちとは反対の方向へ歩き出した。
えりかさんは表情が豊かな方だから、いつもお顔を見れば、何となく考えていることを察する事ができるのに、今はよくわからない。怒っている、という風には見えないけれど・・・・少し怖くなって、私も手を強く握り返した。
舞さんと口づけするのは、初めてのことではない。
海の洞窟で、舞さんのお部屋で、仕事場の空き室で。
そして今日、今まで何度となく繰り返してきたそれらの行為の罰であるかのように、とうとうえりかさんの前で唇を合わせてしまった。
舞さんに恨み言を言ううつもりは全くない。私からキスをせがんだことはないけれど、舞さんに求められれば応じてきた。それ以上のことも、したことがないわけではない。
私はえりかさんのことが好きなのに、舞さんの真剣な眼差しに捕らえられると、魔法がかかったように拒む事を忘れてしまう。
もう、どうしたらいいのかわからなかった。私がこんな不埒な状態だからいけない。それはわかっている。でも・・・
「えりかさん」
つぶやいた声は車のクラクションで消されてしまったのか、聞こえないふりをされてしまったのか、えりかさんは前方を見たまま、私のほうを見てはくれなかった。
さっきの私と舞さんを見て、どう思ったのだろう。考えると、胸がギリッと締め付けられるようだ。
これから2人でゆっくり過ごすというのに、こんな気持ちのままでいいのだろうか。
うつむいて歩いていると、しばらくしてえりかさんの足が止まった。
「着いたよ」
「あら・・・」
そこは、駅から程近いところにある、タワー型の大きな建物だった。とても目立つから、存在は何となく知っていたけれど、中に入った事はなかった。ホテルだということも、今初めて知ったぐらいだ。
「入るけど、大丈夫?」
「あ・・・は、はい」
まばゆいシャンデリアに彩られたロビーを抜けて、えりかさんはまっすぐにフロントへ足を運ぶ。
お母様から渡された宿泊許可証を提示して、ボーイさんに連れられるまま、重厚なエレベーターに乗って部屋を目指す。
手をつないでいたら、変に思われないだろうか。ふとそんなことが頭をよぎったけれど、えりかさんは指と指を組み込むようにして、私の手を離さないでいてくれたから、そのままでいいと思い直すことにした。
今は笑顔は少ないけれど、こうして私をそばにおいてくれるのだから、余計なことは考えなくていいのかもしれない。
「ごゆっくりどうぞ」
4階の角部屋。
ボーイさんが戻られたのを確認して、私はキョロキョロと部屋を見渡した。
繊細な模様を編みこんだ絨毯。ガラス張りと言っても過言ではないほど大きな窓が2面。よく磨かれたガラスのテーブルに、2人掛けの大きなソファ。
仕事柄、ホテルに滞在する機会はとても多いけれど、これほど洗練された部屋は使った事がない。ベッドもスプリングの利いたいつものとは違って、とても柔らかく、座っている場所だけ体が沈んだ。
「どう?結構いい部屋でしょ」
ソファに座ったえりかさんが微笑む。
「え・・・えぇ。でも、えりかさん・・・」
お金、の話はしてもいいものだろうか。お母様同士が話し合って、今回はお礼だからと、えりかさんに全額出していただいたのだけれど・・・お部屋のグレードは、私の想像をはるかに超えていた。
「・・宿泊費のことなら、気にしないで」
「えっ」
「実はね、おじいちゃんが、知り合いの人に割引券もらってたんだ。だから、いいお部屋だけどそんなたいした金額じゃないの」
考えている事が顔に出ていたのか、えりかさんは優しい声で説明してくれた。
「それより、こっち来て。チョコ置いてある。食べよう」
手招きされるままにソファへ移動して、思い切って寄り添ってみる。
「なーに、あまえんぼ」
細い指が、私の髪を梳く。えりかさんの好きな、薔薇の香りが鼻をくすぐった。
「千聖」
顔を上げると、ちょうどえりかさんが大ぶりのトリュフをご自分の口に運んでいた。そのしぐさに見惚れていたら、パキッと弾ける音とともに、私の唇に甘くて柔らかい塊が押し付けられた。
「んっ・・・ん・・・!」
それがえりかさんの唇がもたらすものだと気づいた時、無意識に体がビクッと跳ねた。
えりかさんは体に触れてくれることはあっても、あんまり唇を合わせてはくれない。本当に久しぶりの感触。蕩けてしまいそうな錯覚を覚えて、私はされるがままに、えりかさんに身を委ねた。
最終更新:2013年11月24日 09:52