ヴェンディダード
善悪闘争の管理者として振る舞う代わりに、真我の触覚たる力を得る。
本来の自身の名も戒律も奪われ、
属性を固定され、善悪闘争を回し、最終局面で倒されることにより大転墜を起こすという役割を背負わされる代償として、ナダレは
神の現身となる。
人型に凝縮された一つの宇宙。この宇宙で唯一許された
疑似求道神となり、宇宙に匹敵する存在密度による頑強さと
崩界に代表される
超抜能力の行使権限を得る。
しかし同時にナダレの業として強固な挫折の呪いを背負わされ、この戒律の縛りに反する行いは必ず失敗するようになり破戒は不可能となっている。またこの戒律を背負ったことで、本来の名前と戒律は消し去られる。
縛りというよりは呪いのようなもの。そのためナダレとなったものは最初は怒り狂い世界の破壊を目指すが、呪いにより幾度も挫折を味わわされ、やがて虚無的な死による解放を願う存在と化していく。
これは単なる真我(
ミトラ)の加虐趣味とも言い難く、歴代の
覇道神の
元型である
黒の七王の中でナダレはミトラ自身のシミュレートであるため、自身の過去を疑似体験させることで、どのような未来が生まれるのかを占うのが目的だったようである。
悪趣味なのは変わりないが
この大義式戒律の存在ゆえ、
二元論の宇宙においては
真我の影という形でしか
求道の
極みを許容する余地がなく、誰も
求道神になることができない。
仮に
バフラヴァーンのような正統の求道者がナダレを倒した場合、倒した者が次代のナダレとなってしまうだけである。何よりも前提として世界構造自体が求道の極みという
もう一つの宇宙を許容できるほどの自由度は許されていない。
“
みんな”の何たるかを知らない限り、誰もナダレの先へは進めない。みんなとは白と黒の垣根を超えたこの世の全てであり、その視点を真に持てるのは求道ではなく
覇道の領域。
本編のナダレはこの戒律に
もう一つの戒律を加えることで、求道の極みにより近づいている。
備考
ヴェンディダードとはゾロアスター教の聖典『アヴェスター』のテキストの一部。
真我の触覚という共通点からか、戒律名は
アフラマズダのものと同じ名称となっている。
- 縛りも恩恵もデメリットすぎる… -- 名無しさん (2021-05-29 01:08:32)
- 疑似求道神になれるってメリットもぶっちゃけただのデメリット… -- 名無しさん (2021-05-29 01:23:38)
- 言っとくが設定集の内容(戒律名とか)は本編に出てないなら掲載から一ヶ月後だよ。トップページのガイドライン見な -- 名無しさん (2021-05-29 06:31:57)
- ブシュンヤスタといい大義式戒律のクソさがよく分かる -- 名無しさん (2021-06-19 11:03:33)
- 馬鹿「つまり、真我よりもナラカよりも強くなればいいのだろう?」 -- 名無しさん (2021-06-19 14:18:42)
- ↑まず波旬に勝たないとナラカは勝てないぞ -- 名無しさん (2021-06-19 21:46:49)
- 明星が座を獲った時のように真っ向勝負では勝てなくても頭を使って勝つという方法もある。 -- 名無しさん (2021-06-22 18:25:07)
- これ「私の気持ちをとくと味わえ」ってメンヘラ系な戒律ぢゃん…。そういや好きな男の子に「ねぇ、どんな気持ち」した女の子がいたな… -- 名無しさん (2021-06-23 06:56:33)
- 波旬以前にマグに勝ってから言え -- 名無しさん (2021-10-10 19:02:46)
- 身の丈を超えた厚遇から抜け出そうと藻掻いて結局無理で諦観に塗り潰されていくアカシャは兄者よりナダレって感じがする。ナダレに似るということはミトラに似るとも同義で、聖賢たるミトラが零の属性を持ってることは道理か -- 名無しさん (2025-03-24 19:51:19)
最終更新:2025年03月24日 19:51