みんな
義者が時おり口にする単語。
魔王クワルナフが
聖王領に攻めた際、義者達は「
みんなの祈りが希望を生む。希望は光となって奇跡を起こし、貴様を討つ」と語った。だがクワルナフは“みんな”があまりにも抽象的な単位であることと、具体的な義者の総数と
自らの総体を比較して計算上では自分の方が上回るというのに、それでも敗北を認めようとしない義者を理不尽だと考えながらそこに脅威を感じる。
クワルナフは彼らにしか分からない理屈があると考え、みんなの祈りが生み出すという力の存在・奇跡とやらが何なのかを知るために、みんなの祈りに触れて奇跡を収集する
クインを生み出した。物量が物を言うのか、理外の法が存在するのか、それを知った上で“みんなの祈り”を喰らい尽くそうとする。
そしてクインはみんなの祈りを集めた果てに、魔王を倒す奇跡の神剣(曰く、宇宙すら斬り伏せる奇跡の勇者)を成そうとする。クインは奇跡の神剣とは善なる祈りが招いた結果の“現象”で、単一の個人や武器ではないとしていたが、『
神剣』というすべての義者の祈りを収集する武器が実在した。
みんなの祈りが何故単純な数の道理を超越するというのか、“奇跡”という秘密を
ワルフラーンは知っていたようで、それは「変わってはいけないもの」であるらしい。
クワルナフはあくまで理外のものと見ているが、実際に義者達は他者のための祈り、仁や愛などのみんなの祈りを束ねることで奇跡を起こす。一丸となることで単体の実力以上の結果を生み出すのが全体主義的な義者の特性。
これも想い、心の力であるので本質的には個人の我儘で物理法則を破壊する
不義者の
我力と変わらない。結局のところ心の力で荒唐無稽な現象を起こすのはどちらも同じで、それを奇跡かあるいは秩序の崩壊とするかは二元に断絶したこの世界では意味を持たない水掛け論に過ぎない。
神剣は他の義者を眷属化し、“みんなの力”で強化することで
特級魔将と戦えるレベルまで引き上げる。
またみんなの祈りが結集される
勇者と呼ばれる者が
義者の代表者として現れる。
祈りは人によって強度が違い、
クインの戒律などはその強さに応じて優先順位を変える。
クワルナフの作品『
カミサマ』はみんなの祈りを糧にして、その種類に応じた魔将を生み出す。
“みんな”の真相
前述の通り、みんなとは義者全体を指す言葉だが本来の意味は異なる。
“みんな”とは善と悪、白と黒の垣根を超えたこの世のすべて。
森羅万象が二極に分かれた世界においてこの視点に至るものは非常に稀。善悪属性が変わる
転墜を経験した者や、それを間近で見た者にしか“みんな“という概念の視点は宿らない。
しかしこれを見た者は善悪闘争が茶番劇であったことを理解してしまい、それに耐えきれなければ狂ってしまう。かつてのクワルナフや
ブシュンヤスタがそう。旧
聖王領の義者達の多くは
ワルフラーンの最期を目にしたことで狂死している。
そして“奇跡”とは何もかもが不確かな世界で
覇道資格者の見出した唯一無二(
不変)を
流れ出させる新世界のこと。
真我の支配から脱するために、変わってはいけないものを胸に抱く。そして
流出・
太極といった宇宙開闢を成すレベルの祈りに達し、すべての“みんな”の想いを抱き上げ、新世界創造という奇跡を顕現させる。故に覇道資格者こそ“みんな”の奇跡である。
“みんな”の何たるかを知らない限り、誰も
ナダレの先には進めない。特に
求道者はこの法則によって割を食らっており、
世界構造の問題もあり
真の究極に到達することを妨害されている。
ナダレの先とは神の領域で、求道の神となれる枠は真我の影として用意されたナダレのみ。そして求道者はあくまで個人の視点の持ち主であり世界をどうこうする覇道資格者とは違い“みんな”という視点は宿りづらいということだろう。
実際最も求道の究極に近い
バフラヴァーンはみんなの全てを砕く思想を持っていたが、既存の善悪常識を超えることはできていなかった。舞台の仕組みを変えるのは覇者の器を持つ者の領分である。
とはいえ覇道の資格を持つ者全てが初めからこの視点を確たる形で有しているわけではない。
カイホスルーは当初世界の法を盲目的に信じており、思い通りにならない現実を前に自己
転墜を起こしてから
星霊の座を奪う中で神座という世界の法に気づいたし、
スィリオスも大転墜と
ワルフラーンの死を目にするまでその覇道の性質上、善の勝利のために戦っていた。
クワルナフは
地雄の“みんな”を美で救う救世主として誕生したが、真の大転墜を経験して己の祈りを忘却した果てに
凶剣の不変に当てられたことで“みんな”の何たるかに気が付いた。
作中では覇道資格者以外に
マグサリオン、
ナーキッド、
ロクサーヌなどが他者の転墜を目撃したことで“みんな”の視点を得るに至った。
“零”と関わる者は初めから“みんな”の視点を持っている。それにはワルフラーンが該当し、
ズルワーンに関しては
観測者として覚醒する前後に真我の法を疑問を感じていた。
そしてマグサリオンは
覇道の資格を持つ別人格を生み出すために“みんな”の祈りを
外装として纏う。故に
無慙と呼ばれる神はみんなの祈りそのものであり、故にこの神の法下の
原罪は
第一神座でマグサリオンが殺害したみんなの数だけ存在する。
備考
転じて
神座が保有する
魂の総軍を指す。神がそこに在るだけで“みんな”は生まれる。
神は
宇宙という巨大な生命体。故にそこに生きる命達は神の細胞とでも言うべきもの。
- 今見たら謎が多かったクワルナフとワルフラーンのやり取りもよくわかるなぁ -- 名無しさん (2022-10-07 17:45:42)
- どっちというと求道タイプでみんなのことなんてどうでも良さそうなのに善悪常識ぶっちぎったフレデリカってやべーな、逆にマシュヤーナは意図せず作品でその領域に至っちゃったから失敗したのかな -- 名無しさん (2022-10-08 05:39:13)
- あのスィリオスの娘でマグサリオンの妹だぞ?何か切欠があれば善悪常識ぶった切ってロックンロールするに決まっているよ -- 名無しさん (2022-10-08 14:53:31)
- 奇跡、覇道、渇望は突き詰めれば愛だからな。愛そのものに準じたフレデリカは早い段階で真理に近かったんだな -- 名無しさん (2022-10-09 16:43:21)
- その理屈で言うと、愛は怒りを覚えやすいということになる -- 名無しさん (2022-10-09 18:23:13)
- 心理学上、怒りは対象に対する期待の裏返しだからね。愛しているからこそ、その愛の形を実現できない現実に対して怒りを強く覚える。 -- 名無しさん (2022-10-09 22:05:16)
- 一応、現代では愛は定義づけすることできない代物って扱いなんだ。脳科学だと怒りすらタイプが複数あったり同じに見える情動が実は別反応や逆に違うものが同じだったり分からんことばかりで、脳を調べる程心理学や創作の心理説明が知ったかにすぎない事を思い知らされるんだ -- 名無しさん (2022-10-09 23:28:28)
- 全力で壊せ(愛せ)ない理不尽で怒りの権化になった方もいるからなぁ -- 名無しさん (2022-10-11 22:38:38)
- 愛しさ余って憎さ100倍ってな -- 名無しさん (2022-11-16 19:47:20)
最終更新:2023年08月21日 21:48