今年僕が登るルートは僕が最も登りたかったルートを登ります。それは中国側のメスナールートです
インターネット生中継プロジェクトの費用について
支援金はエベレストからのインターネット生中継のための費用に、全て充てさせていただきます。
2015年5月10日日本を出発→エベレスト(中国側)7500m地点まで登り、機材のテストと訓練を行います。
Chairman Ang Dorjee Sherpa of Sagarmatha Pollution Control Committee, which has been assigned to handle icefall doctors and garbage in the Everest region by the government, confirmed that SPCC deployed a team of icefall doctors at the base camp to fix a climbing route after world climbers planned to summit different peaks, including Mt Everest, in autumn.
(中略)
Tika Ram Gurung, Managing Director at Bochi-Bochi Treks, said a team of six Japanese mountaineers would embark on a trek to Mt Everest region by the end of this month while two of them – Nobukazu Kuriki and Masaru Kadotani – would attempt a rare autumn summit of the world’’s highest peak.
本来の計画では5月10日からヒマラヤの訓練の予定でしたが、訓練は延期をして8月上旬に行います。
8月21日から秋季エベレスト単独無酸素に向かいます!!そして、生中継冒険の共有を行い、9月中旬から下旬の間に登頂をします。
ロブチェピーク(6119m)を登り山頂付近で泊まって高所順応、その後ベースキャンプ(5300m)へ 。
そこから天候の周期を見て一気にキャンプ2(6400m )、キャンプ3(7000m)、キャンプ4(7900m )に上がり、9月15日に山頂に向かう予定です。
Despite this, the "icefall doctors" managed to reach Camp One this week.アイスフォールドクターは今週なんとか第1キャンプに到着することができた。"Snow is still piling up in many areas because avalanches have continued in the region probably because the mountain slopes overlooking the icefall have been shaken by the quake," he said.「おそらくアイスフォールを見下ろす斜面が地震(余震)で揺らされて、雪崩が続いているため、雪が多くの場所で今も積み重なり続けています」と、チームリーダーのアン・カミ・シェルパは話した。The Sherpas say they have finished repairing the route between Base Camp and Camp One, while only a small stretch to Camp Two remains to be done.シェルパたちはベースキャンプと第1キャンプの間のルートを修復し終わり、第2キャンプまでの小さな工作のみが残されている。
Climbing activities in the Mt Everest and the Mt Manaslu regions have been affected after the base camps and surrounding areas witnessed incessant rain and snowfall for the last three days.エベレストやマナスル山域ではベースキャンプ周辺に3日間降り続く雨や雪によって登山活動に影響が出ている。“The Mt Everest base camp has already recorded around two feet of fresh snow and it’s snowing still,” Ang Kami Sherpa, a leading icefall doctor at Everest base camp, told THT Online over phone from EBC this afternoon. “The base camp area has been witnessing continuous snowfall since Thursday,” he added.アイスフォールドクターのアン・カミ・シェルパはBCからの電話で『エベレストBCには既に2フィート(60㎝)の新雪が積もり、まだ降りつづけている。木曜日からずっと降雪が見られる』と語った。
今日はプジャという登山の安全祈願の儀式の予定でしたが、チベット仏教のお坊さんから急遽「今日ではなく15日の方が良い」という連絡があり、プジャは15日に執り行われる事になりました。
この登山の安全祈願を行わないと山に入るのは良くないと思い、15日のプジャを終えてから16日スタートの予定で、順調に進めば20日登頂予定です。
エベレストに栗城さんがアタック中。通常の最終キャンプよりも低い地点から一気に山頂を目指すとのこと。無茶だ。遠すぎる。
仮に登頂できたとしてもその日の内にテントまで戻ってこられないだろう。8000mを超える世界でのビバークはリスク高過ぎる。
一度BCに下り仕切り直しした方がいい。
栗城さんがBCを出発してから時間がかかり過ぎ。キャンプ2に3泊、キャンプ3に2泊とのこと。
低酸素による消耗は本人の自覚以上に激しいものがあるはず。食事は1日1食のみ。そして雪も多いこの状況で、
標高差1000m以上を一気に往復できるものだろうか。あまりにもリスクが大き過ぎる。
全力を尽くしましたが、ラッセル(深い雪をかきわけて進むこと)で長い時間が掛かり、このまま進むと生きて戻ることができないと判断して、悔しいですが下山を決めて最終キャンプまで戻ってきました。
次に再びC4に着いたら、翌日に空荷(荷物がない状態)で200mほどラッセル(雪をかき分けて進むこと)して道を作ってからC4に戻り、その日の夜に再び山頂に向けてアタックして行きます。
全力を尽くして登ってきました。
しかし強風と深い雪のため、これ以上進むと生きて戻れないと判断しました。
無酸素で登る中、今後さらに強くなる風と最終キャンプに戻るまでのタイムリミットを考えて、
3:35(日本6:50)に悔しいですが8150m付近で下山を決めました。
元々、中継は栗城がエベレストの南峰(8700m)まで登り、プモリ中継キャンプからの見通しが確保できて初めて中継ができます。
しかし今回はそこまで登れず、中継を楽しみに思っていた方に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そして今ままで繋がっていたベースキャンプからの衛星通信が、今年は全く繋がりませんでした。
このためにインタラクティブなやり取りができませんでした。
原因は、使用していた衛星の位置が微妙に変わったこと、通信機材が最新の物で、ある程度衛星との指向性が合わないと通信ができないことが分かりました。
両足が軽度の凍傷になり、時間が経つとジワジワと痛いです。とくに中指が爪が白紫に。
危なかった…
カトマンズに下りてきました。真っ黒のボロボロです。。足の凍傷は軽度ですがイタイタので靴で移動は止めました。もの凄い睡魔が…
カトマンズに着いてまだ疲れはまだ抜けない…。足の指先はバンバンに痛いし…。
でも、色々声をかけてくれる人がいるのは本当に嬉しいです。
もうすぐで完治ですかね。ピリピリ感は取れました。
RT @roadtoriorun: @kurikiyama 両足の凍傷はもう大丈夫ですか?(^-^)
両足の軽度の凍傷もだいぶ良くなり、中指と薬指の爪の変色も色がだいぶ良くなってきました。
10月5日、強い風は標高8000mあたりだけではなく、僕のいる7000mのテントに吹き下ろしの形でやってきた。
ザーザーと津波のようにスノーシャワーが降り落ちてくる。
テントの中には風は入ってこない。
ただ、ザーと僕のテントのポールを「く」の字に曲げてくる。
嵐の大海原に、小舟で入っているかのようだった。
当然この風でフェイスを登れば、風で煽られスリップして滑落する。
この日の出発はやめたが、風がテントに当たり続けドンドンと小石や氷がテントに当たり、気がつけば僕のテントに小さな穴がいくつか空いていた
僕の寝ているテントの右側は、岩の下で20mは落ちる。
そこに落ちれば6400mのキャンプ2付近まで滑落していくだろう。
テントを固定しているロープが気になり、外に出た瞬間。入り口側のロープが1本風で抜け、テントが浮かび上がった。
とっさにテントに体を半分入れて抑え込む。
目の前で信じられない事が起き、脈が一気に上がり、顔が青ざめる。
風が止む瞬間を待ち、再びロープを固定し直した。
このとき被っていたニット帽が風で飛ばされてしまった。
栗城さんは、2012年にエベレストに挑戦した際、凍傷のため手の指9本を失った。今回、5人のチームメンバーのサポートを受けるが、キャンプ2からは単独登頂を目指す。
A Japanese film crew is accompanying Kuriki. Photographer Masaru Kadotani will accompany him until Camp II to capture his attempt on film. Four other Japanese members of the film crew will be camped at the Base Camp.Six Sherpas are also in the team. But from Camp II, Kuriki will be alone, according to Tika Gurung, managing director of Bochi-Bochi Trek, the local agency handling his expedition.
(抜粋)
Many experts on Everest are calling it unfair to put others in danger to pursue an ambition with the unnecessary risks of climbing solo and without oxygen.エベレストについての多くの専門家は、単独無酸素で登るという不必要なリスクを掲げながら、野心のために他人に危険を負わせるのはアンフェアだと話している。The mountains are for everybody,” said Alan Arnette, a mountaineer who runs an Everest news and analysis website out of Fort Collins, Colo. and who was at Base Camp during last spring’s avalanche. “If you want to go up there and risk your life, it’s your business. But it’s not fair to ask others to put their lives at risk for your ambitions ? especially with something so aggressive.”登山家のアラン・アーネットは言う。あなたが自分の命を危険に晒してそこに行くならば、それは自由だ。しかし自分の野心のために――特にそれが挑戦的なものならば――他人に危険を負わせるのはフェアではない。he - and many others - believe there is a line, and that athletes probably cross it when their endeavors endanger others. To many, Kuriki’s attempt seems to land past that line, for several reasons:(心理学者の)フランク・ファーリーや他の多くの人は、一つの線があると信じており、アスリートたちの挑戦が他人を危険にさらすときに、その一線をほぼ確実に越えてしまうと考えている。多くの人にとって、栗城の挑戦は過去にその線に乗り上げてしまっているように見える。“It adds up to one word: foolhardy,” Farley said.「つまるところ一つの言葉になる:無謀」 とファーリーは語った。Everyone in Nepal is anxious to have climbers and trekkers return, Arnette says. But with money and reputations on the line, Sherpas would be hard-pressed to refuse, even if they think it’s foolhardy.ネパールの誰もが(地震の影響でいなくなった海外の)登山家やトレッカーが戻ってくるのか心配している。しかしその線の上にお金や名声があると、シェルパは、たとえそれが無謀であると思っても、断るのが難しくなるだろう、とアーネットは話す。“Sherpas are being forced into a position of rescuing someone who has been exceptionally foolhardy, but because of their life occupation and employment, it’s a difficult place to put them,” Farley said.「シェルパは異常に無謀なことをしてきた誰かを救助する場所にいることを強いられている。しかしシェルパの生涯の仕事と雇用のために、その場所に彼らを配置するのは困難だ」とファーリーは語った。And even though Kuriki is attempting the most dangerous part of the climb solo, Sherpas will likely try to rescue him if anything goes amiss, Arnette says.たとえ栗城が最も難しい部分をソロで登ることを試みたとしても、何かミスがあれば、シェルパはおそらく彼を助けることになるだろう、とアーネットは話した。
In 2012, when Kuriki made it to 27,000 feet before calling for help, Sherpas brought him back to Camp 2 and he was airlifted to Kathmandu.2012年、栗城は27000フィートまで登った後に救助を求めて、シェルパが栗城をC2まで下ろし、ヘリでカトマンズに送られた。
(抜粋)
The specialist team of five Nepalese Sherpas is resetting the route between Everest's Base Camp at 5,970 meters (17,600 feet), across the notorious Khumbu icefall, to Camp 2 at 6,500 meters (21,300 feet), which was swept away in a deadly avalanche set off by the huge tremor.5人のネパール人シェルパの専門家チームが、悪名高いクーンブ・アイスフォールを通る、エベレストのベースキャンプから第2キャンプまでのルート工作を再開した。The crack team of route setters earns just $4,500 per season to keep climbers safe, living on the mountain up until November, when the season closes due to extreme cold and strong winds.この優秀なルート工作隊は、(極度に冷たく強い風によりシーズンが終了する)11月までこの山で生活しながら、登山家を安全に通れるようにすることで1シーズンに1人4500ドル稼ぐ。The Khumbu icefall -- a steep portion of a glacier shaped like a frozen waterfall -- is one of the most treacherous sections of a route used to summit the 8,850 meter (29,029 feet) mountain, and it's the Sherpas' job to find a safe path across the heavily crevassed Khumbu glacier.クーンブ・アイスフォール――凍った滝のような形をした氷河の一部――はエベレストの頂上へ向かうルートの最も危険な場所の一つだ。Even the safest route might break up without warning, so these so-called icefall doctors stay on location until the end of the climbing season to maintain the ropes and ladders.最も安全なルートですら警告なしに崩壊するので、いわゆるアイスフォールドクターたちは、ロープやハシゴをメンテナンスするために登山シーズンの終わりまでこの場所に滞在する。For the icefall doctors, the autumn season is business as usual making the route as safe as they can for Kuriki.アイスフォールドクターにとって、秋の季節は、栗城のためにできる限り安全なルートを作る、いつも通りのビジネスだ。The Japanese adventurer may be the only expedition on Everest this season今秋、エベレストに挑むのはこの日本隊のみだ。
(栗城の記者会見にネパール政府関係者が同席していたことに対して)
Elizabeth Hawley, a chronicler of climbing in Nepal, said it showed how desperate the government was to revive the industry that it is promoting this "crazy" man to convince the world it is safe. "They will latch on to anything right now to get people to come back," the U.S.-born Hawley told Reuters.「その(登山)産業の復興のために、こんな"クレイジー男"を宣伝に使うことで、世界に(ヒマラヤの)安全性を訴えるなんて…政府はどれだけ自暴自棄になっているのでしょうか」と、エリザベス・ホーリーは話した。
「政府は人々に(ヒマラヤに)戻ってきてもらうためには何にでもしがみついてしまうのでしょうね。」
詳しい予定は後ほどですが、スケジュールの概要は下記に なります。
今夜カトマンズに到着し、カトマンズで3日間準備をした 後に、ロブチェピーク(6119m)を登り山頂付近で泊 まって高所順応、その後ベースキャンプ(5300m)へ 。
そこから天候の周期を見て一気にキャンプ2(6400m )、キャンプ3(7000m)、キャンプ4(7900m )に上がり、9月15日に山頂に向かう予定です。
8月21日 | 日本出発 | |
8月22日 | カトマンズ着 | |
8月23日 | カトマンズ | 観光省で記者会見 |
8月24日 | ティストン村 | 学校に寄付品を届ける |
8月25日 | カトマンズ | 悪天で飛行機飛ばず停滞 |
8月26日 | カトマンズ→ルクラ→ペリチェ(4200m) | ヘリで移動 |
8月27日 | ペリチェ | 『丘をランニングして体を慣らした』 |
8月29日 | ペリチェ→ロブチェ(4800m) | |
8月30日 | ロブチェ | |
8月31日 | ロブチェ→ロブチェ・ハイキャンプ(5330m) | |
9月01日 | ロブチェ・ハイキャンプ→ロブチェイースト(6119m) | |
9月02日 | ロブチェイースト | 生中継を謳っていたが、無線の音声とハイキャンプからの望遠映像のみ |
9月03日 | ロブチェイースト→ロブチェ | |
9月04日 | ロブチェ→ゴラクシェプ(5150m) | |
9月05日 | ゴラクシェプ | カラパタールの丘(5550m)へ調整に向かう ツイッター怒涛の連投 |
9月06日 | ゴラクシェプ | |
9月07日 | ゴラクシェプ→エベレストBC(5360m) | ブログのタイトルから「登頂まであと○○日」の表記が消える |
9月08日 | BC | 『プモリ・ハイキャンプ設営とBCの基地局を作るためまだ数日かかる』 |
9月9日 | BC | 「アイスフォールドクターがC1までのルート工作を完了した」とBBCが報じる |
9月10日 | BC | |
9月11日 | BC | BCでの動画をUP 『少しでも動くと脈が上がるのでゆっくり体を慣らす』 |
9月12日 | BC | 『プジャ(安全祈願の儀式)の日程の都合で16日スタート、20日登頂の予定』 とブログで報告 |
9月13日 | BC | 日テレ『バンキシャ!』で生中継の予定も電波の不調で録画になる |
9月14日 | BC | プモリ・ハイキャンプ(5500m)の設営・通信チェック(*) |
9月15日 | BC | 当初の登頂予定日 |
9月16日 | BC→C1(6000m)→BC | ルートの悪コンディションの為かC1まで10時間近い行動を強いられ時間切れ。 『朝に妙な雲も見たので』荷物を雪に埋めBCに戻る 変更1回目のアタック開始予定日 |
9月17日 | BC | |
9月18日 | BC | |
9月19日 | BC | ニコ生の登頂生中継の予定が9月24日になる |
9月20日 | BC→C2(6400m) | 変更1回目の登頂予定日 |
9月21日 | C2 | ステイ |
9月22日 | C2 | ステイ |
9月23日 | C2 | ステイ 『昨日までかなりの積雪で今日は表層雪崩の危険性があるのと、25日が 強風の予報になったため、そのままステイしました。』 |
9月24日 | C2→C3(7000m) | 変更2回目の登頂予定日 |
9月25日 | C3→FC(7550m**) | またもルートを外れジェネバスパー左側に迷走 『最終キャンプとして7600-7700m地点にテントを張りました』 『予定変更して明日は1日レストにして、明後日27日(日)の登頂 &生中継を目指します。』 |
9月26日 | FC | ステイし深夜出発 変更3回目の登頂予定日 |
9月27日 | FC→7730m地点***→BC | 『ラッセルで長い時間が掛かり、このまま進むと生きて戻ることができないと 判断して、悔しいですが下山を決めて最終キャンプまで戻ってきました。』 下山中にFCで音声のみ生中継、現地時間夜10時にBC帰還。 下山中のFCより下のSPOT(GPS)表示は無し 変更4回目の登頂予定日 |
9月28日 | BC | ステイ ブログでローツェフェイスに向かわなかった理由を釈明 |
9月29日 | BC | ステイ |
9月30日 | BC | ステイ |
10月1日 | BC | ステイ AFP通信のインタビューではボチボチトレックのティカ社長が「10/1に再出発の予定」と 答えていたものの、出発せず 『恐らく登頂日は、10月6-7日になると思います。』 |
10月2日 | BC→C2 | |
10月3日 | C2→C3 | |
10月4日 | C3 | ステイ 『今日はかなりの強風なのでキャンプ3でレストです。』 |
10月5日 | C3 | ステイ 強風を理由に待機 |
10月6日 | C3→FC | 『7日19:00(日本22:15)頃からアタック開始の予定です。』 |
10月7日 | FC→ | 夜間出発 |
10月8日 | FC→8160m地点→BC | 7800m付近からサウスコルまでのSPOT(GPS)は往路復路とも表示されず |
*1 ベースキャンプの標高は5300mなのでここからして出鱈目である
*2 C2でも6500m、プモリ・ハイキャンプでも5600mなのでこれも出鱈目である
*3 記事中ではローツェを狙う韓国隊とヌプツェを狙う別の隊もアイスフォールを通る可能性があると示唆しているが、韓国隊はアイスフォールを通らないローツェ南壁に挑み、ヌプツェに登る隊(ウエリ・シュテック)もアイスフォールを通らない南側からの登山なので、アイスフォールを通るのは栗城隊のみ。韓国隊は過去に何度かローツェ南壁に挑んでおり、2013年にはノーマルルートで順応する戦略をとったが、この年(2015年)はノーマルルートには登っていない。 韓国隊フェイスブック https://www.facebook.com/lhotse2013
*4 ロー・ラ経由の西稜ルートはアイスフォールを通らずに登れる。このルートの初登は1979年のユーゴスラビア隊、ネパール側からロー・ラ経由で登った。
*5 下から見えない位置に最終キャンプがあるとの説明があり、下からの望遠レンズ映像にも栗城の姿は全く映っていない
*6 風速は頂上でも10m/s以下(36km/h以下)で、エベレストとしては弱風の範囲内 https://archive.is/W5vum