ブロードピーク

ブロードピーク(2014年6月~8月)





概要

凍傷で指切断後初の遠征で選択したのはパキスタン、カラコルム山脈の8000m峰ブロードピーク。
出発前の文句はやはり「単独・無酸素」。凍傷に懲りたのか、これまでとは打って変わって富士山と穂高にそれぞれ2回の山行をして出発した(もっとも、いずれも日帰りであり他の高所登山家の準備と比較すると失笑モノのレベルであるが…)。
また今回SPOT*1を採用しこれまでさんざ指摘されたGPSトラックログの公開をようやく始めた。



ブロードピークは登攀の難易度自体は8000m峰の中では低目とされ、現在のようにネパールヒマラヤでのツアー登山が確立していない時代は安めの入山費用と相まって8000m峰の登竜門となっていた。登山シーズンが夏季となるため社会人登山家も遠征がしやすく、過去に入山した隊の国籍別で言えば日本隊が突出して多い山でもある。近年はパキスタン北部の治安悪化と温暖化のため雪が減って落石が多くなり難易度が高くなったとされるが、それでもこの年は数多くの商業公募隊が入山していて、ノーマルルートについて言えば「単独」が成立するような余地はない
今季も栗城隊以外に実に14隊も入山しており、下記のリンクから見ることができる。


シェルパをネパールから呼び寄せる

そのうえ、栗城はなんと「カメラマンのサポート」という名目で、わざわざネパールからクライミングシェルパを4人も呼び寄せている(1人はコック兼任)。栗城公式ブログでは、今回、カメラマンはベースキャンプより上には登らないと説明されており 、カメラマンにクライミングシェルパをつける必要は全くないにも関わらず、である。 (実際に、公開された映像でカメラマン視点のものは、全てベースキャンプ周辺から撮られている)。

上記リストの日本隊メンバー
1. Nobukazu Kuriki
2. Masaru Kadotani
3. Hiroshi Hayashi
4. Keshap Gurung
5. Ramesh Gurung
6. Dawa Ongju Sherpa
7. Bijaya Kumar Rai
(リストから漏れているが魚住司も参加している。リストにはパキスタン人ポーターや通訳は含まれていない)

リストの下4人は栗城がよく使っているカトマンズの代理店「ボチボチトレック」に所属しているシェルパである (ボチボチ公式サイトのスタッフ紹介から確認できる)。
もちろん、どんな名目だろうと栗城以外の人がベースキャンプより上に登ったら単独は成立しない。

ルート

ルートはノーマルルート(ウェストシュプール~ブロードコル~北稜)
ノーマルルートの中間キャンプの標高目安は以下の通り。
BC 4900m
C1 5600~5800m
C2 6200~6400m
C3 7100~7200m
C4 7500m

参考画像:同時期に入山したスペイン人登山家・カルロス・ガランツォ氏のルート図

スケジュール

当初の予定

オフィシャルサイトには当初これだけが記載され、随時追記されると予告されたのみで詳細な登攀予定は事前には発表されなかった。

6月24日 日本出発
6月25日 パキスタン、イスラマバード到着
6月28日 キャラバン開始
7月6日 BC入り
(この予定は、イスラマバードやスカルドゥで余計に時間を使ったため遅延が確定的となり、BC入りは7月10日と書き換えられたが、グリコの応援サイトには当初の予定がそのまま残っている)


なお、今回は大谷映芳(K2西稜初登頂)や長谷川恒男(三大北壁冬季単独初登頂)のパートナーで知られるナジール・サビルが運営するナジール・サビル・エキスペディションがポーター類を手配したらしいが、これまで使っていたボチボチトレックのような貸切スタイルなのかどうかは不明。ナジール社で募集しているエキスペディションツアーの日程は以下の通り
Day 01 Islamabad Arrive Islamabad.

Day 02 Islamabad Welcome reception.

Day 03 Skardu/Chilas Fly to Skardu. In case of cancellation of flight drive to Chilas (480 km).

Day 04 Chilas/Skardu Day free at Skardu. If you are driving, complete road journey (07-08 hrs) to Skardu (275 km) En-route have >good views of Nanga Parbat (8125m).

Day 05 Askole (3000m) By jeeps drive to Askole (6-7 hrs).

Day 06-11 Trek to Broad Peak Base Camp.

Day 12-41 30 days for acclimatization and climbing.

Day 42-47 Trek back to Askole or Hushe via Gondogoro La and drive to Skardu.

Day 48 Islamabad/Chilas Fly to Islamabad. In case of flight cancellation drive to Chilas.

Day 49 Islamabad Leisure day at Islamabad. In case of driving, complete rod journey from Chilas to Islamabad.

Day 50 Islamabad Farewell meet. Transfer to airport for your return flight home.


実際の行程表

キャラバン

天候不順のためパキスタン国内線空路が使用できず、陸路でスカルドゥ入りしている。

6月24日 日本出発
6月25日 パキスタン、イスラマバード到着
6月28日 イスラマバード出発
6月29日 スカルドゥ到着
7月2日 スカルドゥ 動画配信の予定だったが失敗
7月4日 スカルドゥ→アスコレ(3000m)
7月5日 アスコレ→ジョラ(3200m)
7月6日 ジョラ→パイユ(3600m) 当初のBC到着予定日
7月7日 休養日 「パイユにいる」「GPSはパキスタン軍の関係で止められている」とFBで報告。
7月8日 パイユ→ウルドゥカス? 「ウルドゥカスに向かっている」「昨日は1日レスト」とFBで報告
7月9日 ウルドゥカス→ゴロⅡ? 「標高4200mのゴロⅡに到着した」とFBで報告
7月10日 ゴロⅡ→ブロードピークBC? ブロードピークBCに着いたとFBで報告

パイユからはパキスタン軍からGPSを止めるよう命令されたことを理由に過程はハッキリしていない(その割にその日の宿営地ではスイッチを入れているようだが…)。ゴロⅡの標高(4500m)もウルドゥカス(4200m)とごっちゃになっているうえ、コンコルディア(バルトロ氷河とゴドウィンオースチン氷河の合流点)を飛ばしてBCに飛んでいるためSPOTの用を為していない。

順応ステージ

7月14日 BC 「明日出発する」「6000mくらいまで登る」とFBで報告
7月15日 BC→C1(5700m) 事務局より「6500m付近を目指して登り始めた」と予告されたが、
「C2まで上がる予定だったが、咳と喉の痛みがありC1でテントを張った」
7月16日 C1→C2(6000m)→BC 「標高6000mのC2まで上がった」
「すべての作業ができたので問題なくアタックできると思う」とFBで報告
7月17日 BC 「明日BCから中継テストを行う」
「明後日から晴れるようなのでまた昇るために準備中」とFBで報告
7月18日 BC Youtubeで生中継
7月19日 BC 悪天候のため停滞

なんとこの一回だけで栗城自身が認める順応作業は終了しアタック宣言を行った。

今、苦しみも不安も、全てが一つになろうとしています。
24日にブロードピーク8,047m登頂に向けて、明日からアタック登山を開始です。
この3日間は天候が悪かったですが、今日から天候が回復し始め、明日からいよいよ頂上を目指して登っていきます。
明日21日は、標高6,000mのキャンプ2へ、22日にキャンプ2から標高7000mのキャンプ3、そして低酸素における自分の体の調子を見て、24日深夜に山頂アタックを開始します。
ただし身体の順応がうまくいっていない、または体調不良の場合には、一旦ベースに下りてきます。
今は体力、また健康状態ともに条件が整っていて、登頂できる可能性は高いと思います。(かなり慎重に登ります。)

シシャパンマ(2回目)でもそうだったが、アタックステージに入る前に6000mを越えた場所での順応を行っていない。
通常8月上旬~中旬までチャンスがありながら順応不足の状態で早くも予定日を明言してアタック宣言を出した背景には、有力な外国隊が23日前後の登頂を目指して協力体制を敷いて一斉に出発する事が影響したものと思われる。

参考:ルーマニアの登山家、アレックス・ギャバンのFACEBOOK(ブルガリア隊、ポーランドの中央峰遠征隊と協力して山頂に向かうと報告している)


アタックステージ

予定

7月21日 BC→C2(6000m)
7月22日 C2→C3(7000m)
7月24日 C3→山頂(8047m)→C2


また例によってC3で丸一日停滞するという意味不明の予定である

実際の行程

7月20日 BC 悪天候のため停滞 FBで「24日の登頂を目指して明日朝5:30にアタック開始」と予告
7月21日 BC→C2(6000m) 「この6000m地点のキャンプ地をC1と設定する」と事務局がFBで報告
7月22日 新C1(6000m)→新C2(6800m) 登攀中の姿を望遠カメラで中継するが、台湾隊とおぼしき7~8人のグループの姿が
同時に映っていた。
「7000mまで到達した」「明日はどこまで登るか未定」と事務局がFBで報告
7月23日 新C2 ステイ 「1日休めばSPO2もよくなる」「深夜0時(日本時間午前4時)にアタック開始する」
と無線で報告
7月24日 新C2→山頂(8047m)→新C2 予告を変更し22:10(日本時間2:10)からSPOTが動き出す
7月25日 新C2→BC 帰還時に生中継の予定だったが、「頂上稜線で行動不能に陥った台湾隊のレスキューに参加し
激しく消耗したため下山に時間がかかることから中継は中止」
と事務局が発表

行列状態

数多くの隊が参加していたことは既出であるが、厳しいラッセルが必要なルートをポーランド中央峰遠征隊(ブロードコルまでルートが共通)、ブルガリア隊、ルーマニア隊、ハンガリー隊が先行して切り開き23日に登頂。 翌24日に栗城と同日に登頂した台湾隊のブログの登頂報告からとても「単独」と言えるような状況ではないことが明白になった。

台湾隊のブログ→布羅德峰台灣首登,成功!

なお登頂日の24日はスペインの2隊(オスカル・カディアック14座プロジェクトとカタリナ・ケサダ公募隊)、メキシコ隊、ポーランド中央峰遠征隊Bグループ(主峰登頂)、台湾隊、韓国隊の登頂ラッシュで、上記の写真はウェアやザック類の色から韓国隊と台湾隊の間に栗城(後ろから4番目)が入っているものと思われる。

さらに台湾隊が撮影した動画でも台湾隊のすぐ後ろを追っているのが確認できる(しかもフィックスロープを使いながら)(1:08~)。

上の動画は削除されたが、別の人がコピー・編集してUPしたもの(0:53~)


ニュース報道に同じシーンが入っている(1:03~)


(台湾隊動画1:10) 画面奥のフィックスロープを使っている赤いウェアが栗城 (クリックで拡大
拡大図
ワッペンの位置やザック右側の黄色い装備など、当時の栗城の装備と一致している。


こんな状態だが、本人の説明では今回のブロードピークは…
ソロで登る事ができました
最終更新:2016年05月28日 01:26