2010年エベレストまとめ
※過去にアップされていた動画の多くは現在すでに削除されている。
記者会見で配布されたルート図。(クリックで拡大) C5まで設営の予定だった事がわかる。
略語 BC→ベースキャンプ C1→キャンプ1 BC:標高5300m C1:6100m C2:6400m C3:7000m C4(サウスコル):7900m
シェルパとファンの学生が事故死
先行してBC入りしようとして一人早い便で向かったシェルパがアグエニア航空カトマンズ-ルクラ航路の墜落事故により死亡する。よりによって
アンナプルナで遭難寸前の栗城を救出した
テンバ・シェルパであった。また、この後も天候不良が続いたため運行が1週間ストップ。計画の大幅な変更を余儀なくされる。
参考:
時事通信社47NEWS
シェルパにルート工作をやらせて栗城は何もせずに停滞
ベースキャンプ(5300m)地点での栗城隊全容写真 (クリックで拡大)
これだけイナバの物置状態の数の工作員がいれば多い日も安心
- C1で停滞中の栗城が無線でルート工作のシェルパの増員を要請。
■BC「(シェルパ達が)明日早くBCを出て直行でC2まで4人で上がり、
一人をC2に残しテント設営を頼み、
3人がC3に向けてルート工作に進みたいと言うことです」
■栗城「はい了解です」
■BC「本日も昨日と同様、C1には栗城一人、誰も上がらずになりますが
どうでしょうか?」
■栗城「ただし食料も限りがありますし、そんなに停滞できるわけじゃないと
思いますので、えー、シェルパが明々後日にC3に上がれるのであれば
残りたいと思います。で、その分ルート工作に向けてシェルパの人員を
増やしたいと思うのですがいかがでしょうか?」
(略)
■BC 「予定早ければ(4人のシェルパが)明後日までにC3に入れると思います」
■栗城 「がんばって停滞します」
- 栗城がC1で停滞している間に上部でルート工作しているシェルパが雪崩に巻き込まれる(生還)
●今日、ルート工作のシェルパが雪崩に巻き込まれました。
全員無事でしたが、本当に危険だと思います。
●今、C1にはC3へのルート工作のための栗城隊シェルパと ローツェを登るチェコ隊、
それからアメリカ隊がいます
●明日からアメリカ、チェコ、栗城隊でルート工作開始。
明後日から僕は登り初めてます。雪は腰まであるそうです。
●今回は、異常気象で異常な雪質のため、 アメリカ隊のシェルパからも 要請があり、
栗城隊のシェルパと共に7000mちょっと上まではルートを作っています。
栗城とルート工作のシェルパの日程表(1:28~ 9/28時点)
栗城 ルート工作
9/28 C2
9/29 C2→C3 C2→C3→C4→C2
9/30 C3→C4 C2→C4(2人)
10/1 C4→Top→C4 C4(2人)
10/2 C4→BC C4→BC
キャプチャ画像 (画像クリックで拡大します)
シェルパのルート工作が遅れているため停滞
今はC3にいます。7000m、ものすごく寒いです。
明日上がっていきたい気持ちでいるのですが、イエローバンドのフィックス、昔のロープ等々
色々とあって一日停滞します。明日は休養。明後日、サウスコルに上がってアタックしたいと思います。
(※)イエローバンドはC3とC4の間にある地層
2度目のエベレストも高度順応失敗で下山
シェルパに救助される
キャプチャ画像 (画像クリックで拡大します)
真ん中の点が栗城、右下の2つの点がシェルパ →
位置解説図
このシェルパ2人に救助され、酸素ボンベを吸った模様。翌日の生中継でそのことを公言している(下記参照)。
酸素ボンベを使用
(1:14.22~)
「昨日ですね~ 実は体調が非常に悪かったんです。
それで、エマージェンシー救助のシェルパ2名がですね~
C3に酸素を1本置いていってくれまして、生まれて初めて酸素というやつをですね~
吸いました。最高に気持ちいいです!」
生中継中にも酸素を吸う
(1:15.20 酸素マスクをつける)
BC 「マジで吸うんですか?」
栗城「あのねぇ~こっちは真剣にやってんの!」
BC 「日本側からアァーという声が上がっていますが・・」「( ゚д゚)ポカーン」
(1:18.20)
栗城「酸素カンパーイ! 酸素があれば何でもできる」
(※)ちなみに栗城は過去に酸素ボンベを吸ったことがあり、生まれて初めてではない→
エベレスト(1回目)
酸素ボンベ使用シーン
テレビ特番
栗城がYoutubeなどにアップしていた動画にはトレースやフィックスロープは映っていないが
この番組ではC3より上にも途中までルート工作跡がはっきりと映っていた。
また、栗城が標高約7700mで登頂断念して下山を開始したときに
シェルパ2人がそのすぐ下を登ってきている場面が放送された。
後に発表された公式見解
生中継で栗城自ら「前日非常に体調が悪かったため、エマージェンシー救助のシェルパ2名が
C3に上げた酸素ボンベを吸った」と語っていたにも関わらず、公式見解では無かったことにされた。
またこの公式見解は今回のエベレストのテレビ特番が放送されるに数時間前にアップされた(※)。
テレビ特番によりC3より上でのシェルパのルート工作が明白になり、シェルパ2人が栗城のすぐ下
(7700m近く)まで登ってきていたことが判明し、この公式見解と完全に矛盾をきたすことになった。
また放送当日、栗城隊の副隊長と思われる人物(
sekigold)が執拗にWikipediaの編集を行っている。
アメリカ隊との繋がり
同時期にエベレストに挑んでいてエベレスト登頂に成功したアメリカ隊は、ブログで栗城のことを
Planning on climbing without Oxygen and outside assistance (to some extent)
アメリカ隊登頂成功の報を聞いた栗城は称えるどころか
アメリカ隊は酸素ボンベ使用なので、
気圧で酸素が濃いか薄いかは関係ありません。
酸素ボンベは体感で標高が半分にもなるアイテムです。
アメリカ隊の登頂成功を祝わないのかの意見に対するツイート
心から言ってますよ。ABCでかなり仲良くなってる仲でしたから。
RT @motherfocus @kurikiyama
それならあなたもアメリカ隊におめでとうの一言でも言えば?
ちなみに栗城さんは今回も酸素を使い始めるとされる高度まで行っていません。
到達高度は7750m(本人談)
そもそも、酸素を吸い始めるのは通常7900m
後日談
栗城は2年後にエベレストで重度の凍傷を負い、真っ黒になった指の画像をFacebookにアップ。 アメリカ隊のエリック・ラーセン氏はこの写真をシェアしたが、そこにつけたコメントには凍傷への警句に加えこんな指摘があった。
"I met Kuriki Nobukazu on Everest in 2010. He stated he was climbing 'solo' although there were four or five Sherpas carrying gear. He then aborted his climb shortly after reaching Camp 3.
(私は2010年のエベレストで栗城史多と会った。 彼はギアを運ぶ4~5人のシェルパが帯同していたが“ソロ”クライミングと述べていた。彼はC3に到着後まもなく登山を中止した。)
参考データ
- 日本ヒマラヤ協会のデータベースによる2010年の海外遠征日本隊の記録
2010年エベレスト関連項目
スケジュール
実際の行程表
| 8月17日 |
日本出発 |
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| ~8月23日 |
カトマンズ |
天候不良のためルクラまでの飛行機が飛ばず |
| 8月24日 |
飛行機墜落事故 |
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| ~8月29日 |
カトマンズ |
葬儀や、天候不良で飛行機が飛ばず待機 |
| 8月30日 |
ルクラ着→パクディン2610m |
|
|
移動 |
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| 9月4日 |
BC(5300m)着 |
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| ~9月11日 |
BC |
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| 9月12日 |
BC→C1(6100m)→BC |
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| 9月13日 |
BC |
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| 9月14日 |
BC |
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| 9月15日 |
BC→C1 |
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| 9月16日 |
C1 |
悪天候と、シェルパによるルート工作待ちで動けず。 18日にルート工作のシェルパが雪崩に巻き込まれる。 |
| 9月17日 |
C1 |
| 9月18日 |
C1 |
| 9月19日 |
C1→BC |
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| 9月20日 |
BC |
|
| 9月21日 |
下の村で休養 |
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| 9月22日 |
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| 9月23日 |
BC |
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| 9月24日 |
BC |
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| 9月25日 |
BC |
シェルパがルート工作 |
アタックステージ
| 9月26日 |
BC→C1 |
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| 9月27日 |
C1→C2(6400m) |
|
| 9月28日 |
C2 |
「腰痛」を理由に停滞 (おそらくシェルパがルート工作するための時間稼ぎ) |
| 9月29日 |
C2→C3(7000m) |
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| 9月30日 |
C3 |
シェルパによるルート工作待ち |
| 10月1日 |
C3→7750m地点→C3 |
|
| 10月2日 |
C3→BC |
C3で生中継 |
占い師の存在
2020年河野啓著「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」(集英社刊)では、当時栗城隊副隊長であった
森下亮太郎氏の証言として、2回目のエベレスト挑戦において栗城が登頂のタイミングを占いで決めていたとある。
指示を請うていたのは栗城が心酔していた占い師のうちの一人であり、『(いつアタックするかは)今回は占いの先生の判断を最優先したい。森下さんから天気の情報とかは教えて貰いますけど、最後はそっち(占い)を信じますから』とBCにおいて森下氏に説明していた。
「判断を占い師に頼っちゃったら(登山家として)アウト」「栗城にはもうエベレストは無理」として、森下氏はこの時栗城との決別を決心したようである。
この占い師はかつて栗城が婚約していた女性との交際関係にも介入していた模様で、「Aさん(=婚約者)と別れないと、あんた絶対山で死ぬよ」とのアドバイスを受けた、と栗城本人が関係者に語っていた事が同著書には記されている。
事実であれば、その後の突然の婚約破棄という行動に大きな影響を与えた可能性が高い。
最終更新:2020年12月29日 23:58