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ROCK!!25 - (2010/12/02 (木) 23:21:11) のソース
セミの声が、この日だけは小さく感じた。 代わりに、硬質で規則性のある音が響いていた。 私は公園を一歩一歩進む。 公園の中央の、連なったタイヤ。 律はタイヤに座って、すぐ横のタイヤをドラムスティックで叩いていた。 この光景を、私は何度も目にした事があった。 この位置からは律は横顔だけれど、それでもよかった。 今すぐ律に抱きつきたい衝動を押さえて、私は少し距離を置いて足を止める。 律はスティックの動きを止めて、空を見上げながら言葉を紡ぎ始めた。 「澪、覚えてるか?」 律の声には、どこか吹っ切れたような軽やかさがあった。 五日前の、陰りのある声とはまるで真逆の。 何かから解放されたかのような浮遊感と、微妙な快活。 この感覚――前にも……。 私は何も言えない。 律は空を見上げたまま続けた。 「初めてドラムスティックだけ買った時さ、このタイヤを叩いてたよな」 横顔だけど、懐かしむような優しい目が垣間見えた。 「学校が終わって、澪と二人で買いに行って……その後、周りはもう夕暮れだってのにずっとこのタイヤを叩いてた…… 澪は横でそれを見ててさ」 覚えてる。 忘れるわけ、ないだろ。 「スティックだけだったけど……嬉しかったなあ」 最初はスティックしか買えなかった律。 でも律は、それだけで嬉しそうにタイヤを叩いていた。 そんな律を見ていると、私も嬉しくなってた。 私も早くベース欲しいな、って思った。 早く律と一緒に演奏したいなって。 「それから、中古のドラムセット買って……澪もベース買って」 いつも一緒に楽器屋に行った。 律は嬉しそうに楽器屋に走って、私も嬉しくて走って。 一緒にドラムセットの箱を持ち帰って。 私のベースも、律と一緒に見に行って……。 買って帰ったら、ずっと音階ばっかり弾いてたなあ……。 「いっつも一緒だったよな、私たちさ」 律は立ちあがって、私と正面に向かいあった。 こうも真正面から見つめ合うのは久しぶりで、私はどきっとした。 ……この感覚は、あの時と同じだ。 二年生の時、律と喧嘩別れして。 風邪をひいた律の家にお見舞いに行って。 部屋に入った時に、私を見ていた律の眼差しと。 あの時の、気持ちと。 声だけじゃない。 顔も、なんだか悲しくない。 律だ。 律だ……。 ちょっと意地悪そうに口元を釣り上げてて。 あの頃の。 元気でいっつも笑ってる律の顔だった。 「澪……私、馬鹿だった」 「律……」 今までとはニュアンスが違うような『馬鹿』という言葉。 律は白い歯を見せて続けた。 「見返りを求めてた。損得で物事を考えてたんだ」 私は律の言葉が、すっと心に染みるのを感じていた。 だから何も言えずに、ただ律の言葉に耳を傾ける。 「澪が苦しいからとか、私が苦しいからとか……。 私じゃ幸せにできないとか、笑わせられないとか。 恩を返すとか返せないとか、何もしてやれないとかさ。 そんな損得とかで……ずっと悩んでて……。 でも違うんじゃないかって。 どちらかがリスクを背負うから、私は澪に会うのはやめようって決めたけど。 でも、でも! 思ったよりもずっと、澪といられないのは辛くて……」 私と同じだ。 律が苦しんじゃうからって、ムギに言われたから、だから。 だから、律に会うのはよそうって決め込んで引き籠って。 それでいいんだって思いこもうとしてた。 だけど律に会えない事への痛みは増えていった。 こんなに辛いのなら、律に会いたいと何度も思った。 だけどそれは律にとっていい事じゃないからって、我慢してた。 でもそれは――。 「苦しいってなんだよって、ずっと思ってた。 苦しいのは嫌だ。 それを作り出したのは私だ。 受験に失敗して、澪に迷惑を掛けた。 だから、こんなに辛いのは罰だって。 その罰なんだぞって言い聞かせてきた。 それに耐えて耐えて。 我慢して。 自分を責めて責めて責めまくったさ。 それで何が手に入ったんだって……ずっと自問自答してた。 手に入れたのは、寂しさと悲しさと、罪悪感だけ。 失ったのは、軽音部としての絆と、澪」 律はまだ、私を失ってなんかない。 まだ私は――私は律の物だって。 言えるけど、まだ言わなかった。 律は続けた。 ■ 「皆に嫌われてるんじゃないかって、いつも不安だった。 受験に失敗して、引き籠ってうじうじ悩んでる奴なんて……。 どうせ皆に嫌われてる、疎ましく思われてるって思ってた」 思ってるだけで確証はなかった。 実際皆が私を嫌っているという、実際的な証拠はなかった。 だから、もしかしたら皆は私の事を嫌っていないかもしれない。 この考えは邪推かもしれない。 だからこそ、会って、その真実を知るのが怖かった。 「だから」 正面に立つ澪は、穏やかな顔で私の話を聞いてくれていた。 ちょっと驚いたような表情は、一体何でだろう。 それはまたあとでいいかな。 今は私の想いを言うだけだ。 溢れ出る言葉に、任せるだけだった。 「梓が、澪と別れろって私に言った時さ……ショックだったんだ。 不安が真実になっちまったんだから。 だから、そうだよなって」 決めてから、何かが変わったのかと言われると、どうなのだろう。 澪は、ちょっとは楽になったんじゃないかなって思った。 それならそれでもいいと思った。 でも……。 「そうだよなってずっと思いこもうとしてた。 澪といちゃいけないんだって。 でも、どんどん胸が苦しくなって……。 澪がいないと、私……こんなにも弱くてさ。 辛くて辛くて……」 澪がいないこと。 傍にいてくれないこと。 一緒にいられないこと。 手を繋いでられないこと。 それが、私にとってとんでもなく苦しいということ。 随分前から知ってた。 「二年の時さ、私、和に嫉妬して……澪と喧嘩したよな。 あの時と、同じなんだ。今回の事は。 昼休憩に、和と楽しそうにご飯食べてるのを邪魔して。 それで澪を無理やり部室に連れてきて、結局練習せずに帰っちゃった。 皆に迷惑を掛けてる。 部長として失格だとか、澪と一緒にいる意味もない。 そんなことばっかり考えて、自分が嫌いになって……。 結局風邪と重なって、家で寝込んじまって。 今回もだ。 受験に失敗して、約束先伸ばして、迷惑ばっかり掛けてさ。 澪と一緒にいる資格なんてないんだって、思ってた……。 もう二年の――あの時の自分にならないって決めてたのに。 でも。 でも、いつも。 風邪で寝込んで落ち込んでた私を、励ましてくれたのは澪だ。 受験に失敗してから、ずっと悩んでた私を励ましてくれたのも、澪だった。 苦しんでる私を助けてくれるのは、いつだって澪なんだ。 大好きな人が――澪が傍にいるだけで、救われてたんだよ」 私の言葉は、公園に響く。 ここにいるのは、私と澪だけ。 私の長ったらしい言葉を聞いてくれてるのも、澪だけ。 伝えたいのは、澪だけだから、よかった。 澪は、何も言わずに私の目をじっと見つめていてくれた。 何を思ってくれてるのかわからないけど。 でも。 「私は澪が大好きで、一緒にいてほしくて……。 澪が、苦しんでるのを助けてくれるから必要なんじゃない。 理由なんかない。理由がいるような気持ちなんて、いらないんだ。 ただ、澪が好き。 澪と一緒がいい。 私は澪と別れたくない。 ずっと一緒にいたい。 それだけなんだ」 恥ずかしくて、ちょっとだけ目を逸らして最後の言葉を言った。 澪が大好き。 それだけはいつまでも変わらない気持ちだった。 思えば何時だって、澪を嫌いになったことなんてない。 ずっと想ってた。 澪が大好き。 だけど、純粋に気持ちを伝えたのは、久しぶりだった。 視線を澪に戻した。 澪は泣いていた。 [[戻>ROCK!!24]]|[[TOP>ROCK!!]]|[[次>ROCK!!26]]