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イノセント2 - (2011/02/03 (木) 01:25:18) のソース

 N女子大の食堂で、私を含む四人は席について食事をしていた。
 お昼時なので当然学生は多く、食券の券売機には長蛇の列ができている。
 カウンターに置かれている出来上がった料理を取りに行く人、友達と一緒にやってきた人……いろんな人がそれぞれの時間を楽しんでる。
 ざわめきはとても大きくて、少しばかり耳障りだ。
 ただ、友達との会話に集中するとそれは気にならなくなるので、私たち四人はやはり他愛もない話を続けている。
 こうやってここで食事をするのも少しずつ慣れ始めていた。
 私は日替わりランチを食べている。友達三人もそれぞれ好きなものを食べていた。
 一つの話題が途切れた時、私は兼ねてから気になっていたことを三人に尋ねてみようと口を開いた。
 あまり気張らず、あくまで『ふと思い出したんだ』というような素振りで声の調子を落ち着かせる。
「なあ、あのさ。聞きたいんだけど」
「うん?」
 友人たちの視線が私に集まる。
「あの、いっつもさ……講義の時、一番前の席で受けてる髪の長い子、いるじゃん」
 昨日、講義室から出ようとした時、まだ残っていた女の子。
 綺麗な、長い黒髪の子。
 別に外見だけが気に掛かってるわけじゃない。
 そりゃ確かに美人だけれど、それだけじゃないなんかよくわからない引力みたいなのが働いているような気がした。
 昔っから、一人ぼっちはほっとけない。
「ああ、あの子? いっつも一人でいる子だよね」
 いきなりそんな反応をした友達の一人。
 自分のことではないし、別にあの子が身内なわけでもないのだけど、どういうわけかズキッとした。
 『一人ぼっち』……自分でさっきそう形容したくせに、誰かが口に出すと、まるで自分に言われたかのように少しだけ痛かった。
「あの子がどうしたの?」
「いや、名前知りたいんだ。話しかけてみたくてさ」
 意外とその言葉はあっさり出た。
 話しかけてみたいって言うのは、結構純粋な気持ちだった。
 友達になってみたいし、いっつも一人だから寂しい思いをしてるんじゃないかって気もするのだ。
「へえー、りっちゃんってそういう人ほっとけないタイプなの?」
「わ、悪いかよ」
「今時珍しいなあ。りっちゃんみたいな子そういないよ」
 友達皆は笑顔で感心するように声を漏らした。
 聞けば、あんまり一人ぼっちの子に話しかけようとする人はあまりいないようだ。
 彼女たちと私の出身は全然違うけど、やっぱり何処の県にも高校にも一人ぼっちはいて、誰ともかかわらず生活している人が居たようである。
 だけど、そんな子に話しかける人なんてそうそういなかったらしい。
「珍しいのか? 私は昔からそうしてきたんだけど」
 でも、実際、それで得られたものは特に無い。
 あるのは一時の楽しさと満足感だけだった、気もする。
 それもわがままかな。
「話しかけなくてもいいんじゃないの? 多分ああいう風に誰とも関わらずに生活してる子って、私たちのことあんまりいい目で見てないんじゃないかな」
 友達の一人が、ちょっと悲しそうに目を伏せつつそう言った。
 私はよく意味がわからなかった。
 わかりそうだったけど、でも、自分で考えをまとめるのが無理そうだったので、言葉を促す。
「つまり?」
「見下してたり、とか?」
 その時、友達の一人の携帯が鳴って、話題は途切れた。
 ……見下す、か。
 入学式から度々あの子を見てきたけど、全然そんな様子はなかったと思う。
 いっつも表情はなくてクール。怒っているような表情というわけでも、微笑んでいるというわけでもない。
 ただただ冷静に。その場しのぎの冷静沈着な態度を取っているように見えた。
 でも、一瞬たりとも冷たい視線を見せたことは無いんだよ。
 そんな小説やドラマで見るような、悲観的な空気をあの子から感じないんだ。
 私たちとの温度差があっても、だからって見下すような。そんな子じゃないと思うんだ。
 なんでそんなこと、赤の他人の私が言えるかってわかんないけど。
 でも、なんかそういう感じだし。一度も話したこと無いくせに、たまに目が合う程度のくせに、あの子の名前もわかんないくせに。
 一週間ちょっとたまにあの子のこと見つめてた程度でわかったような気になってる私。
 でも、なんか不思議だなあ。
 他人って気がしないんだよな。
「それでさ、あの子、なんて名前なの?」





●


 4月22日 晴れ

 課題の計画を立てた。火曜日辺りに終わるようにする。
 パソコンに慣れていないので、とっても時間が掛かりそう。
 人差し指でしか打てないから、早く慣れなきゃいけないな。
 説明書を片手に頑張る。

 晩御飯は、たまご料理にした。
 たまごを使ったものは高校時代につくったことがある。
 だけど、あんまりおいしくなかった。
 でも、食べられればいいかな。

 最近いつも、ある人と目が合う。
 誰なんだろう。




●





 あの子の名前は、秋山澪というらしい。
 ただ私の友達三人は秋山さんと話したことはなく、入学式前の点呼でそう呼ばれていたのをたまたま覚えていただけだと言うのだ。
 それに、私もこの十日間たまに秋山さんを見ていたけど、誰とも喋ってはいないみたいだったし、ずっと一人だった。
 一人で講義室に入ってきて、一人で講義を受けて。
 もしかしたら、一人でお昼を食べてたりするのかも……。
 私は頭の中でその光景を再生させてしまった。
 それが、なんだか嫌だった。
 言うなれば、仮病で学校を休むような。
 自分は嘘偽りで楽をしているけれど、でも皆は私を心配してくれているみたいな。
 言いようのない罪悪感というか、そういうものがモヤモヤっと体を浸しているのを感じる。
 だから、ほっとけないんだよなあ。

 
 次の日、私は秋山さんを昼食に誘うことにした。
 私たち四人グループと一緒に食事を取るのだ。
 私はそれを実行に移すため、講義室の後ろの方で友達にその話をしていた。
 すでに講義は終わっていて、この後昼食の時間である。
 私は友達三人に、少し小さめの声で宣言した。
「というわけで、秋山さんを昼食に誘ってくるよ」
「りっちゃんかっこいいー」
 友達が茶化した。
「でもさあ、秋山さんそうホイホイとりっちゃんに付いてくるかなあ」
「というと?」
「だって突然誘ってもあれだし。普段一人でいる子が、私たちの仲良し四人組と一緒に食事なんて正直苦痛でしかないと思うんだけど」
 一理ある。
 もし私が秋山さんだったとしたら、すでに出来ているグループに突然混ざって食事なんて精神的にきついはず。
 そりゃそうだよなあ……仲のいい人たちに、普段は一人ぼっちな子。
 どうしたって気疲れしちゃうかな。
 私は唸った。
 そんな折、友達の一人がポンと思いついたように手の平を叩いた。
「そうだ。別に私たち三人はいらないじゃん」
「――えっ?」
 えっ、としか言えなかった。
「そーだね。りっちゃんと秋山さんは二人っきりで学食行ってきなよ。そうすれば多分秋山さんも気が楽だよ」
 呆気にとられて、よくわからなかった。
 えっと、つまり……私はさっきまで秋山さんを、私たち『四人の』食事に誘おうとしていた。
 でもそれだと秋山さんが大変だから、二つのグループに別れようというわけだな。
 友達三人のグループと、私と秋山さんの二人っきりのグループ……。
 なるほど。
 ん?
 なるほど、じゃねえ!
「ってマジかよ! それ今度は私も結構精神的に来るじゃねえか!」
「いいじゃーん、意中の秋山さんと二人っきりなんだよ」
 い、意中って……。
「そ、そんなんじゃねーし……」



 意中とか、そんなんじゃないけど。
 でも、今までとなんか違うぞ私。
 だって、今までだって一人ぼっちの子を何かに誘ってきたじゃないか。
 ドッジボールでも野球でも、一緒にお絵かきでも。
 何でもかんでも一緒にやろうよって誘ってきたじゃないかよ。
 別に誰かと二人っきりになったことだってあるじゃないか。
 なんで今さらそれに戸惑ってたりしてるんだ?
 

 視線の先の秋山さんは、講義が終わって片付けをしていた。
「じゃあ、私たちはお先に失礼するねー」
「頑張ってねーりっちゃん」
「遠くで見てるからねー」
 思い思いのことを言って、友達三人は講義室から出て行った。
 いつもならここで何か返すけれど、その時ばかりはそうも行かなかった。
 今、講義室には私と秋山さんしかいない。
 秋山さんは私になんか目もくれず、筆記用具なりを片付けていた。
 なんかドキドキしてた。
 ありえないだろ。別に好きな子に告白に行くわけでもないんだぞ……って私誰かに恋したことなかったわ……。
 まあでもそういう気持ちは想像できるっていうか……。
 なんていうんだろう、怖いんだけどそうしたいみたいな。
 好奇心とも違うし、怖いもの見たさでもないし。いやそもそもそんなのとは全然違うし。
 あーもう自分がよくわかんないな。
 こんなの初めてなわけじゃないのに、でも初めてみたいな気持ちが湧き上がってくる。
 なんか、話しかけたいなって思っただけだから。
 緊張してるだけだよな。
 私は片付けを黙々としている秋山さんに声をかけた。
「あっきやっまさーん!」
 私の快活な声。
 秋山さんがこちらを見た。
 目を丸くしている。片付けの手が止まった。
 私は近づいて、自己紹介する。
「どーも。私、田井中律!」
 名前を告げる。元気な声で。
 さっきまでは緊張してたけど、一回声を出してみたら意外と頭にいろんな言葉が浮かんできた。
 あとは適度に秋山さんに言葉を促して、私らしい明るさで声を出すだけだ。
「秋山澪ちゃん、であってるよね?」
「……は、はい」
 初めて声を聞いた!
 反応してくれたのが無性に嬉しい。
 秋山さんは、話しかけられてるのに慣れていないのか、それとも突然声を掛けられたことに驚いているのか表情を強張らせている。
 はい、という返事にさえ戸惑うように、迷うように目を泳がせている。
 実際一瞬だけ目が合っただけで、あとはずっと目を泳がせてばかりだった。
 視線を合わせてくれない。
 だけど仕方ないと割り切って、私は本題に移った。
「ねえ、一緒にお昼食べに行こうよ。秋山さんも、食堂でしょ?」
「え……い、いいです」
 遠慮されてしまった。でも、これは当然の反応だ。
 もし私が秋山さんだったとして、見ず知らずの奴に食事に誘われても遠慮の言葉しかでないだろう。
 だけど、ここで引き下がるのなら私の名が廃るってものさ。
「いいからいいから! ほーら、行くぞ」
 秋山さんが荷物を持ったと同時に、私は彼女の手を掴んだ。
 そして半ば強引に引っ張る。
「ちょっ待って……」
「早く行かないと日替わりデザートなくなっちまうからな!」
 私は、秋山さんの手を掴んだまま走り出した。
 秋山さんは、振り払おうともせず。
 ただ私と一緒に食堂に走ってくれた。
 走ってくれたっていうか、私が引っ張っただけか。




 食堂には、何種類かのテーブルがある。
 中央の方には、長い机がいくつかくっついたような大人数で座れるタイプの席。
 その周りには、四人掛けが出来る程度の席。
 そして、窓際の方は主に二人で向かい合って座れるようなタイプの席がある。
 食事を共にする人数によって席を選り好みできるというなかなかいい食堂だ。
 普段なら友達三人と私で、四人掛けの席に座って昼食を取る。
 でも今は秋山さんと二人っきりなので窓際の二人席についた。
「秋山さんは、和食好きなの?」
 私は尋ねながら、秋山さんが食べている和食セットを見た。
 ご飯にお味噌汁、それと焼き魚というもう本当に和食というセットだ。
「……どっちでも、ないです」
「じゃあなんでそれを選んだの?」
「……適当です」
 それだけ言って、また箸を動かしはじめた。
 うーん、簡単に会話が終わっちゃうなあ。
 そりゃほぼ初対面の人と会話をしようという気にはならないよな。
 第一秋山さんにとっては無理やり連れてこられたようなものだし……私が無理言って相席してるようなものだから。
 暗いとも明るいとも言い切れない。
 でもどちらかといえば陰りのある顔で黙々と食事する秋山さん。
 私はといえばきつねそばを食べているのだけど、でも全然箸は進まなかった。
 次は何を聞こう、何を言えば秋山さんは話してくれるんだろう。
 そればかりに頭が行っていた。
「ねえ、秋山さんはどこの県出身?」
 とりあえず話しやすいのは相手の素性だ。
 別に隠す必要も無いような、むしろ話題性になるのはそういう出生だったりの話。
 だてにいままで友達をたくさん作ってきたわけじゃない。
 自分なりにスキルみたいなのを手に入れてるんだ……というのは、嘘で。
 でも『相手が私なら』って考えた時、どんな質問なら答えやすいのか考えたらこういう質問しかないと思うからだった。
「……――県、です」
 あまりにも馴染んだ県名だった。
「え? 私もだ」
「……そうですか」
 秋山さんも一瞬驚いたような、感心する様な目をしたけれど、やっぱり受け流すような態度で受け答えした。
 だけど、共通点が見つかったんだ。これを会話のタネにしないわけにはいかない。
「すげー、偶然だな! ちなみに、高校は?」
「桜ヶ丘、です」
「――マジ?」
 何の冗談だこれ。
「……私も、桜高だ」
「……そう、なんですか」
 さすがの秋山さんも、箸を止めて私を見た。
 お祭りのビンゴ大会で、特等を取ったような気持ちだった。
 実際そんなことはなかったけど、でも。
 なぜか偶然でもなんでも、それがピッタリあってるっていうか。
 言ってることめちゃくちゃだけど、でも。
 偶然にしちゃ出来すぎてるっていうのかな。
 たまたま一人でいるから、気になって。
 それで誘ってみた。
 それだけのに、出身の高校が同じだなんて。
 よくわからない――でも、どちらかといえば嬉しさみたいなのが湧きあがってきた。
 でも、私の記憶に、秋山さんは存在しなかった。
「もしかしたら、すれ違ったりとかしてたかもしれないなあ」
「……そうですね」
 また目を伏せた秋山さん。
 そしてまた食事を始める。
 ……喜んでるわけじゃないのかな。
 そりゃそーだよなあ。
 だって勝手に運命めいたことを感じてるの私だけだもん。
 話しかけてるのも私だけだし、気になってたのも私が一方的にそうだっただけだろうし。
 別に秋山さんからすれば私との共通点なんてどうでもいいよな……。
 でも、嬉しいのは事実なんだ。
 気になってた子と一緒にご飯食べたり。
 実は出身が同じって。
 なんか、高揚しちゃうな。



「……できればだけど」
「……?」
「本当に嫌ならそう言ってくれればいいんだけどさ」
 私は、提案した。
 とりあえず、名字で呼ぶのはちょっと。
 友達っぽくない、だろ。

「澪ちゃんって、呼んでいい?」

 私が緊張して言うと。
 秋山さんは、箸をぴたっと止めた。
 そして、上目遣いに私を見て。
 戸惑ったように、また目を泳がせて。
 数十秒して。
 コクリと頷いた。





●





 4月23日 晴れ

 今日は大変だった。
 田井中律って子に話しかけられて、一緒にご飯を食べた。
 そんなの初めてだったから、あんまり上手く喋れなかった。
 田井中さんに嫌な思いさせちゃったかな。
 絶対そうだ。ごめんなさい。

 同じ高校出身だというのは、とても驚いた。
 だけど一度も同じクラスにはなったことが無いと思う。
 なったことがあるのなら、忘れることはできなさそうな人だから。

 初めてパパとママ以外の人に下の名前を呼んでもらった。
 嬉しいという気持ちがないわけじゃないけど、でも恥ずかしかった。

 晩御飯は、レンジで温めるだけのタイプのものにした。
 課題は順調だったけど、でもちょっと苦しいかもしれない。
 今日はなんだか体の調子がおかしかった。
 田井中さんと話したからかな。

 今日は日記が長くなってしまった。


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