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イノセント17 - (2011/02/03 (木) 01:50:20) のソース

 私はその日も、カレンダーをまず見た。
(……12日)
 あと二日で、律は律のことが好きな『理学部の子』と食事をする。
 私の頭の中に、その場面が浮かんでくる。
 バレンタインということは、その子は律にチョコレートをあげるだろう。
 場所が一体どこかはわからないけど、食事ということはどこかのレストラン……。
 だとしたら別にチョコレートを渡すぐらい差支えないだろうなあ。
 その子は多分手作りでチョコを作って、律にそれをプレゼントするんだ。
 律はそれを、多分少しだけ嬉しそうに受け取る。
 そういう場面だと律は、絶対嬉しく思っちゃうんだ。
 律だけじゃない。
 私だって、自分の事好きだと言ってくれる人がいたら、少しぐらい喜ぶかもしれない。
 大好きな人が他にいたって、でもありがとうって思うことだってある。
 もし律以外の人が私にチョコレートをくれて、好きだと言ったら……そりゃ、少しは嬉しく思ってしまうだろう。
 だけど、律にはそうなってほしくない……。
 わがままだけど……自分勝手だけど。



 私は勉強机に伏せった。

 溜め息が漏れる。





 律は今頃何してるんだろう。
 そして私は、今何やってるんだ?
 
 昨日書いた歌詞を見つめた。



 ……律の事が好き。
 気付いたけれど、余計に悲しい。
 

 こんなに好きになるのなら、[[もっと]]早く出会いたかった。

 一緒にいられなかった時間を想うと、悲しい。
 悲しいのは、この気持ちに気付いてしまったからだ。

 随分前に律も言ってた。
 もっと早く出会いたかったって。

 
 ずっと同じ学校だったんだから。
 なぜ出会えなかったんだろう。
 出会っていたかった。
 そしたら、いろんなことができたのに。

 考えるだけ無駄かな。
 だけど、もしもっと早く出会っていたら……。
 そう考えちゃうんだ。




 (……はあ)


 もう考えるのはよそう。
 いろいろと考えることや、悩ましいことはある。
 だけど、それより私はやりたいこともある。


 
 明日は材料を買ってこよう。
 





■



 2月12日 くもり


 まだ澪と連絡が取れない。めちゃくちゃ寂しい。
 もう家に行ってやろうかな。でも、迷惑だよなやっぱりさ。
 私は午前中、DVDを見て過ごした。


 もし澪が私に怒ってるのなら、やっぱり食事会を了解したことかな。
 そうだとしたら、澪は私の事、少しぐらいは……。

 当たって砕けろともいうか。
 もし澪が私のこと好きじゃなくても、私は澪の事大好きだから。
 食事会に行った後、澪には気持ちを伝えよう。

 そのために明日はデパートに行こう。
 家で何度か作ったことはあるけど、誰かに渡すなんてのは初めてだな。





■





 この時期になると、デパート内の書店にはチョコレート作りの方法が書かれた本のコーナーが作られていた。
 今時の女の子が読むようなキラキラした本もあれば、主婦や料理を趣味にする少しばかり真面目な感じの本まである。
 デパートは、三連休の最終日だけあって混んでいた。
 私はそのチョコレートの本……お菓子作りについての本のコーナーの前で、ウロウロしていた。
 買おうか買うまいか迷っているというのもあるし、どれを買えばいいのかもさっぱりだった。
 そういうのには果てしなく疎い。
 去年の四月に、律の家で料理を作って食べさせた。
 そしたら、大失敗だった経験がある。
 あれ以来私は律とよく料理と作って、律にいろいろ教えてもらったりしていた。
 私は本当に下手糞で、律を呆れさせてばっかりだった。
 律が毎回微妙な顔をすると、私は申し訳なかったり、なんでできないんだろうって悔しくて泣いたりもした。
 でも律は、そんな私を慰めてくれてた。
 ずっと一緒にいて、料理の練習を手伝ってくれた。
 おかげで、私も随分と料理はできるようになった。
 もちろんまだ律には及ばないし、ときどき失敗もするけれど。
 だけど、私も成長したんだ。
 


 これから、チョコレートを作る。


 もしおいしくできたら、律は喜んでくれるのかな。


 私は、真面目そうなお菓子作りの本を買った。
 袋を手に提げて帰る途中、ふとコインロッカーのある一角を通る。
(……ここ)
 そこは、律が私を助けてくれた場所だった。
 あの時は、律はカチューシャをはずして私を呼び捨てするものだから、本当に誰だか分からなかった。
 テレビで見るどんな端整な男の俳優よりもかっこよくて。
 私はずっと怖くて泣いていて、助けてくれたことよりも怖さがあったから、触らないでなんて言ってしまったけど。
 でも、律だってわかった途端、安心したんだ。
 抱きついたりもして。
 今考えると、相当恥ずかしいけど。
 でも、嬉しかったし、律の事大好きになった。
 あの時は、友達としての好きだったかもしれない。
 

 今は、友達としての好きもあるけど。
 恋愛感情として、好きなんだ。


 だから、私は律にチョコレートを作らなきゃいけないんだ。
 想いを伝えたいんだ。
 律のこと、好きだよって。
 
 

 家に帰って、お菓子作りの本とにらめっこしながらチョコを作った。
 いろいろ大変だったけど、できた。

 明日だ。





■





 2月13日 くもり
 

 チョコレートを作ること自体は慣れていたので、簡単だった。
 もうレシピは頭の中に入っている。手順も完ぺきだ。
 でも、それを好きな人に渡すとなると、私は急に緊張した。
 澪に喜んでほしい。笑ってほしい。そう考えるとやる気は出た。

 澪は今、何をしてるんだろうなあ。
 メールも送ってないし、電話もかけていない。
 だけど、明日会えるんだ。

 明日、どういう風に顔を合わせればいいか迷うけど。
 いつも通りに接して、食事会も早めに切り上げて。
 澪の家にでも行くかな。
 どうにかして、チョコをあげたい。

 好きだって伝えたいしな。

 私のことを好きだって言ってくれる子には、申し訳ないけど。
 出会った時から、もう澪って決めてるから。






■



 バレンタインの前日の夜。


 理学部の子と名乗る子から電話が掛かってきた。
『……秋山さんですか。私は明日田井中さんを食事に誘った者です』
 まるで犯人の犯行予告のような抑揚のない平坦な声色だ。
 しかしそれでも、どこかゆったりとした雰囲気も感じる。
 緊張しているのか、それとも元よりこのような感じなのか。私には彼女という人を全然掴むことができなかった。
 私は部屋の中央に立ったまま、電話を耳に当てている。
 とりあえず質問が浮かんだ。
 私は極度の人見知りであるが、電話やメールは顔を実際に合わせているわけではないので幾分か声は出た。
「どうして私の電話番号を?」
『田井中さんに、××さんを通して教えていただきました……どうしても、秋山さんと二人でお話ししておきたくて』
 理由がわからない。
 それがどうにも気になる。
 もちろん私は律とバレンタインを過ごすことができる彼女に少しばかり嫉妬しているけれど、でもそこはもう諦めていた。
 私は律にただ気持ちを伝えたい。
 だから明日チョコレートを渡して、想いを伝える。
 それで十分だ。
 そりゃやっぱりバレンタイン律と一緒がいいなあとは思うけど……でもいろいろと割り切っている部分もある。
 いつまでも溜め息を吐いていられない。
「なぜ、私と?」
『電話じゃ伝えにくいですね……やっぱり直接会って、お話しませんか。
 明日の四時半に、大学の中庭の噴水で待ってますので』
「えっ? でも、律と食事会に行くんじゃ……」
 講義が終わるのが四時。だとしたら、あんまりうかうかしていられないんじゃないのか? 
 もう食事をする場所……例えばレストランなんかの予約が取ってあるって言ってたから大丈夫だとは思うけど。
 でも、早いに越したことはないし、私なんかと四時半にわざわざ約束して、話している余裕があるのだろうか。
 なんか不思議というか、よくわからないな。
 もう律に近付くな、とか言われてしまうのかも。
 そりゃ彼女が律のことが好きだというなら、いつも一緒にいる私はある意味で邪魔だし、快くは思わないだろう。
 だからって。
 律は、渡したくない。
 私は目を閉じ、そう心の中で言う。
 そのまま耳を傾けた。
『田井中さんとは、五時に待ち合わせしてるんです。ですから、四時半に会いましょう。すぐにお話は終わります』
 五時か。なら、あんまり話は長引かないだろう。
 さっきも考えたけど、もうあんまり律に近付くなってことかな。
 ……いや、まだ彼女と律が付き合い始めたわけじゃないんだ。
 ただバレンタインで食事を一緒に取るだけじゃないか。
 お付き合いが始まったわけじゃあないんだ。
 落ち着け私。
 電話の向こうに、明日律と一緒に過ごす相手がいるんだ。
 顔も名前も知らない。
 だから、私は携帯電話を持つ手が震えていた。中途半端に手汗もかいている。
 もともと人見知りな質だ。
 だけど、この居心地の悪さはそんな私の性格から来るものではない。
 単純に、相手への嫉妬と……自分の情けなさと、緊張と。
 よくわからない感じが渦巻いてる。
 律を取られるんじゃないか。
 そんな不安だった。
 律に限って、そんなことはないと思うけど。
 私がそう考えているということは、律がこの子を振ってくれるんじゃないかって密かに期待してるってことだ。
 馬鹿澪だ。
 最低だ。この子は律のことが好きなんだ。
 でも心の中で、振られちゃえって思ってる……。
 律に私を選んでほしいと思ってるんだ。
 ……やっぱり私、わがままだな。
 そう考えて息を吐いた。

 頭に、言葉が浮かぶ。

 それを言うべきか言うまいか、一瞬だけ迷った。
 『これ』を言うことは、彼女にとっていい気持ちじゃないだろう。
 私から彼女への宣戦布告、はたまた独占欲の滲み出る醜い言霊かもしれない。
 私がそれを彼女に告げたら、彼女は私を笑うのだろうか。
 少しは、プレッシャーを感じてくれるのだろうか。
 耳に当てている電話を握り締める。
 私は彼女に告げた。




「――律は、渡さないからな……っ」




 律は、私のだ。
 ……まだ違うけど、でも負けたくなんかない。
 誰にも、渡したくなんかない。
 彼女に失礼かもしれないけど。
 でも、これが本音だ。


 静かになった。
 私はやはり失礼だったかもと思って、次に彼女が出してくる言葉が怖かった。
 沈黙の向こうが何を考えているのかわからない。
 私はそれでも穏やかに待った。
 数秒後。



『……さすが、秋山さん。そう言うと思ってました』

 
 笑いを含んだような彼女の声に、私は何も言えなかった。
 さすが? そう言うと思っていた?
 言葉に迷っているうちに、彼女は続ける。
『……大丈夫ですよ。私は、田井中さんをあなたから奪い取ることなどはまったく考えておりません』
「えっ――?」
 思いがけない言葉に、私は思わず声をあげてしまった。
『ですから、私は田井中さんとお付き合いしたいなどとは微塵も考えていないということです』
「ど、どういうこと……?」
 私から奪い取る気はつもりはない。
 律と付き合いたいわけでもない。
 何を言ってるのだろう。
 元々律は私と付き合っているわけじゃないから、律が彼女と付き合いだしても私から奪ったことにはならない。
 彼女は、私と律がすでに付き合っていると勘違いしているのだろうか。
 確かに誤解されるぐらい常日頃に一緒にいるけど……。
 そう考えると、結構恥ずかしいな。人前で……あんなに一緒にいたんだ律と。
 いや。
 そんなことを考えている場合じゃない。
 私の考えていることとは逆の言葉……律と付き合う気はないという言葉に安堵したのか、
 そして頭の中でいつも一緒にいる私と律の記憶が再生されて、肩の力が抜けたのがわかった。
 震えていた指先も、今はきちんと携帯電話を握っている。
 しかしまずます訳がわからない。
 律のことが好きなら、律と付き合いたいと思ったりするのは当然だ。
 ……私なら、そう思う。
 でも彼女はそうじゃないと言っている。
 本当に不思議な子だ。

 喜んでる私がいる。
 でも、明日律と一緒に食事をするのには変わりないんだ。
 それだけが引っかかっている。

『もう一度言いますよ。私は田井中さんとお付き合いしたいとは思っていません。
 ましてあなたから律さんを奪おうなどとは一切思っていないのです』
「……どうして?」
『それは明日にでもお話しましょう』
 一辺倒すぎる声。私と違って、彼女はとても落ち着いていた。
『それと、この電話の内容は絶対誰にも言わないでください。明日噴水前に四時半ということも、何もかもです。
 とにかく電話で話した内容は他言しないでください。特に田井中さん』
「わ、わかりました……」
『ありがとうございます。では、明日頑張ってくださいね』
「――」
 何も言えないまま、電話は切れた。
 私は無音が響くそれを耳に押し当てたまま、数秒間佇んでいた。
 

 頑張ってくださいって、何を?
 明日頑張ることって……私が、律にチョコを渡して想いを伝えることしかない。
 それを、彼女は知らないはずだよな……?
 でもまるで知ってるかのような確信を持った言葉。




 頑張ってください、か……。
 私は少しだけ、勇気をもらった気がした。
 恋敵のはずなのに。
 

 とにかく、明日だ。
 二月十四日。
 世の中のいろんな人が、いろんな人にチョコをあげる。
 想いを告げる人だっているだろう。

 どうか私と律に、幸福がありますように。


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