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イノセント20 - (2011/02/06 (日) 00:54:18) のソース

 落ち着いて、私と律は抱き合うのをやめた。
 それでも、私たちは両手を繋いでいた。
 互いに見つめあう。
 私は律に問うた。




「……友達として、じゃ、ないよな?」




 私は律のことを今までずっと好きだった。
 いつからその『好き』が、『友情』から『恋愛』に変わったのかは、私自身も分かっていない。
 でも、少しずつ少しずつ。
 四月に出会ってから少しずつ。
 私の律への想いが――『恋』に変わって行ってたんだ。
 それに気付いたのが、つい先週だったというだけで。
 でも、律は、私とは違う『好き』かもしれない。
 キスまでされてそれはあり得ないかもしれないけど、訊いてみたかったのだ。




「そ、それも言うのか? えっと……なんつーか、その……
 こ、恋人とか、恋愛感情とか……そういう意味で、好き」




 律は頬を人差し指で掻きながら、顔を真っ赤にして言った。




「だ、第一……キスまでしたんだぜ。恋愛感情以外にあるかよ」




 律は付け加えるようにそう言ってくれた。
 やっぱりそうだった。



「澪はどうなんだよー? まさか言わせといて逃げるのか?」
「わ、私はいいだろ」
「言いなさい!」


 気圧されて、私は目を泳がせた。
 


「私も、……律のこと、恋愛感情という意味で好き……です」
「つまり?」
「……あ、愛して――~~~~あ、もう嫌だ!」
「あーんもうちょっとだったのに」
「わ、私は至って真面目なんだぞ!」
「私も真面目だ」


 律の声は、急に涼しくなった。
 さっきまで私をからかっていたのに、律の表情はふっと引き締まった。
 それでも、いつもの無邪気な笑顔のままで。



「澪のこと、愛してるよ」



 律は、白い歯を見せて笑った。
 普段は冗談ばかり言って、私をからかうくせに。



 こういう時だけ、かっこいいんだよな。
 ずるい。反則だ。
 そういうの、本当にドキッとするんだぞ。


 ドキッとはしたのに、不思議と体中は熱くならなかった。
 言ってくれた。
 律が、私にその言葉をくれたこと。
 それは確かにじわじわと体を痺れさせ、頭も体も、全部律の色に染まる。
 だけど、恥ずかしさが上擦ることはなく。
 私は律のかっこよさに、その言葉に、恥ずかしさを乗り越えることができると思った。




「私も、律のこと……愛してる」




 言い終えてから、恥ずかしさが出てきた。
 乗り越えたと思ったのに、いざ言葉にしてみると、それは私にとって恥ずかしくてたまらない言葉だった。
 言えたのに、終わってからぶわっと来るような熱さ。
 穴があったら入りたい、顔から火が出る。
 私のどんな言葉の知識を使っても形容しきれないほど、恥ずかしかった。
 律も、顔がさらに真っ赤になっていた。

 だけど、多分私の方が真っ赤だったと思う。
 私はいつだって、恥ずかしがり屋のまんまだから。




「ぷっ……澪、顔真っ赤ー!」
「そ、それは律もだろっ!」
「わ、私は雪のせいだ」


「……ぷっ」
「――ふふ」





「あははははっ!」



 やり取りがおかしくなって、私たちは笑った。
 心の中は、すっかり暖かかった。



「……そうだ」



 律は、何かを思い出して私の手を離し、鞄に手を入れた。
 そこから取り出したのは、綺麗に包装された『何か』だった。
 私はそれが一体何なのかわかっていたけど。
 驚きと、嬉しさでやっぱり訊き返すしかないのだった。



「……そ、それって」
「わかるだろ? 手作りチョコレートだよっ」


 私はまた泣きそうになるけれど、意を決して私も自分の鞄に手を入れた。
 ずっと、今日の朝から秘めてたそれ。
 渡そう渡そうって、朝から考えてたのに、結局怖くなって。
 やっぱり渡すのはやめようって逃げ腰になってた私。
 頑張って作ったこれを、渡せないままにすることを選択することは、私にとっても辛かった。
 何より、喜んでほしくて作ったんだ。
 だから。




「私も、これ……手作り」



 律に、チョコレートを突き出した。
 いつだったか、確か読んでいた本を見せてと言ってきた律に、似たような格好でそれを渡したんだっけ。
 あの時の私は、本を渡すのさえ恥ずかしくって。
 だからあんなに大げさに本を渡したりしたのだろう。
 あの時と、やっぱり変わらない。
 でも、あの時とやっぱり変わってることもある。
 渡したい。
 その一心から、私はチョコレートを差し出してるんだ。




 私たちはチョコを手に持って、相手に差し出したままお互いを見つめている。
 



「ほら、澪……受け取ってよ」
「律こそ――……はい」



 交換した。
 律のは中身は見えないけど、私の手の平より少し大きい。
 丁寧な包装は、律の家庭的なところもよく出てるなって思った。
 律は、私のチョコレートの包みを両手に掴んで笑った。


「帰ってから、ゆっくり開けるぜ」
「……私もそうする」


 律からの、チョコレート。
 家でなくても、とにかく大切に、慎重に扱いたかった。
 律は持っている包みに視線を落とし、残念そうに口を尖らせて唸った。


「あーでも、もったいないなあ……せっかく澪が手作りでくれたのに」
「私も、同じ気持ちだよ。律のチョコレート美味しいだろうけど……でも、食べずにずっと残しておきたいよ」
「それこそもったいないぞ? 大したもんじゃないしさ」
「いや、本当に嬉しいよ……まさか律も、私のこと好きだなんて全然、思わなかったからさ」


 本当に思っていなかった。
 もしも律も私を好きだったら、好きだったらいいな。
 いやでも、あり得ないだろうなって。
 そんな風に、完全な片思いだと思ってた。




「馬鹿澪。私が澪を好きにならないわけないだろ?」


 律は目を細めた。


「それに、私もさ……澪も私のこと好きなわけないだろうなって、思ってたし」


 恥ずかしがって、後頭部を撫でる律。
 そんなこと。


「馬鹿律。私が律を好きにならないわけないだろ?」


 私は絶対、律に恋する運命だったんだろうなって思う。
 どの世界であっても。



 雪は、ただゆっくりと落ちて、アスファルトに溶けた。
 積もることはなさそうだけど、綺麗だった。
 私は律に言った。




「なあ……今日、律の家に泊まっちゃ駄目か?」



 四月に出会って、十カ月。
 私は何度も律の家に泊まったけれど、今日からは意味が違う気がした。
 律の恋人として、泊まることになるんだ。
 今までは、友達として泊まった。それも楽しかったのは事実だし、律と一緒にいて楽しくないことなんかない。
 でも、いつも律と一緒にいると、なぜか切なくなったり、
 律を見ていてドキッとすることもあったり、胸がズキズキすることもあったんだ。
 それがなぜかは、今までわからなかった。
 わからないまま、ずっと律と一緒にいたんだ。
 でも今は、それが恋だと知っている。
 律への想いだってことを、私自身が知っているから。
 だからそれを悟った今、律の家に泊まってみたいと思った。
 友達としてから、恋人として。
 あの胸の痛みが何なのか分からない不安も、私は快く受け入れている。
 むしろ、そんな痛みやちょっとズキズキするのは、恋だとわからなくて……
 それを律へ伝えられないことへの不安の痛みだったと思う。
 だから、私は律が好きだと言えてよかった。
 律も好きだと言ってくれた。
 だから、痛みはない。
 

「なんで今更そんなこと聞くんだ? いいに決まってんだろ!」


 思ったほど、律があっさりと返事をくれて私は一瞬驚いた。
 だけど、よくよく考えてみればそうだった。
 聞くまでもなかったかな。
 両想いだってわかって、チョコレートも交換して、恋人同士になって。
 それでも、私たちはあまり変わらないのかもしれない。




 

■







 私と律は、手を繋いで噴水の縁に座った。
 さっきは距離があったけど、今はすぐ隣でくっ付いて。
 


「来ないな、あの子」
「……そうだな」



 二人で空を見上げながら囁いた。
 白い吐息。
 私は思い出したように、口を開いた。
 


「そういえば言ってたよ、あの子」
「何を?」
「『私は田井中さんと付き合う気はありません』、
 『秋山さんから田井中さんを奪う気はありません』って」


 私は昨日の電話を思い出す。
 律のことが好きなら、なぜそんなことを私に言ってみせるのかわからなかった。
 

「なんだそりゃ。それじゃまるで、私たちの気持ちを知ってたみたいな口ぶりだな」


 律がそう言った。
 そうなのかもしれない。
 その子は私の律への、そして律の私への気持ちを知っていたんじゃないか。
 だからあんなことを言って。

 そして。
 

 
「……もしかしたら、その子、ここにはもう来ないかもしれないな」


 私は、そうポツリと漏らしたのだった。


 時刻は、四時四十五分。
 約束の時間は、もうとっくに過ぎていた。
 


 ポケットの携帯電話が震えた。
「……メールだ」
「あ、私もだ」
 律も携帯電話を取りだした。
 私たちは顔を見合わせる。
 受信ボックスを開くと、そこには奇怪な文字列が並んでいる。
 もし知り合いだったらそこには名前が表示されるはずだった。
 だけど、このメールは名前じゃなくて直にメールアドレスが表示されている。
 ということは。
「知らない人からだ」
「私も」
 また視線を合わせる。
 私と律はメールを開いた。
 そこには、ただ一言だけ書いてあった。

 私と律の、それを読み上げる声が揃った。





「お幸せに!」
 




 





■



 2月14日 晴れ


 今まで生きてきて一番嬉しかった日だった。
 まさか澪と、恋人同士になることができるだなんて。
 今でも顔が熱いし、嬉しさを隠すことができない。
 嬉しすぎて、字が震える。声を上げたいぐらい嬉しい。
 いや実際上げてる。

 本当に嬉しい。
 澪は、私のことをどうとも思っていないかもしれない。
 そう悩んだことは何度もあった。
 むしろ、私のことを煩わしく思ってるんじゃないかって。
 怖かった日もあったけど。

 でも、澪は泣きながら言ってくれたんだ。
 私が好きって。
 私も泣きそうになって、嬉しくて、キスした。
 澪も受け入れてくれて、ずっとそうしてた。

 理学部の子は、来なかったけど。
 澪の話を聞いたら、私と付き合う気はさらさらなかったと知った。
 もしかしたら私と澪をくっつけるきっかけをくれたのかもしれない。
 実際食事会に誘われなかったら、私は澪に一歩踏み込もうとは思わなかった。
 彼女には、申し訳ないけど感謝してる。

 今、この日記を書いているすぐ横に、澪がいる。
 恋人になって、初めて一緒に夜を過ごす。
 なんだか恥ずかしくて、見つめあっては笑ってみたいなのが繰り返されてる。
 でもそれでも幸せだ。すっごく幸せだ。



 澪、大好き!




 

                     
                        私もだぞ、律


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