黒沼健

 黒沼健(くろぬま けん、1902年5月1日 - 1985年7月5日)は、神奈川県横浜市出身の作家。本名・左右田道雄(そうだ みちお)。東京帝国大学法学部ドイツ法学科卒業。日本文芸家協会、日本児童文芸家協会などに所属し、日本推理作家協会では理事を務めた。

 推理小説の創作や翻訳を多数世に出したほか、映画『空の大怪獣ラドン』(1956年)をはじめとする特撮作品の原作・原案なども手がけた。

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 しかし、なによりもノンフィクション・ミステリーの領域で多数の作品を発表した、日本での草分け的存在の一人として、その名を広く知られている*1

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ノストラダムス関連

 黒沼自身は生前、戦後最初に書いた原稿がノストラダムスに関するものであったと述べていた*2志水一夫のように、そのコメントをもって、日本人として最初にノストラダムスを紹介したのは、黒沼だったらしいと位置付ける者もいる*3
 ただし、黒沼の言及は戦後最初に公刊したのかどうかや、ノストラダムスを主題とするものであったかなどが不明瞭である。実際、具体的にいつ、何という題の作品をどの媒体に発表したのかなどの書誌的事実は、今のところ一切不明である。
 日本人として最初の紹介者だったかどうかは、渡辺一夫の「ある占星師の話」(初出1947年)に先行する作品が具体的に特定されるまで、慎重に留保をつけておくべきだろう*4

 単行本に収録されたもののうち、ノストラダムスを主題とした最古の文章は、『謎と怪奇物語』(1957年)所収の「七十世紀の大予言」である。『謎と怪奇物語』は、志水によると、黒沼のノンフィクションミステリーの単行本としては、同年の『秘境物語』に次ぐ2作目だったらしい*5

 この作品はノストラダムス予言の的中例を多く挙げ、さらにはヘンリー・ジェイムズ・フォアマンの紹介の翻案転載とはいえ、1999年の詩への言及もある。

 ノストラダムスその人を紹介した最初の日本人が黒沼なのか、渡辺一夫なのかは、なおも議論の余地があるだろう。しかし、ノストラダムス予言とその解釈をある程度まとめて紹介した日本人は、ほぼ間違いなく黒沼が最初であったろうと考えられる。

 他の作品でも、ノストラダムスへの断片的な言及は数多い。しかし、まとまったものとしては、あとは「ノストラダムス落穂集」があるのみだろう。

 この2作品は、『予言物語』(河出文庫、1987年)にも再録された。


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最終更新:2010年10月17日 12:04

*1 以上、経歴などについては、黒沼『予言物語』巻末の志水一夫による解説、および黒沼『奇人怪人物語』河出文庫版巻末の志水による略年譜によった。

*2 『歴史読本』1975年12月特別号

*3 前掲の解説および略年譜

*4 cf. Shinsenpou Wold Blog 「黒沼健氏のノストラダムス物語

*5 前掲、略年譜