詩百篇第10巻41番


原文

En la frontiere1 de Caussade & Charlus2,
Non guieres3 loing du fonds4 de la vallee,
De ville Franche5 musicque6 à son de luths7,
Enuironnez combouls8 & grand9 myttee10.

異文

(1) frontiere : fronterie 1627Di
(2) de Caussade & Charlus : de Caussa de & Charlus 1597Br 1603Mo 1650Mo, de Caussa & de Charlus 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Le 1668 1716PR 1720To, de Cassa & de Charlus 1653AB 1665Ba, de Chaussa & de Charlus 1667Wi
(3) guieres : gueres 1590Ro 1627Ma 1627Di 1628dR 1644Hu 1649Ca 1650Le 1665Ba 1667Wi 1668 1672Ga 1716PR 1720To, guerre 1605sn 1649Xa, guere 1653AB 1840
(4) fonds : fons 1568X 1590Ro, fond 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1665Ba 1667Wi 1668 1672Ga 1716PR 1720To 1772Ri 1840
(5) ville Franche : Ville-franche 1590Ro, ville-Franche 1627Ma 1627Di 1667Wi, ville franches 1653AB, villefranche 1665Ba, Ville Franche 1672Ga, ville franche 1720To, Villefranche 1772Ri 1840
(6) musicque : Musique 1672Ga
(7) luths : Luths 1672Ga
(8) combouls : combuls 1605sn 1649Xa, Combouls 1672Ga
(9) grand : grands 1627Di
(10) myttee : myrtée 1672Ga

校訂

 1行目Charlusは何らかの誤植を含んでいる可能性がある。コサドとの地理的繋がりからすれば、Caylus と読むのが最も合理的である。

 guieres は gueres だろう。古語辞典の類にはこのような変形が見つからないが、文脈からいってもほかに考えようがなく、諸論者にも異論はみられない。

 du fonds(資金の)は du fond(奥の、深部の)となっているべき。なお、fons ならおかしくない。古くは fond と同じに使われていたからである*1

 ville Franche は当然 Ville(-)Franche もしくは Villefranche となっているべきだろう。

日本語訳

コサドとシャルリュスの境界の、
谷の奥からもほとんど離れていない場所。
リュートの音色がおりなすヴィルフランシュの音楽は、
シンバルや大きな弦楽器に取り囲まれている。

訳について

 Charlusはいくつかの説があるので大乗訳の「シャルル」、山根訳の「ケリュス」は、いずれも誤りとはいえない。当「大事典」は原文通りに「シャルリュス」と表記したが、「ケリュス」を採用するのも一案であろう。
 ただ、どう読むにしても3行目の luths [lyt] と韻を踏めない。あるいはこの場合 luths を「リュ」と発音し、1行目も「シャルリュ」とすべきかもしれない。

 大乗訳3行目「ビルフレンチの村でルートの音を聞き」*2は、名詞の読み方に問題があることに目をつぶるとしても、少々不適切に思える。

 4行目はcomboulsmytteeというキーワードがともに造語と思われることから、いくつかの訳がありうるだろう。それを考慮に入れても大乗訳の「踊りながら仲間になっていっしょに会うだろう」はどういう根拠でそうなるのか、よく分からない。もっとも、これはもとになったヘンリー・C・ロバーツの英訳(さらに遡ればテオフィル・ド・ガランシエールの英訳)が原因である。
 その4行目は、仮に mytteeが「行進」「豪華な宴会」などの意味なら、「シンバルに取り囲まれている。そして大行列(豪華な大宴会)」といった訳になる。

信奉者側の見解

 ガランシエールは地名について言及しただけで「残りは平易」で片付けている*3

 ヘンリー・C・ロバーツは、何らかの祝祭を描いた詩だろうとしていた。エリカ・チータムジョン・ホーグは地名がいずれもアジャン周辺であることから、ノストラダムスの体験に基づいているのではないかとしていた*4

 セルジュ・ユタンは宗教戦争期の何らかのエピソードを描いたものとしていた*5

同時代的な視点

 信奉者にすらそう見る者がいるように、これはノストラダムス自身が見聞きした祭りの様子の描写と見るべきではないだろうか。ピーター・ラメジャラーはそういう見解をとっている*6

 ジャン=ポール・クレベールは、ボルドー一帯での反塩税一揆が終わった際の祝祭に関わりある可能性を示しているが、特に史料的根拠などがあってのことではないようである*7

 ちなみに、フランスにはヴィルフランシュは多く存在しているが、コサドとの位置関係からするならば、有力なのはヴィルフランシュ=ダルビジョワ(Villefranche-d'Albigeois)、ヴィルフランシュ=ド=パナ(Villefranche-de-Panat)、ヴィルフランシュ=ド=ルエルグ(Villefranche-de-Rouergue)のいずれかだろう。

【地図】Villefranche と Charlus に関しては、可能性があるいくつかの地名を挙げている。


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最終更新:2019年10月18日 02:03

*1 DAF, DMF

*2 大乗 [1975] p.294

*3 Garencieres [1672]

*4 Roberts [1949], Cheetham [1973], Hogue [1997]

*5 Hutin [1978]

*6 Lemesurier [2003b]

*7 Clébert [2003]