予兆詩第100番

予兆詩第100番(旧90番) 1563年11月について

原文

Par mort mort mordre, conseil, vol pestifere.
L'on1 n'osera Marius2 assaillir.
Deucalion un dernier trouble faire.
Peu de gens jeunes demi morts tressaillir. *1

異文

(1) L'on 1563Ro : On T.A.Eds.
(2) Marius : Marins 1605 1649Xa

(注記)1563Roは『1563年向けの暦』の異文。ただし、ここではオリジナルではなく1905年の復刻版を利用している。1589Rec はジャン=エメ・ド・シャヴィニーの手稿『散文予兆集成』の異文。

日本語訳

死によって死は咬む。会議。悪疫をもつ鳥たちの一群。
人々はマリウスを攻撃しあぐねるだろう。
デウカリオンは最後の騒擾を惹き起こす。
半ば死んだような若者たちのうちで慄く者はほとんどいない。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは1589年のこととし、1行目で語られている死はギーズ兄弟の暗殺とした。マリウスとデウカリオンについては、言わずもがなとして明示していなかったが、のちの『七星集』ではアンリ4世のこととした*2

同時代的な視点

 デウカリオンはギリシャ神話の洪水伝説を想起したものであろうから、この月に大洪水が起こると推測したのだろう。

 マリウスについては、『1563年向けの暦』の1月向けの予言の項目でも散文で綴られている。そこでは「前の年にスルラとマリウスが蘇ったように思われた」(Et à l'occasion de l'année precedente, où Sylla & Marius semblent avoir esté ressuscités)と書かれている。「前の年」は1562年で、この詩は1562年前半に書かれている。
 具体的に誰のことなのかは分からない。かつてピーター・ラメジャラーが指摘していたように、マリウスはモンモランシー大元帥を喩えた可能性もあるだろう*3。いずれにせよ、1562年3月に始まったユグノー戦争と関係があるように思われる。

 なお、関連性は不明だが、プルタルコス『対比列伝』中の「スルラ伝」では、スルラがアテナイを占領したときがちょうどデウカリオンを記念する祝祭の時期であった旨の記載がある*4


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最終更新:2010年04月16日 23:57

*1 原文は Chevignard [1999] p.162 による。

*2 Chavigny [1594] p.266, Chavigny [1607] / Chevignard [1999]

*3 Lemesurier [1997/1999]

*4 高橋秀訳「スルラ」『プルタルコス英雄伝』中巻、ちくま文庫、p.392。なお、この祝祭の記述は、既にリンク切れになっているが、森近真司「ノストラダムスの予言集123の考察」(インターネットサイト『ノストラダムス研究室』内のコンテンツ)で指摘されていた。