迷宮管理日誌




  • Side1:迷宮の国の

「……もう春だな。日差しが温い。」
 両脇を高い生垣に挟まれた細長い路地で、若い男……ノエリザードは上を向きながら体の中に溜まった煙を吐き出した。
「東側の枳殻はちゃんと根付いたかな……。」
 彼の手には繊細な細工の長煙管。着ている服や履いている靴は安っぽくてよれよれなのにその煙管だけが妙にしっかりとして美しい。値の張りそうなそれをかなりぞんざいに扱いながら、足にじゃれついてくる獣に目をやる。
「どうした?……あぁ、そっか。これ以外はいいよ、もう食べても。」
 許可を待っていたらしい犬……バウルイーターは、その言葉を聞くなり我先にと彼のそばから散っていく。
 やがて聞こえる、ぐちゃぐちゃと内臓を貪る音と赤子の泣き声。
「あ~~、よしよし。お前は食われないから泣き止んでくれ~。」
 彼の腕には生後間もない赤ん坊。足元には中身を晒して広がる人間の夫婦と思しき死体。
「……しばらく帰らないですむと思ったのにな……めんどくせ。」
 季節は初春。
 空は晴天。
 赤い地面に……青い空。


――グリンガイア暦357年 産声の月 22
 迷宮深度2レベル3北北東。
 石壁破損箇所26、修復済。一部食い破られた生垣を確認、苗を植え込み補充済。
 迷宮深度2レベル2北北東にて、迷い人と思しき乳児を抱いた夫妻に遭遇。
 交渉の意思皆無、即時襲撃を受けた為殺害。
 乳児は保護。回収した荷物と共に提出する為……一時帰還。


   ~・~・~・~・~


「待たんか、エリザアァアアアァ!!」
 とある春うららな昼下がり。
 城内に響き渡るむさい中年男性の怒声。そして疾走の足音。
「てめぇがつけたんだからフルネームで呼べって言ってんだろ馬鹿親父!!」
 それによく似た怒声で返す若い青年、ノエリザード。そして疾走の足音。
 グリンガイア国、王宮内東側の廊下を全力疾走する男が二人。先頭はノエリザード、後から追うのは現国王。
「御出発ですか? ノエリザート様。」
「いってらっしゃいませ。ノエリザード様。」
「出発したいから後ろの馬鹿親父をどうにかしてくれ!」
「親に向かって馬鹿とはなんだ!」
 帰還と補充を終えて迷宮内へ戻る準備をした旅装束のノエリザードはともかく、国王は重い礼服に空気抵抗全開のマント。それで24歳の彼と堂速度で走るというのだからなかなか侮れない中年である。
 と、使用人達の傍らを駆け抜ける二人に一人の小柄なドワーフが追随した。
「ご機嫌麗しゅう、陛下。エリザ様。」
「馬鹿者。何をどうみたらご機嫌が麗しいのだ。」
「エリザと呼ぶなっていってんだろうが!」
 国王と並んで並走を始めたのは教育係のロフリスだ。
「誠に恐れ入りますが、あえて早急に申し上げたい事柄がございます故、進言する無礼をお許しいただきたい。」
「前置きが長い。さっさと言え。」
「……屋外の運動場ならばともかく、廊下にて大声を上げながら疾走されるのはいささかお行儀が悪うございます。」
「今言うようなことかそれは!?」
「廊下じゃなければいいんだな!?」
 ノエリザードはそう言うなり廊下を直角に折れて階段を駆け上がった。階段ならいいというわけでも無いだろうが、教育係が突っ込む前に後を追って階段に突入した国王が吼えた。
「ふふふ……前回のように階段で引き離そうという魂胆だろうが、そうはいかんぞ! ――仁風に告ぐ、我が名はヴォルーク、流るる力を欲する者なり。追随せよ大気の流れ―――フォロウ!」
「こんな事に魔法を使うなぁ!」
 詠唱を終えると同時に階段に風が吹抜けた。船の帆よろしくマントに風を受けた国王が廊下とまったく変わらぬ速度で階段を駆け上がる。
「陛下。城内での魔法使用はいささか危険かと存じます。」
 魔法を使っている彼にまったく遅れを取らずに追随する教育係に少なからず首を傾げたが、国王はしれっとしたまま言葉を返した。
「……戦時特例の敵兵侵入時特別法を適用する。」
「それでしたら構いますまい。」
「職権乱用だ! 納得すんな!」
 それ以外にも疑問点は多かったが、鳥のようにマントをはためかせて駆けてくる国王が予想以上の速さで迫っているので、やむなくノエリザードは階段から再び廊下へと飛び出した。舞台は王城東側廊下の4階へと移る。
「……ところでエリザ様ですが、今回は何をやらかしたのでございますか?」
 息切れが近いにも関わらず「エリザと呼ぶな!」と叫んだノエリザードの苦情は見事に無視された。
「城内の武器保管庫を迷宮化させおった。」
「子供の可愛い悪戯じゃねぇか!」
「最奥到達に一時間もかかる迷宮のどこが可愛いのだ馬鹿者! 武器庫番が泣きながら酒に溺れておったわ! 今日という今日は元に戻すまで出発させんぞ!」
 常に全力疾走しているため、いかに若いノエリザードといえども限界が近い。国王は階段を上る際に魔法で楽をしたのでまだ余裕があった。
 だが国王の言葉を聞き終えた直後、ノエリザードの顔に浮かんだのは紛れも無い勝利の笑み。
「そういう台詞は……」
 彼は脇目も振らず、窓に向かって直進した。
「地図無しで迷宮歩けるようになってから言いやがれっ!」
 そして窓から跳んだ。
「馬鹿っ、ここは4階――」
 慌てて身を乗り出す国王の目に映ったのは……窓と同じ位置まで伸びる長い棒と、その棒に結わえ付けられた縄を伝ってするすると降りて行くノエリザードの姿。
 棒の先にははためく国旗。
「……ロフリス」
「はい、陛下。」
「あんなところに掲揚塔はあったか?」
「昨夜エリザ様がせっせと建立されておりました。」
「エリザアアアアア!」
「……何、吼えてるんだ親父」
 ひょいと顔をだしたのはノエリザードの兄、次期国王。
「またエリザに逃げられたのか。」
「はい。これで通算17勝97敗でございます。ちなみにエリザ様が19歳になられてからは一度も勝利しておりません。」
「もうすぐ敗北回数が3桁だな。」
 ふつふつと怒りをたぎらせていた国王は喉の奥から搾り出すような声で呟いた。
「……わしはお前が先に生まれて本当に良かったと思わない日は無いぞ。」
「だろうな。母上に感謝してくれ。」
 穏やかな兄と教育係の会話を耳にして興が冷めたらしい。諦めてため息を吐いた国王は肩を落として踵を返した。
「もういい……とりあえず武器庫の地図を作るか……あれはあれで防犯になるかもしれん。」
 と、そこにかかる長男の声。
「あ、親父」
「何だ」
「その扉、昨日エリザが埋めて騙し扉にしてたぜ。」

 ゴンッ

「新しい通路はあそこの、どうみても壁にしか見えない隠し扉だ。エリザが地図置いてったから見ておいたほうがいいぞ。」
「エリザアアアアアアア!!」


   ~・~・~・~・~


「俺はノエルが良かったんだ!」
 荷物満載の荷車をごとごとと引きながらノエリザードは吐き捨てた。
「ノエルザード様、ですか? ……ノエリザード様で慣れ親しんでいるだけに、若干の違和感がありますね。」
 隣でその愚痴に反応したのはノエリザードと同じ歳のエルフの青年。彼は国王に選ばれたグリンガイア国宮廷魔術師の一人で、名をジスと言う。
 ノエリザードは見送りにのんびりと付いてくるジスに八つ当たるように言葉を続けた。
「後ろのザードはいらねぇ、ノエルだけでいい。」
「……陛下はリザードという響きが好きでノエリザード様と命名された、という逸話を耳にしたことがありますが。」
「だったらなおさらフルネームで呼びやがれ馬鹿親父ぃ! エリザにしたらリザードの前半しかいねぇじゃねぇか!」
 頭を掻き毟るノエリザードを見ながらジスはくつくつと笑う。
 たまに帰還する度大騒ぎを起こしてすぐ迷宮に戻って行くノエリザードに彼はよくこうしてついてくるのだ。歳が近いので親しみやすいのかもしれない、ノエリザードも独り言を言うよりは会話になっていたほうがいいので冷たくあしらう事も無い。
「エリザなんて女みたいじゃねぇか……」
「お似合いですよ? エリザ様。」
「てめぇ……本気で壊すぞ。」
 殺気の篭った視線を軽くいなして、ジスは何かふと思い出したように宙を見上げた。
「名前といえば、先日ノエリザード様が連れ帰った乳児は王妃様がお名前を付けられたんでしたっけ。」
「あぁ、お袋はそういうの好きだからな。確かジリルークだっけか、男だった。」
「愛称はルークになりそうですね。」
「いいなぁ、かっこいい……」
 ノエリザードの深すぎる溜息は軽やかに無視された。
「あの子はこれからどうなるのでしょうね。」
「いつもと同じだろ。赤ん坊は教育しやすいから、王族に忠実に育てるんだろうさ。ロフリスだってそうだしな。」
「ふむ……あ、もう関門ですか。ではノエリザード様、私はこれで。」
「おう、じゃーな。」
 王族は関門を顔パスだ。迷宮国であるグリンガイアは街中も複雑怪奇な造りだが、ここを潜れば先に広がるのは人を迷わせ陥れる為だけにある悪意の建造物。
丁重な礼で見送る見張りの兵士が背後に消えると、彼は美しい長煙管に火を点けた。
「……やっぱ、こっちのほうが落ち着くな。」
 こうしてノエリザードは再び迷宮の中へと帰る。
 なんのことはない、どれだけ馬鹿騒ぎをしようと、どれだけ盛大に血と悲しみを撒き散らしても、これがいつもと変わらぬ日常。
 うっすらと犠牲が香る迷宮に護られたグリンガイアは、今日も平和だ。


最終更新:2007年08月24日 00:06