迷宮管理日誌




  • Side2:ほんの少しだけ

「……助けて」
 か細い声。げっそりとこけた頬。
 ノエリザードが叢を覗きこむと、幼い少年が死にかけていた。
「迷子か?」
 惨たらしい光景に眉一つ動かさず、まるで町の道端で出会ったかのような気軽さでノエリザードが問いかける。
 少年は必死そうに頷いた。よく見ると、少年の影には幼い少女の姿も見える。少女の方は既に意識がまどろんでいるらしく、かなり危険な状態だ。
 兄妹か、友人か。一緒に遊んでいて迷い込んだというところか。モンスターに食い殺されなかったのは幸運としか言いようが無い。
「助けて」
 重ねて呼びかける細く弱々しい声。
「どう助かりたいんだ?」
 逆に奇妙な問いをかけられて、少年は硬直した。
「死にたくないのか? ……この近くに人が住んでいる所がある。俺はそこにお前らを連れて行ける。そこにいけば命は助かる。」
 喜色が浮かびかけた少年に
「ただし。そこにいけば二度と家へは帰れない。」
「え……」
 冷ややかに告げる、あまりにも無情な事実。
「俺はお前たちを家へ連れて行く事はできない。家に帰りたいなら自力でどうにかしろ。」
 今の少年と少女にとって、自力でというのは死と同義だった。
「どう助かりたい?」
「いやだ……死にたくない。」
「じゃあ、帰らないで一緒にくるか?」
「やだ! 家に帰りたい!」
「二つに一つだ。どっちか選べ。」
「嫌だ! 嫌だ! 嫌だぁ!」
 しまいには泣き出してしまった少年を見下ろし、ノエリザードは溜息を一つ吐いた。
「じゃあ俺は知らん。」
 泣き声さえ収めて、少年が驚愕に支配され目を見開く。
「どっちも選ばないなら俺にはどうにも出来ない。じゃあな。」
 そっけなく告げ、ノエリザードは荷車を引いて歩き出した。
 背中を追いかける、悲鳴とも泣き声ともとれる絶叫。

「待って! お願いだから待って! ごめんなさい! 待って! 助けてください! ねぇ、待って! 助けて! 助けてぇ!!」

 けれどノエリザードは
 一度も振り返らなかった。



 ……翌日。ノエリザードは再び行き倒れた子供達の元を訪れた。
 ほのかに香るのは血の匂い。
 藪を覗きこんだノエリザードが見たのは
 腹部がばっくりと開かれて血と内蔵を晒している少女と
 先の尖った石を手にして、その両手と口元を真っ赤に染めた少年だった。
 たった一晩とはいえ、血の匂いで魔物に気づかれなかったのは運が良かったのだろう。
「喰ったのか。」
 ノエリザードの声に、少年はびくりと肩を震わせて振り返る。
「どうする、助かりたいか?」
 だが続いた彼の言葉に、少年はぽかんと首を傾げた。
「……怒らないの?」
「どうして俺が怒るんだ。」
「だって……ころしてたべちゃった」
「俺の知らない奴なんか食われようがどうでもいい。」
 どうする、と問い掛けるノエリザード。
 咎められないと知った少年は、口周りを真っ赤に染めたまま、それはそれは嬉しそうな顔で笑った。
「助かりたい! 僕を連れて行って! 家に帰れなくていい、帰ったら怒られるからもう帰らない! 帰りたくない、助けて!」
「わかった。迷宮は危ないからな、人のいる所にずっといれば安全だ。」
「うん、もう絶対迷路には入らない。だから連れて行って!」

 そしてノエリザードは
 命の恩人であるグリンガイアに限りなく忠実な少年を
 王城へと送り届けた。


――グリンガイア暦357年 甘受の月 10
 破損箇所なし。
 迷宮深度2レベル1南東にて、5,6歳と思しき少年少女二名と遭遇。
 少女は死亡。少年は保護。衰弱が激しく速やかな看護を要する為……一時帰還。


   ~・~・~・~・~


 カプッ
 どこか間抜けにも聞こえる音を立てて、ノエリザードの手に牙が突き刺さった。
「……イテ」
 牙がまだ短い為、骨にまで至っていないのが救いと言えば救いか。とはいえ皮膚と牙の間からはみるみる内に玉のような血が沸き出し赤い線を引いて零れ落ちていく。物珍しげに付いて来ていたバウルイーターの仔が尻尾を振りながら滴り落ちた血を舐めた。
 何の事は無い。自分の不注意が原因だ。
 たまたま近くを通ったから身篭っていたソードラビの様子を見に来たのだ。
 既に仔ラビは生まれており、ようやく生え揃ったばかりの柔らかそうな毛に触れようとしたところ、何もわかっていない仔ラビが好奇心のまま噛み付き、今に至る。
 通称チキンラビと呼ばれるこのモンスターは極めて臆病で、自分より強い者は決して襲わない。現に母ラビは我が子の失態に硬直している。
 だが自分よりも弱い者は死なない程度にいたぶるという極めて卑劣な習性も持ち合わせているのがこのウサギの特徴だ。現に無反応なノエリザードを『怯えている』と解釈したのか、仔ラビの顔には幼いながらもいやらしい笑みの片鱗が垣間見えた。
「……いい気になるなよ、ガキ。」
 低い声で脅して首根っこを抑えると仔ラビの顔から一瞬で笑みが抜け落ちる。
「生まれたてとはいえ、この迷宮に住む以上は誰が一番偉いのか分かってないとなぁ?」
 首の後ろを掴んで目線の高さまで持ち上げると、前歯を赤く染めたラビはすっかり怯えてカタカタと震えていた。見るからに哀れな光景なのだが、一度サディストのスイッチが入ってしまったノエリザードはとまらない。
「丁度いい機会だ、上下関係ってものを体に叩き込んでやる。」
 仔ラビ、絶体絶命。
 あわやスパルタ教育と言う名の虐待にあうかと思われた幼い命は……
「モンスターぎゃくた~~い」
 ふいに聞こえた間の抜けた声によって救われた。手から転げ落ちた仔ラビは一目散に母ラビの元へと逃げ戻る。
 加虐感情の行き場を無くしたノエリザードは凶相を浮かべたまま振り向いた。
「ティスリーク……何しに来た。」
「おぉ、恐い。イイ男がそんな顔するもんじゃないよ。……それに」
 目線の先に大仰に肩を竦めて見せる男。色素が黒っぽい屈強な体に、帽子を脱げばこめかみから天へと伸びる角……まだ若い牛の獣人。
「俺が商売以外でこの国に来た事あったか?」
 バウルイーターに囲まれ威嚇されていながらもからからと笑う彼は、あからさまに浮いていた。



 グリンガイア国は周囲をぐるりと広大な迷宮が囲んでいる。
 人を迷わせる事が目的の迷宮だが、迷わせて餓死させることが目的ではない。迷わせて人や食料に飢えさせ、それらの為に財産等を全て投げ打っても構わないと思える心理状態にさせるのが目的だ。
 そうして迷いに迷った人々は迷路の所々に設けられた関門と居住区の入口で、人恋しさと飢餓感から躊躇い無く、あまりにも高額な通行料を支払い二度と出られないグリンガイア国に入り下級民となる。それがこの国のあまりにも極端な自衛手段なのだった。
 外から来た者達が通行料として差し出す物資は外の世界の情報や技術を知る為に重要であるため、迷い人は生かさず殺さずの状態が望ましい。だからこの迷宮には命を脅かす魔物もいれば、命を救う実のなる樹木や井戸が設置されている。
 そんな理由で作られてあるまるで休憩所のような井戸のある小さな広場に、荷物満載の荷車が二台と二人の男がいた。

「なんだこれ。」
「とある国の新作。まぁ吸ってみろって。」
 手にした長煙管の中身を捨てて、ノエリザードはティスリークに渡された葉を代わりに詰めた。続いて差し出されるマッチを断り
「――レッド」
 詠唱もいらない簡単な魔法で火をつける。
 細工の美しい煙管を加えて、ゆっくり、深く息を吸い込んだ。肺に流れる煙。官能的な味わいが深く脳に浸透して……盛大にむせかえった。
「あっま!? まっず!! なんだこれ!」
「なんだあわなかったか。」
「甘すぎるだろ……誰が吸うんだこんなもん?」
「聞いたら怒るぞ。」
「あ?」
「今話題の新作バニラ風味。巷で女性に大人気!」
 ノエリザードの顔が引きつった。
「……なんとなく読めたぞ。俺が気に入ったらなんて言うつもりだった?」
「『さっすが女の子らしいのね、エリザちゃん!』」
 満面の笑みで言い放つティスリークを放置してノエリザードは立ち上がり、長煙管の中身を捨てながら自分の荷車に歩みよる。取り出したのは、鋼鉄製の巨大な戦闘用金鎚。
「……砕火に告ぐ、我が名はノエリザード、爆ぜる一撃を欲する者なり―――ブロウアップ!」
「おいおい仮にも宮廷魔術師に並べる英才教育受けた王子様がこんな一般人相手に魔法まで使うなって。ハンマーをしまえ、ハンマーを。」
「やかましい! その万年ヘラヘラ笑いっぱなしの面、ぶち砕いてやる!」
 呼吸一喝。鋭く距離を詰めたノエリザードの振るう鎚が一瞬前までティスリークのいた場所を粉砕した。
 爆ぜる石と土。衝撃波と共に灼熱を宿す炎の欠片が散る花弁のように舞い踊る。
「笑顔は商売の基本だよ、エリザちゃん? いやしかし、若者は元気がよくていいねぇ。」
「同い年だろうが!」
「精神年齢の話しだよ。それにしても……」
 力強く、ぐるりと回す鎚に煌く魔法の炎。ティスリークの瞳は、ノエリザードと会話をしながらもその炎から離れない。
「そんな赤い色見せられたら……」
 荒くなる呼吸。血が脈打てど、黒のかかった姿なので肌の紅潮は分からない。徐々に様子がおかしくなっていくティスリークも自分の荷車から三つ又の槍を引き抜いた。
「俺も我慢できないよ!」
 荒ぶる本能。体を流れる獣の血が疼く。
 猛る雄牛が振るう槍と、怒れる管理人の振るう鎚が激しく衝突した。


   ~・~・~・~・~


「……紅茶に波紋が。」
「大方、エリザが暴れてるんだろ。」
「あの馬鹿息子……!!」


   ~・~・~・~・~


「そういえば城の方でお前に対する課税を少し緩和するかどうか議論してたな。この国に出入りできる根性のある唯一の商人だから大事にしてみるか、とかなんとか。」
「へぇ、それは嬉しいね。」
「でもたぶん実現しないけどな。この国に出入りできる根性のある唯一の商人だから搾り取れる所まで絞りとろう、とかなんとか。」
「それは嬉しくないな。……ところでノエリザード。」
「何だ。」
「そろそろ解いてくれよ。」
「却下。」
 自分で壊した迷宮を修復するノエリザードの後ろで、あちこちに打撲を負ったティスリークが縄でぐるぐる巻きにされて横たわっていた。
「ちょっとしたじゃれ合いじゃないか。いつものことだろ?」
「あぁ、そうだな。そうやってぐるぐる巻きにされるのもいつものことだろ。……石材はっと。」
「ノエリザードの圧勝だったんだからスッキリしたろ?」
「地面の穴には木でも植えるか。」
「初撃をかわしきれるようになっただけ、俺も成長したじゃん。それに免じて、さ。」
「次に帰ったら釘の補充しねぇとなぁ。」
「さっきのバニラ煙草、タダにしてやるから。」
「あれ有料かよ!?」
「さっきの量で10ラーデ。」
「高ぇよ!」
「原価は50セディ。」
「ぼったくりじゃねぇか!」
「課税が多すぎて儲けがほとんど無い俺の身にもなってくれ。これだけ手間賃とってかつかつなんだぜ。」
「だからってさっきのは詐欺まがいの押し売りだろうが。」
 散々言い合ってから、ノエリザードは再び止まっていた手を動かした。ティスリークはそのままで。しかしそこは手馴れたもので、作業速度をまったく変えずにノエリザードは再び口を開く。
「全然儲からないならグリンガイアにこなきゃいいじゃねぇか。」
「いや、そこはほら。俺のこだわりが許さないっていうか。」
 ノエリザードの手がぴくりと止まった。
「どんなこだわりだ。」
「こだわりっていうか、夢だな。俺は見た事無い物を見て感動してる人の顔を見るのが一番好きなんだ。だから世界中の珍品を仕入れて世界中の人に売って周るんだ。グリンガイアだって例外じゃない。」
 どことなく熱く語ったティスリーク。ノエリザードはしばし手を止めて聞き入っていたが、やがて立ち上がり横たわるティスリークに近づいて呆れた顔で見下ろした。
「無謀な目標だな。死ぬぞ。」
「志半ばだったなら無念は残るかもしれないけど、悔いは無いだろ。」
「馬鹿じゃねぇの。……でもまぁ」
 呟きながら、小型ナイフで戒めている縄を切った。
「気持ちは分からなくも無い。」
 切るだけで放置したノエリザードは再び修復作業に戻る。うにょうにょと芋虫のように蠢いて器用に縄から脱出したティスリークは縄のせいで皺のよった服を軽く叩きながらその場に座った。
「分からなくも無いってことは、エリザも何か目標があるのか?」
「エリザって呼ぶな。」
「教えろよ。俺だけってのは不公平だろ。」
「聞いたら怒るぞ。」
「え?」
「俺の夢はな……」
 一度言葉を区切ると、ノエリザードは硬く握り締めた拳を天高く掲げ
「この迷宮を誰も居住区まで辿り着けず行き倒れて死ぬくらい難解な物に仕上げる事だぁ!!」
 吼えた。
 だぁ~……だぁ~……だぁ~……と晴れ渡った空に響く彼の山彦。
 直後、穏やかに聞こえてきた鳥のさえずりを聞きながら、ティスリークは思った。あぁ、ここ最近迷路の難易度が上がったのはこいつのせいだったのか、と。
そしてやや引きつった笑顔でノエリザードの肩に手を置くティスリーク。
「やめてくれないか?」
「却下。」
「そこをなんとか」
「駄目だ。」
「俺を殺す気か?」
「お前が死んだ時、俺の夢は半ば達成される。」
「国王陛下に言うぞ。」
「それはやめろ……!」
 このように時折やってくる商人との一日は過ぎていく。
 なんのことはない、どれだけ激しくじゃれあおうとも、これがノエリザード流の人付き合いなのだ。
 多少商人の未来が暗くなったが、さらに深くなる迷宮に護られたグリンガイアは、今日も平和だ。




最終更新:2007年08月24日 00:06