帝国主力艦隊ヘイムダル
[解説]
アルカディア帝国が誇る、陸上戦艦を中核とした陸上艦による艦隊。
正式な設立は聖華暦500年代後期。
だがそれ以前から、帝国では機兵部隊をも凌駕する強大な移動要塞として、数多の陸上戦艦が運用されていた。
500年代後期の主力艦隊結成は、それを追認しただけとも言える。
正式な設立は聖華暦500年代後期。
だがそれ以前から、帝国では機兵部隊をも凌駕する強大な移動要塞として、数多の陸上戦艦が運用されていた。
500年代後期の主力艦隊結成は、それを追認しただけとも言える。
聖華暦830年現在、ヘイムダルを構成する艦隊はヘイムダルⅠ~ヘイムダルⅦの7個艦隊存在しているが、設立当初はヘイムダルⅠ・エインヘリアル、ヘイムダルⅡ・グリンブルスティ、ヘイムダルⅢ・ヘルヴォルフの3個艦隊であった。
当時の艦は履帯式の鈍重だが圧倒的な火力がある、重武装重装甲の物であった。
当時の艦は履帯式の鈍重だが圧倒的な火力がある、重武装重装甲の物であった。
そして聖華暦580年。
アルカディア帝国は堂々たる威容を誇るこの3個艦隊をもって、自信満々にカーライル王朝・聖王国軍に艦隊戦を挑んだ。
これがラマー平原の戦いである。
戦闘前の予想では、帝国軍艦隊の圧倒的優勢であった。
しかし結果は、帝国側艦隊の壊滅、聖王国側艦隊の1隻損失という、聖王国の圧倒的勝利だった。
聖王国は、ホバー駆動による圧倒的高機動力の艦船により、帝国艦隊を殲滅したのである。
アルカディア帝国は堂々たる威容を誇るこの3個艦隊をもって、自信満々にカーライル王朝・聖王国軍に艦隊戦を挑んだ。
これがラマー平原の戦いである。
戦闘前の予想では、帝国軍艦隊の圧倒的優勢であった。
しかし結果は、帝国側艦隊の壊滅、聖王国側艦隊の1隻損失という、聖王国の圧倒的勝利だった。
聖王国は、ホバー駆動による圧倒的高機動力の艦船により、帝国艦隊を殲滅したのである。
帝国はその後、自軍艦艇にもホバー艦を積極的に取り入れる。
更にはその艦艇にバーニアによって高機動力を得た第五世代機兵を搭載し、艦艇はそれの戦場輸送と支援に集中させるという新たなドクトリンを考案。
聖華暦610年の第三次聖帝戦争ではルウアンの戦いにて、聖王国艦隊を逆に壊滅に追いやり、ラマー平原の戦いの雪辱を果たした。
更にはその艦艇にバーニアによって高機動力を得た第五世代機兵を搭載し、艦艇はそれの戦場輸送と支援に集中させるという新たなドクトリンを考案。
聖華暦610年の第三次聖帝戦争ではルウアンの戦いにて、聖王国艦隊を逆に壊滅に追いやり、ラマー平原の戦いの雪辱を果たした。
このとき帝国軍の艦隊は、ヘイムダルⅠ・エインヘリアルとヘイムダルⅡ・グリンブルスティはなんとか定数を充足していた。
しかしヘイムダルⅢ・ヘルヴォルフは艦数が定数割れどころか、なんとか半個艦隊に足る程度と言うところであった。
しかし第三次聖帝戦争末期には、第4艦隊であるヘイムダルⅣ・ナーストレンドが結成されている。
しかしヘイムダルⅢ・ヘルヴォルフは艦数が定数割れどころか、なんとか半個艦隊に足る程度と言うところであった。
しかし第三次聖帝戦争末期には、第4艦隊であるヘイムダルⅣ・ナーストレンドが結成されている。
帝国主力艦隊ヘイムダル7個艦隊のうち、第1艦隊であるヘイムダルⅠ・エインヘリアルは特別な艦隊である。
この艦隊は皇帝の直接の麾下に有る艦隊で、皇帝に指名された人間が司令官職に就く事になっているのだ。
ごくまれに1~2度だけ、武断派の皇帝が自身で司令官として指揮を執った事もあるが、過去の例ではさして大きな戦果は得られなかった模様。
今代の皇帝ジークハルト・フォン・ユーゼス・アルカディアは自身で指揮を執るのかどうかが、帝国内外から注視されている。
この艦隊は皇帝の直接の麾下に有る艦隊で、皇帝に指名された人間が司令官職に就く事になっているのだ。
ごくまれに1~2度だけ、武断派の皇帝が自身で司令官として指揮を執った事もあるが、過去の例ではさして大きな戦果は得られなかった模様。
今代の皇帝ジークハルト・フォン・ユーゼス・アルカディアは自身で指揮を執るのかどうかが、帝国内外から注視されている。
その他の艦隊は、将官以上の高級軍人もしくは暗黒騎士が艦隊司令になる。
ただし暗黒騎士の司令官就任はあくまで例外的なものである。
帝国軍の長い歴史を遡って見ても、暗黒騎士が司令官職に就いた事は数えるほどしか存在しない上に、任務の都合上司令官になった暗黒騎士なども、任務終了と同時にその地位を返上するのが通例である。
ただし暗黒騎士の司令官就任はあくまで例外的なものである。
帝国軍の長い歴史を遡って見ても、暗黒騎士が司令官職に就いた事は数えるほどしか存在しない上に、任務の都合上司令官になった暗黒騎士なども、任務終了と同時にその地位を返上するのが通例である。
ちなみに聖華暦580年代のラマー平原の戦いにおいては、当時の皇帝の面子に泥を塗ったと言う事で、なんとか生きて帰還してきたヘイムダルⅠ司令官は申し開きも許されず、処断されたと言う記録が残っている。
ヘイムダルⅡ、Ⅲの司令官は各艦隊旗艦と運命を共にして戦死しており、その事からもヘイムダルⅠ司令官を赦免するわけにはいかなかったのだ、と言われている。
彼は当時の皇帝の、お気に入りの人物であったらしいのだが。
ヘイムダルⅡ、Ⅲの司令官は各艦隊旗艦と運命を共にして戦死しており、その事からもヘイムダルⅠ司令官を赦免するわけにはいかなかったのだ、と言われている。
彼は当時の皇帝の、お気に入りの人物であったらしいのだが。