三笠(戦艦)

登録日:2012/02/04(土) 16:34:24
更新日:2023/12/13 Wed 11:40:43
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艦長……取り舵、一杯に!





三笠とは、大日本帝国の旗艦を務めた戦艦である。「敷島型戦艦」の4番艦で、同型艦に敷島、初瀬、朝日が存在する。
なお、本艦は国産の戦艦ではなくイギリスに発注して建造してもらったもの。つまり英国産である。


発注:1898年9月26日 ヴィッカース社(イギリス
起工:1899年1月24日 バロー・イン・ファーネス造船所
進水:1900年11月8日
就役:1902年3月1日

性能諸元
排水量 15,140トン(常備)
全長 131.7m
全幅 23.2m
吃水 8.3m
機関 15,000馬力
最大速度 18ノット
航続距離 10ノットで7,000海里(約13,000km)
乗員 860名
装甲 KC(クルップ)鋼
舷側:9インチ(229mm)
甲板:3インチ(76mm)
兵装 主砲 40口径30.5センチ連装砲2基4門
副砲 40口径15.2センチ単装砲14門
対水雷艇砲 40口径7.6センチ単装砲20門
47ミリ単装砲16基
魚雷発射管 45センチ発射管4門



誕生

日清戦争が集結した後、三国干渉で臥薪嘗胆ムードが高まっていた中、ロシア帝国に対抗するために日本海軍は軍拡をすすめていた。
その第一歩である『六六艦隊計画』(戦艦を6隻、装甲巡洋艦を6隻配備する計画)の一環として三笠は建造が決定したのである。
しかし、当時の日本海軍はその実現にかかる資金が不足していた。
そして計画発案者の山本権兵衛は協力者の西郷従道とこんな会話をしたとされている…





「山本さん、それは是非とも(軍艦を)買わねばなりません。

予算を流用するのです。勿論違憲です。議会で違憲を追及されたら二重橋で腹を切りましょう。

2人が死んでも軍艦が出来れば本望じゃないですか」


何やら悪いことをしているようにも見えるが、すげぇ覚悟である...
ともかくこの2人のおかげで三笠は建造が決定した。
そして1903年(明治36年)12月28日、三笠は晴れて連合艦隊旗艦となる。


1904年(明治37年)2月6日から日露戦争に加わり、2月9日からの旅順口攻撃や旅順口閉塞作戦に参加し、
8月10日には日露両軍の主力戦艦が激突した黄海海戦では敵旗艦ツェザレーウィチの司令塔に被弾させるという戦果を残し勝利。
その後修理の後、連合艦隊と共に朝鮮半島の鎮海湾に待機していた。


そして日本海海戦。
「敵艦見ユ」の報告を受けた本艦は日本海を制せんとするバルチック艦隊を迎え討つべく第一、第二戦隊を率いて出撃。
その際、後に有名となる電報を大本営に打電している。

「敵艦見ユトノ警報二接シ、連合艦隊ハ直二出撃シ之を撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ波高シ

と。

そしてバルチック艦隊と相対。
「皇国ノ興廃、此ノ一戦二アリ。各員一層奮励努力セヨ」

という意味を込めたZ旗を掲げる。そして三笠は東郷提督の司令下、海軍史上前代未聞の異様な陣形を命じられることとなる...



伊地知彦次郎大佐(三笠艦長)「距離、8000になりました」
「どちらの側で戦をなさるおつもりですか?」


東郷司令長官は返事の代わりに右手を高々と上げ、それを大きく左へと振り下ろした...
そして、それを見た秋山真之参謀と連合艦隊参謀長である加藤友三郎少将は目を合わせ頷きあう。次の瞬間加藤参謀長の甲高い声が発せられた。


加藤参謀長「艦長、取舵 一杯に!


伊地次艦長「え、取り舵になさるのですか?」


加藤参謀長「左様、取り舵だ。」






この命より三笠は15ノットへと増速、敵艦隊の射程内で左へと大きく舵を取り始めた。丁字戦法の始まりである。

通常、この時代の戦艦には前後に主砲が、側面には多数の速射砲が備わっている。丁字戦法とは自らの艦が敵艦の頭を抑えるように横切る陣形を取り、
通常には同時に使用できない前後の主砲と側面の速射砲による圧倒的な手数により攻撃するというものである。
当然相手は前方の主砲しか使えなくなるので、敵から見て倍の力で攻めることができるのだ。

しかし、それには自らの艦の側面を相手に見せる必要がある。
更には三笠麾下の第一戦隊は全速力で航行しており、角度的にとても砲撃などできる状況ではない...
つまり完全に回頭を終了するまでの約十数分間、相手に無防備な体を晒してしまうこととなるのだ。

当然、バルチック艦隊の各艦は無防備な三笠に向けて一斉に火を吹いた。たちまち何十発もの砲弾に包まれる三笠。
しかし多少の被害はあったものの三笠は無事に回頭を終了、その直後全艦隊に砲撃を告げる第一発をバルチック艦体に向けて放つ。


多少の誤りはあったものの、本海戦で三笠は第一戦隊と共に獅子奮迅の実力を発揮。
日本側は損失が水雷艇三隻なのに対し、ロシア側は投入した40隻以上の艦艇の大半を失うという大勝利を収めるのである。



この大勝利にはイギリスやアメリカの援助や大砲の火薬の違い、相手側の度重なる不幸など様々な要因が重なりあっていたこともあるが、
本艦を含む聯合艦隊が果たした役割は大きい。
もしこの海戦に負けていたら本国から中国戦線への補給線が絶たれただけでなく、
その後の樺太戦等に繋がらずロシア皇帝ニコライ2世が講和を決断しなかった可能性もある。

もしこのまま戦線が膠着していた場合、物資不足の陸軍がロシア陸軍の大反撃を受けて後退し中国の勢力図ががらりと変わっていたかもしれなかったのだから…

いずれにせよ本艦は艦隊司令として十二分に力を発揮したことは紛れもない真実だろう。
本艦は東郷司令長官と共に、世界の海軍の歴史に深く刻まれることとなったのだ。




しかし、ここからが三笠の不幸の幕開けでもある
その後は港で

爆発事故を起こして沈没したり


作戦行動中に座礁したり





悲惨な目にあっているものの、運は彼女を見放さなかった。
国民の圧倒的支持により記念艦として保存されることとなった。戦艦においてこの上ない栄誉を授かったのである…

…と思ったら第二次世界大戦後、過去の憂さ晴らしなのかソ連の某海軍大臣が沈めろと勧告してきたり、怪しげな業者に売却されて



米軍人向けのキャバクラにされた挙げ句施設や主砲を滅茶苦茶にされたり
いろいろ大変であった。三笠ェ…(改装はGHQによる撤去命令対策だったとも言われている)
とはいえ東郷さんの大ファンだった当時の米軍の海軍提督ニミッツさんが著書でその惨状を訴え、全面協力して下さったお蔭で再び三笠は復活した。

ニミッツさんマジ天使o(^ω^)o

倒されても倒されても起き上がるその姿はまさに日本の根性を現していると言いきれるだろう。




そして今も皇居を見据えたまま横須賀港に悠然とした姿を讃えている。気になった人は是非見に行って欲しい。
というか行ってくださいお願いします
┌( ┐^ω^)┐

アズールレーン』では登場勢力の一つ「重桜」のキャラとして、羊角軍服美女に擬人化された三笠が登場。重桜内では大ベテランとして他のキャラから慕われているが生まれた時代が古いので対空兵装が装備不可能だったりIT系に疎かったり

艦隊これくしょん -艦これ-』には三笠自体は2023年時点で未登場だが、2023年8月には三笠の姉艦で「敷島」共々太平洋戦争時も練習特務艦として使用されていた「朝日」が艦これ史上最古参艦娘として登場。

また、漫画『進撃の巨人』のメインヒロインミカサ・アッカーマンの由来も戦艦の三笠とされており、彼女も三笠の様に最後まで生き延びるが、その戦いの終わりに待ち構えていたのは…。

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最終更新:2023年12月13日 11:40