英蘭戦争

登録日:2012/03/14(水) 12:14:28
更新日:2024/01/12 Fri 12:49:46
所要時間:約 4 分で読めます




英蘭戦争とは、17世紀後半の3次にわたるイングランド(以下英国)とオランダの間に起こった戦争

海戦が中心だったので、互いに本土へ上陸することもなく決定打が見いだせず、何となく中途半端に終わった。

しかしこの一連の戦争でお金を遣い過ぎたオランダはその後国力が疲弊し、大国の一線から退くことになる。


当初、英国とオランダはスペイン・ポルトガル勢力に対し協力関係にあった。

だが、英国はオランダが東インドに置いてる会社に業績で遅れをとったり、
鎖国という名のニートを始めた日本唯一の欧州のお友達オランダに対し出島での営業不振から一旦撤退→
再び出店しようとするも江戸幕府から拒絶されたり等、様々な事態が重なる。

その結果、英国は東アジア、東南アジアから撤退せざるをえなくなってしまった。

この時点でイライラマキシマムな英国。

またこれとは別で先にスペインとガチンコやらかし結果勝利したオランダだったが、
お金遣い過ぎておかげで国がボンビー

金稼がな!

独占状態である東アジアの香料を安く買いたたく!!

そしてそれを欧州で高く売り上げる!!

利益ウマー!!

欧州学級委員長:英「自重しろ!」

ヤンキー生徒:蘭「だが断る!!」

『よろしい、ならば戦争だ』

かくして三度にわたる英蘭戦争の火ぶたが切って落とされた。


【第一次英蘭戦争(1652~1654年)】
東アジアから香料や金を満載したオランダ船団に目をつけた英国がイギリス海峡にて襲撃、拿捕しまくる。

これにキレたオランダ。貿易で経済が成り立っていたので、アジアの富が国に来ないと結構ピンチに。

イギリス海峡の制海権を押さえたらおk!よし!てっとり早く戦争だ!!

スペインの大型軍艦に勝利し続け鼻が高くなっていたオランダはいつもの小型軍艦で戦争に臨む。それに対し英国は装備の行き届いた大型軍艦で迎え撃つ。

この結果、装備を上回っていた英国が優位に進み、
オランダはイギリス海峡の制海権を失い自国へ帰る際もスコットランドを大きく迂回して帰らなければならなくなってしまった。


【第二次英蘭戦争(1665~1667年)】
英国軍が北アメリカにおけるオランダ植民地ニューアムステルダムを占領したことがきっかけ。
今回も英国は海上封鎖したりオランダ船団拿捕したりして嫌がらせしようとしたが、国の財政難で失敗。

しかもこの戦争が始まると英国内で疫病の大流行&ロンドン大火のWコンボを勝手にひとり喰らう始末。

更に戦争用に用意していた軍艦はオランダに焼き討ちにされたり拿捕されたり散々な目に遭い、あれよあれよという間に敗北が決定的に。

オワタと天を仰いだ英国だったが、ここで事態が急変する。

なんとオランダがあのフランスと戦争(ネーデルラント継承戦争)を始めるというのだ。オランダ的には大国に勝つ為の強力な味方が欲しいところ。

そしてそんなオランダのすぐ側には、フランスは常に俺のサンドバッグという概念の持ち主の英国。

ここに二ヵ国の利害一致が成立、負けていたはずの英国側へ大幅に譲歩する形でオランダは講和を結び、一旦休戦することに。


【第三次英蘭戦争(1672~1674年)】
フランスから仕掛けたオランダ侵入戦争に英国がフランスへ協力する形で始まる。

当初オランダと英国は手を組みフランスを撃退する予定だったがフランス王ルイ14世が送り込んだ女性に英国王チャールズ2世がメロメロパンチ!

英「フランスの味方になるよ!」

蘭「なん…だと…!?」
仏「計画通り」

普段仲悪くても悪知恵働かせタッグを組むと殆ど無双状態の仏英コンビに危機的状況に追い込まれるオランダ。

何とか首都アルステルダムの侵攻だけは防いだが、国土の殆どが仏軍に占領されてしまっている状況は変わらない。

そんな時、ある意味フランスの宿敵がオランダの味方についた。

墺「フランスばかりいい思いはさせない」

西「オランダは元々俺の子!」

その結果仏軍を包囲、撤退させることに成功する。
この戦争の間にも英国内では親仏路線はどうかと思う的声が高まり、チャールズ2世の妹をオランダ側へ嫁がせることでオランダと同盟を結ぶことになった。





追記・修正お願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 歴史
  • 戦争
  • 英蘭戦争
  • イングランド
  • オランダ
  • イギリス
  • 英国
  • 世界史

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年01月12日 12:49