ジュリアナ東京

登録日:2009/07/10(金) 12:35:45
更新日:2024/01/10 Wed 22:12:40
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“JULIANA's TOKYO BRITISH DISCOTHEQUE in 芝浦”

ジュリアナ東京とは、1992年~1996年に東京都港区芝浦に存在したディスコである。

よくバブル特集などを取り上げた番組に「バブルを象徴するもの」のうちの一つとして当時の映像が流れることがある……が、実際は既にバブルが弾けた後で、人々が不景気の波をバブルの影響で感じづらかったこともあり混合されることが多い。


概要


「普通のOLが上品な夜を過ごせるディスコ」というコンセプトでオープン。
高級すぎて入りづらかったマハラジャ等に比べ敷居が低く、存在自体も客に夢を魅せるもので、瞬く間に爆発的ヒットを記録し、日本のテクノブームをさらに押し上げるようになった。

すでに衰退しかけていた各地のディスコはジュリアナの煽りと再ブーム到来を受けて活発化し、ポスト・バブル期における一大娯楽に発展する。

特有の羽つき扇子はジュリ扇と呼ばれ、元はVIPルームの顧客に配られていたものだが、やがてそれを主に八の字に振り回しながら足を少し揃え気味にして腰の捻りを加えて踊るスタイルが主流となった
ステージ両脇に設置されたお立ち台(後に「クリスタルステージ」と呼ばれるようになった)に立ち、客がパンツを覗くのもまた一つのロマンだった……らしい。

そこで踊る女性は、体にぴちっとフィットしたボディコン・スーツを着用しワンレンヘアで髪をまとめ、靴はハイヒール手にはジュリ扇、という格好がお約束だった。
なお絶頂期には非常に露出の多いボディコン(横腹、太もも横などに大きな穴があいたものなど)も珍しくなかったとか。


音楽について


当初はオールジャンル傾向にあったが、T-99の『ANASTHASIA』が受けたことにより、レイブサウンド、ハードコア・テクノが主流となる。
芸人のにしおかすみこがOPに使用している曲『CAN'T UNDO THIS!』もまたジュリアナでよく流されていた。
聞いてみると案外どこかで聞き覚えのある曲も多い。

やがてハイパーテクノなどユーロビート調に傾いた曲も多く出るようになり、非常にバリエーション豊かだったと言える。

なおジュリアナでもよくかかった『TWILIGHT ZONE』は『ダンス・ダンス・レボリューション』*1に収録されている。


余談


クレヨンしんちゃん』には、しんのすけに住んでいるところを訊ねられたまつざか先生が「マンションジュリアナよ!」と答える場面がある。
なお、これはまつざか先生が安アパート暮らしであることを知られまいと咄嗟についたウソだったが、次のコマでは何故か目の前にまさしくマンションジュリアナが本当にあったのだった。


追記・修正はお立ち台にあがってジュリ扇を振り回しながらお願いします。


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最終更新:2024年01月10日 22:12

*1 『DDRMAX』・現在の『X2』では削除。