淡路交通(鉄道)

登録日:2012/10/13(土) 00:54:11
更新日:2023/06/26 Mon 20:24:37
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淡路交通とは、兵庫県の淡路島を中心に路線バスや高速バス、貸し切りバスを運営している会社である。
また、不動産営業で業績を上げているのが特徴である。

しかしそれ以外に、昭和後期まで淡路島の中で鉄道を運営していた事でも知られている。
この項目ではそちらを取り上げる。


概要

瀬戸内海最大の島であり、近畿と四国の間に位置する淡路島では、明治時代から鉄道を建設しようとする動きが始まっていた。
1912年の時点で免許は得ていたのだが、物価高や資金難の影響で工事が遅れてしまい、
最初の路線が完成したのが1922年、全線が開通するのは1925年まで待つ事となった。

路線は淡路島の南側を東西に横断しており、それぞれの出発地点は港と接続していた。

開業当初は淡路鉄道と名乗っていたが、戦時中の1942年に国の命令によるバス会社との合併を機に現在の「淡路交通」となった。

戦前から気動車を積極的に取り入れ、戦後の燃料不足などによって電化した後も最新型の駆動方式を取り入れるなど近代化を推し進めていた。
しかし、それでも戦後進んだ道路事情の改善やそれに伴うバス路線の発達に苦戦を強いられた。
特に淡路交通の場合、鉄道とバス両方を運営していた事が決定打となった。
大型化や高性能化が進んだバスだけでも十分淡路島の公共交通は賄えるようになってしまったのである。
そして1966年10月に、淡路島から鉄道路線は消滅した。

当時の線路跡は急速に消えているが、かつてのターミナル駅である洲本駅は廃線後もバスターミナルとして利用され、輸送の拠点となっていた。
バスターミナルは2020年に洲本バスセンターに移転したが、現在も近くのガソリンスタンドが「洲本駅前」を名乗りかつての面影を伝えている。

島の鉄道の後を継ぎ、淡路交通のバスは今日も走り続けている。


車両

開業時は当然ながら蒸気機関車が使用されていた。
戦後もしばらくの間は貨物列車用として一部が残っていたようである。

その後、1931年に気動車を3両投入、以後も導入を行い最終的には6両となる。
しかし、戦時中や戦後初期は燃料であったガソリン不足や価格高騰に伴い、ガスを燃料として代わりに用いる事態となっていた。
石炭にもそのような事態が訪れたのを機に、1948年に電化が完成。
その後は積極的に電車を各地から導入している。
主に南海や阪神からの移籍車両が多かったが、それ以外にも前述の気動車の一部を電車に改造している。

廃止後は一部が本州の鉄道へ移籍したもののすぐに廃車されてしまい、残念ながら保存車両もない。
なお、博物館明治村に保存展示されている12号機関車・蒸気動車キハ6401*1に装備されている鎖式連結器は、同線の廃車車両から譲り受けたものを使用している。

○主な電車
  • モハニ2007(⇒モハ2007)
気動車として登場した後、1948年の電化時に電車として生まれ変わる。
その後、1956年に走行機器の改造が行われ、モーター駆動の最新方式である「直角カルダン」方式が導入された。
元はアメリカの高速路面電車で広く使われたシステムで、日本でも本形式のほか私鉄の初期高性能車両や相模鉄道の車両で見る事が出来、現在もモノレールや新交通システムで使用例がある。

  • モハニ2008(⇒モハ2008)
同じく元は気動車として登場したが、電化を機に電車に生まれ変わった。
その後1954年にモーター駆動方式を「垂直カルダン」と呼ばれるものに改造している。
なんと当時の運輸省から最新技術の補助金を得たものだった。
ちなみにこちらは日本独自の駆動方式である。
ただ残念ながら前述の「直角カルダン」方式が各地で見られるとなった一方でこちらは僅かな例しか採用されず、淡路交通でも結局この1両のみとなってしまった。

  • モハ609・モハ610
木造電車を置き換えるために、対岸の本州を走る阪神電気鉄道から移籍した電車。
2両編成で活躍した。
当初は別の番号で登場する予定だったのだが、既に「609」「610」という番号が車体に丁寧に釘で固定されている事が判明。
取ってしまうのもあれなので、そのままの番号で活躍したという。

  • モニ500
蒸気機関車に代わって貨物輸送用に投入された車両。
元は国鉄の事業用車だった。
現在のスーパーレールカーゴのように貨物を搭載する事が出来る電動貨車だが、こちらは荷台部分に屋根が無いのが特徴。
貨物列車以外にも保線作業用として活躍していた。


余談

この路線と同じように、日本における「島」を走っていた地方鉄道は、他にも沖縄本島がある。
戦前は沖縄には蒸気機関車の路線や馬車鉄道、さらには路面電車まで運用していたのだ。
しかし、その後のバスの発達や激化する戦争により鉄道は壊滅に追いやられてしまっている。

それ以外にも樺太や台湾などの例もあるが、戦後はそれぞれ日本領で無くなったのはご存じの通り。
そのため、「島」を走る地方鉄道は、戦後はこの淡路交通の鉄道線のみとなった…

…とは言うものの、二本のレールを用いた「普通鉄道」以外となると、小豆島のロープウェイが1963年から運行が続き、
21世紀には沖縄県に沖縄都市モノレールが登場している。
また、こういった地方鉄道ではないものも見ると、佐渡島の鉱山鉄道、南大東島のサトウキビ輸送列車が1980年代まで運行され、
長崎県の島には21世紀まで炭鉱用の鉄道が存在していた。
今も熊本県の天草諸島に、手押しのトロッコを用いた石材輸送用の鉄道が残っている。

ただ、いわゆるローカル私鉄の雰囲気を残したまま運転されていたものとなると、淡路交通の鉄道線が唯一であろう。




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最終更新:2023年06月26日 20:24

*1 こちらはリニア・鉄道館に移設。