登録日:2014/01/24 Fri 14:21:21
更新日:2025/04/02 Wed 15:57:40
所要時間:約 6 分で読める必要ないですよね。
「その先は言う必要ないですよね」とは、とある企業の人事担当により生み出された迷言である。
2011年3月11日、
東日本をマグニチュード9.0の大地震が襲った。
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)である。
日本中が未曽有の大混乱に見舞われ、様々な情報が錯綜する中、
一部の著名人や
企業などが不適切な発言を行い、槍玉に挙がる不祥事が多発した。
「その先は言う必要ないですよね」もそのひとつで、とある企業(以下α社)の人事担当者(以下β)が、新卒者宛に送ったメールの文言である。
当時α社はβ氏を含めた3名が新卒採用活動を行っていた。
■事件の経過
説明会の予約を開始。
この説明会は先着制で、しかも予約開始時間が曖昧だったため、参加希望者の中には予約を取れなかった者もいた。
この時、α社は予約ができた学生のみにエントリーシートを事前配布する。
エントリーした学生らに対し、意味のない安否確認のメールを一斉配信。
回線を混雑させ、被災者の安否確認を妨害。
問題となる「被害の報告及び学生への連絡メール(後述)」を配信。
このメールで、事前予約ができなかった学生にエントリーシートを配布するが、締切を
2日後の3月15日(消印有効)に定める。
被災者の状況を考えていないとしか思えない期限設定と上から目線のメール内容に激怒した一部の就活生の手により、問題のメールが
2ちゃんねるに晒され炎上。
まとめサイトにも取り上げられ、α社に抗議が殺到。
公式ホームページにて、ゼネラルマネージャーの名で謝罪文を掲載。
就活生にも謝罪メールが配信され、エントリーシートの締切も見送られる。
これにより、炎上は急激に沈静化。
■メールの内容
こんにちは、α社のβです。
改めて地震の方は大丈夫でしたか?
このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います。
直接的な力にはなれないですが、私自身、都内から自宅のある埼玉まで徒歩で8時間かけて帰宅して、
実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。
さて、先日は咄嗟のメールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。
会社は大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。
本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。 こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。
ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。
書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。
直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
会場で通り一遍等の説明・指示はします。
その指示が難しい場合は・・・その先は言う必要ないですよね。 自分で考えてみてください。
皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。
全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています。
■問題点
「無意味な安否確認のメール」も批判対象とはなったが、これだけならさほどのダメージにはならなかったと思われる。
東日本大震災クラスの未曽有の大災害は、電子メールの普及後には起きていないため、α社に限らずどこも対応は手探り感が強かった。
内容も被災者を気遣う言葉も入っており、送るべきでないことをβ氏が知らなかったとしても同情の余地がなくはない。
しかし、このメールに関してはそれとはわけが違う。
まず批判の的となったのは、新卒者とはいえ社外の
人間に対し、ビジネスマナーの欠片も無い驕り昂ぶった内容のメールを配信したことである。
言葉遣いは丁寧だが、ところどころに「おまえらを採用してやるんだからありがたく思えよ」とでも言わんばかりの本音がにじみ出ている文章が、
就職氷河期でナイーブになっている学生たちを激怒させたのだ。
そもそもβ氏の文章は
- 説明会への事前予約ができた学生とできなかった学生をあからさまに差別している。
- ビジネス用語の使い方がまったくなっていないのはもちろん、それ以前に日本語として「てにをは」が怪しい。
- 抽象的で意味の分からない文言を使っている。
- 「徒歩で8時間かけて帰宅した」という、自分も被災者と同じく苦労しているとでも言いたげな文章。「被災した人もいるかもしれない」と自分でメールで触れておいて?
- 「皆様にも不満があるのは重々承知しました」と前置きしておいて「私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています」と謎の理解者ヅラ。これでは「はいはい君らの不満はわかってますよ」と言っていると受け取られかねない。
- メールの締めは日付のみでβ氏の署名がない。
このように「企業の窓口として明らかにおかしい」点がいくらでも出てくるもので、これだけでも炎上の火種としては十分だった。
加えて、未曽有の大震災が起きてしまったことそのものが批判を一気に加速させた。
他の企業が被災地への物資支援や支援金を送ったり、採用日程を大幅にずらすなどの対策を講じる中、α社はそういった対策を全く行わなかったのだ。
それでも日程に余裕があるのならまだしも、3月13日に公開されたエントリーシートは、本来は締切前日の14日に公開されるものだったという。
被災地の就活生には、家族の安否確認や後片付けなどのために就活どころではなくなった、あるいは自分の家さえ失った人が多くいた上、そもそも郵便局が被災して郵送できない状況にあった。
それなのに「就活を優先しろ」などとのたまう短慮ぶりはもちろん、被災者の気持ちを無視したこの「上から目線メール」は、まさに就活生にとっては「言語道断」だったのである。
問題のメールの翌日に送られたゼネラルマネージャーの謝罪文は全く正反対に誠実な文面であり、なおかつ「罹災した地域に対する配慮を欠いた言語道断な判断」「立場上の驕り昂りが現れた言葉遣いが随所にあり」とβ氏を厳しく非難している。
謝罪文の中には「当該担当者を厳しく指導」という文言がある他、社外文書の内容を発信前に校閲する規則も設けたという発表もあった。
β氏には何かしら罰が下されたと思われるが、最終的にどのような処分を受けたのかは言及されていない。
クビになったという噂はあるもののあくまで噂であり、そういった事実は確認されていない。
2025年現在も彼がα社にいるのかもわかっていない。どちらかといえばまとめサイトのアクセス稼ぎに使われる定番の話題のひとつになってしまっている。
また、「東北では現在もα社に対する不買運動が続いている」「β氏はその後○○している」などというものはすべて憶測の域にすら至っていないデマである。
同時期、「震災応援キャンペーン」などと銘打った広告を出した不動産会社もターゲットとなったが、α社の騒動があまりにもツッコミどころが多すぎたため、比較的騒がれることはなかった。
■なぜこんなことになったのか、という考察
α社の新卒採用担当部門に「就活生との距離を近くするために、彼らと同じ目線で接する」というトレンドがあったためではないか……という説が流れている。
就活生に近い目線を保つことで彼らを深く理解しようとすることは多くの企業で行われている。
それによってより優れた学生を選抜できるし、入社した後も彼らの視点を保つことで採用後の新人育成に生かすこともできるだろう。
そして、そのために採用担当に若手を起用することもよく行われている。
就活生と採用側の年代が離れると、どうしても現代の就活事情などに疎く、また就活生も過度に遠慮してしまうなどで選抜に支障を来すリスクが発生するため、年代の近い者が採用に関与するのが好ましいのだ。
この件でネットに出回ってしまった本人の写真を見ると、β氏は就活生とほとんど年齢が離れていないと思われる若手であった。
α社でも、上記のような発想から「就活生と年代の近い若手」としてβ氏を採用担当にしたものと思われる。
しかしその風習はやがて慣習化し、本来の意図が忘れられてきた。
そうなると、β氏と学生の年代が近いこともあってか、β氏は就活生を「同年代の仲間内」あるいは「自分を慕ってくれる後輩」のようにとらえ、そこに暗黙の了解があるコミュニティができているかのような誤解が生じ始めた。
結果、β氏は就活生に「仲間内ならこれくらい読めるよね?」という軽い感覚で指示をするようになってきた。
しかし、いくら就活生に近い目線で接したとしても、就活生にとってβ氏は生殺与奪を握っている恐ろしい存在であることに変わりがない。
本人としては仲間内の軽い感覚の指示であっても、就活生にとっては神の命令にも等しい言葉なのである。
β氏はこれを忘れてしまったか、認識して思い上がってしまったか。
いずれにしても、「我々が学生に目線を合わせよう」としたがためのトレンドは、「学生が我々に目線を合わせるべきだ」という本末転倒な入れ替わりを起こしてしまったのである。
こんなメールを送ったことやメールの文面の稚拙さも、ここに起因すると思われる。
さて、これはα社に限った話ではないのだが、この時期の就職活動は「我が社に本当に就職したいのなら何にも優先して来るはず。だから、開始時刻が曖昧な先着制でも予約ができて当然。これはやる気や熱意を確かめるためのテストなのだ」という風潮があった。
だから温情を乞おうにも「それはあなたの責任でしょ?」「あなたの責任じゃないかもしれないけど、私たち優先で来てくれる人を採用したいのは当然でしょ?」とすげなく返される(もしくは相手にもされない)という現実が、α社のβ氏に限らず就活で新卒を募るような企業全般に蔓延していたのである。
「その先は言う必要ないですよね」の真意についても「α社に就職したいという熱意があるなら諦めないであの手この手で挑戦してくれるはず」という意味だったとされる指摘がある。
こうした、学生にとって不誠実な態度が正当化されがちという事情や、ちょうど2008年のリーマンショックに端を発した未曽有の就職氷河期、「不安に負けるな!この人はこんな風に乗り切ったんだぞ!」とうつ状態を煽り立てるかのような就活サイトのメールマガジンや先輩世代の暗いニュースのせいで当時の就活生は必要以上にナイーブになってしまい、新卒以外を採用していないという時勢に合わせて故意に留年することで新卒で居続ける
就活浪人や、人生を悲観して
自殺したり、
心療内科に受診するような人もどんどん増えている時期だったのだ。
しかもこの時期は「就活生に内定を辞退するよう強いるハラスメントを行う」ことが多くの企業で行われており、特に悪質な事例はニュース番組で取り上げられるほどにもなった。
もちろん、就活生の間ではα社の人事部に対する悪い噂も絶えなかったのだが、まだその時点では「あくまで証拠のない噂」の範疇でしかなかった。
いくら「火のないところに煙は立たない」ということわざがあるとはいえ、さすがに明確な証拠がないまま批判することはできない。
就活に限らず、うまく行かなかった人物が僻みで悪口を言う現象はよくある話であり、それまでの悪い噂も第三者から見れば「志望する会社に就職できなかった者が僻んで悪口を言っているんだろう」という見方が主流だったし、「それがどうした、自分はこんなことをされたんだ」という仲間内での不幸自慢に話が逸れていって、結局大きな動きにはならなかった。
それがこの未曽有の大震災で非常にナイーブになっている人が多い中で、メールの文面という動かしようのない証拠によって、自己陶酔的な文章とともに表面化したことで、就活生の怒りが爆発してしまったのである。
重ねて言うが、この炎上は、被災した就活生への配慮が著しく欠けた迷惑メールを送ったβ氏の無神経さに全ての責任がある。
翌日にゼネラルマネージャーの名義で掲載された謝罪文は、β氏に対する静かな怒りが見え隠れする文面であり、この速やかに行われ、なおかつ誠実さ
となんか妙な面白味を実感させた謝罪が事態の鎮静化に一役買った。
そのため現代ではこの事件について知らない人もだいぶ増えてきている他、最近知った人の中でもこういった背景をまったく知らない人も多い。そういう意味では、この不祥事はもはや風化したと言えるだろう。
β氏個人を非難する文脈で話題になることはあっても、α社を非難する文脈で語られるケースは少数である。
実はこの事件は単なる炎上や不祥事として片付く話ではなく、当時の就活事情のいびつさや炎上対策の模範例を示す、歴史のマイルストーンとして優れた価値を持っている。
他の会社でも、これを反面教師として新卒採用に関する文章が引き締められるようになったことで、少なくともここまで稚拙な怪文書を送ってよこす人事担当者はだいぶ少なくなった。
そして、えてして暗かったり、政治の話に踏み込んできな臭くなってくる東日本大震災の思い出話の中では比較的明るく話せるということもあり、今でも様々な場所で細々と語り継がれているのである。
追記・修正が難しい場合は…その先は言う必要ないですよね。 自分で考えてみてください。
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最終更新:2025年04月02日 15:57