登録日:2015/04/02 (木曜日) 12:30:00
更新日:2024/07/27 Sat 16:06:17
所要時間:約 5 分で読めます
日田彦山線(ひたひこさんせん)は、城野駅(実際は小倉駅)と夜明駅(実際は日田駅)を結ぶ
JR九州の鉄道路線である。
路線記号は
JI。
概要
かつては筑豊地方の石炭運搬、石灰石輸送などで賑わっていた。
因みに九州の鉄道にありがちな私鉄で開業→複数の私鉄が次々と開業→戦時買収で国有化を経ており
- 田川伊田~西添田間までが豊州鉄道及び九州鉄道により開業。(1903年)
↓
- 国有化により上記2路線が田川線(1907年)、初代添田線(1943年)になる。
- 西添田~夜明間が延伸開業し彦山線(1937年)と日田線(1956年)が開業する。
- 東小倉~石田間の分離と日豊本線への直通化工事(1956年)
- そして、香春~添田間を2代目添田線に分離(1960年)
と、様々な経緯を経て生まれた路線であり、1943年の戦時買収及び戦後の路線延伸・分離と4つの路線を全部統一して「日田彦山線」となった。
城野~添田間は福岡近郊区間に含まれ、さらに城野~呼野間は特定都区市内制度の「北九州市内」にも含まれる。
ただし、ICカードSUGOCAでの乗降は城野以外の駅ではできない。
2017年7月に発生した九州北部豪雨の影響で、添田〜夜明間で63ヶ所にもなる甚大な被害を受けた。
同じく被害を受けた
久大本線の運休も重なり、添田以南でバス代行運転を行っていた。
特急列車も走る
久大本線とは異なり、ローカル輸送しかない該当区間は
JR九州内でも5番目に輸送密度の少ない区間となっていた。
復旧に関して国や地元自治体との協議を進められ、沿線自治体が鉄道設備を買い取る上下分離方式を提案したが、多額の費用負担に地元は難色を示す。それが無理であればBRTでの復旧を提案している。
最終的には2020年5月までに沿線自治体全てが鉄道復旧を断念する形になり、BRTでの復旧が確定することになった。
そして2023年8月28日に日田彦山線BRT(BRTひこぼしライン)として運行が始まっている。
○運行形態
全線通しの列車もあるが、概ね田川後藤寺を境に運転系統は分断されている。
また、一部の列車を除きワンマン運転が行われている。
・城野~田川後藤寺〜添田
城野発着の列車は全てが
日豊本線に乗り入れ小倉駅まで乗り入れている。
田川後藤寺までは毎時1~2本程度、添田までは毎時1本程度の運行となっている。
この他、採銅所・香春・田川伊田~田川後藤寺・添田の区間列車、
後藤寺線からの田川伊田行きがある。
また、朝に1本のみ添田発小倉行きの快速列車がある。
・添田〜夜明〜日田
前述のBRTとしての運行となり、
久大本線と並行する夜明〜日田でも運行される。
彦山〜宝珠山が専用道、それ以外は一般道を走行する。
全区間通しで運行される便が1〜2時間に1本程度、添田〜彦山と筑前岩屋〜日田の区間便が数本運行されている。
また、通学・帰宅時間帯には日田市内の高校を経由する別ルートとなる。
かつての運行形態
全線鉄道だった頃は田川後藤寺~夜明で1~2時間に1本程度で運行、夜明発着の列車は全てが
久大本線に乗り入れ日田駅まで、更に1本のみ大分駅まで乗り入れていた。
また彦山発着の区間列車も存在した。
○使用車両
鉄道車両
キハ40・47・140・147形…全線で運行。勾配区間を走るため、エンジンを換装した車両が使用されている。
キハ40・47形は140・147形の全般検査時や臨時列車の時のみ使用。
BRT車両
BYD・J6
日野ポンチョと同系統の電気バス。沿線の風景や名物をイメージした4種類の塗装となっている。
いすゞ・エルガミオ
こちらはディーゼル車で中型の路線バスタイプ。あやめや彦山の山並みをイメージした塗装に仕上がっている。
過去の主な運行車両
キハ125形…田川伊田~日田間で運行。
キハ31形…小倉~彦山間で運行。
◎駅一覧
BRT区間は鉄道時代からの駅のみ記述。
日豊本線大分方面乗り換え。線路名称上の起点駅。
日田彦山線は2番のりばと5番乗り場を使用する。
かつては貨物支線が分岐し、
鹿児島本線の東小倉貨物駅まで繋がっていた。
北九州モノレール乗り換え。
厳密に言うと
モノレールの駅名は企救丘駅。
JRと
モノレールの停車駅にもかかわらず、バスも通ってなければ商業施設も皆無な駅。
北九州モノレールにも同名の駅があるがそちらとはかなり離れているので注意。
平尾台方面へのアクセス駅。
ここまでが北九州市内の駅。かつてはスイッチバック構造となっていた。
駅名から分かるように、ここでは石炭ではなく銅が産出されていた。また旧自治体も駅名と同名だった。
香春町の代表駅。読みは「かわら」。
かつてここから「赤字ローカル線の東横綱」と呼ばれた
美幸線に対して「西の横綱」と呼ばれた添田線が接続していた。
付近には高校の他、平成筑豊鉄道田川線勾金駅が徒歩圏内。
なお、少し進んだ後に田川線と合流し、田川伊田駅直前まで線路を共有する。
平成筑豊鉄道伊田線・田川線乗り換え。
厳密に言うと平成筑豊鉄道の駅名は「MrMax田川伊田駅」。
でも店舗は駅からだいぶ離れたとこにあるけどね。
駅前の駅ビルが再開発され綺麗になった。
石炭記念公園などの最寄り駅である。
後藤寺線、平成筑豊鉄道糸田線乗り換え。田川市の中心駅。
この駅も厳密に言うと平成筑豊鉄道の駅名は「MrMax田川後藤寺駅」。
こっからでも車使わないと無理なんだが。
あまりの駅名の長さに地元の人は「後藤寺」としか言わないとか…。
そもそも何で2駅連続で田川を冠しているんだって思った人、正直に手を挙げなさい。
駅舎が改築され、瓦屋根の公園の休憩所みたいな見た目になった。
かつてはここから上山田線と接続していた。川崎町の中心駅。
福岡土産の一つであるめんべいの工場が彦山川を渡って東側にある。
添田町の中心駅。かつては香春駅から分離した添田線とここで再び合流していた。
上記のように元々は添田線区間の方が先にできた経緯もあり、添田線のホーム跡に駅舎が隣接している結果、駅舎からホームが100m近くも離れているという地味に嫌がらせとしか思えない駅となった…。
鉄道駅としてはここまで。ここから先はBRT路線となる。
2008年に完成したばかりの新駅。
ふざけているとしか思えない駅名は、地域自立促進プロジェクトの一環である道の駅歓遊舎ひこさんの最寄駅から来てる。
周辺には病院があるくらい。
ここよりBRT専用区間がスタート。
鉄道時代は英彦山神宮もイメージした大きな木造駅舎が特徴だった。
また彦山―筑前岩屋駅間には、
かつて発生した爆発事故の風化を防ぐため
爆発踏切なる踏切が存在していた。
駅名の由来となっている岩屋神社や棚田が広がる地区が周辺にある。
豪雨被害で駅舎が倒壊したが木造のまま復元された。
築堤上に乗り場があり、駅舎からは階段を数十段上る必要がある。
東峰村の実質的な代表駅である。
福岡県の駅かつ専用道区間はここまで。
鉄道時代は九州で唯一ホームが県境をまたいでいる駅であり、南側の3分の1が
大分県、北側の3分の2が
福岡県となっていた。
BRTとなって乗り場は国道上に移設された。かつての駅舎は地元の賑わい拠点として活用される予定。
鉄道時代はここまでが福岡近郊区間となっていた。
久大本線久留米方面乗り換え。
大分県最西端の駅にして線路名称上の終点駅。
因みに駅名は
太陽の夜明けとは全く関係なく焼畑開墾地である事から夜焼と付けられたが、「焼」の字を嫌って夜明となった。
久大本線大分方面乗り換え。日田市の中心駅にして運行上の終着駅。
「おんせん県おおいたデスティネーションキャンペーン」に合わせて、駅舎が改築された。
追記・修正をお願いします。
- ひたひこさんせん、じゃね? -- 名無しさん (2015-04-02 17:28:56)
- 確かに間違って「ひこやま」って読みがち -- 名無しさん (2024-03-02 23:01:36)
最終更新:2024年07月27日 16:06