ヘルメス(ギリシャ神話)

登録日:2016/10/21 (金) 20:30:50
更新日:2023/05/06 Sat 18:28:08
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ムーサよ、ヘルメスを讃えて歌え、

ゼウスとマイアの息子、キュレネー山の神、

羊の群れるアルカディアの神、幸運の運び手、神々の伝令者を。


ホメロス風ヘルメス讃歌*1


■概要

「ヘルメス」とは、ギリシャ神話に登場する神で、オリュンポス十二神の一柱。
つばの広い日よけ帽に翼の生えたサンダル、2匹の蛇が巻き付いた魔法の杖ケリュケイオン(カドゥケウス)がトレードマークの伝令の神である。
神々や人間の世界、そして冥界の橋渡しをする存在であり、その役目は主に神々の王ゼウスの命令を伝えたり、死者の魂を冥界へ導くこと*2
彼の司るものは他にも商業、交易、幸運、牧畜、体育、夢、音楽、境界、発明、盗み詐術などかなりの幅広さを誇っている。
……何だか不穏なワードも混じっているが、それについては後述の神話で解説する。
ローマ神話ではメルクリウスの名前で知られており、魂の導き手であることから北欧神話の主神オーディンと同一視され、
後世の錬金術・神秘思想においてはエジプト神話の知恵と魔術の神トート*3と習合し、伝説的な錬金術師ヘルメス・トリスメギストス(3倍偉大なヘルメス)と称された。


■ホメロス風讃歌でのヘルメス

ヘルメスの生まれたいきさつ、それは例によってゼウスから始まった
オリュンポス神族の伝令となる神が欲しいと思ったゼウスは正妻ヘラの目を盗み、夜な夜なプレイアデス7姉妹の長女、マイアの元を訪れていた。
そして月の4日の朝、アルカディアのキュレネー山の洞窟の中でヘルメスは生まれた。*4

ゼウスの思惑通り、生まれたばかりのヘルメスはいきなりとんでもない行動力と狡猾さを発揮する。
以下、生後1日目のヘルメスの活躍

  • ゆりかごから抜け出し洞窟の外に飛びだしたかと思うと、偶然一匹の亀を見つけ解体、その甲羅から見事な竪琴を作り上げる。
  • 竪琴が完成した後、即興で自らの誕生のいきさつを歌いあげる。
  • 日没後、アルカディアから約300キロ先のピエリアにあるアポロンの牧草地に駆けつけ、雌牛50頭を追いたてる。
  • しかもその際に、牛たちを後ろに進ませることで足跡を逆につけ、自分の足跡を特定されないよう即席の大きなサンダルを履いて移動するという工作までする。
  • 葡萄畑の手入れをしていた老人に犯行現場を目撃されると口止めを図る。
  • 夜明けごろ、アルペイオス川の近くにあった厩舎にたどり着き牛たちを放り込むと、月桂樹の枝をザクロの板の上で回し、火の起こし方を発明する
  • たき火が燃え上がると盗んだ牛のうち2頭を屠殺して焼き、肉を12等分した。オリュンポスの神々はもちろん、ちゃっかり自身の分も含まれている。
  • 辺りには美味しそうな匂いが立ち込め、ヘルメスは食欲をそそられた……が、結局彼はその肉を口にせず、「若き日の盗みの記念」として厩舎に高く掲げた。
  • そして証拠隠滅も忘れず、残った牛の頭や足を完全に焼き尽くし、サンダルを川に投げ入れてから洞窟に帰った。

……繰り返すがこの時点で生まれてからわずか1日しか経過していない
悪知恵や器用さはもちろん、生まれたばかりの赤子が何倍もの巨体を持つ牛を投げ飛ばしたり、首を曲げたりして屠殺しているのである。
末恐ろしいだけでなく、ビジュアル的にも恐ろしい。
また、肉を食べないなんて勿体ないと感じられるが、彼は暗くしみったれた洞窟の中で暮らすのでなく、輝かしいオリュンポスの神々の一員になることを望んでいた。
つまり、肉を食べるということは飢え=死を運命づけられることになるので、食欲に負けないことでそれを克服したのである。*5
同じ火や生贄にまつわる神話を持つプロメテウスと対照的と言えるだろう。

その頃ピエリアの牧草地では、牛たちがいないことに気付いたアポロンは不思議な足跡に戸惑うが、そこは流石予言の神。
昨日の老人から妙な子供が牛を後ずさりで歩かせていたことを聞きだした後、占いによりヘルメスが犯人だと突き止めた。
キュレネー山の洞窟へ押しかけると、「牛をどこへやったか、素直に白状しないとタルタロスへ投げ込むぞ!」と脅した。
しかしヘルメスもさる者で、アポロンが追いかけてくることは織り込み済みだった。*6
「ぼくはまだ生まれたばかりだよ?牛なんか見たことないし、聞いたこともない。だいたい、こんなか弱い脚で盗みなんてできると思う?」などとしらばっくれ、
アポロンに掴みあげられると「凶兆、腹に仕える疲れ切った奴婢、これから起こるいっそう悪いことの不作法な伝令」を一発放った……




ブボボ(`;ω;´)モワッ




何とその顔に放屁テロとくしゃみをかましたのだった。とことん食えない神である。
それでもアポロンは折れないので、ヘルメスはゼウスに白黒つけてもらうことを提案した。
アポロンは「こいつは私の牛を50頭も盗んだんですよ!そのくせ見たことも聞いたこともないってしらばっくれてます」と告発。
それに対してヘルメスは真っ向から勝負を挑み、堂々と自己弁護を始めた。

わが父ゼウスよ。もちろんぼくはあなたに真実を話します。ぼくは正直な子供ですよ。
アポロンは証人を一人も連れてきてないのに、ぼくを一方的に犯人扱いし、タルタロスに投げ込んでやるって脅したのですよ。
ひどいじゃないですか、ぼくはまだ生まれたばかりなのに。これじゃイジメですよ。
誓って言いますが、牛を自分の家に連れてくるなんてしてないし、そもそも家の敷居をまたいで外に行ったことさえありません
ぼくは太陽神ヘリオスをはじめ、神々を深く尊敬しています。ぼくの言葉を皆さん、どうか信じてください!

幼いわが子が弁舌巧みに牛の件を否定するのを見て、ゼウスは思わず声をあげて笑った。
そして二人に、和解して牛を探しに行くように命じた。
確かに、アポロンの牛を盗んでいないというのは嘘だが、誓いの言葉に関しては真実だった。
牛を連れてきたのは家ではなくアルペイオス川近くの厩舎であったし、敷居は歩いてまたいだのではなく飛び越えていた。
さらに彼が盗みを働いた頃には、太陽そのものであるヘリオスはとっくに沈んでいたのである。

アポロンを厩舎に案内したヘルメスは、兄神がまだ不機嫌そうなのを見て、生まれた直後に発明した竪琴を奏で、即興で歌ってみせた。
すると頑なだったアポロンの心はたちまちその音色と歌声に魅了されてしまい、「お前が興味を持っていることは50頭の牛に値するよ」と絶賛。
その竪琴と牛(牧畜の権能)を交換してほしいと頼み込んだ。ヘルメスもこれを快諾し、和解が成立。さらに二度とアポロンの物を盗まないと約束した。
そして2柱は友情の証として、即席の葦笛シュリンクスと相手を自由に眠らせたり起こしたりできる黄金の杖ケリュケイオンを交換した。
こうして互いの役目を交換したアポロンとヘルメスは固い友情で結ばれ、オリュンポスでも無二といわれる親友同士となったのだった。
めでたしめでたし。

このことから、お互いに必要な物を交換したヘルメスは商売の神や、生まれた直後に各地を飛び回ったことから旅人の守り神とも呼ばれるようになったと言われる。
さらにメタ的に見るとこの神話は、文明の象徴で権威的なアポロンに対し、庶民層を象徴するヘルメスが機知と技術で互角以上に渡り合うという構図になっている。
庶民の理想を体現した神であるヘルメスが、他の神々と比べて人間に優しいのもある意味当然なのかもしれない。
ちなみに口止めの約束を破った老人は石にされましたとさ


■その他のエピソード

【怪物退治絡みの神話】
ゼウスの愛人イオが牛に変えられ、百の目を持つ巨人アルゴスに見張られていた時のこと。
アルゴスの目は交代で眠るため、彼自身は常に目覚めている。つまり、時間的にも空間的にも死角がないということだった。
ゼウスの命令でイオの救出に向かったヘルメスは、アルゴスに近づくと葦笛とケリュケイオンを使い、アルゴスの全ての目を眠らせることに成功。
そして眠ったアルゴスの首を金剛の鎌ハルペー*7で刎ね、ヘルメスは無事にイオを救出。
この功績から、ヘルメスは「アルゴス殺し」の異名を持つようになった。
後にアルゴスはヘラによりその眼を雄孔雀の羽に移されたという。

また、ペルセウスのメデューサ退治の神話では、空飛ぶサンダル「タラリア」*8と金剛の鎌ハルペーを貸し与えている。
ギガントマキアにおいてはかつてハデスがティタノマキアで使用した隠れ兜アイドスキューネ*9を使って巨人ヒッポリュトスを倒すのに貢献し、
テュポン戦では切り取られたゼウスの腱を取り戻す活躍をしている。
ゲームのキャラ的に見ると、その素早さや補助技から器用に立ち回るタイプといったところか。
もっとも、赤ん坊の時点で牛を屠殺するレベルなので膂力もなかなか恐ろしいものがありそうだが。シチリア島をぶん投げたアテナ?知らんな


【子供たち】
他の神々と違いそこまで派手な恋愛譚があるわけではないが、かの美と愛の女神アフロディテとの間にヘルマフロディトスとプリアポスをもうけている。*10
ヘルマフロディトスはニンフの一人サルマキスに一方的に惚れられた挙句融合させられてしまい、両性具有となったことで知られている。
プリアポスは『テルマエ・ロマエ』や『純潔のマリア』で知名度を上げた、庭園や羊飼いを守護する豊穣神だが……
ここでは詳細に書かないが、一度見たら忘れられないほどインパクトのある造形で有名である。
興味のある方はググってみよう。
それ以外の多くの女神やニンフとも関係を持っており、子女には山羊の下半身を持つ牧神パン、
トロイア戦争の英雄アキレウスの忠臣エウドロス、アルゴノウタイの一員にしてオデュッセウスの祖父に当たるアウトリュコスなどがいる。
……なんだ結構やってるじゃん。


【ヘルメスの神託】
古代ギリシャでは拾い物や掘り出し物のことをヘルマイオン、「ヘルメスの贈り物」と呼んでいた。
道端のヘルメス像の前には旅の無事を祈るための供え物が置かれ、次に訪れる旅人が空腹だった場合貴重な食料となった。
まさに旅人の守護神、幸運を司る神にふさわしいと言えるだろう。
また、偶然を司るだけあって、神託の作法も変わっている。
夕暮れ時、公共広場のヘルメス像の前に地元の硬貨を置き、答えてほしいと思う質問を囁いて、両耳を抑えながらその場を離れる。
耳から手を離して最初に聞こえた言葉の中に、神託の答えがあるのだという。
特に子供や愚者から発せられた言葉の場合、それに勝るものはないとされた。

……ちなみにこれら境界の目印となったヘルメス像(ヘルマ)もなかなか衝撃的な造形をしている。要するに日本の道祖神と同じ。*11
息子のプリアポスがあんな姿になったのも納得である。


【パライストラとの神話】
『古代ギリシャのリアル』の著者、藤村シシン氏が紹介した激レアエピソード。何せ原典が、
『アエネイス』8章138行目の「キュレネー山」に付けられた、マウルス・セルウィウス・ホノラトゥスの4世紀のラテン語の注釈の中
という、本人も「そんなとこ誰がアクセスできるんだ!?」と発言するレベルのドマイナーさである。
気になる内容はというと……

ヘルメスの恋人パライストラはアルカディア王を父に持っていた。
ある時彼女の兄弟が取っ組みあっているのを見た父はこれを新たなスポーツとして考案、パライストラはこのことをヘルメスに語った。
するとヘルメスはそのアイデアをパクッて改良、自らの名前でギリシャ中に広めてしまった。盗みの神としての悪い面が出たようである。
彼女からアイデアが盗まれたことを聞いたパライストラの家族は激怒、そして……



山でヘルメスが寝ている隙にバラバラに切り刻んだのである



ヘルメスの訴えを聞いたゼウスはパライストラを家族もろとも皆殺しにした。が、ヘルメスはそれでも彼女を愛し続けており、
彼女の家族が考案したスポーツに「パライストラ」と名付け、レスリング学校もこの名前で呼ばれるようになった。
また、ヘルメスがバラバラ(キュロス)にされた山にはキュレネーという名が付いたという。ヘルマに四肢がないのもこれが理由である。


現代の著作権問題を先取りした内容という点でも驚きだが、何より抜け目ないはずのヘルメスが寝首を掻かれるというショッキングな展開。
他の神話とのあまりの作風の違いに(  Д )    ゚   ゚となること請け合いである。




追記修正は、一晩で牛50頭を盗み出してからお願いします。

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最終更新:2023年05月06日 18:28

*1 法政大学出版局『トリックスターの系譜』479Pより

*2 そもそも名前が解釈者・通訳を意味しているので、神々と人間、生と死の仲介者としてふさわしいと言えるだろう

*3 ヘルメスとトートは聖鳥がトキであることも共通している

*4 生まれた月は特に決まっておらず、毎月誕生日が来ることになっているが、古代ギリシャの暦は太陰暦なので毎年ずれる。ちなみにアテナ(3日)、アルテミス(6日)、アポロン(7日)にも毎月誕生日がある

*5 ただし、アポロドロスの説では食べたことになっている。もっとも、牛を盗んだ動機が「肉を食べたかったから」なので、こちらの方が自然ではあるが

*6 さらに「もしそうなったら彼の物を全て盗んでやります」と、母に豪語までしている

*7 鎌刀 harpe ハルペー 内側に刃がついた大きく湾曲した形状の刀で、内側にひっかけて力任せに引き切り落とすための刀。不死の者でも討ち取る力を秘めていて、ウラヌスの男根を切り落とした武器でもあるのだという。

*8 翼のサンダル talaria タラリア ヘパイストスの手で作られた、足首に翼をあしらった黄金製のサンダル。履くと空を駆けることができる。

*9 ハデスの兜 Aidos Kuneen アイドスキューネ ハデスの兜 (ギリシャ語:Ἄϊδος} κυνέην) かぶると姿が見えなくなる。ティタノマキアではハデス本人がかぶって、ティターンたちの本陣に忍び入って彼らの武器を奪い取った。ハデスの項目参照。

*10 後者の父親はディオニュソスとの説もある

*11 ヘルメスの名前の由来であるヘルマは「石の積み重ねで作られた者」を意味しており、ギリシャの多くの地域では道路の側面、特に交差点や土地の境界に目印として石が積み重ねられていた