ショーシャ軽機関銃

登録日:2016/11/06 Sun 11:19:12
更新日:2025/07/26 Sat 00:46:03
所要時間:約 4 分で読めます




性能

全長:1143mm
銃身長:470mm
全重量:9070g
使用弾薬:8×50Rルベル弾
装弾数:20発
作動方式:ロングリコイル式 オープンボルト
発射速度:毎分250発



概要

フランスにて第一次世界大戦期に開発、運用された自動火器。
正式名称は FM Mle1915 CSRG(Fusil-Mitrailleur mle 1915)。ショーシャ、サッター、リベイロール/グラディエーター社による1915年製軽機関銃の意味。
和訳は軽機関銃であるが、フランス語などでは別種とされている(機関銃はMitrailleuse)。
「ショーシャ」とは本銃開発の中心人物であるジャック・ルイ・アンリ・ショーシャ大佐の事である。
戦時急造兵器といえる立ち位置であり運用期間も戦中~戦後数年までであったものの、後の分隊支援火器などに連なる概念の先駆者であった。



前史

バルカン半島での紛争など戦火がくすぶる1900年頃、フランス軍の一派は考えた。攻撃でも扱える機関銃があれば…と。
それまでの機関銃は重く、据え付けての防御(いわゆる重機関銃運用)でしか扱いきれなかった。軽機関銃という概念自体まだないに等しく、銃だけで12kgあるものが最軽量といえる時代である。

その思想(Fusil-Mitrailleur)は歩兵の火力増強を目的としていた。
専任銃手と弾薬運搬係、それを受けて前進する歩兵部隊…といった形で、歩兵部隊単体よりも同じ人数でより効果力を発揮することをもくろんでいた。
当時フランス軍はM1897野砲*1などを中心に据えた(少し時代遅れな)戦術をとっており、事実1915年の緒戦ではかなりの痛手を負ってしまっていた*2

時を同じくして1903年頃からショーシャ、サッター、リベイロールは自動小銃の研究をしていた。1911年にはCS自動小銃として試作銃が結実したが、ボルトロッキングラグ破損などの問題によって採用は見送られた。1913年には概ね改良したモデルが完成。しかし試験配備を開始したところで第一次世界大戦が勃発してしまった。

それまでと様相の異なる戦線に軍も温めておいた上記思想への転換が急務と考え、1915年に50000丁の大規模調達を決定。ショーシャ側もそれに答え、戦時下でも大量生産できるよう簡略化を実施。そうしてFM Mle1915 CSRGは誕生し配備された。



仕様

機関部以外の外装や弾倉には当時最新技術である大規模なプレス加工が採用され、大量生産に備えられている。銃身も小銃の流用品という徹底ぶり。
重量は9kg。現代に比べればさすがに重いが、ほぼ同期のルイスガンやホチキスM1909などに比べるとかなりの軽量化がなされている。マドセン機関銃とは同等だがコストで勝る。

使用弾薬は8mmルベル弾。フランス軍の歩兵銃と共通の弾だが、元が11mm口径の弾を改良したものであったがためにとてつもなくテーパーがかかっている。
そのため弾倉も半円状のシングルカラムマガジン。装弾と残弾確認の補助用のためか右側面に開口部がある*3。8mmルベル弾が問題なく融通できる点ではマドセンなどよりも優れているとされた。

軽い・すぐ作れる・弾の融通が利くと長所はかなり良いものである。


しかし先駆者たるもの欠点も持ち合わせている。

第一に弾倉。現代の自動銃には寸胴~緩いテーパーがかかり、底部のリムも出っ張っていないリムレス弾薬が採用される。
しかし8mmルベル弾は前述の通り円錐状。リムドなので弾倉内でリムどうしが前後に干渉してしまう*4
さらに弾倉に開口部をあけたことで歪みや泥の侵入に弱くなってしまった。
当然改善しようと試みたものの、生産速度低下などを懸念しあまり改修ができなかった。ピーク時には1日1万本のペースで制作されており、おもちゃ工場などでも生産されていたことから仕様変更がかなり痛手となってしまうのだ。
改善は素材の厚みと開口部を少し狭めるにとどまり、新品の弾倉をもちいることが一番の動作不良対策であった。

弾に関しては他国生産仕様ではその国の歩兵銃弾に変更されているが、ロングリコイルの作動方式は弱装弾に弱く*5ルベル弾と同格の弾である必要があった。
他国仕様では開口部のない真っすぐな弾倉になっていることがあるので、ルベル弾がより自動銃向けであったならば弾倉問題はそこそこ解決できたものと思われる(独自研究)。

また、プレス加工は当時最新技術で工数は減るが技術が要るものであった*6。重要な個所には用いられはしなかったものの、連続射撃などでガタが来るとの指摘が上がった。こちらは工程の改善など対策がなされている。

撃ち続けた際の過熱も問題であった。本銃は銃身ジャケット内部で放熱フィン付きの銃身が動くようになっているが、連射を続けると放熱フィンが膨張して張り付き動作不良を起こした。新品の良好な状態からで380発が限度でその後は5分の冷却が必要と記録されており、それを受けて軍ではバースト射撃するように訓練した(普段は3/5発。かなり危険な場合のみフルオートを解禁)。
もっとも、機関銃とはそういうものであるので問題になることはあまりなかった。




フランス軍での運用

1916年のソンムの戦いから本格的な運用が始まった。基本的には後の軽機関銃に近い運用をなされたものの、前述の思想を体現した行進射撃(マーチングファイア)で成果を上げた。
想定では2人一組で運用され、16個の弾倉と1000発の弾丸を持つようにされていた。当然そんなに持つと重いし弾倉管理(給弾のみならず歪んだりして動作しなくならないかの管理も含む)も大変なので第2の弾薬運搬係と観測手を追加した3~4人とされるようになった。*7
フランス軍での歩兵らとショーシャ装備兵らとで勲章受章者の配分を見ると、本銃装備のほうが比較的受章者が多いという。
少なくともフランス軍では想定通りの活躍をしたといえるだろう。

同等の火器がない連合諸国*8でもその活躍を耳にし、ベルギーやポーランド、ギリシャにアメリカなどで採用された。特にベルギーでは改修の末第二次大戦初期まで運用されることとなった。
しかし…



アメリカ軍での運用

おおむね惨憺たる評価である。
本銃の.30-06弾仕様であるM1918を7000丁近く輸入したアメリカ海兵隊は、「おらこんな鉄砲もう嫌だ!」とばかりにほかに供給されていたルイスガンや鹵獲したドイツ軍の銃を使う始末。
生産を担当したグラディエーター社のショーシャはフランス本国仕様でもその他社製のものより評価が下がる傾向にあるが、M1918ではそれが顕著に出てしまった。

ハートマン軍曹役で有名なR・リー・アーメイ軍曹が自身の番組『ガニー軍曹のミリタリー大百科』で実射した際にはたった4発撃っただけでジャムり、
「フランスに送り返したくなる銃だ」「フランス人は戦争せずに料理作ってたほうがいい」と酷評されてしまった。

本銃の不評については大部分がM1918のせいであるというのが後年の見解である。

とは言え第一次世界大戦での名誉勲章の受賞者であるフランク・J・バート、トーマス・C・ネイバウアー、ネルス・ウォルドのように、本銃を得物として戦い抜いた英雄もいる。
少し遅れてブローニングのM1918 BARの配備が始まったが、BARが前線についたのは終戦2~3ヵ月前であり置き換えるには至らず。
さらに、行進射撃は有効な戦術であったため、アメリカ軍はBARに行進射撃用のオプションをつけてフランス軍を参考にした運用構成(射手、弾薬運搬係2人の3人体制)をとらせるなどしていた。
BARそのものはより軽機関銃じみた分隊支援火器としての運用を強いられるようになったものの、歩兵銃を含めての行進射撃はベトナム戦争のジャングルでも行われることがあったほど。ジョージ・S・パットン将軍が定着させたといわれている。



その後

戦時急造兵器であるため戦後フランスではFM mle1924/29に置き換えられた。ショーシャ大佐が1917年に逝去したことも原因かと思われる。
弾の再更新で7.5x54mm弾を使用するため弾倉の問題は解決し、9750gと重量も十分に抑えられている。
引き金が分かれている奇妙なメカ*9を除けばかなりの良銃といえる出来なのではなかろうか。



余談

行進射撃

制圧射撃と機動力を兼ね備えた戦術。パットン将軍は機動力、士気向上、敵能力低下の3点で評価していた。
支援担当の機関銃手は腰だめで前進しながら連射を継続し、周りの歩兵は立ちかしゃがみながら射撃と前進を行う。
射撃継続能力を維持する為に前進1歩につき1発のペースで撃つので弾幕とまでは言えないが、それでも弾は飛んでくるので制圧効果は十分。
塹壕の障害物だらけの地帯やジャングルに特化したものといえる。

現代ではその他の制圧手段(迫撃砲、榴弾砲やヘリコプターなどによる近接航空支援)が歩兵単位でも受けやすくなったため主流ではないが、歩兵部隊単体での戦闘では今も有用といえよう。



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最終更新:2025年07月26日 00:46

*1 M4シャーマンの75mm砲のご先祖の親戚といえる名砲

*2 40万人が死亡または捕虜になり、100万人が負傷したといわれる

*3 開口部を設けた理由などは明確にはされていないが、薬莢の形状を見れば察せられるだろう。

*4 同時期の自動小銃やソ連の7.62x54R弾使用銃はこの点で苦心している

*5 他形式のように排莢できるまでボルトキャリアを後退すればいいのではなく、常に一定の位置まで銃身とボルトキャリアを後退する必要があるため

*6 AR-18やFN FAL、AK-47の事例をみるに第二次大戦後でもまだ高難易度であったといえる

*7 ルイスガンは7人体制。3キロの差がここまで運用を分ける。

*8 ルイスガン、マドセン機関銃などがあるイギリスやロシア帝国などを除く

*9 FN P90の競合でもに多様なメカのPDWを試作している。何かメリットがあるのだろうか…?