画図百鬼夜行

登録日:2018/07/23 Mon 21:23:18
更新日:2025/05/03 Sat 13:28:02
所要時間:約 40 分で読めます




■画図百鬼夜行*1


『画図百鬼夜行』は、江戸時代中期に生まれた画家、狂歌師である鳥山石燕による妖怪画集である。


シリーズ本として『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』『百器徒然袋』があり、四シリーズ各三巻十二冊が刊行されている。
版を重ねるばかりか続編までもが描かれたことからも解るように、化物好きの江戸市井の人々に受け入れられて、中々のヒット作となったシリーズだったらしい。
本項目ではシリーズ全十二冊に紹介されている妖怪の名を挙げる。

現代人が水木しげるで妖怪を知ったように、江戸の人々も鳥山石燕で妖怪を知ったのかもしれない。
事実、石燕が庶民向けに描くまでは、化物絵も様々な故事や説話の類も知識人でも無ければ知る由も無いものも多かったようである。

単色刷りながら、スクリーントーンの如く薄墨を使ったグラデーションも美しいが、この技術は石燕自らが考案して伝わった物だという。(これが「拭きぼかし」の技法か。)
優れた画力に支えられた斬新な構図もさることながら、表現に対する並々ならぬ欲求があったことがうかがえる。


最初に出された『画図百鬼夜行』で取り上げた妖怪は、狩野派に伝わる伝統的な化物絵を倣って描いた物もあるらしい。
そもそも妖怪画というジャンルを始めたのは、狩野派の第二代“古法眼”元信が最初と言われている。
『百鬼夜行絵巻』を描いた土佐光信も元信に学び、姻戚関係になったともされ、妖怪画のルーツは正に狩野派にあると云えるのである。
知識人の石燕がそれを知らぬ訳がなく、妖怪画を描くために狩野派の門徒となったのも自然の流れだったといえる。

また、石燕と同年代を生きた絵師に佐脇嵩之がおり、彼は石燕が画家となるより遥か以前の一七三七年に『百怪図巻』というフルカラーの妖怪絵巻物を発表している。
この図巻の絵は、現在でも石燕の妖怪画と共に、水木しげるのアレンジ以前の妖怪のルーツの姿として紹介されることの多い絵である。

この図巻には「本書、古法眼元信筆 阿部周防守正長写 元文第二丁巳冬日 佐嵩指写」と書かれており、古法眼元信=狩野元信の描いた絵巻の模写であると云う断りがされている。
この、元信の描いた絵巻というのが石燕が狩野派に入門してまで参考にした妖怪画であると思われ、これは狩野派の絵師の手習いの為の手本の一つだったらしい。
この絵巻を元にしたと思われる作例は他にもあり、それらは『化物づくし(絵巻)』や『妖怪絵巻』のタイトルが付けられている。
これらに描かれた約三十体程の化物に、更に百以上もの妖怪を付け加えたのが石燕だったというわけである。

この他、能の謡曲の題材となっていた有名な化物譚や中国由来の故事等から初めて石燕が絵に起こした物もある。

特に、石燕が初めて描いた妖怪というのはシリーズが進む毎に多くなり、それどころか十二冊で二百数体に及ぶ化物絵の内、少なくとも三分の一程は由来その物から石燕が創作した妖怪だという。

例えば百々目鬼の様に現代では創作の世界でも有名となった妖怪も、元は石燕が女スリをキーワードに挙げられる言葉を連想ゲームの様に組み合わせて作った、謂わば駄洒落であった。

その、石燕の駄洒落の凝りようとデザインワークスの見事さは、後年に於いて妖怪の由来を調べる好事家達にこれも駄洒落かい、とばかりに苦笑されてしまうことこそあるものの、現代に於いては水木しげるの手により、かの『ゲゲゲの鬼太郎』の中でキャラクターとして甦り、数百年の時を経ても尚も愛され続けている。
中でも『百器徒然袋』にまで来ると、伝統的な妖怪の姿は殆どが消え、石燕が『徒然草』のパロディとして描いた付喪神ばかりとなる程である。

石燕の描いた妖怪画は現代の漫画の如く、細かな背景にまで気を配っているのが特徴で、これは『桃山人夜話』の構図にも影響を与えている。
しかし、背景にまで細かなネタを仕込んでいるのは石燕の独壇場で、そこまで読み取れた人間は決して多くはなかったようである。

この他としては“生霊”に“死霊”に“幽霊”を明確に別の物としていたり、中国の四凶の一つである“窮奇”を“かまいたち”の当て字に使う等、それまでの通例には無かった独特の分類や、石燕が初めて提示するか、違うにしても定着させるきっかけとなったであろう区別や読み方をさせた物もある。
これらも、豊富な知識を持つ石燕だからこそ分けられたり付けられたものであるらしく、この方面でも活発な論議が交わされている。*4

後年の絵付きの妖怪説話集『桃山人夜話』も石燕の『百鬼夜行』シリーズを倣って描かれたと言われる物であり、この『百鬼夜行』シリーズと、その元となった『化物絵巻』に『桃山人夜話』と、水木しげる自身が描き起こした、或いは誕生させたモノ達こそが、現在で我々が妖怪と呼ぶモノの大凡の姿なのである。


【画図百鬼夜行】





【今昔画図続百鬼】





【今昔百鬼拾遺】





【百器徒然袋】







亜邇惡沱(うぃきごもり)
くらき閨にてぽつぽつと灯点ことおそろし。是暇持余たる者の二次嫁への妄念かや。働ざるがつひきしゅうせひに余念なしといふと夢心におもひぬ。

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最終更新:2025年05月03日 13:28

*1 “がずひゃっきやこう”、又は“がずひゃっきやぎょう”と読まれるのが定説。画図を“えず”や“がと”等と読んだ例もある。

*2 城内の接待や雑用を取り仕切る武士。後に権力者に阿る者を揶揄する言葉になったが、本来はこうした役職のことであった

*3 幕府や大名に召し抱えられた絵師

*4 水木しげるの唱えた“妖怪千体説”にも通じる分類と云えるかもしれない。尚、弟子の京極夏彦は「千体も要らない、出る場所が違うだけだから」として“妖怪一体説”を唱えている。

*5 『百怪図鑑』等では“髪切”

*6 “おとろ~”と、繰り返しになっていたものを石燕が読み違えたとする説もあり。水木しげるは“おどろおどろ”としている。

*7 『百怪図鑑』等では“わうわう”となっている山姥の類。苧=からむしはめちゃくちゃになった髪の有り様を顕したものらしい。

*8 『ゲゲゲの鬼太郎』では見上げ入道としている姿の妖怪。『百怪図鑑』では“目ひとつぼう”となっている。青坊主とは見習いやら若い僧のことだという。

*9 日本では河童の異名として扱われることが殆どだが、石燕は『本草綱目』を引用し、中国の妖怪として紹介している。

*10 本来は海に出る怪異の全般を指していたとも言われるが、石燕は“イクチ”と呼ばれる怪異を“あやかし”として描いている。これ以降、この怪異は“あやかし”と呼ばれることが多くなり、この怪異と似た“イクチ”という妖怪もいる。…というように逆の流れで紹介されている例も多くなった。