登録日:2020/11/29 Sun 23:20:00
更新日:2025/01/10 Fri 07:02:47
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エド・ウッドは、
アメリカ合衆国の映画監督。映画プロデューサー、脚本家、俳優。本名、エドワード・デイビス・ウッド・ジュニア。
『黄金狂時代』『独裁者』のチャールズ・チャップリンや『市民ケーン』のオーソン・ウェルズと同様の経歴の持ち主である。
■概要
エド・ウッドは、1924年10月10日にニューヨーク州東部の田舎町ポキプシーで生まれた。
第二次世界大戦では
アメリカ海兵隊に所属。タラワの海戦で日本軍と交戦している。
復員後、映画監督を志し、本場ハリウッドで数々の作品の監督・脚本に関わった。
1978年没。
■監督作品
- 『グレンとグレンダ』(原題:Glen or Glenda)
1953年製作。エド・ウッド監督・脚本・主演。異性装と性転換を題材にしたドキュメンタリー・ドラマ。
制作当時、現在よりもはるかに差別・迫害を受けていた性的少数者の苦悩と解放を描いた作品。
エド・ウッドの長編デビュー作にして、ウッド本人の半自叙伝でもある。
- 『怪物の花嫁』(原題:Bride of the Monster)
1956年製作。エド・ウッド監督・原案・脚本。SF・ホラー映画。
世間から迫害され続けてきた天才科学者の一代復讐記。当時の流行を反映して、巨大怪物が登場する。
名優ベラ・ルゴシによる科学者の独白シーンは一見の価値あり。
- 『プラン9・フロム・アウタースペース』(原題:Plan 9 from Outer Space)
1959年製作。エド・ウッド監督・脚本・製作。SF映画。
宇宙人による侵略を描いた王道のSF映画であるが、当時加熱していた大国の開発競争を批判するなど前衛的な作品でもある。
ウッド本人も自身の最高傑作と評していた。ベラ・ルゴシの遺作でもある。
このほかにも多数の脚本・小説を執筆している。
追記・修正お願いします。
* *
* + うそではないです
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y *
上記の概要・監督作品は紛れもなく真実である。嘘・偽りは全くない。
では、『喜劇王』チャールズ・チャップリンや『アメリカ映画ベストワン』オーソン・ウェルズに対してエド・ウッドはどのような評価を受けているのか、その異名を見てみよう。
- ハリウッドの反天才
- 芸術の突然変異
- アメリカで最低の映画監督
- 史上最低の映画監督
…うん、まあ、何というか…。
先程述べた映画はすべて興行的に失敗しており、ウッド本人も常に赤貧にあえぎ、貧困のうちに没した。晩年は酒に溺れ、直接的な死因もアルコール中毒。
死後に作品の内容が評価される、ということもなく、そもそも評価すべきところが本当に何もないので、21世紀現在においてもその評価は常に最低最悪。
それでも彼の名が後世に語り継がれているのは、これほど最低最悪の出来の映画ばかり作り、評価も最悪であり続けた(というより評価対象にすらなっていなかった)にもかかわらず、
映画制作に対する熱意やほとばしる情熱を(少なくとも『プラン9』までは)失わなかったためである。
その生き様や映画製作に対する情熱は、死後に作られた映画『
エド・ウッド』で広く知られることになり、現在においても新たなファンを獲得している。
●目次
■真の概要
ウッドは幼い頃、女児を望んでいた母に女の子の格好をさせられており、これが原因で女装趣味をもつようになった。
先述したように海兵隊に所属していたが、軍服の下に女性物のブラジャーとパンティーを着込んでおり、本人曰く「殺されるよりも、負傷して軍医にばれることを恐れた」とのことである。
ちなみに日本兵との戦いで歯を失ったと語られることが多いが戦闘とは無関係らしい。フィラリア症を繰り返していたため、入隊期間中は事務職に就いていたとのこと。
幼い頃から映画作りへの強い情熱をもち、個性的な仲間に恵まれて映画監督になるも、彼には映画をつくる才能が全くなかった。
自身の最高傑作と信じた『プラン9』には全く買い手がつかず、それどころかフィルムの営業をしていたプロデューサーが疲労と絶望のうちに亡くなってしまう。
この事態には、さすがのウッドも打ちひしがれ、以後はアルコールに依存し酒浸りの生活を送るようになった。
晩年は、唯一の取り柄だったはずの旺盛な映画作りに対する意欲すら失われ、低予算映画の脚本やポルノ小説の執筆で糊口を凌いでいたと言われる。
没後はしばらく忘れられていたが、映画の上映権をテレビ局に安く買い叩かれた結果、『プラン9』が深夜テレビの映画枠で繰り返し放送されていたことから運命が動き出す。
あまりにもひどい出来が一部でカルト的な人気を得て映画評論家や映画マニアの目に止まり、1980年に「歴代最低映画」として紹介され、「再評価」が始まった。
■監督・脚本作品
- 『グレンとグレンダ』(原題:Glen or Glenda)
1953年製作。エド・ウッド監督・脚本・主演。
異性装と性転換を題材にしたドキュメンタリー・ドラマ。薬物中毒で映画界を離れていたルゴシの復帰作としても知られている。
元々は「世界初の性転換者」ジョージ(クリスティーン)・ジョーゲンセンの自伝となるはずだったが、ジョーゲンセンに出演を断られたため、
ウッド自身が主演し、ウッド自身の服装倒錯と性別や流行への持論に関する映画と化した。どうしてこうなった。
ちなみにR-18指定らしく、ストリップ紛いなサイレント場面が中盤の大半を占めている。
ウッドも監督デビュー作である本作に思い入れがあったようで、後に執筆したポルノ小説でも「グレンダ」と名づけられた女性人格を持つ服装倒錯者が登場している。
- 『怪物の花嫁』(原題:Bride of the Monster)
1956年製作。エド・ウッド監督・原案・脚本。
SF・ホラー映画。
スポンサー集めに苦労したらしく、主演はスポンサー(肉屋)の息子。基本的に撮り直しをしないウッドがワンシーンで17回も撮り直すほどひどい役者だったらしい。
ルゴシによる科学者の独白シーンは、栄光と没落を経験した彼の心情を表しているようであり、本当に一見の価値あり。見所はそこだけといってはいけない。
- 『プラン9・フロム・アウタースペース』(原題:Plan 9 from Outer Space)
1959年製作。エド・ウッド監督・脚本・製作。
SF映画。
椅子しかない飛行機の操縦席、隠す気すら無い集音マイク、ナレーションと資料映像を組み合わせたまったく新しい戦闘描写、昼夜すら合わせない場面展開、どう見ても段ボールにしか見えない墓石、適当すぎる科学考証
…など
全編ツッコミのオンパレードである。
ちなみに、ルゴシは撮影開始から2週間後に亡くなってしまったため、冒頭のシーンと復活のシーン以外はすべて代役である。そのため、他のシーンでは不自然に顔を隠している。
(ちなみに代役はウッドの奥さんが通っていた整体の先生。
耳の形が似ていたらしい)
先述のように「
歴代最低映画」と評されているが、
この映画に関しては最大の誉め言葉である。
その酷さは一周回って多数のファンを獲得しており、2006年にはDVDが発売され、さらに2020年には全編カラー処理された「総天然色版」がDVDとブルーレイで発売された。
1965年制作。A・C・スティーブン制作・監督。エド・ウッド原作・脚本。
知る人ぞ知る伝説のZ級映画。上映時間91分のうち殆どが
女死霊が裸踊りをするだけといった狂った内容。
なぜかこのWikiに個別項目があるので、詳細は
そちらを参照。
日本ではウッド関連で最も早く公開された作品である。ウッド本人により
ノベライズ化もされている。
2005年にはDVDが発売され、さらに2020年にはHDリマスター化されたDVDとブルーレイが発売されている。
誰得だよ。
この他にも多くのポルノ作品を監督、ポルノ小説を執筆しているが、一般にウッドの映画のうち、彼の個性や作風、映画作りに対する意欲などを明確に感じられるのは『プラン9』以前までで、以降はただ単に退屈なだけの映画と認知されており、知名度も圧倒的に低い。
■関連人物
ハンガリー出身の俳優。『
魔人ドラキュラ』の主演俳優(ドラキュラ役)として知られている。
「ドラキュラ」の現在の一般的なイメージであるオールバックの髪型で夜会服に
マントを羽織るスタイルは、ルゴシの演じたものが元になっている。
第二次世界大戦前のホラー映画界における大スターであり、ドラキュラ役に続き『フランケンシュタイン』のモンスター役の依頼も受けていたが、台詞のない怪物役を嫌い拒否した結果、
代わりに起用されたボリス・カーロフが映画の大ヒットによりルゴシを上回る名声を手にすることになってしまった。
その後も多くの怪奇映画への出演を続けるが、ハンガリー訛りによる英語下手、舞台俳優特有のオーバーな演技が災いし、次第に人気は衰えていった。
晩年は薬物中毒に陥り、映画界からも干されていたが、ウッドの誘いによりカムバックし、最晩年までウッド作品へ出演を続けた。
1956年没。
ウッドの元恋人。『グレンとグレンダ』のヒロイン役でもある。
映画製作に没頭するウッドを支えていたが、彼の女装趣味についていけなくなり、破局。
ウッドと別れた後、エルビス・プレスリーのヒット曲『ロカ・フラ・ベイビー』を作曲するなど、作曲家として成功した。
2011年没。
ウッドの妻。ウッドが亡くなるまで彼を献身的に支え続けた。
映画『エド・ウッド』の撮影に偶然遭遇し、女装したジョニー・デップを見て「まあ、旦那そっくり!」と言ったという。
2006年没。
プロレスラー兼俳優。
映画『エド・ウッド』ではウッドにスカウトされて映画界に入ったことになっているが、実際はそれ以前から特徴的な体格を生かして俳優として活動していた。
『怪物の花嫁』のロボ役(博士の助手)や『プラン9』のクレイ警視役が有名。
特徴的な風貌・体格で人気を得ており、彼の風貌を模したマスクがハロウィンの売り上げ1位となったこともある。
1971年没。
インチキ預言者兼俳優。
元々はTVキャスターだったが、番組の尺稼ぎに発した怪しい演説がきっかけでスカウトされた。
『プラン9』の予言者兼ナレーター、『死霊の盆踊り』のカンペ読みおじさん夜の帝王役が有名。
1982年没。
■関連資料
「
史上最低の映画監督」エド・ウッドを題材にした1994年製作の白黒映画。監督はウッドのファンであるという
ティム・バートン。詳細は該当項目を参照。
『グレンとグレンダ』から『プラン9』までの制作時期を描く。ウッドへの愛があふれる名作であり、ウッドの知名度を大幅に高めた。
これからウッド作品を見るという人は、本作を先に見ておくことをお勧めする。
そうしないとただのつまらない映画だし…。
ルドルフ・グレイ著、稲葉紀子訳。
エド・ウッドの半生を記した伝記。ウッドの家族や仕事仲間へのインタビューをまとめた形式となっている。
そのため、発言の食い違いなども見られるが、ウッドの監督・脚本・著作をまとめているなど資料的価値も高い。
■ティム・バートンのエド・ウッド評
エド・ウッドはアメリカでは一種カルトな存在になってる。よく上映されて、みんなそれを見てはゲラゲラ笑う。
たしかにスゴイし、おかしいんだけど、だけど、それでも彼には歪んだ詩みたいなものがある。
だからぼくはできるだけ彼を笑いものにしないようにしたんだ。
ある意味では彼を理解できる。
エドは……彼はいつもすごく楽観的だった。
彼の手紙を読むと、まるで自分が史上最高の映画を作ってるみたいな書き方をしているんだ。
エドは一種の倒錯したオプティミストだった。どう考えてもオプティミスティックになれない状況にいて、なぜかオプティミスティックだった。
つまり、(自分の現実に対する)否認があったわけだ。
最低のものを作りながら、自分では最高のものを作ってるつもりだったりする。とてもおもしろいね。
それに彼のまわりにいたのはとても奇妙な人ばかりだった。みんなとてもユニークで……
エドは自分に忠実であろうとした。それはとても尊重すべきことだ。
エドは女の服を着たいと思って、実際着た。映画を作りたいという情熱を持っていて、実際作り上げた。
あの人たちはみな……悲劇的で、とても悲しい存在だ。滑稽でいて悲しい。
そう、ぼくは彼らにすごく近いものを感じる。
成功と失敗のあいだ、才能と無能のあいだにはほんのわずかな差しかないんだから。
そのどちらかに転ぶかは、みんなが思っているよりずっとわずかな差なんだ。
最低と呼ばれても情熱だけは忘れない人が追記・修正お願いします。
- 「ゴミのような映画は世の中に沢山あるけど、映画みたいなゴミはエドウッドのつくった映画だけ」って評価すき -- 名無しさん (2020-11-29 23:25:32)
- 「エド・ウッドの人生について語ったら尺が足りないけど、エド・ウッドの映画について語ったら尺が余る」とは知的風ハット氏の弁。 -- 名無しさん (2020-11-29 23:32:19)
- ゾッ帝をはじめとする様々な作品を排出した某大物YouTube rも場合によってはエド・ウッドのように語られていたんだな -- 名無しさん (2020-11-29 23:37:12)
- ↑あれは現実や人生から逃げるためにやってたタイプだから真逆だろ -- 名無しさん (2020-11-29 23:48:46)
- 「逆境に塗れ勝機もない、だけど情熱を失わない彼には人生で大事な事を教えてくれる。映画『エド・ウッド』は最初見た時から好きで、何回見直してもなお好きになれる」by AVGNことジェームズ・ロルフ氏 -- 名無しさん (2020-11-29 23:49:40)
- 死霊の盆踊りのノベライズって一体何書くんだ -- 名無しさん (2020-11-30 00:04:10)
- ↑自作品からも流用したりして、映画よりはストーリーがきちんとしてるらしいよ。読みたくはないけど(笑) -- 名無しさん (2020-11-30 00:32:48)
- 映画への情熱失ってるのか失ってないのかよくわからんな。晩年は意欲失ったとか個性はプラン9までとかあるし -- 名無しさん (2020-11-30 01:04:18)
- 誰よりも映画を愛していたが映画からは愛されなかった男 -- 名無しさん (2020-11-30 09:53:37)
- コロナ渦でヤケクソになったのかプラン9と盆踊りの上映を始めた某映画館 -- 名無しさん (2020-11-30 12:20:36)
- 彼のデビュー時期はチャップリンが『ライムライト』を最後に米国映画界を叩き出され、ウェルズが(ケーン発表以来生涯だが)不遇の中俳優活動に軸足を移すハリウッド史上でも有数の金と不祥事と圧力の時代。そう思うとひたむきに映画に夢を求めた人生の在り様がまた違って見えてくる気がしないでもない。バートン含む映画人を惹きつけるのもそこら辺の事情があるのだろうか -- 名無しさん (2020-11-30 15:10:17)
- 死後評価されたゴッホとあるが、ゴッホって生前から結構評価されてたと聞いたが、本人がもっと売り込みにかける情熱がなかっただけで -- 名無しさん (2020-11-30 19:31:37)
- 映画への愛は本物だったけど、映画視聴者のことはそれほど考えてなかったんじゃないか説もあるらしい -- 名無しさん (2020-11-30 19:44:44)
- ↑ストーリーの整合性とか脳内補完してたっぽいからな、エド・ウッドの中では筋が通ってるけど、第三者目線が足りてないからあんな感じになったという -- 名無しさん (2020-11-30 19:51:26)
- 才能があっても悲劇に見舞われる人は山ほどいる。 それだけ現実が厳しいからこそ結果で報われなかった情熱を評価してもいいんじゃないか。 映画「エド・ウッド」は報われない情熱家に対する最高のレクイエム。 -- 名無しさん (2020-11-30 20:09:19)
- 誰よりも映画愛に溢れていたが、神は応えてくれなかった -- 名無しさん (2020-11-30 23:08:40)
- 普通だったら愛せないようなものを愛する、つまらなすぎるものを面白がる、現代で云うネタ的な楽しみ方があることを世に提示してみせたパイオニアみたいな存在だったんだろうか。 -- 名無しさん (2020-12-01 02:29:29)
- エド・ウッドを鑑賞したんだけど、あんなに情熱を注いで作った映画も結局は評価されず、映画終盤のエドのその後についての記述でなぜか涙が滲み出てきた。 -- 名無しさん (2020-12-05 20:51:04)
- バートンの言う通り、表現には実は一貫性があるしエド・ウッドが何を「やりたかった」のかはある程度ちゃんと分かる。でもどうすればそれが作品になるのか、他人に受容されるものになるのかが致命的に伴っていない。形式は整ってても中身はスカスカの「ゴミのような映画」と対極にある、中身はちゃんとあるけど形式がまるでダメな「映画のようなゴミ」とは言い得て妙。 -- 名無しさん (2020-12-25 13:17:22)
- 本人の実績だけ見ると冗談抜きで何故伝記映画が制作されたのか理解出来ない、実際バートンがエドの映画撮影するとき制作会社が難色示したそうだし -- 名無しさん (2021-07-20 00:30:11)
- どこがどうクソなのか、ネットで知ってから見たほうがいいネタバレ推奨映画。冗談じゃなくマジで -- 名無しさん (2021-11-14 01:43:06)
- 自分の中のアイデアをそのまま世にお出ししてしまうタイプの人だったんだろうか… -- 名無しさん (2021-11-14 02:30:27)
- 『エド・ウッドとサイテー映画の世界』で紹介された、エドに対するバートンのコメントはマジで涙腺崩壊レベルなので必見 -- 名無しさん (2022-10-01 08:47:48)
最終更新:2025年01月10日 07:02