ブランドン・ベイリー(バイオハザード)

登録日:2023/05/07 (日) 13:39:21
更新日:2025/07/03 Thu 22:22:58
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私はすでに死んでいた。

そして、私の半生をかけて育てたこの研究所ももうすぐなくなる。

もう、未練はない。

そろそろ潮時だろう。



ブランドン・ベイリーとは、バイオハザードシリーズの登場人物。初出は『バイオハザード5』。
同名の野球選手とは関係無い。


概要

今のところ名前のみのキャラクターであり直接登場はしていない。
アンブレラ創設者の一人にしてTウイルスの開発者ジェームス・マーカスの弟子であり助手。重度の人間不信であるマーカスが信頼を置いていた数少ない人物。
ブランドンもマーカスのことをとても尊敬しており、師弟関係は良好であった。
一方でスペンサーのことは「スペンサー卿」と敬称を用いる傍らでかなり毛嫌いしており、日記に彼に対する愚痴をこぼしている。

師匠と同じく研究第一に考える思考の持ち主だが、その分科学者としては優秀で始祖花から始祖ウイルスを抽出し、培養することに成功している。


動向

1966~1988年まで

スペンサーからマーカスと共に「太陽の階段」の存在を聞かされるも、ブランドンは眉唾物だと思っていた。
だが、マーカスが「未知のウイルス」という仮説を立てたことで彼に同調し、アフリカへと移動。3ヶ月かけてンディパヤ族から太陽の階段=始祖花の奪取に成功し、マーカスが始祖ウイルスを発見したことで研究を開始する。

しかし、現地以外で始祖花を栽培しても始祖ウイルスが発生しないという事実に研究は頓挫。
マーカスと共に今後の方針について議論している所にスペンサーからアンブレラ創設の話を持ちかけられ苛立ちがピークに達し、「始祖ウイルスがなければ、会社なんて興しても無意味だ。この男は、そんなこともわからないのか。まったく嫌になる!」と日記に記した。

結局「再びンディパヤ族の妨害を掻い潜り現地の始祖花を入手するしかない」という結論に至り、アフリカへ赴こうとするが、そこへスペンサーが「ならばあの地を奪えばいい」と提案。「いかにも俗物のスペンサー卿らしい発想」と蔑みながらマーカスと共にありがたくその提案を受け入れた。

4ヶ月後、スペンサーから「ンディパヤ族を退け地下遺跡の半分の奪取に成功し、始祖花を育成しているエリアを手に入れた」との吉報が届く。
始祖ウイルスを研究するための施設を建設するとの報せも受け*1、マーカスと共に意気揚々と現地へ向かおうとするも、スペンサーはマーカスにアフリカには行かずにラクーンシティにある幹部養成所の所長になるよう要請。
面食らったブランドンだったが、「マーカス博士には落ち着いて研究できる環境が必要」と受け入れ、一人でアフリカへと旅立った*2

ブランドンの予想通り、現地は落ち着いて研究できる環境ではなかった。研究施設という名ばかりの、機材の積まれたテントでスペンサーが雇った武装集団と工事の騒音に囲まれることになる。
ブランドンは始祖花から始祖ウイルスを抽出し、それをマーカスに送ることに専念することにした。9ヶ月後に施設が完成したが、ブランドンはもっと広い研究施設と多くの研究員が必要だと判断。スペンサーも同意見だった*3ため工事が再開されることになるが、ここにきて遺跡内に実験棟を造るという無茶がたたり、水脈がめちゃくちゃになって危うく始祖花を枯らしてしまいそうになった。

新任の工事責任者の手腕により難を逃れ、ブランドンはマーカスに始祖ウイルスを送り続けた。*4
そして1978年、ついにマーカスからTウイルスの開発に成功したとの電報が届く。この時に関する日記は見つかっていないが、ブランドンが大いに喜んだことは間違いないだろう。
だが、そんなブランドンの心にぽっかりと穴が開く出来事が起きる。

敬愛するジェームス・マーカスの死である。

マーカスの死後

マーカスの死により、ブランドンは全てに対して鈍感になってしまう。
怒ることも、喜ぶことも、驚くこともなくなり、
黙々と機械的に始祖ウイルスを各研究所へと送り、部下が持ってくる研究成果をただ評価し、使えそうなものを本社に報告する。そんな虚無の日々を過ごしていた。

アークレイ研究所が無くなろうと、
ラクーンシティが消滅しようと、
自身のいるアフリカ研究所が閉鎖されることになろうとも、
ブランドンにとっては、どうでもいいことになってしまった。

アンブレラ崩壊後、『5』で入手できるスペンサーの手帳にはさまれた、「機密情報アクセス権リスト」がプリントされた用紙に

ブランドン・B(死亡)

とあり、ひっそりと死亡していたとされた。
だがそれから更に時は流れ『ヴィレッジ』のDLC「トラウマパック」収録のゾイのレポートにて、『7』で新登場した組織「コネクション」の創設者がブランドンであることが明らかとなる。
脱け殻同然の状態であったブランドンが、なぜ再び生物兵器と関わろうとしたのか、その真意は不明。
再登場が期待される一方、マーカス(1987年没、享年70歳)の弟子である以上、アンブレラが崩壊した時点でかなりの高齢であったと考えられ、既にこの世を去っている可能性は否定できない。


余談

同じく創設者の一人であるエドワード・アシュフォードに関してはどう思っていたのかは不明。マーカスやスペンサーを通じて面識はあったと思われる。

意外なことにマーカス(に擬態した女王ヒル)がメインヴィランである『0』では、ブランドンはまったく言及されていない。この頃はまだ彼の設定が無かったのだろうか。

機密情報アクセス権リストの中には「イーサン・W(死亡)」という気になる名前もある。もうちょっと考えて作品作りましょうよカプコンさん…。

上記の通り最も密接なのは師匠であるマーカスで、スペンサーのことは軽蔑しているが、『VILLAGE』におけるゾイのレポートでは「スペンサーの右腕」と称されている。
アンブレラ崩壊からスペンサー死亡までの間に、何らかのつながりがあったのだろうか。



ここは良項目研究の最前線となるべき場所だ。
ここでの追記・修正が、そのままマーカス博士の新規項目作成の助けとなるだろう。
幸い、これについては、あの守銭奴スペンサーも同じ意見のようだ。
あいつと意見が合うとは、珍しいこともあるものだ。

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最終更新:2025年07月03日 22:22

*1 これに関しても「彼にしては、素晴らしいアイデアだ」とスペンサーを半分馬鹿にしている。

*2 ブランドンは知る由もなかったが、これはスペンサーが社内での権力を増大させるためにマーカスを左遷させブランドンを現地に事実上幽閉することが目的であった。

*3 ここにきて日記に「守銭奴スペンサー」と思いっきり罵った。彼と意見が合ったことに嫌悪でも感じたのだろうか?

*4 ブランドン自身は重要な人材だったために特にお咎めは受けなかったようであるが、彼の提案を聞き入れた前任の工事責任者は仕事をクビにされた。