ユキノビジン(競走馬)

登録日:2023/08/15 Tue 06:57:06
更新日:2025/06/08 Sun 20:21:09
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ユキノビジン(Yukino Bijin)とは日本の元競走馬

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
ユキノビジン(ウマ娘 プリティーダービー)

目次

【データ】


誕生:1990年3月10日
死亡:2016年7月22日
享年:26歳
父:サクラユタカオー
母:ファティマ
母父:ロイヤルスキー
調教師:久保田敏 (美浦)
馬主:荒井幸勝
生産者:村田牧場
産地:新冠町
セリ取引価格:-
獲得賞金:1億5,900万円 (中央) /685万円 (地方)
通算成績:10戦6勝 [6-2-0-2]
主な勝鞍:93'クイーンS(G3)

【誕生】


1990年3月10日生まれの栗毛の牝馬。
父から栗毛の馬体を受け継ぎ、鬣を白のワタリで編みこんであるのが特徴。

父のサクラユタカオーは中距離路線で天皇賞(秋)を含め6勝し1986年の優駿賞最優秀古馬にも選ばれた馬で、種牡馬としてもエアジハードやサクラバクシンオーなどG1馬を多く輩出している。
さらにテスコボーイの血統もあり、デビュー前から大いに期待されていたという。

本来なら中央ですぐにデビューする予定だったが、たまたま受け入れ先であった久保田敏夫厩舎の空きが無かったがためにそれは叶わなかった。
オーナーである荒井幸勝氏が「3歳まではダートで使う」という方針もあり、馬房が空くまでという条件で盛岡競馬場からデビューした。

【戦歴】


3歳新馬戦はダートの短距離だったが1番人気に応え見事5馬身差で勝利する。
2戦目、3戦目も勝利しすぐに昇級、勢いそのままに南部駒賞に出走するが、4歳時に不来方賞などを制するエビスサクラの5着に終わる。
そこに馬房が空いたという知らせが届き、4戦3勝と好成績を残し盛岡を後にする。

4歳からは中央に登録され、オープン初戦としてクロッカスステークスに出走。
勝率はいいものの、それまで全てダート、それと地方からの転厩ということで大きな期待は寄せられず、10頭中9番人気。
ところが、スタート直後から先行して2番手からレースを進め、道中で先頭に立つと2着ビコーアルファーにそのまま3馬身差をつけて逃げ切ることに成功。最後の600メートルに至っては、逃げていたにもかかわらずメンバー中最速だった。
この走りによって周りに再評価され、次走への期待が大いに高まった。

1ヵ月半の休養の後、次戦として桜花賞に出走。間に何も挟まず直行したことが唯一の不安だが、それでも5番人気に支持される。
1番人気のベガが先頭に踊り出て、ペースを完全につかむ中、ユキノビジンは遅れることなく4~6番手をキープ。
最終コーナーに入ってベガがラストスパート。対しユキノビジンは内が完全に詰まってしまい、大外に出ざるを得なくなる。
が、それでも先頭のベガを目指し猛追。そのままベガが勝利したが、ユキノビジンはクビ差の2着と、あと少し条件が違えば勝てたかもしれない好走を見せた。
これでユキノビジンは間違いなく速いと確信したファンは、かつてのオグリキャップのようなすごいスーパーホースが来たと一気に人気に火が点き、その見た目のよさから女性人気も獲得していく。


続くオークス。
距離は800mも伸び、今までマイルでの距離でしか走ったことが無いユキノビジンが勝てるかという不安要素があるものの、桜花賞での好走が評価され3番人気での出走となる。
さらに桜花賞馬となったベガも出走。リベンジをするにはまさにうってつけのレースとなった。
スタート直後、今度はユキノビジンがベガの前に出て3番手に上がる。しかし、ベガはユキノビジンを徹底マークし、最終コーナーまで両者にらみ合いが続く。
最終コーナー、ユキノビジンが先に仕掛ける。このときのユキノビジンは股関節の状態が思わしくなく、府中の厳しい坂をヨレながら必死に駆け上がる。
対しベガはパワーに物を言わせ、残り200mで先頭に立つ。ユキノビジンも食らいつくが、100m地点で力尽き1 3/4馬身差をつけられて敗北。
不調さえなければ桜花賞、オークスともに勝てたかもしれなかったが、これもレース。結果を受け入れるしかない。
敗北はしたものの、確かな速さに人気は爆上がりオークスの後にはとうとうユキノビジンのぬいぐるみが販売されるまでに。中央重賞未勝利にもかかわらずである
それほどまでにユキノビジンに魅了された人が多いのだ。
ちなみにベガはブサイク馬として有名になった。牝馬二冠馬なのにこの扱いである

次に出走したのはG3クイーンステークス*1
当時は牝馬クラシック最後の1冠に数えられていた*2エリザベス女王杯などのG1に挑む前哨戦としてローズステークスとともに競合が揃うレースとなっていた。
なんとかG1を勝ち取りたいユキノビジンはここで1番人気に支持され、雨の中を突き進み1着。ついに重賞初制覇となった。

そして勢いそのままに迎えたエリザベス女王杯。
ローズステークスを制したスターバレリーナ、牝馬二冠馬ベガに次ぐ3番人気に支持され、ユキノビジンは今度こそG1制覇を狙う。
しかしここでも距離適性が合わないのか、終盤のスパートでまったく伸びずずるずると後退していき、10番手に終わった。
この時勝ったのは「ベガはベガでもホクトベガ」で知られる、クイーンステークスで2着だったホクトベガ。

しかし、年末最後に出走したターコイズステークスでホクトベガと再び対決、1番人気に応えるように2着アルファキュートを1と1/2馬身差で勝ち、見事リベンジを果たす。
決して実力が劣っていたわけではないということを証明した。

ところが、更なる活躍が期待された矢先に左前脚を骨折してしまう。
治療の甲斐も無く競走馬としての復活は絶望的となり、1994年9月に登録抹消し引退となった。
G1制覇こそできなかったが、桜花賞、オークスでのベガとの競り合いは競馬ファンの中で今でも語り継がれるなど、記録よりも記憶に残る名馬となった。

【引退後】


引退後は繁殖牝馬として村田牧場に戻る。
受胎率はよかったが、母体の健康状態が思わしくないことが多かった。それでも15年で牡馬9頭、牝馬3頭を産駒を送り出したが、重賞馬を輩出することは叶わなかった。
その後は功労馬として余生を過ごすが、老衰によって2016年7月22日に亡くなった。没26歳、大往生だった。
しかし、サクラユタカオー、そしてなによりユキノビジン自身の末脚の血統が断たれたわけではない。
今後の子孫たちから優秀な競走馬が生まれることを願おう。

【創作作品での登場】


盛岡からやってきた純朴な田舎者キャラのウマ娘。
グッドルッキングホース*3でシチーガールのゴールドシチーに憧れており仲が良い。
地元の方言でしゃべるキャラなので、南部領で盛岡と繋がりの深い三沢出身の中の人の本領発揮ともいえる。ゼンノロブロイの中身は岩手出身だが。
原案の勝負服ではなんとスケート靴を履いており、散々「まともに走れなさそう」「ターフがズタズタにされそう」などとツッコまれていた。
2022年9月12日に勝負服のデザインが大きく変わるかたちで実装され、先述のスケート靴は無事(?)撤廃された。

【余談】


タレントYoutuberの清原優希乃(現:優希乃)は父がユキノビジン号の世話をしていた元JRAの厩務員、母親がユキノビジン号の追っかけをしていた女性ファンで、何を隠そう名前の由来もユキノビジン号だという。
以前から競馬ファンの間では「ユキノビジン号の厩務員は自身の娘にもその名をつけた」いうことが確証が無いながらも逸話として語られてきたようだが、丁度『ウマ娘』にユキノビジンが実装された頃にその話題が挙がった際、ご本人が認めたことで確定したという経緯がある。


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最終更新:2025年06月08日 20:21

*1 当時は10月開催だったほか、距離も1800mでは無く2000m。開催場所も札幌ではなく中山だった

*2 当時はまだ秋華賞が無かった

*3 原作ユキノビジンもグッドルッキングホースで知られる