サクラバクシンオー(競走馬)

登録日:2022/04/10 (日) 22:54:00
更新日:2025/03/30 Sun 17:18:46
所要時間:約 23 分で読めます






94年、スプリンターズステークス。

絶頂を極めた者に、もはや勝つべき戦いは残っていないのか。

レコードを叩きだした、ラストラン。

最後に勝つ者が勝者だ。

その馬の名は…


――2012年JRA・GⅠレースCMシリーズ「THE WINNER」より



サクラバクシンオー(Sakura Bakushin O)(1989/4/14〜2011/4/30)とは、日本で生産・調教された元競走馬・種牡馬。
その活躍からほぼ30年経った現在においてもなお、国内最強スプリンター議論において真っ先にその名を挙げられ、比肩しうるとされる存在が“龍王”ロードカナロア降臨に至るまで現れなかった、日本競馬における文字通りの筆頭スプリンターである。




データ

父:サクラユタカオー
母:サクラハゴロモ
母父:ノーザンテースト
生誕:1989年4月14日
死没:2011年4月30日(22歳没)
生産者:社台ファーム早来
馬主:(株)さくらコマース
調教師:境勝太郎(美浦)
主戦騎手:小島太
生涯成績:21戦11勝[11-2-1-7]
獲得賞金:5億2125万3000円
主な勝ち鞍:'93-'94年スプリンターズS(G1)
タイトル:JRA賞最優秀短距離馬(1994年)


驀進(バクシン)王の血統背景

サクラユタカオーテスコボーイ*1産駒。日高の名門・藤原牧場出身にしてサクラ軍団初の秋天覇者*2。「良馬場の2000mに限ればサクラ軍団最強」と評された快速馬である。
種牡馬入り後はバクシンオー以外にも

サクラキャンドル(95年エリザベス女王杯制覇)
エアジハード(99年春秋マイル制覇)
ウメノファイバー(99年優駿牝馬制覇)
メルシータカオー(04年中山大障害制覇)

とGⅠ馬を4頭輩出しており、またブルードメアサイアーとしても多くの重賞馬を輩出。内国産種牡馬不遇の時代に真正面から抗い続けた、押しも押されもせぬ大種牡馬である。

サクラハゴロモは春天と有馬記念を制した当代きってのステイヤー、アンバーシャダイの全妹*3。父ノーザンテーストに由来するノーザンダンサー系と名牝クリアアンバー系の血統合流点であり、存在そのものが千金に値する超名血牝馬である。
当然、社台グループではレースで使う気などさらさらなかったが、彼女に惚れ込んだ境勝太郎調教師とさくらコマースたっての願いから、購入の商談こそ決裂したものの、3000万円で3年間レンタルという形で境師に預けられることとなる。
が、新馬戦で骨折。長期休養を経て2勝したものの、預かった名牝に無理をさせるのを厭った境師は2年で彼女を引退・返還。その埋め合わせとしてさくらコマースに譲渡されたハゴロモの初仔こそ、後のサクラバクシンオーというわけである。

そんなわけでこの馬、初手から取引価格0円というほとんど例のない経歴持ちだったりする。
ついでに日高のエースサイアー・テスコボーイと社台躍進の立役者・ノーザンテースト、そしてクリアアンバー系の血統合流点である彼は「内国産血統の結晶」と呼べる存在だったり。ただの無双スプリンターではないのだ。ノーザンテーストもテスコボーイも外国産馬?産駒が日本で種付けされて日本で産まれたら内国産馬なんだから問題ないでしょ?

ちなみに、入厩時点では父譲りの体質の弱さと脚部不安はともかくとしてスプリント無双とは特に思われておらず、むしろクラシック戦線(特に日本ダービー)の有力候補とみなされていた。
まあ牝系の伯父がアンバーシャダイだし、父ユタカオーだって秋天をレコード叩き出して勝った中距離巧者である。つまり血統的には2000m前後の中距離、牝系の血が強く出ればそれ以上も、と言ったライン
そんな血統から最強スプリンターが顕現するなんて普通は想像の埒外だし、だからこそ競馬は面白いわけだが。


驀進(バクシン)王、その戦歴

馬齢と一部レース名は旧表記(数え年)で記載。

4歳時〜驀進(バクシン)エナジーチャージ中〜

1992年1月12日、終生の相棒となるサクラ軍団の名手小島太騎手を鞍上に中山競馬場の新馬戦(ダート1200m)でデビュー。好スタートでハナを奪うとそのまま逃げ切り、2着に5馬身差つける圧勝で初戦を飾る。
2週間後に500万下特別の黒竹賞(芝1600m)に出走。1番人気に推されるもスタートで後手を踏んだのが災いし、猛追及ばず直線で競り負けアタマ差の2着。3月中旬の1200m戦はこれも1番人気に推され、逃げて4馬身差の圧勝。

この時点でスプリント路線に専念した方がよさげ、というのは陣営も承知していたが、サクラ軍団総帥・全演植氏と境師の協議の結果「一度クラシック路線の前哨戦に出してみましょう」ということになり、皐月賞トライアルのスプリングステークスに出走することに。
レースでは3番人気に推されるも、重馬場でフォームが乱れ、4角ではあわや転倒しかけるほどにバランスを崩し失速、12着轟沈。父譲りの脚元の不安定さが露呈したレースとなった。
なお、勝ったのはミホノブルボン。というかこのレース、ライスシャワーマチカネタンホイザと「キミら中長距離専よね?」な連中も出てたりする。馬によってはまだ距離適性の判断が終わっていない時期とはいえ、随分と面白いメンツが揃ったものだ。

一応抽選対象として皐月賞出走もワンチャンあったのだが、この大敗を目の当たりにした陣営はクラシック路線をすっぱり放棄し、短距離重賞のクリスタルカップへ舵を切ると、あっさりと逃げ切って重賞初勝利。
続く菖蒲ステークスは別定重量で57kgを背負うも再び勝利、ニュージーランドトロフィー4歳ステークスへ駒を進める。が、1600mという距離不安と調教不順がモロに直撃、逃げ切れず7着に沈んだ。
夏場はまるまる休養に充て、復帰戦の京王杯オータムハンデキャップを含む1600m戦2戦はどちらも敗戦。続く11月末のオープン戦は1400mに戻ったこともあり逃げ切りで快勝。

そして12月20日、スプリンターズステークス*4に出走。マイルチャンピオンシップ連覇のダイタクヘリオス、同期の桜花賞馬ニシノフラワーに続く3番人気と、現時点で重賞1勝かつ主戦場がOP特別の地味なスプリンターとしては高評価を得た。
レース本番ではトモエリージェントとユウキトップランに挟まれ先行するも、競り合いで飛ばした結果、前半600mが32秒8というあたおかハイペースと化す。これでは前残りなど期待できるはずもなく、後方から鋭く末脚を伸ばした天才少女を眺める6着敗戦。
なお、この92年スプリンターズステークスこそサクラバクシンオーが1400m以下のレースで喫した唯一の敗戦である。まだ本格化しきってすらなかったとはいえ、短距離無双驀進王に勝ってのけたニシノフラワーも大概とんでもない女傑と言えよう。

このレース後、抱えていた脚部不安がついに見過ごせないレベルに達し、翌93年夏いっぱいまでを棒に振ることとなってしまう。
が、この休養中に馬体が完全に本格化。秋からの驀進と飛躍の原動力となっていく。

5歳時〜(バク)(シン)・開・始〜

前述の通り長い休養を経て、93年10月20日のOP特別で戦線復帰。得意距離の1200m戦にもかかわらず2番人気だったあたり、どうも長期休養で全盛期浪費したと思われていたフシがある。
ここまで逃げ戦術一本で戦ってきたバクシンオーだが、このレースでは好位追走で脚を温存しつつ、直線で抜け出し末脚でねじ伏せるという新境地を披露。控えるレースと先行策をマスターして帰ってきた。
が、次走は1600m戦かつ重馬場と案の定な条件が重なり4着敗戦。それでも掲示板を外さなかったあたりに進化がうかがえる。仕切り直しの府中芝1400mは先行策からの直線抜け出しで後続を完封し、雪辱を果たすためスプリンターズステークスへ挑む。

93年スプリンターズステークス、出走馬1番人気は当年の安田記念と秋天を制し、“3階級制覇”に期待がかかる前年2着馬ヤマニンゼファー。バクシンオーは連覇に挑むニシノフラワーを抑え2番人気に推された。
レース本番ではヤマニンゼファーにマークされるような形で3番手を進む。若干スローに進んだことも幸いし、最終直線まで温存した末脚を炸裂させて一気に抜け出し、悲願をかけて猛追するヤマニンゼファーを2馬身半差完封。完全勝利でGⅠ初戴冠を果たした。
なお、レース8日前に全演植総帥が亡くなっており、総帥をオヤジと慕っていた小島騎手はレース後のインタビューで「寝ても覚めてもオヤジのことばかり考えてた。絶対に勝たなくちゃならないし、絶対に負けられないと思っていた。これまでの騎手人生で最高の仕事ができた。オヤジの墓前にいい報告ができる」と声を震わせている。

GⅠ戴冠という最高の形で93年を終えたバクシンオーだが、年度表彰では2階級制覇したヤマニンゼファーに10票及ばず最優秀短距離馬の座を逃した。まあ当年の実績ではゼファーのが上だし……でもスプリンターズステークス勝ったのに最優秀スプリンターじゃないのってどうなのよ*5
ちなみにヤマニンゼファーがスプリンターズステークスかマイルCS勝ってた場合、GⅠ3勝で年度代表馬の座をビワハヤヒデから奪ってた可能性がワンチャンあった……かもしれない。

6歳時〜驀進(バクシン)王、降臨〜

6歳で迎えた94年は安田記念を春の大目標*6に据え、ダービー卿チャレンジトロフィー*7で始動。東京新聞杯は負担重量60kgが脚をぶっ壊しかねないとの危惧から回避、京王杯スプリングカップからでは直近の前哨戦ということもあり調整がキツい、という理由である。なお、レース本番は2番手追走からの直線抜け出しで、鞍上が手綱を抑える余裕すら見せての完勝に終わった。
本命の安田記念は外国馬に次ぐ3番人気に支持される。ハイペースの逃げ馬を追いつつ、直線で一度は抜け出し粘り込むが、マイルの女王ノースフライト以下後続の追い上げに屈し4着敗戦。

夏の休養を経て、陣営はなんと秋天への殴り込みを示唆。その前哨戦として、4歳春・スプリングステークス以来の1800m戦となる毎日王冠に挑む。1600m以上未勝利ということもあり、バクシンオーは4番人気。1番人気はこの距離での日本レコード保持者ネーハイシーザーとなった。
久々に逃げ戦術を解禁し、1000m57秒5というハイペースでかっ飛ばすバクシンオー。直線半ばまで逃げ粘るものの、ネーハイシーザー以下後続にかわされ2戦連続の4着敗戦。
ネーハイシーザーの走破タイムは自身の日本レコードをさらに縮める激走だったが、バクシンオーのタイムも旧レコードを更新し、さらに守備範囲外のはずの1800戦で掲示板に残ってみせた。この収穫には陣営もニッコリ。
しかし、敗戦で毎日王冠を終えたことを受けて、結局秋天の出走プランは結放棄され、その後は短距離路線に復帰。スワンステークスでは1番人気に応えノースフライトを完封し、1400m戦で日本初となる1分20秒の壁を破るレコード勝利。なお、このレコードはレースレコードとしては翌年のヒシアケボノにあっさり更新されたが、コースレコードとしては2017年阪神カップのイスラボニータによる更新まで保持された。
その後、マイルCSでノースフライトと再戦。毎日王冠で距離適性克服の兆しを見せたとはいえ完全克服は間に合わなかったか、最後の最後でノースフライトにかわされ2着。マイル以上のレースで初めて連対したものの、結局この条件では一度も勝てずじまいとなった。

そして年内最終戦として連覇のかかるスプリンターズステークスに出走。戦前に「結果を問わずこれ出たら引退です」との発表付きである。泣いても笑ってもこれがラストランだが、競馬ファンの皆さんは「勝つのはまあバクシンオーだろ、あとはレコードが出るかどうかだな」とわりとゆるいノリであった。
なぜかって、そもそも短距離重賞そのものがほっとんどない時代である。短距離GⅠなんてスプリンターズステークスしかなく、ぶっちゃけバクシンオーがこれ以上もぎ取れる栄冠なんざ残っちゃいなかったのだ。「絶頂を極めた者に、もはや勝つべき戦いは残っていないのか」ってのはそういうことである。3連覇?ただでさえ騙し騙しだったのに無茶言うなや、そもそもこの超良血を生産界が黙って待ってくれるわけないやろ
さて、当年から国際競争となった当レースだが、外国馬の出走は3頭。そのうちの1頭が重賞勝鞍こそ少ないが芝ダートを問わず堅実な走りと勝ちを重ね、ブリーダーズカップスプリントでハナ差2着に食い込んでみせた2番人気のソビエトプロブレムである。既にソ連崩壊してんのにソビエトプロブレムとはこれいかに。いやまあこの馬産まれたときにはまだ健在だったけど、それにしても父モスコーバレエとはいえ大概な名前つけたものだ。
とまあそんなわけでゲート開放である。前半600mが32秒4と、2年前超えのエグいハイペースを4番手に控えつつ進み、3角から4角にかけて抜群の手応えで進出。直線向いてグッと一気に抜け出すと

小島太、これが最後の愛の鞭!これが最後の愛の鞭!
フジテレビ実況・ポエマー塩原恒夫アナ

と、鞍上小島騎手最後の檄に応えさらに加速、2着争いを繰り広げるビコーペガサスやキョウエイキーマンを後目に、後続を完全にぶっちぎる4馬身差の圧勝でラストランを飾った。なお、地味に2着のビコーペガサスも前年のバクシンオーの勝利タイムを上回ってたのに、当然のようにレコードを0秒5更新した模様。
この1分7秒1という1200m戦の日本レコード、レースレコードとしては2001年のトロットスターに更新された後、“龍王”ロードカナロアの手……いや馬に手はないから脚か?ともかく、ロードカナロアによって1分7秒の壁がついに破られることとなった。ちなみに距離レコードとしては、97年のシルクロードステークスにおいてエイシンバーリンの激走で1分6秒9に更新された後、やはり龍王の連覇に華を添えるレコード更新となった。
なお、ソビエトプロブレムは前評判の威勢のよさはどこへやら、まったくいいところなく7着に沈んだ。レース動画見るとわかるけど、かわしていったバクシンオーとの手応えの差がダンチなんだよなぁ……

当初の予定通り、この勝利を最後に引退し、年度表彰ではノースフライトを抑え最優秀短距離馬に選出。1月15日に中山競馬場で引退式が挙行され、ラストランのゼッケン8番を着けて中山を駆け抜け、ターフを後にした。

通算成績は21戦11勝[11-2-1-7]。内訳を見ると1400m以下が12戦11勝[11-0-0-1]、1400mより上は9戦0勝[0-2-1-6]とまさに生粋のスプリンターであった。

彼の活躍した時期は短距離戦線も整備されておらず(というかむしろ彼の大暴れを受けて整備が急速に進んだのだが)、また海外遠征もメジャーではなかった頃。戦うべき場が充分に与えられていない状況下でここまでの活躍を見せた彼は、やはり巷で評される通り「速すぎた、そして早すぎた馬」だったのだろう。




種牡馬時代

引退後の95年から社台スタリオンステーションで種牡馬入りすることとなった。当時の社台SSはトウカイテイオーメジロマックイーンといったごく一部の超級内国産馬以外、ほぼ外国産種牡馬専用と呼べる環境にあった。そこでの繋養が決まるということは、バクシンオーは名実ともに世界レベルの超優駿とみなされたということである。まあ、それでなくとも非サンデー系の超良血なので、社台SSかはともかく種牡馬入りは既定路線だったはずだが。
なお、当時の生産界はサンデーサイレンスが無双種牡馬として蹂躙を開始し、その脇をトニービンとブライアンズタイムが固めた“御三家”による絶対専制めいた状況で、内国産種牡馬は劣勢という言い方すら控えめで、付け入る隙はほとんど残っていなかった。

では、サクラバクシンオーはそんな中でどのような実績を上げたのかを追っていこう。
内国産種牡馬期待の星として繁殖入りしたバクシンオーは、初年度から100頭以上の肌馬を集め、その類まれなるスピードを産駒に継承し、短距離部門の活躍馬を多く輩出していった。
2000年にはSMILE区分のSコラムに限ってではあるが、サンデー軍団に肉薄する好成績を叩き出し、非サンデー系種牡馬の旗手として君臨することとなる。その成果は馬主からも厚く信頼され、種牡馬入りから死去まで16年連続で肌馬100頭超えという快挙に至った。

意外なところでは、産駒のブランディスが中山大障害と中山グランドジャンプを制しており、血統の潜在資質的には超長距離もイケたということが判明している。元々中長距離が主戦場の血統だし、脆弱な体質さえなければバクシンオー自身、2000mくらいまでならどうにかなってた可能性はある。毎日王冠でその兆しは見えてたわけだし。だが驀進厨すぎてマイル以上では保たなかった疑惑が
ブランディスを除けば産駒のGⅠ馬はすべてスプリンター/マイラーで、重賞馬まで裾野を広げても中長距離の重賞勝鞍を持つ産駒はいない。条件戦まで下げるとダートの2400m勝ってる奴もいる……というかブランディスなんだけど。
かように控えめに言ってもド極端な産駒傾向だが、逆に言えばその分特定分野における安定性はバツグンだったわけで、その辺も種牡馬としての人気に直結していたフシがある。

2010年7月には、内国産種牡馬として史上3頭目となる産駒の中央競馬通算1000勝を達成。同年12月の朝日杯フューチュリティステークスをグランプリボスが制したことで、産駒による2歳GⅠ制覇も達成した。
しかし産駒がバリバリに活躍を続けてる2011年4月30日、社台SSにて心不全により死去、22歳没。奇しくも全総帥死去から8日後のスプリンターズステークス同様にバクシンオーの死から8日後、5月8日のNHKマイルカップをグランプリボスが制し、亡き父にクラシックマイル覇者の栄冠を捧げた。

なお、ブルードメアサイアーとしても重賞馬をそれなり以上に輩出しており、その筆頭がキタサンブラック。バクシンの娘+インターミディエイトがせいぜいのディープインパクト全兄=リアル黒王号な晩成ステイヤーという予想外すぎる血の発現に、血統重視の馬券師は頭を抱えたとか、抱えなかったとか。*8*9
また短距離路線でもファストフォースが2023年の、サトノレーヴが2025年の高松宮記念にそれぞれ勝利している。ちなみにこの2頭、揃って父ロードカナロア・母父サクラバクシンオーという短距離特化血統である。


主要産駒一覧

GⅠ馬のみ記載。

  • ブランディス
97年産駒。バクシンオー産駒唯一の障害GⅠ馬*10にして、バクシンオー産駒のGⅠ馬では最長老。ちなみに騙馬。
3戦目にしてようやく勝ち上がるものの、その後は条件戦をうろうろ。短距離での成績がよろしくなかったことからバクシンオー産駒にしては珍しく中長距離をメインに戦い、弥生賞にも出ているが9着に沈んでいる。
5歳(2001年以降満年齢表記)になっても条件戦でうろうろしてたが頭打ちになり、一縷の望みとともに障害転向。すると水が合ったのか、2戦目にして障害初勝利。
6歳時には順調に勝利と好走を重ね、年末の中山大障害に挑む……筈だったのだが、レース予定日の12月27日は芝コースが埋もれるほどの大雪。平地芝レースはすべてダートに変更、中山大障害も翌年に延期という事態に。
明けて2004年1月10日開催となった中山大障害は、好スタートから素早くハナを奪いそのまま押し切る横綱相撲で勝利し、障害重賞初挑戦を障害GⅠ初勝利で飾った。続く4月末の中山グランドジャンプも貫禄の勝利で障害GⅠを連勝するが、秋になって牡系譲りなのか脚部不安が炸裂。中山グランドジャンプを最後に引退した。
引退後は乗馬として馬術競技にも出走し、2021年春時点では片目を悪くしたものの初心者レッスン用馬として茨城の乗馬クラブで余生を送っていたが、2022年現在は休養中とのこと。
ちなみに近親にはバクシンオーの血を引き継ぐ2022年度JRA賞年度代表馬、イクイノックス*11がいたりする。

  • ショウナンカンプ
98年産駒。バクシンオー産駒のGⅠ馬第一号。母はマルゼンスキーの成功に味をしめて開催されたニジンスキー産駒種牡馬輸入祭in日高*12において、ラッキーソブリン産駒として生を受けたショウナングレイス。ちなみにこのショウナングレイス、牝系を辿ると地味にメジロ系に連なる凄い奴だったりする。
デビューから10戦はダートの短距離を戦い、ガーネットステークスにも挑んだが11着と大敗している。
2002年2月の条件戦で芝に初挑戦しビリーヴらを相手に逃げ切ると、続くオープン特別も勝って高松宮記念に殴り込み逃げ切り勝ち。重賞初勝利をGⅠで飾り、父に産駒GⅠ初勝利の栄光を捧げた。
続く2戦は函館スプリントステークス4着、スプリンターズステークス3着と勝ちきれないものの、スワンステークスを制し重賞2勝目&父より好タイムで親子制覇を挙げる。年末は香港スプリントに挑戦するも10着敗戦。
翌2003年は阪急杯で始動し逃げ切り勝ちするも、連覇に挑んだ高松宮記念はビリーヴの7着に沈む。その後右前脚に屈腱炎を発症し引退した。
引退翌年から北海道静内町のレックススタッドで種牡馬入りし、初期の絶望的登録数が足を引っ張り産駒の絶対数こそ少なめなものの、重賞馬を2頭輩出するなどそこそこ活躍したが、2020年3月12日、余生を過ごしていた宮崎県の牧場で放牧中の事故がもとで安楽死、父と同じ22歳没。

  • グランプリボス
2008年産駒。バクシンオー産駒の筆頭マイラー。
2010年8月に2歳新馬戦でデビュー、6番人気ながら初出走初勝利を決める。続くデイリー杯2歳ステークスはレーヴディソールの7着に沈むが、京王杯2歳ステークスで重賞初勝利をもぎ取る。
年末は朝日杯フューチュリティステークスに出走、中団追走から直線で鋭く末脚を伸ばしGⅠ初勝利。矢作芳人調教師にGⅠ初勝利の、父に2歳GⅠ初勝利の栄冠を捧げた。また、当年の成績から最優秀2歳牡馬に選出された。
3歳時はスプリングステークスで始動するも直線伸びず4着。距離適性を考慮しクラシック戦線ではなく、NHKマイルカップを春の大目標に据える。ニュージーランドトロフィー3着を経てマイルカップ本番では、馬群の外から残り100mで一気に突き抜けGⅠ2勝目、最優秀2歳牡馬初の同レース勝利を挙げた。マイルカップ後は渡英しセントジェームスパレスステークスに挑むも、直線で後退し最強マイラーフランケルの8着に沈む。
その後は4歳秋のスワンステークスと5歳春のマイラーズカップ以外勝鞍はなく、幾度か好走はしたものの、6歳冬の二度目の香港マイル3着(初挑戦はドンケツの12着轟沈)を最後に引退、種牡馬入りした。
引退後は日高のアロースタッド→浦河の谷川牧場で繋養。2022年以降の種付けは同じ浦河のイーストスタッドで行われる予定。朝日杯にマイルカップと勝鞍の関係で産駒も早熟性が見込まれたものの、むしろ2歳戦ではさっぱり勝てず。
産駒傾向としては芝よりダートが得意であり、重賞馬は地方のダート重賞を獲ってるものがほとんど。2021年にモズナガレボシがようやくJRA重賞の小倉記念を勝ったくらいで、あまり成績が奮っていない。
その結果、種付頭数もみるみるうちに落ち込み、ついには1桁にまでなってしまった。
成績的にはバクシンオー産駒の筆頭的な立ち位置にいることもあり、なんとか盛り返してほしいところではあるが……

  • ビッグアーサー
2011年産駒にしてバクシンオー産駒最後のGⅠ馬。サッカーボーイ産駒屈指の珍名馬ティコティコタックで有名なバンブー牧場の生まれ。勝鞍よりも伝説的敗北によって人口に膾炙してるフシがある奴。
具体的な理由はどうにも明らかにされていないが、なぜか新馬戦もとっくに終わった2014年4月の未勝利戦でデビュー、きっちり勝ち上がる。しかし輸送中の怪我で長期療養するハメに……。なおこの怪我、馬運車の中で暴れて馬栓棒が右トモにぶっ刺さるという、わりとガチめの大怪我だったりする。
10ヶ月の予期せぬ療養を経て、2015年2月の条件戦で戦線復帰。まさかのデビュー戦のみで古馬入りというトンチキな経歴だが、ここから6月までに条件戦を連戦しデビューから5連勝、サクっとオープン入りを果たす。
スプリンターズステークスを目指し8月の北九州記念に出走するが2着。「まあ賞金的にはイケるし……」と思ってたら、賞金額的に下のレッドオーヴァルがレーティングで出走権を確保してしまい、まさかの賞金不足で除外。アチャー……
しゃーないとばかりにOP特別で憂さ晴らしすると、重賞2連戦するがどちらも好走止まり。間違いなく強いはずなのに重賞となると途端に善戦マンと化すあたり、なんというか、こう……21世紀版ビコーペガサス*13

明けて2016年はシルクロードステークスで始動するも、初めて馬券を外す5着。それでも掲示板は外さないんだから筋金入りの重賞善戦マンっぷりである。賞金額的に微妙だった高松宮記念にはどうにか出走叶い、まさかの1番人気に推されるとそれに応え、好位先行から一気に抜け出しぶっちぎりのレコードタイムで重賞初勝利&GⅠ初制覇。なおこのレコード、2024年時点でまだ破られてなかったりする。
最強スプリンターの息子が長い雌伏を経てついに覚醒し、春のスプリント王として戴冠。まさに偉大なる最強スプリンター二世の爆誕……と思うじゃん?
4歳からギチギチスケジュールだったこともあり高松宮記念後はのんびり休養、秋初戦のセントウルステークスも初の逃げ戦術であっさり勝利し重賞連勝。
ところが秋の本命スプリンターズステークスでは、前走で逃げを打ったビッグアーサーを警戒してか、はたまた行きたがった馬と鞍上が喧嘩したのか?最内枠の1枠1番を引いたのも仇となり、気付けば馬群の中で完全包囲。そしてラジオNIKKEIの小塚歩アナから、あの伝説のネタフレーズが……

「ビッグアーサー、前が壁!!」

とどめに躓きによる失速もあり12着轟沈。1番人気馬券は無事紙屑と化し、ビッグアーサーといえば前が壁という悲しみを背負うハメに。
当年最終戦として香港スプリントに挑むが10着惨敗。翌2017年は左前脚の故障に苦しんだこともあり、スプリンターズステークスでようやく復帰を果たす。なお、今回は前に壁こそなかったが本来の脚もなかったため、直線で伸びを欠き6着に終わった模様。そしてこれをラストランに引退した。

引退後はアロースタッドで種牡馬入り。血統が完全非サンデー系なためサンデー系牝馬をホイホイ用意できるとあって、相手の縛りがクッソ緩く初年度から大人気。珍名で有名なブタノカックーニもこいつの息子。ただし同じくメシ系珍名のサバノミッソーニとは完全に無関係。
前述の通りバクシンオー産駒の後継種牡馬はどれもパッとせず、というかそれ以前にテスコボーイ直系種牡馬自体ほぼ絶滅危惧種と化してるため*14、わりとガチにテスコボーイ系存続は彼の種牡馬成績にかかっている。
頑張れビッグアーサー、超頑張れ。

創作作品での登場

学級委員長を務める委員長キャラのウマ娘…なのだが頭が残念な暴走おバカ委員長
委員長としてみんなの模範とならねばならないと思い込んでおり、困っている人は放っておけないと周りを巻き込んで暴走する。バクシンバクシ-ン
でも本人に悪気はないため失敗しても憎めない、愛すべきバカである。
孫に当たるキタサンブラックも実装されているが、直系の血縁のあるウマ娘としては珍しく絡みが無く、1周年記念アニメまで待たねばならなかった。

追記・修正は勝つべき戦いが残されていない方にお願いします。

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最終更新:2025年03月30日 17:18

*1 競走馬としてのGⅠ勝鞍はクイーンアンステークスのみだが、種牡馬入り後に日高軽種馬農業協同組合に購入され日本にやって来ると、テスコガビーやトウショウボーイ、キタノカチドキなどを筆頭に名だたる名馬を送り出し、4回リーディングサイアーに輝いた当時の日高の大エース。トウショウボーイともども軽種馬農協所有のため種付け料が驚きの安さ、かつ実績十分なだけに産駒もよく売れたため、親子揃って「お助けボーイ」とも呼ばれた

*2 当時のレコード記録。高速馬場のインターミディエイトはまさしく彼の独壇場だった

*3 両親が同じ妹

*4 当時は12月下旬開催だった。施行時期が初秋の中山開催最終週に繰り上げされたのはスプリントレースが急速に整備された2000年以降

*5 最優秀短距離馬は短距離……要するにスプリント〜マイル戦における実績を表彰するものなので、当年のマイル戦線での成績からヤマニンゼファーが選ばれた。2階級制覇のインパクトも込みなのは否定しづらいところではある

*6 「高松宮記念は?」というアニヲタ諸氏の疑問ももっともだが、当時の高松宮記念……高松宮杯は芝2000mの中距離戦それもGⅡで、バクシンオーが出るにはかなりキツい。なお、現役時代のナイスネイチャの勝鞍のひとつでもある

*7 当時は芝1200m。現在は芝1600m

*8 一応両祖父母よりさらに前まで目を向ければ、中長距離系の方が主流な血統……というか、驀進厨疑惑バリバリのバクシンオーの方が血統的には特異個体なのだが。行きたがりすぎて血統由来のスタミナをすべてスピードに注ぎ込んだらスプリンター、そうでなければわりと距離万能なあたり、ディクタス系みを感じる

*9 ちなみにそのせいかキタサンブラックは4歳秋初戦まで一番人気になった事がなかったりする

*10 障害重賞勝利馬としては唯一ではなく、短距離重賞のファルコンステークスと障害重賞の新潟ジャンプステークスを勝った2007年産駒のエーシンホワイティがいる。……普通中距離程度は走れる奴を転向させるでしょ、なぜにスプリンターを障害競走に出した?

*11キタサンブラック

*12 なお、このニジンスキー産駒フィーバーが後のラムタラ大爆死&日高地獄顕現の主要因だったりする。ニジンスキー産駒が播種しまくったせいで、繁殖牝馬にニジンスキー系がしっかり入ってたのだ。それでなくともノーザンテーストがノーザンダンサー系播種しまくってたし、そりゃクロスがキツすぎて交配なんてできたもんじゃない。かのマルセル・ブサックでもようやらんのでは?

*13 バクシンオーと同時期の後輩スプリンター。重賞勝鞍はあるのだがGⅠとなると途端に善戦マンと化していた、いわば短距離版ナイスネイチャ。幾度となくGⅠに挑んで掲示板外したのが半数未満という、凄かったのか相手が悪かったのかようわからん奴。グチャドロの破滅的不良馬場で有名な97年フェブラリーステークスで掲示板確保してるあたり、地味にダート適性と悪路適性も凄かった

*14 一番栄えたトウショウボーイ系はミスターシービー→ヤマニングローバルラインが失敗し、別口で保護されたサクラロータリー→マイネルスマイルラインもスマイル産駒が種牡馬入り出来なかったため断絶がほぼ確定している。ユタカオー系種牡馬でもGⅡ馬ダイナマイトダディ・トゥナンテは少数の産駒に留まり、エアジハードは産駒の安田記念馬ショウワモダンが種牡馬入り出来なかったため後継を残せなかった