登録日:2024/01/17 Wed 14:49:10
更新日:2024/11/01 Fri 10:10:03
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エリモシック(欧字名:
Erimo Chic)は
日本の元競走馬。
名牝揃いの96年クラシック世代で父譲りの末脚を武器に女王の座についた。
データ
生誕:1993年3月19日
死没:2014年8月16日(21歳没)
父:ダンシングブレーヴ
母:エリモシューテング
母の父:テスコボーイ
調教師:沖芳夫(栗東)
馬主:山本慎一
生産者:えりも農場
産地:北海道えりも町
通算成績:17戦4勝
獲得賞金:2億3093万3000円
毛色:青鹿毛
誕生
1993年3月19日にえりも農場で生産された。オーナー山本慎一は春の天皇賞馬エリモジョージなどを所有したことで知られる。1969年に牧場経営を開始し生産馬の重賞4勝エリモローラや東京大賞典を制したトウケイホープが活躍していたがでGⅠには届いていなかった。
父
ダンシングブレーヴは神速の末脚を誇った80年代欧州最強馬として名高い。マリー病の後遺症で受胎率が悪いとされ1991年に日本に輸入された。エリモシックは日本における初年度産駒である。
母
エリモシューテングは3戦2勝、クラシック候補の1頭であったが早くに引退している。母の父は4回リーディングサイアーに輝いた
テスコボーイ。叔父に金鯱賞勝ち馬パッシングパワーがいる。
戦歴
3歳
栗東の
沖芳夫厩舎に入厩。菊花賞馬
ナリタトップロードを管理することになる沖師だが当時は開業9年目、2年目に函館3歳Sを制して以来タイトルには無縁という状況だった。
3歳3月の阪神競馬場で遅いデビュー戦となった。沖の弟子・渡辺薫彦が騎乗、トウショウオリオンの4着に敗れる。なお5着
マサラッキはGⅠ
高松宮記念を制することになりレベルの高い新馬戦であったといえる。
折り返しの阪神
2200m新馬戦でベテラン
河内洋を迎え、最速の末脚を披露し初勝利、以降河内が主戦となる。同じ
2200m戦はなみずき賞では上り35.3の末脚が炸裂し圧勝、GⅡ4歳牝馬特別は3着に敗れたが大外から上り最速の末脚を見せたもので、関西の秘密兵器という評価を受けた。
優先出走権を手にしGⅠオークスに出走。1番人気は単勝2.5倍、熱発で桜花賞回避も高い能力を評価されし続けていた
エアグルーヴ。エリモシックは5.5倍の2番人気、桜花賞馬ファイトガリバーは4番人気であった。レースはエアグルーヴが軽く抜け出しファイトガリバーを抑えて快勝。エリモシックは末脚不発で6着だった。
夏の函館・津軽海峡特別に出走、河内洋が阪神で騎乗するため代打で四位洋文を迎え1番人気も末脚不発の5着、河内洋に戻り京都2200mの嵯峨野特別では上り最速で3勝目を挙げた。
3歳牝馬最終戦として新たに設立されたGⅠ・第1回秋華賞に出走。1番人気は単勝1.7倍のエアグルーヴ。2番人気は7.1倍のヒシナタリー。エリモシックは重賞未勝利だが3番人気だった。
レースはエアグルーヴ・ヒシナタリーが惨敗。逃げ馬をマークするマル外・
ファビラスラフインが抜け出し優勝。エリモシックは上り最速で追い込んだが1・1/2馬身差届かず2着だった。
古馬開放となったエリザベス女王杯にも出走。ダンスパートナーと
ヒシアマゾンら古馬相手に太刀打ちできず8着。3歳シーズンを終えた。
4歳
5月のオープン特別・都大路Sで復帰。全く見えないバイオレットS勝ち馬ナムラホームズの6着に敗れる。テレビ愛知OPは1番人気だったが脚が全く伸びず10着惨敗。更にマーメイドSはエアグルーヴの7着と振るわず。夏の札幌競馬を機に河内洋から関東の名手・的場均に主戦交代となった。河内は小倉での騎乗があったためである。
的場は仕掛け勝負で惨敗を喫している考慮、この馬の武器は末脚だと見て後方策に踏み切ることとなる。札幌日経OPは上り最速で3着と復調を見せる。
札幌記念はエアグルーヴの土壇場であったがエリモシックはGⅠ2勝ジェニュインら実績牡馬相手に先着の2着と健闘した。秋シーズン初戦の府中牝馬Sは4着だったが、他馬が上り34秒台だった中33.6の末脚を見せていた。
第22回 エリザベス女王杯
強敵エアグルーヴが牡馬に混じって天皇賞(秋)を優勝するとジャパンCに出走(2着)、絶対女王が不在のエリザベス女王杯にエリモシックは昨年の雪辱を晴らすべく出走した。
3歳馬は桜花賞馬キョウエイマーチと二冠
メジロドーベルが出走せず、重賞3勝オレンジピールが6番人気で出走するにとどまる。
単勝1.4倍の1番人気は史上初の連覇が期待される
ダンスパートナー、宝塚記念3着・京都大賞典2着と牡馬相手と同等に渡り歩き、鞍上にはエリモシックのかつての相棒・河内洋がいた。
2番人気はメジロランバダ、牡馬相手に日経新春杯を制し春の天皇賞に出走9着、カシオペアS2着からメジロドーベルに代わるメジロ軍団の優勝が期待された。
エリモシックは主な勝ち鞍:嵯峨野特別で8.8倍の3番人気だった。ほかにエアグルーヴを破った前2歳女王
ビワハイジやペイザバトラーの忘れ形見・新潟記念を制したバルブライトらが顔を揃えた。
レースは府中牝馬S3着のエイシンサンサンの逃げで進み前半1000mを59秒4で通過。11番手ダンスパートナー河内洋は「速くもなく、遅くもなく理想的だった」と回顧し、馬群の外に持ち出してスパートし始める。一方エリモシック的場均は13番手からダンスパートナーをマークしていた。的場は馬群の隙間があらかじめ分かっているかのように仕掛けるとダンスパートナーのすぐ外へと移り、一騎討ちに持ち込んだ。
エイシンサンサンが3番手に粘るがもう2頭だけの競馬に。淀の直線で10数秒のたたき合いが繰り広げられた。
ようやく来た! ようやくダンスが差を詰める! ダンスが外から来た! 一緒にエリモシックだ!! 5枠の2頭!
外からエリモ! エリモ! エリモシック!! 内でエイシンサンサン粘っている!
ダンスパートナーとエリモシック! エリモシックかダンスパートナーか!
京都は的場均!!!京都はやっぱり的場均!エリモシックです!
ダンスパートナー2連覇なりません! 京都の坂越えは的場均! エリモシックです!
(実況:馬場鉄志(関西テレビ))
上り最速34.8の末脚が外からダンスパートナーをクビ差で差し切り優勝。エリモシックは重賞初制覇がGⅠ、山本慎一オーナーと沖芳夫厩舎はGⅠ初勝利、的場均は95年ライスシャワーと天皇賞を制して以来のGⅠ勝利となった。実況でも言われたように京都競馬場GⅠ4勝目と熟知しきった的場均が見事に導いた勝利だった。
的場均は「最後は必死でした。かわした後に河内さんが立て直してきた。なんとかしのいでくれ…という気持ちで追いました。よく辛抱してくれました」と振り返ったうえで「会心のレースだった」とコメントを残している。
5歳
4月の産経大阪杯に出走、上り最速で追い込むも強敵エアグルーヴとメジロドーベルに敵わなず5着、これがラストランとなった。
通算17戦4勝、獲得賞金2億3093万3000円。タイトルは97年エリザベス女王杯のみである。
仕掛け勝負に出ると惨敗、とにかく末脚勝負だったがデビュー戦8番人気が最低人気であり、混戦の牝馬路線ではなかなかの人気を集めた。
上り最速は17戦中9回、的場均騎乗で5戦4回上り2位1回であった。全4勝を2200m戦で挙げた。
引退後
故郷のえりも農場で繫殖入り。2013年まで活躍し9頭を出産、6番仔ダノンエリモトップ(父キングカメハメハ)が中央で5勝、7番仔サトノ
フェニックスが地方で5勝を挙げたが母を超える産駒は出なかった。
2012年1月25日にセールに出された後、有限会社エクセルマネジメント(旧えりも農場)は牧場経営を縮小している。
2013年に癲癇の発作を起こし繫殖馬を引退。認定NPO法人引退馬協会の支援でフォスターホースとして、北海道新ひだか町の本桐牧場で功労馬として余生を過ごすこととなった。本桐牧場・長井恵代表は当初「大人しくて気品があって、他の馬がちょっかいを出しても泰然としていて、いいとこのお嬢様という感じでした」だったと言う。
なお本桐牧場では新馬戦を戦ったトウショウオリオンらと顔を合わせ、特に10歳下のセイウンアグライアと仲が良かった。1か月半の間に100人以上のファンが訪れ、沖調教師もにんじんを携えて相場に会いに来た。ファンの方から贈られた
トナカイの帽子を気に入っていたという。また神経質ゆえアブが大嫌いだったともいう。
2014年7月頃から体調を崩し、同年8月6日午後3時に両肺の出血による呼吸不全のため21歳で死亡した。
長井代表は「
本当にたくさんの方がエリモシックに会いに来てくださいました。この馬と出会って、馬の持つ魅力の大きさ、人を惹きつける力を再発見したような気が致します」とコメントを残している。
その他
エリモシックの引退から1か月後、オークスを同じ牧場で生まれたエリモエクセルが優勝した。鞍上は的場均だった。また近親のエリモダンディー(重賞2勝、1997年日本ダービー4着)、エリモハリアー(函館記念3連覇)も活躍し、エリモの名が再び競馬界をにぎわせた。
ちなみに全妹のエリモピクシーが繫殖馬としてリディル(デイリー杯2歳S、スワンS)、クラレント(デイリー杯2歳S、富士S、東京新聞杯、エプソムC、関屋記念、京成杯OH)、レッドアリオン(マイラーズC、関屋記念)、サトノルパン(京阪杯)を輩出、その血を大いに広めたが、残念な事に牡の仔は全員種牡馬になれなかった(牝の仔は繁殖入りしている)。
沖芳夫調教師は99年にナリタトップロードで菊花賞を制覇、JRA重賞10勝を記録した。
的場均はGⅠ13勝を記録、うち京都で5勝を挙げた。関東ジョッキーにもかかわらず、京都のここ一番で実に勝負強かった。
余談だが、エリモシックの死去から8年後の命日に、親友セイウンアグライアの孫娘ニシノコウフクが新馬戦を優勝した。偶然にすぎないが、エリモシックに思いをはせるファンにとって何か感じ入るものがあった。
追記・修正は的場均!!!と叫んだ方がお願いします。
- 初投稿記事です、プラグインに則ったつもりですが、ご指摘頂ければ幸いです。 -- 名無しさん (2024-01-17 14:51:23)
- 項目名に(競走馬)を付ける事を提案します -- 名無しさん (2024-01-19 20:37:38)
- 項目名を変更しました -- 名無しさん (2024-01-30 02:28:35)
最終更新:2024年11月01日 10:10