ダンシングブレーヴ(競走馬)

登録日:2021/10/19 (火) 01:02:00
更新日:2021/11/09 Tue 16:20:01
所要時間:約 38 分で読めます




ダンシングブレーヴ(Dancing Brave,1983〜1999)とは、米国生産・英国調教の元競走馬・種牡馬。
文字通り光速かワープかと見紛うような、次元の違いすぎる神速の末脚を武器に活躍した、20世紀後半の優駿たちの中でもトップ・オブ・ザ・トップの一角に君臨する名馬である。
競馬ファンに「80年代欧州最強馬って誰よ?」と聞いて、真っ先に名が挙がるのはたぶん彼。



踊る勇者の血統背景

父たるリファールはノーザンダンサーを父に持つ、米国産・フランス調教の名馬にして大種牡馬。命名の由来はウクライナ出身のバレエダンサー、セルジュ・リファール。GⅠ勝鞍はジャック・ル・マロワ賞とフォレ賞で、マイラーとして名高い。
母のナヴァホプリンセスはGⅠ勝鞍こそないものの、35戦16勝と結構な活躍を見せた馬主孝行。繁殖牝馬としても優秀であり、ダンシングブレーヴ以外にも活躍馬を産んだ。

父方の祖父・ノーザンダンサーに関してはもはや語るまでもないだろう。
一応簡単に解説すると、幼少期は去勢すら検討された悪ガキ*1でありながら、カナダからアメリカに殴り込み米国競馬三冠まであとひとつに迫り、18戦14勝と圧倒的な戦績を残した優駿である。
さらにはわずか30年程度で世界中のサラブレッドの血統樹を書き換えた20世紀最大最強の偉大すぎる種牡馬*2でもある。

とまあ、血統背景的には太く長く走れる母の耐久力に父系のガチすぎるカタログスペックと、期待されないはずがない生まれだったのだが……(次項参照)


踊る勇者の幼少期(誕生〜デビュー前夜)

米国ケンタッキー州のグレンオークファーム*3が保有するナヴァホプリンセスが、預託していたテイラーメイドファームで産んだ仔こそ後の彼である。
父系から「踊る系」を受け継ぎ、母からインディアンにちなみ、「踊るインディアンの勇者」をモチーフに名付けられた。実際には踊るどころか、ライバルを蹂躙するレベルの活躍だったわけだが
こんなかっちょいい名付けである。ノーザンダンサー系期待の新星として扱われていたように見える彼だが、実のところんなこたぁまったくなかった

なぜかというと……親父殿のリファールからしてあまり見栄えのいい馬ではなかったのだが、それが見事に遺伝しちゃったのだ。
幼少期の彼の姿に対する評価は、「顎の噛み合わせがオウムみたいに悪く、小さな両目は顔にへばりつくようだった。しかも前足は不完全で前のめりに歩いてた」とめっちゃ酷評である。
「体格のバランスだけは良かった」ってそれフォローになってねーからな?
ついでに1歳時に出品されたのが期待馬のセレクトセールでなくファシグティプトン社主催のセリって時点で、生産者の皆さんからして期待してなかったのが丸わかりである。紹介文が「歩様のいい優れた幼駒なので、もっとよく見たってくださいな」とか酷すぎやしませんかね……?いや、書いた職員の苦労は認めるけども。

しかし、セレクトセールではなくセリに出されたことがこの馬の運命を決めた。サウジアラビアの王子、ハーリド・ビン・アブドゥッラー殿下*4の代理人として、ジェームズ・デラフーク氏がこのセリを訪れていたのだ。
「仔馬の相馬眼にかけては当代随一」とも称されるデラフーク氏は「ダンシングブレーヴよりソニックレディ*5の方がいい仔馬でしたね」としながらも、本馬を20万ドルで落札。見た目はともかくしなやかで躍動的な動きと強靭な心臓を評価しての落札だった。

当初は英国のジェレミー・ツリー調教師に預けられる予定だった彼だが、当のツリー師からの評価が芳しくなく、代わりにガイ・ハーウッド師に託されることになった。
このハーウッド師、当時は超絶最先端のコンピュータによる調教管理や米国式調教を導入するなど、様々な先進的調教技術を率先して身につけようとする、野心に燃える気鋭の調教師である。
5月11日と北半球産馬としてはやや遅生まれな勇者を軽い調教から慣らしていくのではなく、早い段階からがっつり鍛え上げることで遅生まれのハンデを取り戻そうとし、実際それは成功していた。まあ風邪引いてデビューが遅れたのだが。バカは風邪引かないが勇者は引く


踊る勇者の競走戦歴

デビュー〜3歳前半

1985年10月のドーキングステークス(芝8ハロン=1マイル)で主戦となるグレヴィル・スターキー騎手を鞍上にデビューすると、一番人気に応えて2着に3馬身差つけて楽勝。
続く11月のソーハムハウスステークス(芝8ハロン)でもやはり一番人気に推され、こちらも後続に2馬身半差の快勝。
2歳時はこの2戦2勝と危なげなく勝っており、デビューこそ遅かったものの、英国の馬の者からはその素質を高く評価されていた。

3歳となる翌86年は4月のGⅢ、クレイヴンステークス(芝8ハロン)から始動。重馬場のせいか行き脚がなかなかつかなかったが、それでも5番手を追走。
残り2ハロンから末脚炸裂させて先頭を奪い、これも一番人気に応えて後続に1馬身差つけ、重賞初勝利を飾る。

GⅠデビューとなった2000ギニー(芝8ハロン)は極端なスローペースとなり、4番手を進む先行策をとる。
残り2ハロンでグリーンデザート*6が先頭を奪おうとしたその刹那、後方から突撃してきたダンシングブレーヴが瞬きを許さぬ末脚で差し切り、そのまま独走。まるで他馬を子供扱いするかのような鮮やかな一閃で、グリーンデザートに3馬身差つけてねじ伏せた。
グリーンデザート鞍上のスウィンバーン騎手は後年「勝てると思ったその瞬間にダンシングブレーヴにぶっ差されました」と述懐。うん、まあ勇者が出てなかったら勝ててましたしね……

この時点で「ニジンスキー*7の再来」とか言われちゃうレベルである。実際ここまで無傷で快勝・楽勝・完勝しかしてないものだから、まあ傍から評価すればこうもなるわな、というのは確かだった。


エプソムダービー〜勇者が勝てなかったダービー、もしくは史上最も不運なダービーの敗者〜

さて、無傷の4連勝という文句なしの実績を引っさげてエプソムダービー(芝12ハロン≒2400m*8)出走を表明した陣営だったが、今までマイルレースしか走ってなかったのにいきなり距離が5割増のダービー出走である。「こんな快速馬にダービーは長すぎじゃね?」という距離不安説が出るのも致し方ないところではあった。
しかし諸々の理由もあって陣営はダービー直行を選択。不安要素があってもそこはノーザンダンサー系期待の新星にして無傷のGⅠ馬、文句なしの一番人気に推される。

そして迎えたレース当日。前走後から「ダービーでも距離に不安などないです」と強気のスターキー騎手も内心不安があったか、後方待機策をとり末脚で殲滅しようとする。
だがレースは超がいくつか付くレベルのド極端なスローペースで進み、しかも馬群に包まれたブレーヴは、大外に持ち出すもバランスを崩し、直線向いた段階で先頭から12馬身と絶望的に離された14番手。
踊る勇者に賭けてた観客ほぼ全員が十字を切ってたであろう絶対的大敗ムードの中で、しかしここからダンシングブレーヴが吶喊。
瞬く間もなく先行馬との距離を縮めて2番手まで一気にぶち抜くや否や、逃げ切りを図るシャーラスタニを大外から強襲。しかしかわしきったのはゴール板を駆け抜けた直後。半馬身粘りきったシャーラスタニがダービー馬の栄冠を手にし、ダンシングブレーヴは2着敗戦と相成った。

このレースにおけるダンシングブレーヴの神話的末脚の論拠として残されているのが、ラスト1ハロンの走破タイム。
聞いて驚け見てビビれ、その数値なんと

10秒3

である。この数値、いくらスローペースとはいえ芝が深くゴール直前が急な登り坂、おまけに当日稍重のエプソム競馬場で出せるものでは絶対になかった。いやマジで、出せるようならどんなコースでも騎乗ミスさえなければ余裕で勝てるってレベルの末脚である。
そんな高速馬殺しの馬場で日本の英雄も真っ青な末脚を繰り出したというのだ。なんじゃそりゃ。
単純比較できるものではないが、高速馬場と名高い日本の競馬シーンでさえ2400メートルなら上がり3ハロンで33秒台を出せば驚異的な末脚と言ってよく、2021年時点で日本ダービーの上がり3ハロン最速記録である2010年第77回東京優駿(日本ダービー)の、ラスト2ハロン目で10秒8が記録されているが当然最後の1ハロンは鈍っていたし、しかも良馬場。
馬の者たちが「は?当日エプソムのクッッッソ重い芝でラスト1ハロン10秒3??は???マ????」となるのも無理はなく、負けてなお超絶級のパフォーマンスを発揮したダンシングブレーヴの評価はさらに高まった。何なら勝ったシャーラスタニより評価上だったんじゃなかろうか

なお、異次元ってレベルじゃない末脚炸裂させたにもかかわらず負けた要因とみなされ、ビッグマウス叩いておきながら最終盤までドンケツスレスレに沈んでいたスターキー騎手は、案の定各方面からフルボッコにされた模様。残当
ただしハーウッド師が指摘したように、狂った超スローペースで折り合いもクソもねーよ、というレースだったことも確かであり、スターキー騎手が全領域で戦犯というわけではない。

このレース後、アブドゥッラー殿下のもとにドバイのシェイク・モハメド殿下*9から「その子の種牡馬権利、ウチに売ってくれない?」とオファーが届き、無事取引成立。引退後はダルハムホールスタッド*10にて種牡馬入りが決定した。
とはいえあくまで引退後の話、競走馬としてはアブドゥッラー殿下所有のまま現役続行となった。


3歳中期

ダービー敗戦後、陣営は次走をエクリプスステークス(GⅠ・芝10ハロン)に定める。このレースでの有力候補にはアイルランド2000ギニーを勝ち、名だたる牡馬と互角に渡り合った“鉄の女”トリプティクがいた。
それでも超常的末脚に期待がかかるダンシングブレーヴが一番人気に推され、迎えたレース当日はトリプティクをマークするように馬群の中段を追走する。4角手前で外側をまくり鉄の女が先頭に立つも、それを豪脚一閃。
一瞬でぶち抜いた余勢のままに後続を寄せ付けず、2着で駆け抜けたトリプティクを4馬身差完封。鞍上がやらかさなければ問題ないことを天下に示した

次はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスを勝たんと意気軒昂な陣営……だったが、ここでスターキー騎手が首の負傷で無念の戦線離脱。パット・エデリー騎手を代打に出走することになる。
ここではトリプティクに加え、エプソムダービーに続きアイリッシュダービーを制し、欧州ダービー二冠馬となって帰ってきたシャーラスタニ、他にもペトスキやシャーダリが有力候補として推され、レース前オッズはシャーラスタニが単勝2.1倍で一番人気。ダンシングブレーヴは生涯唯一の二番人気となった。
しかし本格化した踊る勇者に敵はなかった。レース前から発汗し焦れ込みまくってたシャーラスタニを置き去りに3角から早仕掛けし、ラスト1ハロンでシャーダリをかわし先頭を疾走。
テン乗りもものかは、猛追するシャーダリもものかは、3/4馬身差粘りきってゴール板を駆け抜けた。ちなみに一番人気の4着シャーラスタニとは9馬身近い差がついていた。

+余談・スターキー騎手にまつわる悲喜こもごも〜ほとんど悲なのは言わないお約束〜
KGⅥ&QEDS前の負傷交代を余儀なくされたスターキー騎手だが、今なお「ダービーでやらかしたから降ろされたんだろ」と言う者が根強く残る。
確かにまったく間違いとは言い切れないのだが、にしたって正しいとも絶対に言い切れない主張である。降ろすならさっさとダービー直後にやっとけばよかったのだから。
そうしなかった以上、陣営としてはスターキー騎手を終身名誉戦犯として扱うつもりがなかったのは察せられる。そこを外野がとやかく言うのは、騎手のみならず陣営やダンシングブレーヴそのものへの侮辱になるのではなかろうか。

確かにスターキー騎手がやらかしたのは事実である。そこは否定しようのない、厳然たる事実として競馬史に横たわっている。
しかし、だ。スターキー騎手とて、33年の騎手生活で2000勝近くを叩き出したトップジョッキーの一角である。エプソムダービーを含む英国クラシックレースを5勝し、凱旋門賞でも勝ち名乗りを上げている。
にもかかわらず、彼の死去を報じた記事はどれも「ダンシングブレーヴをダービー敗戦させた騎手」として注釈をつけ、読者もそれを受け入れた。なにゆえ彼ばかり、こうも一度の失敗をあげつらわれなければならないのだ?

歴史的名馬は時に関係者の人生すら狂わせる、とはよく言われる。だが、同じ狂わせられたにしても、他の致命的なやらかしをしたジョッキーを無視し、スターキー騎手ばかりこうもしつこくネタにされるのは、いくらなんでも不条理ではなかろうか。
以上余談。


凱旋門賞〜勇者の舞闘、当代最新の神話となる〜

凱旋門賞を秋の最大目標と定めた陣営は、ステップレースとしてセレクトステークス(GⅢ・芝10ハロン)に出走。鞍上にはスターキー騎手が復帰する。
ここでは好位先行から残り2ハロンで抜け出すと、ノーステッキ&コースレコードで2着に10馬身差つける蹂躙劇を演出。凱旋門賞に向かって視界よし、と天下に示す。

続く本番の凱旋門賞(仏GⅠ・芝2400m)では再度エデリー騎手に交代し、不動の大本命としてレースに臨む。
しかしこのレース、いやはやとんでもないメンツが揃っていた。ダンシングブレーヴへの復仇に燃えるダービー二冠馬シャーラスタニやトリプティクにシャーダリ*11とダララの英国勢、フランス総大将として外国勢を迎え撃つベーリング*12、ドイツの絶対王者アカテナンゴ*13を筆頭に、チリのオークス馬マリアフマタ、日本ダービー馬シリウスシンボリ*14など、15頭中11頭がGⅠ馬という史上最強の大乱闘GⅠ馬オールスターズである。
逆にGⅠ馬じゃない4頭をよく出走させる気になったな……

KGⅥで早仕掛けが過ぎたと反省していたエデリー騎手は後方待機し、ひたすら我慢の騎乗をしながら12番手で終盤を迎える。
直線向いて先行集団は横一線の叩き合い、その中でもシャーラスタニとベーリングが抜け出す。さあこの2頭で決着か、もはや言葉は要らないか、いくら化け物でもダンシングブレーヴはこりゃダメだ……と各局カメラも勇者を視界から切り、先頭にフォーカス。勇者推しの観客もそうでない観客も、十字を切ってほぼ先頭にフォーカス。


が、次の瞬間。

大外の画面外、もはや届こうはずもない距離から、

熾烈な叩き合いを繰り広げる先行勢を強襲した馬が一頭。

ダンシングブレーヴである。

彼はそのまま、まるで他馬が止まっているかのように錯覚するほどの末脚で全頭まとめて撫で斬り、一閃に殲滅した。

「衝撃的な爆発力」の勢いそのままに2着ベーリングに1馬身半差をつけ、当時のコースレコードを更新する圧倒的走破タイム。

問答無用・情け無用絶対無敵一切鏖殺の、桁どころの騒ぎではなく文字通り次元が違いすぎる、まさしく神域に達した究極の末脚。

魂に直接焼き付けられるかのような劇的すぎる大逆転勝利に、ロンシャンの天地が歓声と盛大に外した逆張り系勝負師の罵声で揺れた。なおシリウスシンボリは14着と轟沈した

ラスト1ハロンの走破タイムは10秒8とされ、エプソムダービーで見せたそれを再現したかのような、まさしく勇者伝説としか言いようのない末脚だった。
というか、ロンシャンのクッソ重い高速馬殺しの芝でこんなタイムを刻める時点で、伝説通り越して神話級のスピードとしか言えないし言いようがない。踊る勇者はただの勇者ではなく神話のそれだった。
後に「凱旋門賞史上最高のレース」と謳われたこの一戦をもって、彼は歴代欧州最強馬の後継者としての地位を確立した。


3歳後期

米国遠征し、11月初日に行われるブリーダーズカップターフ(GⅠ・芝12ハロン)に出走。出走馬は後年から見てもかなり強力な布陣だったが、勝てるかどうかではなくどのように勝つかが注目されていたことからわかるように、ダンシングブレーヴが単勝オッズ1.5倍の一番人気に推される。
しかしいつもの爆発的な追い込みをまったく見せることなく、1着のマニラから7馬身近く離される4着と凡走、敗退。まもなく引退が表明された。

この敗因について有力視されている説のひとつに、「ダートを横切ったときに土くれが目を直撃し、視界不良のまま走らざるを得なかったから」というものがある。
このサンタアニタパーク競馬場、芝12ハロン戦時に前半3ハロン地点でダートコースを横切る特殊な形態になっているため、そこを通ったときに先行馬の蹴飛ばした土が……という理屈だ。なお、同年のサンルイレイステークスで永遠の皇帝が故障敗戦したのもこの競馬場だった。
また、「猛暑のカリフォルニア州に屈し、酷い脱水症状に見舞われていた」とか、「長距離遠征と3ヶ月の月イチ連戦で疲れ切っていた」「平坦小回りコースが後方追い込み型とは相性が悪かった」というのも有力な説だったりする。
ちなみに日本ではたまに「実は左回りコースクソ弱マンだった」という珍説が上がるが、珍説の域を出ていない。まあ日本でしか出てない珍説って時点でお察しよね

引退時点での通算成績は10戦8勝2着1回4着1回、掲示板を外したことは一度もない。3歳時に限っても8戦6勝以下同文。圧倒的ではないか(ギレン並感)
完全連対を逃し、出走数自体かなり控えめではあったが、それでもこの圧倒的な勝率と連対率は破格と言って差し支えないだろう。
その実績を評価され、15年ぶりの満票で英国年度代表馬に選出され、引退に華を添えた。



踊る勇者の種牡馬生活(セカンドライフ)

踊る勇者の英国生活〜競馬に神がいるなら大概にしろ〜

かねてよりの契約通り、ダルハムホールスタッドにて種牡馬入りし、セカンドライフを歩むことになる。その際に組まれたシンジケートは総額1400万ポンド*15という超巨額。何なら初年度種付け料も12万ポンドと超強気の価格設定である。
まあそれだけの実績ではあるし、若くして種牡馬入りした分種付け頭数も活動期間も多く長くなるのだから、初手から強気で行っても肌馬は殺到するという目算があったのだろう。
が、そうはイカのなんとやら、ままならないのが人生もしくはブラッドスポーツなるもの。にしても「いきなりでこれはないだろ、神よ自重しやがれください」と言いたくなるようなド不幸がダンシングブレーヴを襲う。

種牡馬生活初年度にして種付けシーズンを終えた87年秋、肥大性肺骨腫――別名マリー病*16に罹患してしまったのである。当年マリー病罹患馬わずか5頭のうちに、よりによって彼が……
巨額の投資してシンジケート組んだ超級の名馬である、たかが難病ごときで死んでもらっては困るとばかり、コストガン無視の徹底的な投薬治療が功を奏し、一命を取り留めて種牡馬復帰に成功する。しかしやはり後遺症が残っていたのか、翌88年には受胎率が大幅に低下してしまった。これには関係者も悩みに悩まされたそうな。

関係者が呻吟してる間に時は流れ90年に突入、勇者の初年度産駒がデビューする年である。欧州の馬の者はダンシングブレーヴ二世の鮮烈な登場を、首を長くし目を凝らして待っていた。
しかしこれがまっっっっったく走らない。そらもうからっきしである。さっぱりである。ダメダメである。しかも翌年になっても向上の兆しがないときた。関係者一同絶望待ったなし。
体調管理の難儀さと受胎率低下に加えて産駒のこの体たらく。ダルハムホールスタッドも見切りをつけ始め、売却先模索と叶わなかった時は安楽死もやむなし、と用意を進めることに。

ここで「チャンスの女神は前髪しか伸ばしてねぇんだよォーーーッ!!」とばかりにすっ飛んできたのが我らがJRA。
なにしろシリウスシンボリが出走していた当時の凱旋門賞は、JRA関係者としても最重点注目対象である。80年代の日本調教馬がどこまで洋芝で通用しうるか、それを実戦で確かめる貴重な機会でもあった。前哨戦はともかく肝心の凱旋門賞は14着轟沈したけど
そこで劇的に勝った超絶級大名馬の売却である。多少の病なぞ知らん、と全力出す団体がいないわけがなかった。というか少なくともJRAはそうだった。
しかしJRAも、ダンシングブレーヴ輸入に関しては荒れに荒れた。

賛成派「実績考えてみろ、これだけの名馬だぞ!それがこんな格安で買えるとなりゃ、遺伝するわけでもない多少の病気なんぞ!もののうちに入るか!!こんな好機は今しかないんだぞ!!」

反対派「馬鹿言うな、マリー病は罹患率が低いがゆえに治療法が見出だせず、難病になってるんだぞ!?何億円も出して輸入して、それですぐ死なれたら馬鹿を見るどころじゃないだろうが!!」

どっちの主張も納得できるだけに、天地がひっくり返らんばかりに大揉めに揉めたものの、JRAは購入を決断。
350万ポンドで売り払われたダンシングブレーヴは、JRAから日本軽種馬協会に寄贈され、91年の師走に日本の地を踏むことになった。???Welcome(ようこそ)!」

ともあれ、英国競馬界としては厄介払いというわけではないが、いろんな意味で難のある種牡馬をうまいこと売却できたことに胸を撫で下ろしたと思われる。実際、それで忘れてしまうつもりではあっただろう。
――いや、その筈だったのだ


踊る勇者の日本生活〜英国競馬界呆然、日本競馬界ガッツポ〜

さて、日本で第二のセカンドライフ*17を送ることとなったダンシングブレーヴだが……91年度はまっっっっっっったく牝馬が集まらなかった
まあしかたないとしか言えないのだが、父譲りの見栄えが後遺症でますますよろしくなくなり、しかもマリー病が遺伝するなんつーデマ(繁殖牝馬に感染ならともかく、遺伝するとかどんなド三流ギャグだ?)が乱れ飛んだこともあり、来日から2年はマックスビューティとエイシンサニー、あとサマンサトウショウくらいしか優秀な牝馬が来なかったのである。
これにはJRAもガックリ……で済まないのが人生もしくはブラッドスポーツ……これ前項でも書いたな。ともかく流れが変わったのは翌93年だった。

明けて93年。英国にて忘れかけていた夢が動き出すどころか、蓋して封印していたパンドラの箱がフルオートでオープンセサミ。ある意味では災厄、ある意味では歓喜の渦が欧州を覆った。
何のことかって?ダンシングブレーヴ90年度英国産駒のフィーバータイムだよ。
2歳GⅠのフィリーズマイルを制したイヴァンカこそ、3歳クラシック戦線を走ることなく骨折で夭折してしまったが、欧州クラシック戦線を勇者の仔らが席巻席巻また席巻。
英愛ダービー二冠を戴いたコマンダーインチーフを筆頭に、イタリアダービーを制したホワイトマズル、アイリッシュオークスを征したウィームスバイトの3頭が大活躍。結局同世代産駒39頭中8頭がステークスウィナーに名乗りを上げ、サイアーランキング2位に殴り込むという無双っぷりである。

これには英国競馬界も唖然呆然愕然慨嘆、馬の者は大歓喜然る後マジギレした。

「やっぱり名馬の仔は名馬だったんだ!!サンキューダンシングブレーヴ!フォーエバーダンシングブレーヴ!!
…………どうしてそんな簡単にあんな名馬を売り払いやがったんだド畜生どもが!!!!」

いやまったくで……とは生産者は絶対に言えんのだが、ファンからしたらそらそうよ、ってもんである。
ある一般紙が「早計な目先の小銭稼ぎに判断誤って、国家的損失を叩き出した戦犯牧場があるんですわ。いや、どことは言いませんがね?」と書き立てたというエピソード*18が日本で知られてるくらいだから、本国ファンのキレっぷりたるや想像するだに恐ろしい。
ともあれ、かつての本国での産駒無双にJRAも日本軽種馬協会もガッツポ然る後万歳三唱。アイルランド産駒の輸入馬ダンシングサーパスが大阪杯2着、宝塚記念3着と好走したのも追い風となり、勇者は不遇から一転して超人気種牡馬として引っ張りだことなる。

だが順調な種牡馬生活を送っていた95年になって、再びマリー病が彼を襲う。懸命な治療によりまたも命をつなぐが、再発と二度の後遺症に抗生物質の副作用と、その身体はボロボロの一言。
空調をガンガンに効かせて馬房内気温を徹底管理し、専属スタッフと獣医を交代制で常駐させ、文字通り重病人に対するがごとき万全の看護体制を敷くことで種牡馬生活を続行。健康面に配慮し種付け頭数は大幅に制限されることとなる。
これでは種牡馬としての利益に介護コストが見合わんのでは……?そう思った関係者がいてもおかしくはなかった。

しかし二度転んでもタダでは起きない名馬の誇りか、種牡馬成績はマリー病再発前後のどちらも堂々の一言。
GⅠ馬だけでもエリモシックにキョウエイマーチにキングヘイローにテイエムオーシャンと4頭を輩出し、重賞馬も地方中央を問わず輩出した。二度のマリー病で体力が衰え受胎率も低下した中でこれなら、後遺症がなければどこまで……とは誰もが思っただろう。筆者はぶっちゃけ今でもそう思ってます、日本にゃ絶対来られなかっただろうけど
というか、重病看護体制下でサイアーランキング最高5位とか、マジで化け物もいいところなんだが……サンデーサイレンス産駒がヒャッハーしまくったのだって、それこそとってもウマナミな種馬として腰振りまくったからだぞ?ガチ制限ついててこれとか重賞馬輩出率高すぎじゃない????
欧州最強馬は種も最強だった……ってやかましいわ。


踊る勇者の立往生〜勇者の生き様、勇者の死に様〜

重症患者として徹底看護下にありつつ、種牡馬生活を続行していた99年8月2日早朝、病状が急変。懸命な治療の甲斐なく、その日の午後に心不全による死去が確認された。
享年16歳、まだまだやれるしヤればデキる年齢での死*19は、関係者や馬の者を問わず深く惜しまれ、悼まれることとなった。

その死に様もまた、勇者の名と生き様にふさわしく壮烈なものとなった。
常に全身を苛む激痛。絶え間なく襲い来る高熱。動きを阻害し血流すら滞らせるむくみ。全身の肉という肉、骨という骨が蹂躙され、容赦なく己の命数を奪っていく。
だが、それでもダンシングブレーヴは屈することはなかった。屈さば二度と立てなくなると知っていたのか、全身を絶え間なく痛めつける数多の苦痛に耐えて耐えて耐え抜いて、呼吸も鼓動もすでに役割を放棄してなお、その四肢は馬房を踏みしめ続け、仁王立ちのままにこの世を去った。

奇病に蝕まれるという運命に抗い、己の血を次代に託し開花させ、最期の最期まで絶望することなく仁王立ちという壮絶な往生を遂げる……彼のお世辞にも順風満帆とは呼べない種牡馬生を、誰が嘲笑えようか。
いち競馬ファンとしては、駆け抜けていったその先で往年の名馬たちと存分にターフを満喫していると信じ、そうであることを祈ってやまない。



評価

競走馬としての評価

競走馬としての最たる特徴は、やはり神域に達したレース後半での爆発的瞬発力だろう。
スタート直後の加速力はお世辞にも高くなかったが、地を這うような低姿勢で徐々にストライドを伸ばし、溜めて溜めて溜めきった最終直線で末脚炸裂、直線一気のロケットスパートで先行馬を差し切りねじ伏せるのが勝ちパターン。
そして、そのスピードを最高の条件で最大限発揮するために彼に与えられたのが、その四肢に漲る規格外のパワー。
考えてみれば簡単な話で、歩行生物が速度出すためには大地を蹴った反動が不可欠である。つまり大地を蹴って肉体を押し出す力が強ければ強いほど、その身に秘められたスピードは発揮されやすくなる。
ならば、追い出しからわずか二完歩でトップスピードに至るとまで言われた神速を発揮しうるパワーとは、これまた神域の規格外にあるものと考えて差し支えない。
なにしろロンシャンの高速馬殺しと名高い柔らか地盤(日本比)のクソ重ターフを駆け抜け、直線で全馬まとめて一閃のうちに叩き伏せたスピードの源である。規格外以外に何と言えと。

その両方が最大最高の場面で現出したのが上述した凱旋門賞。動画を見ていただければ嫌でもわかると思うが、マジで光速かワープゼロシフトとしか思えない末脚である。文字通り次元が違いすぎる。言葉は要らない、必見。

気性面に関しては、産駒にわりとキレッキレなのが多いためか彼自身もキレてると思われがちだが、従順かつ忍耐強い穏やかな気性と、気性難とは真逆の方向性だった。
まあ気性難だったらマリー病の激痛にキレ散らかして暴れまくってるわな

+踊る勇者のレーティングにまつわるアレコレ
77年から始まった国際クラシフィケーションでは、当時史上最高値にして絶対不可侵の141ポンドが与えられていた。
というかレーティングの最高値は、2012年に引退したフランケル*20に与えられた140ポンドで、ダンシングブレーヴのそれは事実上の殿堂入りというか、まあ名誉称号に近いものがあった。あの末脚に勝とうと思ったらエクリプスかキンチェムかマンノウォー、あとセクレタリアトあたりの馬を超えたUMAが要るんじゃね?
しかし13年になってワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングと改名後、「昔の馬に甘すぎじゃね?」との批判に応えてレーティングを見直した結果、86年度のレーティングが一律3ポンド減らされ、138ポンドとなりトップの座から陥落。

両馬のオーナーだったアブドゥッラー殿下はまだ面子を保ててるだけいいとしても、ダンシングブレーヴから多くの名誉を貰ったハーウッド師が激ギレ。
「フランケルの方が上ならそのようにレートを上げればよかった。わざわざこっちのレートを下げるとか意味わからんし筋が通らんだろうが」
「数十年の世代差があるのに一概に比較とかできるわけがないだろう、俺のダンシングブレーヴが最高なのに変わりはない!」

と全力でキレ倒し、これを受けて世界中で賛否両論の大論争が展開された。

一応両馬の名誉のために明記させてもらうと、そもそもこの2頭では戦域がちょいと違う。
ダンシングブレーヴがクラシックディスタンスも走れたのに対し、フランケルはマイル中心で最後の方にインターミディエイトである。
一概に同じ土俵で比較できる馬ではなかったし、比較するだけバカを見るだけではなかろうか。というかどっちも歴史的名馬でいいじゃん。


種牡馬としての評価

雑に種牡馬生活の項を参照。
病に苦しみながらの種付けライフだけありそもそもの産駒数自体少ないが、JRAで出走した国内産駒だけでも195頭中112頭が勝ち上がり、延べ234勝中重賞25勝と、勝馬率も重賞勝利率も意外とお高い。
これでマリー病に罹患してなければ、どこまで産駒成績が跳ね上がったやら……いやわりとマジに。

マリー病という淘汰圧を経て受胎しただけあって、産駒の上澄みはSS軍団にも劣らぬ活躍を示し、父譲りの高い瞬発力と重馬場を苦と思わない器用さとパワー、日本の高速馬場への高い適応性が自慢。
その反面体質に難のある産駒も決して少なくはなく、体調管理の面からムラッ気を抑えきれないという欠点も。

後継種牡馬としてキングヘイローやコマンダーインチーフ、ホワイトマズルらがGⅠ馬を輩出したほか、自身もブルードメアサイアーとしてスイープトウショウやメイショウサムソン、ロベルティコやゾマラダーなどといった名馬を輩出。地味に父系母系のどちらもうまいこと次代に繋げている。
さすがに近年はSS直系に押され目立たなくなりつつあるが、すでに日本に根付いた血統はか細くとも継承されてゆくだろう。
いずれはその血を継いだ最強の系譜が、世界を席巻することだってありえなくはない。
今はただ備え、そして待とう。踊るようにロンシャンを駆け抜けた勇者の末裔が、いつの日か世界を制することを願って。


主要産駒の皆さん

国外産駒部門

日本にやって来てデータが揃ってる2頭のみ記載。

  • コマンダーインチーフ
ダンシングブレーヴが欧州産駒最高傑作にして、93年クラシック世代最強候補筆頭。
無傷の3連勝でエプソムダービーに出走、父が成し得なかった英ダービー制覇をいきなり達成すると、返す刀でアイリッシュダービーに殴り込みこちらも勝利。のっけから史上3頭目の英愛ダービー無敗二冠馬という大偉業を達成する。
その後KGⅥ&QEDSに出走するも3着敗戦、4着以降には10馬身からの大差をつけており面目は保たれた。
これ以降出走することなく引退、10月に優駿スタリオンステーションに400万ポンドで購入され日本で種牡馬入り。
産駒のタイプ幅がやたらと広く、日本にがっつり適合してのけた凄い奴。
代表産駒はダートのGⅠ級を3勝したレギュラーメンバーやジャパンダートダービーを勝ったマイネルコンバット、阪神3歳牝馬ステークス*21を勝ったアインブライドあたりか。

  • ホワイトマズル
デビューから2戦勝ち上がれず、3歳4月の勝ち上がりを含め英国内のローカル競馬場を転戦する裏街道を進む。
その後は馬主ガウチ氏*22の本国イタリアに移動しイタリアダービーに出走。競馬先進国に比べれば質で劣るとは言え、レースレコードを2秒5も縮めるぶっちぎりの圧勝を挙げる。
ダービー後英国に戻り、1戦勝つとKGⅥ&QEDSに出走。異母兄弟の同世代筆頭コマンダーインチーフにアタマ差先着、2位に入線し実力をアピールした*23
その後は英国際ステークス5着敗戦、凱旋門賞クビ差2着を経て、ジャパンカップ出走後に社台で種牡馬入りする予定だったが、当のJCで13着と轟沈。箔付けのために現役続行も、凡走を繰り返し結局4歳で引退、種牡馬入りした。
強いか弱いかで言えば間違いなく強かった……と思うのだが、どうにも大レースでの人気と着順が反比例してる不思議な奴。
種牡馬としてはコマンダーインチーフ同様日本にうまく適合し、産駒のタイプもバラエティに富む。
サイアーランキングもトップテンに入ることこそなかったが、毎年のように産駒が安定して賞金を稼ぐ馬主孝行な一族。
代表産駒は春天覇者イングランディーレ、オークス馬スマイルトゥモロー、シンガポール航空IC覇者シャドウゲイト、菊花賞馬アサクサキングス、ジャパンカップダート覇者ニホンピロアワーズ。


国内産駒部門

とりあえずGⅠ馬についてのみ記載。
  • エリモシック
96年クラシック世代の一角。オークスへの優先出走権を得て当日はエアグルーヴの二番人気に推されるが6着敗戦。秋華賞はファビラスラフインの2着と健闘するも同年のエリザベス女王杯は8着惨敗。
翌年も敗戦が続くが、鞍上が河内洋から的場均に変わり、戦法を追い込みに変えるとこれがハマって2戦好走し復調。2年連続出走のエリ女ではかつての主戦河内が駆るダンスパートナーをクビ差かわして念願のGⅠタイトルを獲得。
翌年も現役続行したが、大阪杯5着を最後に繁殖入りした。
なお、産駒は正直パッとしないまま繁殖牝馬を引退し、功労馬として余生を過ごす。
2014年8月6日に肺出血を原因とする呼吸不全により死去。

  • キョウエイマーチ
97年クラシック世代。報知杯4歳牝馬特別*24を含む4勝1敗で迎えた桜花賞は2歳女王メジロドーベルを抑え一番人気に推され、種々の不安要素を苦にすることなく4馬身差の快勝。
続くオークス、秋華賞はメジロドーベルに屈し、秋華賞トライアルのローズステークスでシーキングザパールに勝ったこともあってかマイル&スプリント路線に転向。
マイルチャンピオンシップでは覚醒前のサイレンススズカに競り勝つも、タイキシャトルに屈し2着。次走スプリンターズステークスは11着と轟沈。翌年も勝てず、引退の噂もあったが現役続行。
99年の阪急杯で19ヶ月ぶりの重賞勝利を挙げるも、その後はやっぱり見せ場こそあれど勝てず、00年の京都金杯で久方ぶりの勝ち星を挙げ、同年マイラーズカップ6着を最後に引退、繁殖入りした。
見せ場こそあれどという通り、掲示板を死守して賞金を稼いでくることも多く、地味ながら通算獲得賞金5億円超えの馬主孝行な姐さん。
07年5月の出産時に大腸変位を起こし急逝。
こちらも産駒は数自体が少ない事もあってエリモシック同様あまりパッとせず、皐月賞2着馬のトライアンフマーチがそこそこ知られてるのと、第一子ヴィートマルシェが牝系を辛うじて繋げている程度。
とはいえ孫の代で中央重賞未勝利ながら、日本調教馬として初めてブリーダーズカップ・ディスタフ(ダート1800mの牝馬限定戦)を制する偉業を成し遂げたマルシュロレーヌ(父オルフェーヴル)が名を挙げた辺り、勇者の血は確かに次代に受け継がれていたのだろう、多分。

  • キングヘイロー
98年クラシック世代――世に言う最強世代の1頭にして、勝ちきれぬままGⅠレースを転戦した不屈の王。
父もさることながら母もアメリカGⅠをマイル中心に7勝した女傑であり、「なんでこいつ日本で走ってんの?欧州かアメリカで無双する血筋でしょ」とよく言われていた……当初は
2歳をデビューから3連勝を含む3勝1敗と上々の成績でまとめたものの、クラシック戦線では好走するも勝ちきれず。日本ダービーは暴走を鞍上の福永祐一騎手が抑えきれず、大逃げからの逆噴射で14着轟沈。その後の菊花賞や有馬記念も勝ちきれずといいところなし、というか重賞自体勝鞍がなかった。
翌99年は柴田善臣騎手に鞍上が変わり東京新聞杯と中山記念を連勝し復調するが、GⅠ戦線はどれも良くて好走悪くて撃沈。
00年もフェブラリーステークス出走と迷走(&13着轟沈)するが、陣営は度重なる敗戦にもめげずに高松宮記念に出走。後方から直線一気に突っ込んで大外撫で斬りという亡き父そっくりの末脚を見せ、ついに悲願のGⅠタイトルを掴み取った。
なお、福永騎手は2着に差し切られたディヴァインライトに騎乗しており、後に「負けて一番悔しかったレース。自分が乗っててなんでGⅠ勝たせてやれなかったんだ、って……でも、やっとタイトル獲れてよかったな、って気持ちもあって複雑でした」と振り返っている。
その後は良くて3着とやっぱり勝ちきれずに00年有馬記念で引退、種牡馬入り。勝ちきれなかったがゆえにその超良血統からしたら捨て値に等しい種付け料が設定された結果人気沸騰し、それゆえ重賞馬も数多く輩出した。
体型からしてどう考えても向いてるマイルで轟沈したかと思えば、言うほど向いてなさげな皐月賞では2着に健闘し、どうあがいても適性なさげな菊花賞で5着と掲示板を死守するなど、距離適性が高いのか低いのかようわからん不思議な奴だったが、それゆえか産駒もバラエティ豊富。
代表産駒は06年牝馬二冠のカワカミプリンセスや09年春秋スプリント王ローレルゲレイロ、ダート重賞で活躍しJBCレディスクラシックを勝ったメーデイア。
19年3月19日に繫養先の優駿スタリオンステーションにて死去。5日後に開催された高松宮記念で福永騎手がミスターメロディに騎乗、亡き戦友に捧ぐ勝利を挙げた。
直系存続は厳しい*25一方で母父キングヘイローが没後に評価上昇し、ステマ配合よろしくニックスの素材として注目を集めている。
他のG1を獲った国内産駒も全員牝馬だし、ダンシングブレーヴの系統は日本だと牝馬を挟んだ方が活躍しやすいのだろうか。
2021年には母父キングヘイローのモーリス産駒・ピクシーナイトが3歳でスプリンターズステークス勝利という14年ぶりの快挙福永騎手と共に成し遂げた。

  • テイエムオーシャン
01年クラシック世代。つまりアグネスタキオンやクロフネたちの同期である。ここに記載されてて同期がこいつらの時点で女傑確定だ、と思ったあなたは正しい。
テイエムの冠名でおなじみ竹園正繼オーナーが一目惚れし、同行していた調教師の反対を押し切って購入した逸話持ち。初手からキレッキレですね貴女。
阪神3歳牝馬ステークスを勝ち、最優秀3歳牝馬に選出され弾みをつけると、トライアルも込みで桜花賞を制圧、祖母以来の制覇を決める。続くオークスではライバルたちに敗れ3着敗戦も、牝馬クラシック三冠最終戦の秋華賞は逆に完封してのけ二冠達成。
オークスから直行で秋華賞制覇は、地味に史上初だったりする。まーたキレッキレな逸話ですね貴女。
古馬との初対決となったエリ女は5着、有馬記念は6着に沈むものの、牝馬二冠と史上初が評価されたか最優秀3歳牝馬に選出された。
なお、この年から馬齢表記が数え年から変更され、これに伴い「最優秀○歳なんちゃら」が-1されることに。なもんでこの方、2年連続最優秀3歳牝馬という珍記録持ちだったりする。逸話残さんと死ぬ病気ですか貴女。
なお、この後02年に札幌記念を勝った以外はGⅢでも勝ちきれない(GⅠは軒並み轟沈)まま走っていたが、エリ女出走を前に骨折し無念のリタイア、繁殖入りした。
繁殖入りから5年間はオーナーの意向で世紀末覇王とのみ交配するもパッとせず。それ以降はオペラオー以外の種牡馬とも交配しているが、現在はトロンビーノ(父ロードカナロア)が現役にいるのみ。
ただしオーシャンズヨリ(父ドゥラメンテ)が今年デビューし、リアルスティールとの仔が来年にデビューするため、彼らが血を繋ぐことを期待しよう。





追記・修正は史上最高の凱旋門賞で劇的な逆転勝利を挙げてからお願いします。

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最終更新:2021年11月09日 16:20

*1 実際に去勢されてたらサラブレッドの血統史がいろんな意味でやべーことになっていた。オーナー説得した当時の調教師超GJである

*2 なにしろ後進の超有名馬・種牡馬たちも、ニジンスキーやらノーザンテーストやらサドラーズウェルズやらダンツィヒやら、競馬ニュービーでも知ってるレベルのノーザンダンサー系がわんさかいる

*3 複数の馬主からなるオーナーグループ。ファームって名前だが牧場は保有しておらず、所有する繁殖牝馬を他の牧場に預託していた

*4 ダンシングブレーヴ以外にも、2010年代末期欧州最強馬エネイブルなどの綺羅星の如き優駿たちを所有していた、超大物オーナーブリーダー。2021年1月12日に逝去

*5 牡馬を相手に真っ向から渡り合った名マイラー。日本での血統的にはロジユニヴァースの母系曾祖母

*6 ダンツィヒ産駒の名スプリンター、つまり例によってノーザンダンサー系。スピード系の名種牡馬として活躍した

*7 ノーザンダンサー産駒傑作選の一角にして現在最後の英国三冠馬、しかも無敗で。生涯成績13戦11勝2着2回の完全連対と、ぐうの音も出ないレベルの超優駿。とどめに種牡馬としても親父殿同様チート級で、ノーザンダンサー系分派ニジンスキー系を確立した。マルゼンスキーの親父殿

*8 英国式競走体系の競馬におけるクラシックディスタンス。エプソムダービーに端を発する由緒正しい施行距離である。日本GⅠでは東京優駿とジャパンカップ、優駿牝馬が該当する

*9 通称。本名はムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム。世界に冠たる超有名厩舎ゴドルフィン総帥にして、これまた世界的サラブレッド生産牧場複合体ダーレーグループのオーナー、とどめにドバイワールドカップの創設者。要するに競馬界最高峰の超々VIP。ちなみに御自身もエンデュランス馬術で優秀な成績を残した名うての騎手

*10 ニューマーケットに居を構えるダーレーグループ傘下の牧場。後のダンシングブレーヴ輸出騒動における実質的戦犯

*11 鞍上スターキー騎手

*12 仏ダービーを含む5連勝中

*13 独ダービーを含む12連勝中

*14 欧州長期遠征中で、勝鞍こそなかったものの慣れない洋芝相手に好走していた

*15 当時の為替レートにして約35億円

*16 鳥の結核の一種で、馬に感染するのは極めて稀。それゆえ治療研究も遅々として進まず、予後もよろしくない。馬が罹患してしまうと骨が肥大化したり関節が腫れ上がり、それに伴う発熱やむくみ、激痛に全身を苛まれる難病である。なお人間にも通称をマリー病という疾患は存在するが、こちらは遺伝性の神経疾患でありまったくの別物

*17 第二とセカンドで被ってるけどマジでこうとしか言えないので察して?

*18 当の一般紙の具体名が出て来ず真偽不明なのだが、あまりにも有名なので一応記載しておく。御存知の方、追記・修正よろしく

*19 子孫が無双ってレベルじゃない勢いで無双しまくってるサンデーサイレンスの享年も、奇しくも16歳である。日本に輸入された偉大な種牡馬には早死の運命が刻まれている、とでもいうのだろうか

*20 ダンシングブレーヴと同じくアブドゥッラー殿下所有のハイパーチート馬。何しろ14戦14勝無敗、うちGⅠ10勝の完全連対である。クラシックディスタンスにこそ挑戦しなかったが、もはや馬じゃなくてUMAレベル

*21 現在の阪神ジュベナイルフィリーズ

*22 ACペルージャの元会長にして、偉大なる凱旋門賞馬トニービンの実質的馬主。トニービンの稼いだ賞金でサッカーチームゲット、といういろんな意味で立志伝中の人。なお脱税により訴追され没落した模様

*23 この時の勝利馬がオペラハウス。世紀末覇王テイエムオペラオーやメイショウサムソンのパパ上様である

*24 現・フィリーズレビュー。桜花賞のトライアルレース

*25 ローレルゲレイロは種牡馬入りしているが人気は乏しく、他には2019年に種牡馬入りしたキタサンミカヅキがいる程度。