エアグルーヴ(競走馬)

登録日:2021/12/07 Tue 10:43:47
更新日:2022/01/21 Fri 12:53:41NEW!
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96年 オークス
5頭がもつれた世紀の大激戦の末に生まれた、女王・ダイナカール。

その娘が、再びレースを支配する。
額の流星は宿命か。オークス、親子制覇。

その馬の名は、エアグルーヴ
次の伝説を見よ。

──2012年 JRAオークスCMより

エアグルーヴとは、日本の元競走馬。牝馬。

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
エアグルーヴ(ウマ娘 プリティーダービー)

●誕生

1993年生まれで、父は1988年の凱旋門賞を制し、産駒は府中に滅法強い名種牡馬トニービン。母は大接戦*1の末に1983年のオークスを制したダイナカール、その父は社台ファームを支えたこれまた大種牡馬のノーザンテーストと良血。
生まれた直後に伊藤雄二調教師をして「男のシンボルがあれば性別が違えばダービーを獲れる」と言わしめ、オーナーを説得させ購入に至った。

●戦歴

武豊を鞍上とした新馬戦こそ敗れるもこれはたたき台。
次では順調に勝利*2して挑んだいちょうステークス(OP)では内枠を保ちつつ最終直線でラチぴったりに追い上げを図る中。前をラブシックガイにふさがれる不利を受けて一瞬立ち上がってしまう。しかしいったんは下がった位置からさらにもう一度復活の脚を見せてそのまま勝利。

初めてのG1挑戦となった阪神3歳牝馬ステークスは武豊のイブキパーシヴへの乗り替わりもありビワハイジに逃げ切られる。

年代わり、クラシック級の初戦となったチューリップ賞はオリビエ・ペリエを鞍上にし、再び逃げを図るビワハイジをきっちり差し切り5馬身差圧勝の雪辱を果たすも、本番の桜花賞は熱発により回避。
休み明けぶっつけ本番となったオークスは外に回されるという不利にあったものの、スローペースを読んだ武豊は4角前から仕掛け坂を上がって先頭に立つ。桜花賞馬ファイトガリバーから猛追されるもその差を保ち切り、オークスを親子2代で制覇。

休養を挟み、体調が上向かなかったためかステップレース抜きで挑んだ秋華賞。
パドックでのフラッシュ撮影に過剰にイレ込んでしまい、パニック収まらぬまま出走するも10着と惨敗。しかもレース後に右前脚の骨折が判明し、長期離脱を余儀なくされた。

これ以降、パドックでのフラッシュ撮影が禁止に。
馬というのは繊細な生き物であるため、競馬場はもちろんのこと、引退した競走馬の見学の際にもフラッシュ撮影はご法度ということを覚えておきたい。

8ヵ月もの休養を経て復帰戦となるマーメイドステークスを勝利。
続いていちょうステークス以来久々の牡馬混合戦の札幌記念。皐月賞馬ジェニュインを上回る一番人気となり、その人気のままジェニュインのマークもエリモシックの追い上げも振り切り連勝を飾る。
この結果を見て一線級の牡馬相手も問題なしと見た陣営はエリザベス女王杯ではなく天皇賞(秋)に出走を選択。
2番人気で挑んだレースはサイレンススズカの大逃げで展開。1000m58.5の超ハイペースとなる。
最終直線で前年の覇者バブルガムフェローともどもサイレンススズカに猛然と追いつき、3着とは5馬身もの差をつけたバブルガムフェローとのマッチレースとなり、クビ差で差し切り勝利。

バブルか!エアか!バブルか!エアか!エアグルーヴ~!!
恐ろしい馬です!恐ろしい馬だ!
バブルガムフェローをかわした!15頭の男馬を蹴散らした!
これが女馬の走りでしょうか!
ねじ伏せました!力でねじ伏せたエアグルーヴと武豊!

フジテレビ 三宅正治アナウンサー


なんと17年ぶりにして2000mになってから初の牝馬による天皇賞(秋)制覇となった。*3
今でこそ1流の牝馬なら牡馬に勝って当たり前という風潮だが、当時は牝馬限定戦では三冠を成し遂げ最強とされたメジロラモーヌも牡馬相手には太刀打ちできず(混合競争は殆ど走って無いので異論もある)、牝馬はマイル戦までが限界という風潮の中でのこれは正に歴史的偉業であった。

次走となったジャパンカップ。またしてもエアグルーヴを災難が襲う。
アイルランドから参戦したピルサドスキー。欧米でG1レースを5勝している彼はこのジャパンカップがラストランであり、引退後は種牡馬として日本に滞在する予定となっていた。

そして、彼はパドックで思いっきり馬っ気を出した。それはもう大変ご立派なモノで。
しかも外国馬の一番手ということもあり、カメラもそんな彼を映さないわけにもいかず、立派なイチモツがお茶の間にバッチリと映ってしまった。
馬券の常識では「馬っ気を出した馬は消し」というのもあり*4、3番人気にまで落としてしまう。

ところが、エアグルーヴの鞍上だった武豊騎手をして「完璧なレース」とまで言わしめ、3着バブルガムフェロー以下を完封したエアグルーヴを鋭い末脚でクビ差差し切ったのはそのピルサドスキーだったのである。
彼はG1レース6勝目を勝ち取り、競走馬としては有終の美を飾った。
馬っ気出したパドックでそのレースに参加する牝馬がエアグルーヴただ一頭だった事から、「エアグルーヴに発情した」と一般的には取られたが、「競馬の神様」こと競馬評論家の大川慶次郎氏*5は自身の著書で、ピルサドスキーが馬っ気を出したのは発情ではなく「俺が一番強い!王様だ!」というアピールを他の出走馬に対して誇示するための、動物行動学的見地に沿った行動であったと推察している。何が真実かは当馬のみが知る。

その後ファン投票1位の人気を得て有馬記念にも出走したが武豊はマーベラスサンデーに騎乗し鞍上はペリエ。最終直線で一度は先頭に立つもしぶとく食らいつくサンデーと末脚を炸裂させたシルクジャスティスに追われ3着に終わる。
敗れはしたものの全レースで複勝圏を確保し天皇賞(秋)での勝利が評価され、1971年トウメイ以来26年ぶりの牝馬による年度代表馬に選出。

翌1998年も現役続行。初戦の産経大阪杯*6は武豊が鞍上に戻り2冠牝馬メジロドーベルとの女王対決(by杉本清アナ)に勝利する。
しかし次走の鳴尾記念は不良馬場がたたり2着。

半年ぶりのG1挑戦となった宝塚記念では覚醒したサイレンススズカの逃げと内枠から延びるステイゴールドの前に外から追い上げながらも3着。
実績のためこれまで最大の58となった斤量を背負う札幌記念は1着で圧勝し連覇達成。芝レースになった1990年以降2021年現在グルーヴのみの記録である。

その後、武豊が前週のレースで騎乗停止となった*7ため横山典弘に乗り替わっての出走となったエリザベス女王杯。オッズ1.4倍の1番人気を背負いながらも、メジロドーベルの3着に敗れる。秋華賞以来2年1カ月ぶりの対牝馬の敗北であった。

ジャパンカップにも出走し、内側から攻めてスペシャルウィークこそ抑え込むも、先に抜けだしたエルコンドルパサーには及ばず2着。上位を日本勢が独占する快挙に貢献。*8
さらにハードな日程ながらも引退レースとして有馬記念にも出走。武豊が鞍上に戻ったが落鉄の影響もあり、グラスワンダーの5着に敗れた。

年が明けて1月10日に京都競馬場にて引退式。主戦の武豊を背にまだまだ現役で走れそうな勢いで淀の直線を走り切ったという。

牝馬が今ほど強く見られていなかった時代に牡馬と混じりながらG1を2勝。
G1勝利数は少ないながらも、秋華賞10着と有馬記念5着を除いた全てのレースで3着以内という、後の時代の名牝にも負けず劣らずの好成績を残している。


●繁殖牝馬として


引退後は繁殖牝馬入り。
さらにエアグルーヴはここでも驚くべき成績を残す。
繁殖牝馬はどうしても牡馬に比べ残せる子供の数が少なく(実際に腹を痛めて産むのは牝馬なのだから当然だが)、名馬の子供でも決して走る子供を残せるとは限らないとよく言われる。
しかしエアグルーヴはなんと初年度産駒であるサンデーサイレンスとの仔アドマイヤグルーヴがエリザベス女王杯を連覇したのを皮切りに、キングカメハメハとの仔ルーラーシップ、アドマイヤグルーヴとキングカメハメハの仔にはドゥラメンテを輩出するなど母及びファミリーラインとしても成果を上げ、エアグルーヴの血統は今日の競馬まで広く繋がっている。
重賞馬を1頭出すだけでも上等な部類である繁殖成績の中で異例ともいえるが、未出走の一頭を除けば産駒全頭が最低1勝しているのも特徴。しかもそのほとんどが新馬戦で勝利しており、同期ビワハイジと並んで繁殖牝馬としては非常に優秀であった。
……ただ、彼女の産駒は気性難の傾向がかなり強く、
  • 気性難で知られるアドマイヤグルーヴ、
  • 2008年エリザベス女王杯で武豊騎手を出落ち(物理)させたポルトフィーノ(カラ馬1位入線となるが、当然失格)
  • 出遅れに定評があり、2012年天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念でも盛大に出遅れ3連続3着なんて珍記録を残したルーラーシップ
といった仔だけではなく、孫世代でもドゥラメンテやダンビュライトなど気性の激しい馬がかなり出現している。
まあグルーヴも厩舎に入った頃の調教で厩務員を振り落としたなんて話が伝わってるので遺伝なのかもしれない。

ちなみに産駒で最も高値で売れたのは2004年誕生のザサンデーフサイチ(4億9000万円)だが、彼はエアグルーヴ産駒最長の11歳まで現役を続けるも故障等により最後まで1600万下条件馬に留まり、
現役途中で馬主の財政難から差し押さえ→新馬主の元へなんてドタバタもあったりしたが何とか無事引退。僅かだが種牡馬活動した後2021年に引退馬を支援する団体に引き取られている。

2013年にキングカメハメハとの間の牡馬ショパンを生んだ直後に内出血で死亡。享年20歳。通算成績は19戦9勝。
名牝の条件と言えば繁殖成績か競争成績という時代に在って、その両方で驚くべき成績を残した彼女は未だ伝説的な名牝として語られその名と血が後世で語られている。

●余談


エアグルーヴには小さい頃から仲のいい人間を文字通りベロベロ舐める癖があったため、幼名でも既に「ベロ」と、そして入厩後もしばしば「ベロちゃん」と呼ばれていた*9
馬が人を舐めること自体は塩分補給やおねだりなどを目的に時折行われるが、こうしてあだ名される辺り、相当な頻度であったことは想像に難くない。
他にも、レースの度に鬣に毛糸を編み込まれお洒落を施されていたとか、勝負根性溢れる「女帝」らしからぬ「乙女」な話も残っている、そういう馬であった。

晩年の大川慶次郎氏はエアグルーヴについて「普通の牝馬じゃないですよ。和田アキ子さんですよ」とコメントし、絶賛している。


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最終更新:2022年01月21日 12:53

*1 勝利したダイナカールを含めて5頭がほぼ同時にゴール、掲示板には写真判定を意味する「写」の文字が4つ並び、結果1着から5着まで着差がハナかアタマという文字通りの大接戦だった

*2 地味に後の重賞馬ダイワテキサスもいた

*3 2000mのレースになったのは1984年からであり、それまでは天皇賞(春)と同じ3200mだった

*4 レースに集中できていないと見られてしまうため

*5 1929年生まれ。異名の「競馬の神様」は、4回にわたってパーフェクト予想を達成したことに因むもの(最も大川氏本人は予想家扱いされることを嫌い、あくまでも競馬評論家であることに強い自負を抱いていたという)。動物としての馬が好きで競馬業界に足を踏み入れたことから、馬の体型を一目見ただけで体調や故障などを見抜いたこともあった他、競馬関係者への批判をタブー視する風潮がマスコミにあった中しばしば公然と批判を行ったことでも知られる。晩年は周囲に「21世紀の競馬を見たい」と漏らしていたが、その夢が叶うことなく1999年12月に70歳で死去。

*6 当時はG2

*7 サイレンススズカの「沈黙の日曜日」の直後。この時乗っていたのは後のダービー馬アドマイヤベガの新馬戦。

*8 見方を変えれば父トニービンにとって骨折を発症し無念のラストランとなったジャパンカップに2度挑み2度2着だったわけだが…。トニービン産駒がジャパンカップを勝利するのは2001年のジャングルポケットまで待たねばならなかった。

*9 某DVDにはグルーヴにすごい勢いでベロられながらインタビューを受ける担当厩務員(田中一征氏)のシーンが収録されているそうな。