ナリタトップロード(競走馬)

登録日:2023/09/20 Wed 01:59:25
更新日:2025/04/05 Sat 10:09:41
所要時間:約 15 分で読めます




走り続けた頂点への道 秋晴れの下で咲いた大輪

週刊100名馬EX6 ナリタトップロード 表紙より

ナリタトップロード(Narita Top Road)とは日本の元競走馬

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
ナリタトップロード(ウマ娘 プリティーダービー)

目次

【データ】

生誕:1996年04月04日
死没:2005年11月07日
享年:9歳
父:サッカーボーイ
母:フローラルマジック
母の父:Affirmed
生国:日本
生産者:佐々木牧場
馬主:山路秀則
調教師:沖芳夫 (栗東)
主戦騎手:渡辺薫彦
生涯戦績:30戦8勝[8-6-8-8]
獲得賞金:9億9011万2000円

主な勝鞍:99'菊花賞(GⅠ)、99'弥生賞(GⅡ)、01'02'阪神大賞典(GⅡ)、02'京都記念(GⅡ)、02'京都大賞典(GⅡ)、99'きさらぎ賞(GⅢ)

【誕生】

1996年4月4日生まれの栗毛の牡馬。
父のサッカーボーイはスーパークリークオグリキャップらと同じ1988年クラシック世代の競走馬で、GⅠ2勝を達成し種牡馬としても他が割と大失敗だったのもあり成功した名マイラー
自身の評価と裏腹になぜか代表産駒が長距離馬(ステイヤー)のナリタトップロードとヒシミラクルなんて珍現象でも知られている。ナリタトップロードも若駒時代から見てすぐにわかるステイヤー体型だったと沖調教師は語っていた。

母の父は1978年にアメリカ三冠を達成、2度のエクリプス賞年度代表馬、G1競走14勝、当時の収得賞金の世界レコードホルダーであるアファームド。自身の前に立ちはだかることになる同期メイショウドトウ も同じく母父アファームドだったりする。

【戦歴】

1998年に栗東の沖芳夫厩舎に入厩。主戦騎手は同厩舎に所属する若手騎手、「ナベちゃん」こと渡辺薫彦となった。
渡辺の父は沖厩舎の厩務員であり「ウチの息子が騎手試験を受けるのだけど、所属させてくれないか」という願出がかなってデビューしたのだ。
1998年12月の阪神競馬場、芝2000mでデビューしたが、で稍重の馬場に苦戦し2着。3週間後の"2回目"の新馬戦は天候にも恵まれて1着、2戦1勝でシーズンを終える。

クラシック級となる1999年は条件戦で3着に敗れるものの、格上挑戦となるG3重賞・きさらぎ賞に2番人気で出走し、エイシンキャメロンを抑え見事勝利。鞍上の渡辺薫彦にとってはデビュー5年目で待望の重賞初制覇でもあった。
さらに3月の皐月賞トライアル・弥生賞にも出走。クラシック最有力候補であったアドマイヤベガの追い込みを振り切って勝利し、一躍クラシック最有力候補に躍り出る。
重賞を勝利したなら、次はG1タイトルを……。そう決意して挑んだ皐月賞はの中、ぬかるむ馬場に足を取られて苦戦する外から、とんでもない末脚でぶっ飛んできた馬……のちに「世紀末覇王」と呼ばれるテイエムオペラオーに奪われてしまい、3着に敗れる。

雪辱を誓う次走は当然日本ダービー。皐月賞での好走と、大跳びなトップロードにとっては長い長い直線は得意とする環境であったため1番人気に支持される。
レース中盤から徐々に進出し、最終直線では早めに仕掛けたテイエムオペラオーを競り落とし、先頭を走る。
ダービー制覇は目前。
が、外から1頭、猛烈な追い込みをかける馬が飛んできた。
アドマイヤベガである。
ゴール目前の競り合いの軍配が上がったのは──アドマイヤベガ。
2着のトップロードとの差はわずかにクビ差。ゴール前、狙い澄ましたかのような差し切りであった。
その後検量室に引き上げてきた渡辺騎手は、人目もはばからず涙を流したという。

夏を休養に充て、秋の初戦は当時秋開催の京都新聞杯。アドマイヤベガも出走しており、レース結果はまたしても追い込みに屈し2着。さながらダービーの再現かのような展開であったという。
次走、菊花賞。
1番人気をアドマイヤベガに、2番人気をテイエムオペラオーに譲る3番人気。
4コーナーの出口で先頭に立ち、ロングスパートをかける。後ろからはテイエムオペラオーとラスカルスズカが追ってくるが、その追撃をクビ差凌いで人馬ともに初のG1制覇を達成した。インタビューでは涙で思わず声を詰まらせていた。

トップロードついに、ついにやった!
渡辺やったーガッツポーズ!
うれしい!うれしい!渡辺やったぞー!
サッカーボーイも喜んでいる!

関西テレビ 杉本清アナウンサー

次走は有馬記念。
スペシャルウィークグラスワンダーの引退レースでもあったレースに4歳勢(当時、現3歳)トップの4番人気で支持されるがスタートダッシュが利かず7着。初めて複勝圏内を外すことになってしまった。
また2週前のステイヤーズステークスからの有馬記念というトンデモローテで参戦したオペラオーはというとスペシャルウィーク・グラスワンダーとタイム差無しの3着と激走。最優秀4歳牡馬の座もオペラオーに持っていかれてしまった。

翌2000年。20世紀の終わり、世紀末の初戦はG2・京都記念。そこにはテイエムオペラオーも出走。得意の京都競馬場では負けられない、と最終直線で追い込みをかけ、前を行くオペラオーをとらえた!
……と思いきや、なんとオペラオーが差し返し、2着に敗れてしまう。
続く次走は天皇賞(春)への試金石となる阪神大賞典。またしてもテイエムオペラオーが出走しており、雪辱を誓うレースになる……はずだった。
結果はオペラオーに敗れる2着……でもなく、前年クラシックの3強には入らなかったが、実力十分かつ菊花賞の3着馬ラスカルスズカにも交わされての3着。
この2度の敗戦で、テイエムオペラオーが「鎬を削り合ったライバル」から、「強大な壁」へと変貌していることを示していた。

そして本命の天皇賞(春)。
菊花賞の再現を狙い、オペラオーより前につけて真っ向勝負を選択。
しかし、結果は1着テイエムオペラオー、2着ラスカルスズカに次ぐ3着。菊花賞どころか、実力差を見せつけられた阪神大賞典の再現となってしまった。
その後は休養に入ることに。宝塚記念への出走予定もあったが梅雨の時期ということもあり、重馬場を苦手とするトップロードは回避することになった。
なお、その宝塚記念は晴れの良馬場であった。

菊花賞後療養していたアドマイヤベガが繋靭帯炎により引退した秋の初戦は京都大賞典。またテイエムオペラオーと顔合わせすることになる。
最終直線、最後の上がり3ハロンを33秒5の末脚で追うトップロード。しかし前にはノーステッキで軽く追っただけのオペラオーが33秒3の末脚でトップロード交わし、完勝。
続く天皇賞(秋)は
重馬場が大苦手なトップロードは先頭集団の後方を追うのがやっとで、重馬場も苦にしないオペラオーの5着と完敗。
さらにこの年から追加された「収得賞金」制度の煽りを食って*1ジャパンカップ出走枠から除外という憂き目にも遭ってしまい、リベンジどころか同じ土俵にも立てないという屈辱を味わうことに。
やむなく次走をステイヤーズステークスにするが、最終直線で大逃げを打った4頭のうち1頭を捉えるのがやっとの4着。
この敗北が堪えたのか、渡辺は沖師との話し合いの末にトップロードの鞍上を降り、年内最終戦の有馬記念は翌年に引退し調教師となる的場均を迎えたが9着。やっぱり大跳びのトップロードには小回りが要求される中山は苦手だったのだろう。
ついにトップロードは2000年の7戦で勝てずに終わり、4度競ったテイエムオペラオーは8戦8勝、古馬中長距離G1完全制覇という蹂躙劇で「世紀末覇王」となったのである。
さらにこの年、クラシック未出走だったメイショウドトウが本格化。「最強の二番手」としてオペラオーのライバルの座を射止め、かつて競ったトップロードやラスカルスズカはオペラオー&ドトウに蹂躙される「その他多数」の座に甘んじることとなる。

再起を期して挑んだ2001年の初戦は京都記念、鞍上は的場均だったが3着。
次走となる阪神大賞典のころには的場は騎手を引退し、空席となった鞍上には再び渡辺が戻ってきたのであった。
再びトップロードの鞍上に戻ってきた渡辺の気合いの入り方は普通ではなかったのであろう。結果は2着に8馬身もの大差をつけての圧勝。

ナリタトップロードだ!久々に味わう勝利の美酒!
渡辺薫彦です!ナベちゃんやりました!!
渡辺薫彦とナリタトップロード!
あの菊花賞以来、久々に味わう勝利の美酒!
圧勝です!圧勝、レコードタイムです!

関西テレビ 馬場鉄志アナウンサー


乗り替わりにはきちんとした理由があった。沖師は「渡辺を降ろしたのは第三者の目でレースを見てほしかったから。的場騎手との走りから何かをつかんでくれたと思う。それがこの勝利につながったんだ」という理由で「また戻すから」と約束し一旦主戦を降ろしていたのだ。
そして有馬記念に関しては「中山というのは、あの馬の適性にはあまり適していないという感覚だったから、有馬記念にはずっと積極的ではなかったんですよ」
「でも、オーナーからは『選ばれたら行こうよ』という流れがあったし、当然選ばれれば、オーナーからしたら有馬記念という一つの舞台ですから、多分暮れの有馬記念では辛いなと思ったんですよね。ずっと勝ってきていない中で、有馬記念ということだから、初めてこちらの方から『1回ジョッキーを替えてみましょうか』という話をしたんですよ」
「乗り役のせいで負けたと言われるのもちょっと嫌な気持ちもあったし、それで当時、調教師試験に受かっていた的場君に頼んだんですよ」
というもので、2月に引退する的場均ならばあまり非難されることはないだろうという配慮があったのだ。なお沖師と的場均との関係は1997年エリザベス女王杯で的場騎乗のエリモシックで優勝し、GI競走初勝利した縁であった。渡辺は新馬戦でエリモシックに騎乗していた。

職人的場均は陣営のために残りの騎手人生をささげていた。2度にわたって栗東に赴き、ナリタトップロードの癖と動きを確認した。沖調教師、渡辺騎手とミーティングするだけでなく、ライバル・テイエムオペラオーの和田竜二騎手と会話することで「和田騎手と話せたことが大きい。彼の表情、性格、しぐさを知っておくことが大事。そうすればレース中、テイエムオペラオーの動きをいち早く察知できるかもしれない」と奔走したのだった。
そして「やっぱり僕では馬の良さを出してやることはできなかった。この馬のことを一番知っているナベちゃんじゃないとね」と阪神大賞典前に声を掛けてターフを去っていったのだ。

菊花賞以来の勝利にして、走破タイム3分2秒5は芝3000mの世界レコードを樹立。当然コースレコードでもあり、この記録は前者が2014年菊花賞のトーホウジャッカルまで13年間、コースレコードは2022年菊花賞*2のアスクビクターモアまで21年間破られることがなかった。
「よかったな!」と騎手仲間は温かく迎えてくれたのだった。

再起の手がかりを掴み、挑んだ天皇賞(春)はまたか
第4コーナー出口から早めに仕掛ける策に出たものの残り200mで力尽き、オペラオーやドトウにも交わされて3着。
どう戦ってもオペラオーを負かせない、それどころか二番手のドトウにも敵わない。

そして梅雨時ということもありやっぱり宝塚記念は回避し休養へ。
なおその宝塚記念は晴れの良馬場。結果はついにドトウがオペラオーを下し、G1初制覇。

秋は昨年と同じく京都大賞典から。もう何度目ともしれないオペラオーとの対戦である。
しかし、オペラオーではない別の悲劇がトップロードを襲う。
阿寒湖総大将ステイゴールドが最終直線で斜行しトップロードの進路を妨害、鞍上の渡辺は落馬という大事件に発展。テイエムの竹園オーナーは激怒してステゴ騎乗・後藤浩輝の首を締め上げていた。
ステイゴールドは失格となったが、トップロードも鞍上の落馬により競走中止。繰り上がりでオペラオーが1着となった。渡辺を気にしてか中々動こうとせず、職員4~5人で何とか馬運車に押し込んで帰っていった。
幸いにして渡辺に怪我などはなかったものの、トップロードのほうは脚に軽い打撲が見つかり、更にはトラウマのせいで調教がままならなかったため大事を取り天皇賞(秋)を回避。
東厩務員らの介抱により早くも復帰の目途が立った。猫が脚元をすごい勢いで横切られた出来事から他の厩舎の猫を嫌っていたトップロードのためにも自厩舎以外の猫を入れないように奮闘もされていた。沖師が後悔していた府中2400mでのリベンジ・ジャパンC出走であった。
ジャパンCではオペラオー&ドトウに加え、この年のダービー馬ジャングルポケットも出走。
2着となったオペラオーに3馬身もの差をつけられていたものの3着と好走し、致命的に不利を受けたとはいえドトウに初めて先着。
そして年内最終戦は有馬記念。やっぱり中山は苦手だったのか、この年の菊花賞馬マンハッタンカフェの10着と大敗。
なおこのレースがオペラオーとドトウのラストランでもあったため、トップロードは古馬になってからついにオペラオーに先着することはできなかった。
とはいうものの、オペラオーの戦績のうち、2度先着を許したたった2頭のうちの1頭がナリタトップロードである。

同期がターフを去った2002年も現役を続行。
馬っ気を出し厩舎では牝馬を避けながら調教していた。沖師は社台ファームに年内での種牡馬入りを願出、約束を取り付けていた。ナリタトップロード最後の意地が始まる。

この年も安定の京都記念に出走。驚異の斤量60kgを背負いながらもマチカネキンノホシとのマッチレースを競り落とし勝利。
続く阪神大賞典にはジャングルポケットも出走していたが連勝。ついにトップロードの時代がまたやってくる!

ナリタトップロード!3馬身のリード!
2着争いは混戦!2着争いは分かりません!
勝ったのはナリタトップロード!堂々と天皇賞へ名乗り!
去年の年度代表馬を退けました!

関西テレビ 馬場鉄志アナウンサー

そんな期待の高まりを受けてか、天皇賞(春)では1番人気に支持される。
しかし直線で早めに抜け出したマンハッタンカフェをとらえきれず、また阪神大賞典で下したジャングルポケットにも交わされての3着。
天皇賞(春)3年連続3着という、ナイスネイチャもかくやとばかりの珍記録が誕生したのであった。
そしてやっぱり梅雨時なので宝塚記念を回避し、休養に入る。
なお、その宝塚記念は晴れの良馬場であったそうな。

秋は渡辺の負傷により、鞍上は四位洋文に。
京都大賞典ではのちにG1馬となるツルマルボーイやタップダンスシチーを下し勝利し、この年重賞3勝目を挙げる。

世代交代?なんだそれは?関係ない!ナリタトップロードです!ナリタトップロードです!
堂々と秋の中山競馬場の天皇盾へナリタトップロードが名乗りを上げました!
堂々のプロローグです!
見事なナリタトップロード!見事な勝利です!

関西テレビ 馬場鉄志アナウンサー

このまま再びG1の栄誉を……!
だが、そう挑んだ天皇賞(秋)は、東京競馬場の改修工事のためよりにもよって苦手な中山での開催
結果は惨敗……というわけでもなく、この年のダービー2着馬シンボリクリスエスの2着と好走。
同じく中山開催となったジャパンカップでも2番人気に支持されるものの、やっぱり苦手だったのか見せ場なく10着と大敗。
こうして長く走ってきたトップロードにもラストランは訪れる。
次走有馬記念が引退レース。鞍上は復帰した渡辺であった。レース前には四位洋文から「ナベちゃんが元気になって戻ってくるまでのピンチヒッターやから。この有馬記念はトップロードのラストランやから思い切って乗って来いよ」と声をかけていた。

当初陣営は苦手な中山を避け、香港ヴァーズを引退レースとする予定であったが、有馬記念のファン投票で1位に選出されたことを受け、香港遠征を取りやめ有馬記念を引退レースに選んでいる。
G1タイトルから3年遠ざかっていた勝算も乏しい6歳馬が投票1位になったのだから、いかにファンから愛された馬であったのかがわかるというものだろう。
そして当日は。苦手の中山競馬場で追い打ちをかけるような雨であったが、レースでは前目につける策を取ると最終直線で大外から一気に伸び、1番人気ファインモーションを差し切り4着と健闘。4年連続の挑戦で初めての入着となった。
ちなみに、人気投票が1位でも馬券は普通に上位3頭から離された4番人気止まりだった。
「ナリタトップロードきている!」の実況にカメラもナリタトップロードを映し出されると、どの馬よりも大きなファンの声援を受けた。勝てなかったとはいえ苦手な中山で大奮闘した姿はファンの心に深く残った。

引退式は翌2003年の京都競馬場。ゼッケンは菊花賞を制した時と同じ「1」がつけられていた。
渡辺は「完璧な馬ではなく、未完成なのにいつも一生懸命に走ってくれたところ」がナリタトップロードの良さだと語っていた。

通算戦績は30戦8勝。
G1競走1勝馬の賞金記録では、シュヴァルグランとステイゴールドに次ぐ3位につけており、また現役5年、通算30戦の中で大きな故障もなく引退と、無事之名馬を体現するような競走馬であった。山路秀則オーナーの所有馬としては三冠馬ナリタブライアンに約3'000万迫る次ぐ2位である。

現役中真っ盛りの2000年4月8日〜7月31に投票された20世紀の名馬100選では43位だった。27位テイエムオペラオー・40位アドマイヤベガに譲ったものの、ウイニングチケット・アイネスフウジンら人気ある馬よりもファンの願いは多く集まったのだ。

【引退後】

引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。
サッカーボーイの後継となる……はずだったが、わずかに3世代を残し、菊花賞からちょうど6年後の2005年11月7日に心不全で死去。膀胱結石の治療中、9歳の若さだった。アドマイヤベガも、昨年10月に偶発性胃破裂で急死したばかりだった。
そのわずかな世代からは、2007年フローラステークスを制しオークス2着のベッラレイアが送り出されている。母の父としては2020年の日本テレビ盃の勝ち馬ロードブレスを輩出した。

沖調教師「現役時は本当に活き活きして頑張ってくれたし、種牡馬になってからも本当によく頑張ってくれていました。最後は眠るようにして息を引き取ったと聞いております。亡くなるには早すぎますが、とにかく安らかに眠って欲しいと願っております」
渡辺騎手「私にとって、この馬はかけがえのない存在であったので、大変ショックを受けています。今後は彼の分も、騎手として頑張っていかねばと思っています。どうか安らかに眠ってください」

【創作作品での登場】


最初は菊花賞がジャパンカップ編の冒頭1コマで終了する等地味目なキャラだったが、古馬期調子を上げるテイエムオペラオーがイマイチ馬団体『ブロコレ倶楽部』の所属者と知りそれに続こうと加入を願った事で出番が増加。
最初は「馬券の倍率が低い」と倶楽部のリーダー格ステイゴールドに断られたものの、その後倍率がちょっとだけ上がったので本馬の入ってやや後悔したが加入、ステイゴールドに次ぐ組織のレギュラー格になった。
…そして2001年秋テレビ越しに京都大賞典を見た重賞馬ロサードはブロコレ倶楽部組の醜態に愕然とし、2002年天皇賞(春)後3年連続3着の偉業に対し倶楽部創立者ナイスネイチャら倶楽部全員からの喝采が飛ぶのであった…。
引退後もオペラオーと共に倶楽部の古株として度々顔を見せており、没後も他界したばかりの自分の遺影に手を合わせる倶楽部の後輩コイントスの前に現れる等霊としても登場。
また2007年オークス回では勝ったローブデコルテが見せた憤りに疑問を抱いた娘ベッラレイアの前にも現れ、その不満の背景を説明していた。

スポーツマンシップあふれる爽やかで頑張り屋な性格のウマ娘。アヤベさんの育成シナリオにてクラス委員長を務めていることも判明した。
権利的にも問題なさそうだという事もあり*3「オペドトウアドベがいるのにトプロがいないのはBNWが1人欠けてるようなもん」と言われるほどに実装希望が多かった競走馬だったが*4アプリリリース1周年記念として追加されるウマ娘の先陣を切る形で登場。
またこれにより「メジロ冠以外の馬主からの実装は2頭まで」という法則が破れた。
そして、2022年2月中旬に実装されたアドマイヤベガの育成シナリオにて満を持して登場、続くアニバーサリーでSSRサポートカードが実装。また期間限定イベントにも登場するなど、その存在感を見せつけた。

オペラオーら同期の中では出遅れた登場となった一方、Webアニメとして制作されたアニメ『ROAD TO THE TOP』では公開されたキービジュアルでセンターを務めるなど主人公に抜擢。
テイエムオペラオーアドマイヤベガと共に史実の99年クラシック三冠戦線での激闘、努力や敗戦、涙の末、彼女が頂点へと至る様がしっかりと描かれている。
ちなみにちょうど『ROAD TO THE TOP』最終話後のタイミングで育成キャラ更新がなされることもあり実装が大いに期待されていたが、いざ蓋を開けてみると実装されたのはヒシミラクルだった。確かに同じサッカーボーイ産駒で菊花賞馬だけど…
詳細はナリタトップロード(ウマ娘 プリティーダービー)の項目を参照。

【余談】

渡辺薫彦

ナリタトップロードの主戦騎手を務めた渡辺薫彦・現調教師はメジロドーベルの主戦騎手吉田豊、ホッコータルマエの主戦騎手幸英明とは競馬学校10期の同期であった。
同期が重賞やG1を手にする中、大舞台で騎乗機会こそあったもののなかなか同期程大舞台で活躍することが出来なかった。
そんな彼に初めての重賞・唯一のG1タイトルをくれた馬こそナリタトップロードで、渡辺が同一馬で複数の重賞を獲った馬もナリタトップロードだけであった。
そういったことなどから、「ナリタトップロードのようにファンに愛され、印象に残る馬を作りたい」と、何かとナリタトップロードの名前を口にすることも多い。
結局ナリタトップロード引退後は重賞勝利もまばらで2023年でも活躍している同期に比べ騎乗数・勝利数も伸び悩み2012年12月に騎手を引退し調教助手に転身。
その期間に調教師試験を受け2014年12月に合格、2016年に自身の厩舎を開業した。
2019年にヴァルディゼールでシンザン記念を制し初重賞制覇、2022年にヴェラアズールでジャパンカップを制し初G1制覇を成し遂げている。
沖師が人を育てることを大事にしたように渡辺調教師もルーキー・河原田菜々を献身的に支え、平場での騎乗機会提供やスマホ不適切使用に対する制裁で騎乗停止になった際には他の調教師に謝罪しに回るなどが見られる。

ちなみになにかと面白エピソードや癖がある人物として有名。
例を挙げると、
  • 競馬学校時代に幸を中心とした同期生がお菓子を買いに脱走を計画するが渡辺だけは同行を拒否。結局幸たちは脱走がバレて騎乗制限の罰を受け、その間は渡辺だけが授業で馬に乗ることができた。
  • アニメ・漫画好きで、『The World of GOLDEN EGGS』の監督にファンだと伝えたら厩舎ロゴ制作を快諾してもらったため、同作品のタイトルロゴと酷似したものを作ってもらう。
  • ももいろクローバーZの大ファンである松山弘平騎手に影響されて、彼女たちのロゴをパロった『週末ヒーロー わたなべスティブルW』という文面の看板を厩舎に掲げる。デザインもまんま。
  • ウマ娘ではないがソシャゲに課金し過ぎてしまい奥さんに怒られたことがある。
  • 2019年オークスを控えた管理馬シゲルピンクダイヤの馬房前で取材を受けた際「自分が見た関わった中で最も美しい馬は?」の質問に特に迷うことなく「トップロードですね」と答えてシゲルピンクダイヤに「私ちゃうんかい」と言わんばかりにガッシャンガッシャンと音を立てられる。*5
  • ナリタトップロードが主役となっている『ウマ娘RTTT』の3話がYouTubeにて公開された後、twitterにてどう見ても視聴した感想にしか取れない「なんだか自分のことみたいで…泣けました」という発言を投下。その後競馬芸人のビタミンSお兄ちゃんのYouTubeで感想座談会に出演し、しっかり視聴していたことが明らかになった他、LINEアイコンもウマ娘のナリタトップロードに設定していることが判明。
  • それに加えて、とあるインタビューでの発言から『ウマ娘 シンデレラグレイ』も読んでいる可能性が高いとみられている。
といった逸話がある。



想いはひとつ、頂点への道

振り返ればそこには、素晴らしきライバルとの覇を競った日々がある。

激闘の末に咲かせた菊の大輪がある。

だが君はひたむきに走り続けていく。

しのぎを削った友たちがターフを去った後も、世代の誇りを胸に抱き、新たなる戦いに挑む。

君と、そしてみんなの想いはひとつ。頂点(トップ)への(ロード)


――JRA「ヒーロー列伝」No.53 ナリタトップロードより


追記・修正は、ライバル達が現役を退いても戦い続けられる方がお願いします。


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最終更新:2025年04月05日 10:09

*1 2着以内でないと加算されないため、3着以下の負けが嵩んだトップロードはこの年全然稼げていなかった。

*2 京都競馬場の改修工事によって菊花賞はこの年まで阪神競馬場で開催

*3 「ナリタ」冠名の競走馬からは既にタイシンとブライアンが実装されていたため。

*4 YouTubeチャンネル『月亭八光の八ちゃんねる』で、競馬好き芸人でウマ娘未視聴者のミルクボーイ内海が当時実装されていなかった事を知り「何でトップロードおらんのや!?」と驚いていた。それほどファンの間では競馬を語る上で欠かせない馬と言える。

*5 https://www.youtube.com/watch?v=lYuAhK5sydc