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更新日:2025/03/21 Fri 23:40:32
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...He overwhelmed Will Take Charge, then Declaration of War, in the thrilling Breeders' Cup Classic!
―2013年ブリーダーズカップ・クラシック 最終直線の実況より―
ムーチョマッチョマン(Mucho Macho Man)とは、2008年生まれの
アメリカ合衆国の元競走馬・種牡馬。
数々の濃いエピソードを持つ個性派として苦節の末ダート王国アメリカの最高峰を掴み取ったアイドルホースである。
馬名は誰もが聴いたことがあるだろうVillage Peopleの名曲「
Macho Man」と、父名からの連想。
「
Mucho」はスペイン語で「Many」とか「Much」にあたり、和訳すれば「
めっちゃマッチョなヤツ」ぐらいの意味。
断じて筋肉モリモリマッチョマンの変態ではない。
概要
父マッチョウノ、母ポンチェデレオナ、母の父ポンチェという血統。
父はブリーダーズカップ・ジュヴェナイルを制してエクリプス賞最優秀2歳牡馬を受賞した英才。
系統としてはヒムヤー系に属している。何それ?と思われる方もいるだろうが、実際アメリカぐらいでしか命脈をつないでおらず、
それすら近年はこのマッチョウノのライン以外は絶望的状況にある零細といっていい血統である。
母は現役時代はそれなりだったが、繫殖牝馬として2013年にフロリダ州最優秀繁殖牝馬となるほど成功した。まあ大体この馬のおかげなのだが。
母の父は
ミスタープロスペクターの直系としてそれなりに活躍した種牡馬。
以上から分かる通り、
悪くはないが取り立てて良いわけでもない、雑草とも良血とも言い難い血統である。
だが、血統だけで馬生は決まらないもの。
ムーチョマッチョマンの馬生はまさに最初からクライマックスだった。
マッチョマンの誕生
ジョン・リオとキャロル・リオの夫妻が営む、フロリダ州のローズグローヴファームで誕生。
敷地面積40エーカー・繁殖牝馬はわずか4頭という非常に小さな牧場である。
生まれたのは2008年6月15日という極端すぎる遅生まれこの時点でネタ一つ誕生。
というか実は出産予定日になっても全く産まれてくる気配がなく、リオ夫妻は訝しみつつもその日を待っていたのだった。
そうしてやっと生まれてきたマッチョマンは
生後微動だにせず、心臓は止まっていた。
死産かと思われたが、リオ夫妻の心臓マッサージにより数分後、無事蘇生。
その後自分の足で立ち上がると、以降は何事もなかったかのように動き回っていた。さっきまで死にかけていたのでは?
こうしたこともあり、聖書において
イエス・キリストの力で死後4日目に蘇ったという人物の名にちなんで、
リオ夫妻や牧場従業員からは
ラザロと呼ばれていた。
そしてラザロ、もといマッチョマンはぐんぐん大きくなり、体高
173cmと遅生まれでかつ死産寸前だったとは思えないほどの巨体に成長していった。
どれぐらいの大きさかと言えば、巨体で有名なヒシアケボノと同じぐらい。
まさにマッチョマンである。
競走馬となるに先立って馬主団体ドリームチームレーシングの代表ジム・ガルバー氏に購入され、
ウィリアム・ホワイト調教師のもとに預けられることになった。
競走生活
2歳時(2010年)
7月にフロリダ州コールダー競馬場はダート6Fの未勝利戦でデビュー。
4番人気だったが果敢に先頭に立って逃げ、そのまま押し切る!
…かと思われたが、6番人気のグルメディナーに差し切られ、1馬身差の2着に敗れた。
しかしこのレースぶりが心を射抜いたのか、レース後にディーンとパティのリーヴス夫妻が率いる
リーヴス・サラブレッド・レーシングが権利の半分を購入し、共同所有馬となった。
もともとグルメディナーを買うつもりだったが「2着馬の方がよく見えた」とのこと。グルメディナーは泣いていい。
同時にティモシー・リトヴォ調教師のもとに管理が移された。
翌8月の次走を3着し、9月の未勝利戦(ダート8F)を快勝し初勝利。
この勝利の後、ティモシー師の妻であるキャサリン・リトヴォ調教師に管理が移され、以降引退まで彼女が本馬を管理した。
キャサリン師はもともと遺伝性の心臓の病を抱えていて、2008年に心臓移植をして回復したばかりだった。
彼女にとっては心停止から復活を遂げたムーチョマッチョマンには重なって見えるところがあったようで、強い思い入れを持っていたという。
続いて11月のナシュアステークス(ダート8F)、同月末のレムゼンステークス(ダート9F)とGⅡを連闘。
どちらもトゥーオナーアンドサーブという逃げ馬との対決になり、マッチョマンは両競走で好位先行で追撃する策をとったが、
どちらも先頭をとらえきれず2着、レムゼンSでは落鉄するアクシデントもあった。
2歳時の戦績は5戦1勝であった。
3歳時(2011年)
早速1月末のGⅢホーリーブルステークス(ダート8F)から始動。地味に父父ホーリーブルの名を冠したレースである。
ここは1番人気で臨んだものの、勝ち馬から4馬身離された4着に終わった。
次走は2月のGⅡリズンスターステークス(ダート8.5F)となった。
ここでももはや板についた先行策で突っ走ると、そのまま押し切りに成功。重賞初勝利を挙げた。
次に3月のGⅡルイジアナダービー(ダート9F)に参戦。
前走のパフォーマンスから1番人気に推されたものの、前に上手く出られないハプニングに落鉄する不運も重なり3着敗戦となった。
え、落鉄が多すぎないかって?
それもそのはず、ムーチョマッチョマンはその巨体ゆえに前脚と後脚がぶつかり落鉄を起こしやすかったのだ。
ちなみに当レースの勝ち馬の名前はパンツオンファイアで、これまたネタにされた。
ともかく出走ポイントは着々と稼げていたので、アメリカクラシック一冠目のGⅠケンタッキーダービー(ダート10F)に出走。
ここでは直線でじりじりと伸びるも、ケンタッキーダービーに直行してきた素質馬アニマルキングダムを捉えきれず敗戦。
だが3着に粘る健闘だった。
続いてクラシック二冠目のGⅠプリークネスステークス(ダート9.5F)に参戦するが、
またしても落鉄発生。落鉄しにくい専用の蹄鉄を使ってたのに…
この影響もあって直線全く伸びず、勝ち馬から7馬身ちぎられた6着に敗れた。
悪い事は続くもので、クラシック三冠目のGⅠベルモントステークス(ダート12F)では
隣の枠にいたイズントヒーパーフェクトがスタート直後に派手な斜行を決めてムーチョマッチョマンに激突するという大アクシデントに襲われてしまう。
この衝撃で反対側にいたアニマルキングダムに玉突きの要領で更に衝突してしまうという大事故になった。
そもそもこの日はムーチョマッチョマンが苦手な不良馬場で、それに輪をかけてのこの事故ではレースもへったくれもなく、
勝ち馬から24馬身あまり離れた7着と惨敗。巻き添えを食ったアニマルキングダムも6着に沈み、後味の悪い感じになってしまった。
なお、イズントヒーパーフェクトは最下位に沈み、鞍上も一週間の騎乗停止処分を受けた。
このあと呼吸器系の疾患が判明したため、以降手術と休養に入る。
このため秋の大一番ブリーダーズカップには出られなかったが、
11月に復帰してクレーミング競走(出走馬を売買できる形態の競走。日本には存在しないがアメリカではメジャーな形態)を勝利。
この年を7戦2勝として終えた。
4歳時(2012年)
1月末のサンシャインミリオンズクラシックステークス(ダート8.5F)から始動。
このレースは格付けこそないが1着賞金が並みのGⅠより高いため、なかなかのメンバーが揃った。
しかしムーチョマッチョマンは2番手で逃げ馬を追走すると直線でとらえ、追い込んできた2着馬を1馬身ほど抑え勝利。
幸先いいスタートを切る。
続く3月のGⅡガルフストリームパークハンデキャップ(ダート8F)も3角から押し切る鉄板競馬で快勝。
次走5月のGⅡアリシーバステークス(ダート8.5F)に参戦するが、ここで後に鎬を削るフォートラーンドと初顔合わせとなった。
レースではトップハンデながら1番人気に推されるものの、
フォートラーンドを捉えるどころか逆に突き放され7馬身差の3着と完敗してしまう。
気を取り直して7月のGⅡサバーバンハンデキャップ(ダート10F)に出走。
ここでは人気を落としていたものの、いつも通りの先行ゴリ押しで勝利した。
秋は言うまでもなくブリーダーズカップ・クラシックを大目標とし、その前哨戦として
9月のGⅠウッドワードステークス(ダート9F)に出走。ここでいつぞやのトゥーオナーアンドサーブと再戦。
逃げ込みを図るトゥーオナーアンドサーブに対し好位から競りかけていき直線で白熱した勝負を演じたものの、
向こうの粘りにクビ差およばず、GⅠ制覇をあと一歩のところで逃した。
そして本番のGⅠ
ブリーダーズカップ・クラシック(ダート10F)。
ここはハリウッド金杯、オーサムアゲインステークスなどGⅠ4勝のゲームオンデュードが抜けた1番人気。
2番人気にGⅠジョッキークラブ金杯を連覇したフラットアウトで、
ムーチョマッチョマンとフォートラーンドがそれぞれ3番人気、4番人気と続いた。
レースはフォートラーンドが序盤から逃げを打ち、ムーチョマッチョマンが2番手を追走。
最終直線を向くとムーチョマッチョマンとフォートラーンドだけが完全に抜け出し、勝ちパターンに持ち込む!
勝ったッ!第3部完!…と思われたがフォートラーンドの粘りに屈し、半馬身差の2着。あと一歩で栄冠を逃した。
これで4歳時は6戦3勝として終えた。
ここまで見ると間違いなくGⅠでも通用するが今一つ大舞台で決め手が及ばない善戦マンという感じである。
まあ脚質がいかにもアメリカという先行押し切り型なので仕方ない部分もある。
とはいえ落鉄がなくなったのは成長だよね。
5歳時(2013年)
前年同様にサンシャインミリオンズクラシックSから始動したが、
なんと苦手中の苦手である超不良馬場での開催。
3番手で先行する自分の競馬はしたものの直線全く伸びず、ずるずると後退し結局騎手の判断で競走中止した。
しかもレース後、ウイルス性疾患にかかっていることが判明。さらには裂蹄も見つかり6月まで療養生活を送る羽目に。
早々についていないが、幸いにも致命的ではなかったのはやはりマッチョマンゆえの強運だろうか。
6月のノングレード競走であるクリミナルタイプステークス(ダート8.5F)で復帰し、ここを3着。
次走にGⅠホイットニー招待ハンデキャップ(ダート9.5F)を選択。
ここには前走GⅠを制しGⅠ3勝とした因縁のフォートラーンドや、前年アリシーバSで敗れたサクセスフルダン、
GⅠメトロポリタンハンデキャップで2着に入った上がり馬クロストラフィックなど強力なメンバーが集っていた。
レースではフォートラーンドとクロストラフィックが逃げ、ムーチョマッチョマンがそれに続く3番手。
直線でフォートラーンドを抜き去るもののクロストラフィックには届かず、
最後は後ろから来たサクセスフルダンにも差されて3着に敗れた。
その後昨年同様にウッドワードSを目指したが、不良馬場になったため回避。
そして昨年敗れたブリーダーズカップ・クラシックにリベンジするため陣営はチームを組み、
当年のブリーダーズカップ開催地であるサンタアニタパークへ乗り込む。
まず一叩きしてからということで、前哨戦のGⅠオーサムアゲインステークス(ダート9F)に出走。
このレースからゲイリー・スティーヴンス騎手に乗り替わり、1番人気となった。
このゲイリー・スティーヴンス騎手はアメリカ競馬殿堂入りもしているレジェンド級のジョッキーなのだが、
映画でヒール役を演じたり、都合3回も現役引退したりとなかなか変わった濃いエピソードを持つ人物でもある。
というかこの年も1月に2度目の現役復帰をしたばかりだった。
さて肝心のレースでは道中を5番手で進み、早い仕掛けから直線で先頭に立つと
2番人気の2着馬ペインターに4馬身差をつけて快勝。ここにきて見事GⅠ初勝利を飾った。
実にデビューから22戦目である。長かったよ…
2013年ブリーダーズカップ・クラシック
そして迎えた本番ブリーダーズカップ・クラシック。
- 人気を落としたとはいえ前年覇者のフォートラーンド
- 前年7着ながらその後GⅠ3勝を含む6連勝中と絶好調のゲームオンデュード
- この年のベルモントS覇者で後に来日して種牡馬となるパレスマリス
- クイーンアンS・インターナショナルSを勝って欧州から殴りこんできたオブライエンの刺客デクラレーションオブウォー
- この年のトラヴァーズS勝ち馬ウィルテイクチャージ
などなど、これまでで最も強力なメンツが揃ったのだが、その中でもムーチョマッチョマンは2番人気に推された。
レースが始まると、去年はハナを切れなかったゲームオンデュードが今度こそとばかりに先頭に立ち、フォートラーンドらがそれを追走。
ムーチョマッチョマンはデクラレーションオブウォーともども、逃げ馬を見る形で5番手につける。
向こう正面でフォートラーンドが入れ替わって先頭に立つと、ムーチョマッチョマンも離されすぎないよう少し加速。
4コーナーから馬群の外側をまくるように前進しゲームオンデュードとフォートラーンドに並びかけた。
直線を向くとゲームオンデュードが、直線半ばでフォートラーンドがどちらも失速。
ここを先途と決死の脚で先頭を突っ走るムーチョマッチョマンに、ここまで脚をためていたウィルテイクチャージとデクラレーションオブウォーが襲い掛かる!
ムーチョマッチョマン先頭に立って直線を向く!ゲームオンデュードはここまでか!
ウィルテイクチャージ!デクラレーションオブウォーが来ている!あと1ハロンを切るぞ!
ムーチョマッチョマン先頭!デクラレーションオブウォー!フォートラーンドは内にいる!
ムーチョォマッチョマァン!しかしリードはわずかだ!
ムーチョォマッチョォマァン!!!デクラレーションオブウォー!!!
青嶋達也もかくやという実況の大絶叫とともに、
3頭横一線でゴール板を通過。
写真判定の結果、ムーチョマッチョマンがウィルテイクチャージを
わずかにハナ差、
デクラレーションオブウォーには
さらにクビ差上回っていた。
かくしてムーチョマッチョマンは5歳にして、アメリカ競馬の頂点に立ったのであった。
ゲイリー・スティーヴンス騎手はこれまで数々の大レースを制覇していたが、
このブリーダーズカップ・クラシックは今回15回目の挑戦にして初制覇。
鞭が嫌いというムーチョマッチョマンの性格を理解していた彼は、ライバル達が鞭も入れて全力で飛んでくる中でも
腕で押すだけという剛腕でもって応戦し、凌いでいる。マッチョマンすぎる。
さらに管理するキャサリン・リトヴォ師は、ブリーダーズカップ・クラシックを勝った史上初の女性調教師となった。
これでこの年5戦2勝。上半期のトラブルが嘘のような大勲章を手にしてシーズンを終えた。
この年は
ワイズダンというアメリカ版
フランケルの活躍がド派手すぎてエクリプス賞年度代表馬・最優秀古馬の座はともに次点で受賞を逃したが、
ロンジン・ワールド・ベスト・レースホース・ランキングでは
ダート馬では世界1位の125ポンドというレーティングを獲得。
またアメリカの競馬ファンの投票により、
ファンを最も興奮させた馬に贈られる「セクレタリアト民衆の声賞」も受賞。
全米サラブレッド競馬協会によって
この年最も印象に残ったレースにこのブリーダーズカップ・クラシックが選ばれ、
モーメントオブザイヤーを受賞した。
6歳時(2014年)
ブリーダーズカップ・クラシック連覇を目指して現役続行となり、またまたサンシャインミリオンズクラシックSからスタート。
ここでは特に相手になる馬もおらず、14馬身ぶっちぎって勝利。
ドバイワールドカップへの参戦という話もあったが、結局3月のGⅠサンタアニタハンデキャップ(ダート10F)に出走。
しかし勝ち馬ゲームオンデュードから10馬身以上突き放された4着と敗れる。
その後故郷フロリダで調教を積んでいたがその動きが思わしくなく、さらにどこでつけたのか複数の打撲も見つかったため、
もうこれ以上無理をさせる必要はないということで現役引退となった。
なお、彼の活躍を称えて2015年から、ガルフストリームパークダービーというレースがムーチョマッチョマンステークスと改称されている。
なってやるぜ、マッチョマンに!
通算戦績は25戦9勝。大レースでは勝利よりも惜敗が目立つし、ものすごい勝ち方をしたわけでもない。
派手な末脚のような、わかりやすい決め手があったわけでもない。
だが
遅生まれだったり、
生まれた時から心臓が止まっていたり、
かと思えば蘇生したり、
調教師が女性で同じく心臓の病を抱えていたり、
やたら落鉄したり、
大手機械メーカーがスポンサーについたり、
馬名がインパクトありすぎたりと、
とにかく耳目を集めるネタに事欠かないユニークな馬だった。
特にその
「ぶっ飛ばして先行し、最終直線は根性でゴリ押し」という泥臭すぎるアメリカンな走りは多くの人々を沸かせた。
観客の目の前の最終直線で熾烈な競り合いを見せてくれるのだから見ていて飽きなかったのだろう。
また、出生時のみならず呼吸器疾患、ウイルス感染、裂蹄など、一歩間違えれば命を落としかねない目に何度も遭っているが、
その度に立ち上がり、レースに舞い戻ってくる様もファンに勇気と感動を与えた。
この通り一頭でいろいろと持ちすぎなのだが、それもまたマッチョマンゆえの大きさか。
出生時に牧場総出で心臓マッサージされたり、デビュー負けしたのによく見えると言われて買われたり、
何かと人を引き付けるものがあったようだ。
ブリーダーズカップ・クラシックの実況でも道中でやたら名前を叫ばれていた。
運命に嚙みついた馬がすごい形相で見ていそうな…
ちなみに2013年のブリーダーズカップ・クラシックの開催地はカリフォルニア州サンタアニタパーク。
本馬の名の由来がVillage Peopleの曲からであることは冒頭の通りだが、東海岸のフロリダ→西海岸のカリフォルニアで
Village Peopleの別の楽曲「Go West」そのものだったりもする。
種牡馬として
2015年からケンタッキー州アデナスプリングズにて種牡馬入り。地味に父マッチョウノや好敵手フォートラーンドと一緒である。
種付け数は少ないが、2020年に産駒のムーチョグストがGⅠペガサスワールドカップを勝つなど、確かに実力馬を輩出している。
貴重なヒムヤー系の後継として血をつないでいってほしいものである。
そしてゆくゆくは、彼のようにマッチョで明るくくじけないアイドルホースが再び現れることを願うばかりである。
追記・修正は一度蘇生してからお願いします。
- BCクラシックは一見、いや一聴の価値があるレース。アメリカのマッチョ信仰すげえなと思わされるw -- 名無しさん (2024-02-25 14:33:03)
- なんでムーチョマッチョマンと思ったら、こんなネタ性が強かったのかw -- 名無しさん (2024-02-25 16:39:25)
- ヒー、イズントヒーパーフェクト、イズントパーフェクト -- 名無しさん (2024-02-26 11:16:57)
最終更新:2025年03月21日 23:40