登録日:2024/02/16 Fri 22:12:36
更新日:2025/03/20 Thu 21:43:48
所要時間:約 7 分で読めます
All comers, all grounds, all beaten!
―2012年チャンピオンステークス 最終直線の実況より―
フランケル(Frankel)とは、2008年生まれの
イギリスの競走馬。
マイルから中距離において、超ハイレベルな
ライバルたちを文字通り蹴散らすような圧勝劇の連続で競馬史に巨大な足跡を残した名馬である。
【概要】
血統
母:カインド
母の父:デインヒル
競走成績
14戦14勝(うちG1 10勝)
主な勝ち鞍(G1のみ)
2010年:デューハーストステークス
2011年:2000ギニーステークス、セントジェームズパレスステークス、サセックスステークス、クイーンエリザベス2世ステークス
2012年:ロッキンジステークス、クイーンアンステークス、サセックスステークス、インターナショナルステークス、チャンピオンステークス
【背景】
父は2000年初頭の欧州競馬で最強の名を欲しいままにし、引退後は各国でG1馬を続々輩出した大種牡馬。
母は重賞未勝利ではあるが短距離で実績を残したスプリンターで、繁殖牝馬として複数の重賞馬を送り出す活躍を見せた。
母の父デインヒルはシャトル種牡馬の先駆けとなったスピードに秀でる大種牡馬という超良血。
この血統構成は通称
ガリデイン配合と呼ばれ、
ノーザンダンサーの3×4というクロスを作りつつ、
「パワー・スタミナに秀でるガリレオ」に「スピードに優れたデインヒルの牝馬」を掛け合わせることで
両者のいいとこどりをした産駒を生み出そうという、当時の流行りの配合である。
さらに言うと、ガリレオを擁する世界最大級の競馬事業体クールモアに、世界最強の個人馬主ハーリド・ビン・アブドゥッラー殿下が創設したジュドモントファームが繁殖牝馬を送り込むという、両組織の協力の一環によるものでもあった
競走生活
【誕生】
上述の背景によって2008年2月11日、ジュドモントファームの拠点であるイギリス、ニューマーケットのバンステッドマナースタッドで「
カインドの牡馬」は誕生した。
同牧場の場長曰く、「
とてもバランスの整った馬体で、生まれた時点ですでに生後1週間みたいだった」とのこと。
事実ジュドモントファームとクールモアのどちらも本馬に最高クラスの評価を下しており、
そのせいもあって1歳を迎えるまで「カインドの牡馬」の所有者は未定のままだった。
しかし契約上この年のジュドモントファームはクールモアより先に産駒を選ぶ権利を持っており、
結果的にこの「カインドの牡馬」はジュドモントファームの所有するところとなった。
クールモアの手に渡っていたら三冠を狙わされていたかもしれない…
生後しばらくは母カインドとともにアイルランドと
イギリスを行ったり来たりの生活だったが、
病気やケガもなく、手のかからない仔馬だったらしい。
2009年の春からはアイルランドに移され、夏から本格的にトレーニングが始まった。
【入厩、そして命名】
2010年1月に、「カインドの牡馬」はイギリスのトップトレーナー、ヘンリー・セシル調教師のもとに入厩することになった。
このセシル師はジョッキーとしても英国牝馬三冠やイギリスリーディングなど数々のタイトルを手にし、
調教師としても数々の名馬を手掛けた伝説的な人物なのだが、世紀が変わってからはトップの座から遠のき、
さらに2006年からは癌と闘病生活を送るなど雌伏の日々を送っていた。
しかしジュドモントファーム総帥のアブドゥッラー殿下は、かねてより交流の長かったセシル師に
自らが大きな期待をかける「カインドの牡馬」を託すことにした。
そしてアブドゥッラー殿下は、アメリカで自身の所有馬を一手に引き受けていたロバート・フランケル調教師が前年に亡くなったことから、
彼に敬意を表して本馬に「フランケル」の名を与えた。
2歳時(2010年)
伝説のデビュー戦
すでに半兄のブレットトレインがステークスウィナーとなっていたことから2歳新馬のなかでも注目の存在だったフランケルは、2010年8月13日にニューマーケット競馬場の未勝利戦でデビュー。
セシル厩舎所属の若手トム・クウィリー騎手を背に出走となった。
これを控えた追い切りで、フランケルは3歳馬相手に持ったまま20馬身ぶっちぎるというデタラメなパフォーマンスを見せつけ、
圧倒的な1番人気…とはいかず、単勝2.75倍と割れた1番人気に支持された。
その理由は、ジョン・ゴスデン師が送りこむ同じく父ガリレオの英才、ナサニエルという強力な対抗馬が存在したからだった。
レースは雨天のもと重馬場で行われ、フランケルは出遅れて馬群中団を追走する一方、ナサニエルは逃げ馬を見るように先行。
残り2ハロン地点でフランケルが先頭に立っていたナサニエルをとらえるが、ナサニエルも譲らず激しい叩き合いとなった。
しかし残り1ハロンでフランケルが先頭を奪い、そのまま1/2馬身抑えて勝利。2着ナサニエルと3着の間はさらに5馬身も開いていた。
ナサニエルにつけた差こそわずかだったが、後方から差し切っていることを鑑みれば内容的には楽勝だった。
後述するが、このメイドンからはフランケルを含めてG1馬が3頭も輩出されることになる。
条件戦、重賞、あっという間に2歳王者へ…
陣営は次なる目標を9月のアスコット競馬場で開かれるG2ロイヤルロッジステークス(芝8F)に定め、その前哨戦として2週前の条件戦に出走。
ここは3頭立てという小頭数で前走のナサニエルほどの馬もおらず、単勝1.5倍という下馬評通りに、
ほとんど馬なりで2着に13馬身差をつけて圧勝を果たした。
そして本番ロイヤルロッジステークス。重賞なだけあってメンツも強化されていたのだが、
手と足で追っただけで2着馬クラマーに10馬身、3着馬トレジャービーチに11馬身の大差で圧勝。
ちなみに2着馬は次走のG3を勝利、3着馬にいたっては翌年のG1愛ダービー馬である。
このレースは競馬関係者、ファンに大きな衝撃を与え、主戦のクウィリー騎手はフランケルを「モンスター」と形容。翌年の2000ギニー、ダービーステークスの前売りで早くも1番人気となった。
イギリスの競馬メディア、レーシングポストではこのフランケルのパフォーマンスをvery impressiveと表現。
翌週の2歳G1ミドルパークステークスを9馬身差で圧勝し無傷の3連勝としたドリームアヘッドでもimpressive止まりだったのだからその衝撃のほどがうかがえよう。
そして翌10月、フランケルはイギリス2歳王者決定戦たるG1デューハーストステークス(芝7F)に出走。
ここには件のドリームアヘッドに加え、シャンペンS勝ち馬サーミッドや次走G1クリテリウム国際を勝つロデリックオコナーなど
豪華メンバーが集結。「2歳戦としては100年に一度の大一番」と評されたこの大舞台でもフランケルは単勝1.67倍の圧倒的1番人気に推される。
スタートで後手を踏んだフランケルは前に行きたがったため、クウィリー騎手は最後方でフランケルをなだめながらレースを進める羽目になる。
それでも残り4F地点で並んでいたドリームアヘッドを一瞬で置き去りにして前進していき、残り2Fで手綱が緩むとさらに加速。
ゴール前1Fで先頭のロデリックオコナーを抜き去り、若干ヨレたものの鞭を1発も使わず2 1/4馬身差で快勝。早々にG1馬の称号を手にした。
勝ち時計の1分25秒73は同日同コースの3歳以上の重賞レースより0秒31速い好タイムだった。
未熟さを見せながらこのメンバー相手でも快勝して2歳時は4戦4勝。近年の欧州で最強の2歳馬という名声を確立し、カルティエ賞最優秀2歳牡馬を受賞。
ワールドサラブレッドランキングでも21世紀の2歳馬では最高となる126ポンドという評価を受け、最高の形で2歳時の競走を締めくくった。
3歳時(2011年)
春は伝統あるクラシック1冠目2000ギニーステークスが当然の大目標となったが、ぶっつけ本番を好まないセシル師の意向により、4月のG3グリーナムステークス(芝7F)に出走。
行きたがるところをクウィリー騎手が抑えながらのぎこちないレースになり、レースでは初めて鞭を使う瞬間もあったものの、2着エクセレブレーションに4馬身差で勝利した。
そして迎えたG1 2000ギニーステークス(芝8F)。2歳G1を制した各国の優駿が揃い踏みする中でもフランケルは圧倒的1番人気で、
これにG1馬となったロデリックオコナーらが続いた。
陣営は兼ねてより問題だったフランケルの前進気勢への対策として逃げを打つことを計画し、ペースメーカーも配置して万全の体制で臨んだ。
しかしフランケルはレース本番、好スタートを決めるとペースメーカーも他馬も置き去りにぐんぐん加速。
スタートからの5Fを58秒というスプリント並みの時計をマークしながら爆走し、後方との差も一時10馬身にまで広がった。
こんな壊滅逃げでは最後に脚が止まるのが普通だが、フランケルは全く止まらない。
残り3Fこそ減速するも、逃げについていったロデリックオコナーらが潰れるのを後目に最後まで他馬を寄せ付けず、
2着に6馬身差をつけて圧勝した。
単勝配当は史上2位の低配当、6馬身差の勝利も1947年テューダーミンストレルの8馬身差に次ぐ史上2位の着差、セシル師は25度目にして生涯最後のクラシック勝利、クウィリー騎手は初めてのクラシック勝利と、いろいろメモリアルな勝利となった。
この「ただ好きに走ったら誰もついてこれなかった」というレースぶりには極めて高い評価が与えられ、
ワールドサラブレッドランキングでは世界1位となる130ポンドという破格の高レートがつけられた。
最後の暴走
2000ギニー後、一応ダービーに向かう可能性もあったのだが、陣営はフランケルの気性を鑑みてマイル路線を選択。
3歳限定のマイル戦である6月のG1セントジェームズパレスステークス(芝8F)に向かった。
ここには日本代表マイラーとして朝日杯フューチュリティステークス・NHKマイルカップを勝ったグランプリボスもいた。
レースが始まると、フランケルはペースメーカーの逃げを見ながら先団の好位を確保した。
しかしフランケルはレース中盤までくると、残り4Fからのロングスパートという奇妙な戦法を披露。
これではガス欠になるのも無理はなく失速し、直線で減速しているところに他馬が殺到し大ピンチ。
流石のフランケルも万事休すかと思われたが脚は最後まで止まらず、2着に突っ込んできた伏兵ゾファニーに3/4馬身差をつけて辛くも勝利した。
この予想外の辛勝には「メッキがはがれた」などと言う者もいたが、クウィリー騎手の仕掛けが早すぎたという評価がほとんどだった。
名実ともにマイル王に
次走は7月のG1
サセックスステークス(芝8F)となった。相手は3頭と少頭数だったが、そのうちの1頭は
当時のマイル王キャンフォードクリフスであった。
前年の愛2000ギニーからG1を5連勝し、前走クイーンアンステークスでは当時のマイル女王
ゴルディコヴァを破っていた最強マイラーである。
これがフランケルにとって古馬との初めての対戦だったが、前走の辛勝にもかかわらずフランケルが1.62倍の1番人気、キャンフォードクリフスが2.75倍の2番人気となり、
デュエル・オン・ザ・ダウンズ(芝の決闘)と呼ばれるにふさわしい様相となった。
ここでのフランケルは前走まで見え隠れした激しい気性を見せることなく、クウィリー騎手と息の合ったコントロールの効いた逃げを披露。
レースのペースを支配するとキャンフォードクリフスが残り2Fでスパートしたのと同時に仕掛け、左にヨレて失速したキャンフォードクリフスに5馬身差をつけて圧勝。
名実ともにマイル王の座についた。
キャンフォードクリフスはレース後骨折が判明しそのまま引退と、明暗くっきり分かれてしまった。
この勝利により、ワールドサラブレッドランキングでのフランケルの評価は
135ポンドとなり、単独で同年世界1位となった。
これは2009年の
シーザスターズの136ポンドという21世紀最高のレートに匹敵する高評価だった。
セシル師もこの走りには満足だったようで、ついにメディアに対してもフランケルを「
これまで目撃した中の最強馬」だと評した。
この後8月・9月を休養にあて、3歳シーズンの締めくくりに10月のG1クイーンエリザベス2世ステークス(芝8F)に出走。
ここも数々のG1マイラーが出走してきたが、クウィリー騎手がうまく抑えたフランケルは半兄のブレットトレインが作るペースを見ながら残り2Fから末脚を爆発させ、
2着エクセレブレーションに4馬身差をつけて快勝した。
これで3歳時の戦績を5戦5勝とし、当然のように2011年度の
カルティエ賞年度代表馬、
最優秀3歳牡馬に選出された。
レーティングも上方修正されて136ポンドとなり、2009年の
シーザスターズと並ぶ値を記録、マイラーとしても1984年のエルグランセニョールの138ポンドに次ぐ数値となった。
さらに欧州の活躍馬としては珍しく4歳での現役続行も決定された。
【4歳時(2012年)】
4歳初戦は5月のG1ロッキンジステークス(芝8F)に決まり、これを目標に調整が進められていた。
ところが4月の調教でフランケルは自分で自分の肢を蹴る交突を起こしてしまう。
これが原因になって憶測が憶測を呼んだ結果、「フランケルが負傷し引退する」という噂が広く流れてしまったため、
ジュドモントファームが直々にこれを否定する声明を出すまでの騒ぎになった。
とはいえフランケル自身のダメージはごく軽く、ロッキンジSへの調整は騒動を除けばほぼ予定通り進んでいった。
そして迎えたロッキンジS。クールモアに移籍したエクセレブレーションが万全の態勢で待ち構えていたが、
半兄のブレットトレインによるペースメイクを除いてももはやフランケルの敵ではなく、
あっさり2着エクセレブレーションに5馬身差をつけて圧勝。
この結果によりワールドサラブレッドランキングでの評価を138ポンドとし、
初戦にして昨年の自身の評価をたやすく更新してしまった。
セシル師はフランケルが始動戦を叩くと良くなるという理由で、「次は3~4馬身ぐらいよくなる」と述べた。
常識破りのクイーンアンステークス
次走は6月のG1クイーンアンステークス(芝8F)。エクセレブレーションらを含め11頭と絶対王者のフランケルが出走しているにもかかわらず
頭数の多いレースとなったが、もはやフランケルの勝利を疑う者は少なく、単勝1.1倍という高い支持を受けた。
レースが始まるとフランケルはブレットトレインを見つつ、同日のスプリント戦を上回るラップで先行。
囲まれたものの力でこじ開けると、直線コースがゴールまで上りかつ道中落鉄したにもかかわらず最後まで加速していき、
最後の上がり3Fは32.88秒、うち最速1Fは10.58秒という欧州離れした数字を記録。
エクセレブレーションを並ぶ間もなく交わし去るだけで終わらず、なんと2着エクセレブレーションに11馬身差をつける歴史的圧勝をおさめた。
勝ち時計は稍重ながらレースレコードに0秒69迫っており、道中で落鉄していなければ間違いなくレコードを更新していたであろう。
この圧巻のレースは世界中に衝撃を与えた。セシル師、クウィリー騎手は口をそろえてベストパフォーマンスであると認め、競馬関係者の間では
「ジュライカップと凱旋門賞を同一年に勝てる」とさえ言われるほど。
民間で競走馬の格付けを行う
タイムフォームはこれまで1位だったシーバードの143ポンドを超える147ポンドをいちはやく与え、
それを追うようにワールドサラブレッドランキングもダンシングブレーヴの141ポンドに次ぐ140ポンドという破格の数字を発表した。
エクセレブレーションは今回も真っ向勝負でフランケルを封じようとしたが敵わず、対フランケルで5度目の敗北となった。お前さえいなければ…
そしてイギリスの古馬マイルG1を完全制覇してしまったフランケルは、昨年に続きサセックスSに出走。あまりに前走が衝撃的だったために単勝1.05倍という生涯最低の人気になった。
ゴドルフィンの秘蔵っ子ファーがいたもののもはやマイル路線でフランケルと戦おうという物好きはおらず、
軽く仕掛けただけで6馬身差圧勝。レース史上初の連覇を達成し、この後中距離路線へと舵を切ることになる。
インターナショナルステークス~距離の壁も関係なし~
中距離路線に進んだフランケルの次走はG1インターナショナルステークス(芝10F)に決まった。
対戦相手は、
- 同じくサセックスSから転戦でマイルより中距離が向いているはずのファー
- BCターフやコロネーションC連覇の実績を誇るセントニコラスアビー
- 同競走連覇を狙う同厩舎のトゥワイスオーヴァー
などなど、フランケル以外は中距離G1勝ちか2着の経験がある馬ばかりという超豪華メンバーとなった。
レースが始まるとフランケルは派手に出遅れ、最後方を追走。しかし直線に入ると残り3F地点で大外に持ち出して馬なりのまま先頭に並んでいってスパート。
それどころか残り2Fの未知の領域に入ってもさらに加速。セントニコラスアビーやファーといった猛者たちをあっという間に置き去りにし、
2着ファーから7馬身差で圧勝した。
実力馬が揃う中での距離延長を全く問題にしなかったこのパフォーマンスはさらなる衝撃を与え、ワールドサラブレッドランキングでは140ポンドというクイーンアンSと同等の評価が与えられた。
伝説のチャンピオンステークス、そして引退
インターナショナルSの勝利はフランケルが
凱旋門賞に出走する可能性をもたらし、実際前売り1番人気になったりもしたが、
セシル師の闘病など諸要因からイギリス秋競馬の大一番、G1
チャンピオンステークス(芝10F)への出走が決まった。
このレースには、
- 前年のカルティエ賞最優秀古馬で、世界各地で中距離G1を勝利していた最強騙馬のシリュスデゼーグル
- キングジョージやエクリプスSといった名だたる大レースを制覇し、G1馬としてあのデビュー戦以来の顔合わせとなるナサニエル
- 独ダービーやダルマイヤー大賞を勝ちドイツ総大将として乗り込んできたパストリアス
などなど、少頭数ながらも同年の凱旋門賞以上に強力なメンバーが集結。
折からの雨でフランケルにとってはデビュー戦以来の重馬場となり、シリュスデゼーグルが重馬場の鬼であることも相まって逆風だったが、
それでもフランケルは単勝1.18倍という異例の支持を受けた。
レースではフランケルは
またしても出遅れ、最後方を追走。しかし終盤が近づくにつれ進出を開始し、直線入り口で
シリュスデゼーグル、ナサニエル、そしてフランケルが並び立つ展開となった。
そんな中フランケルはすでに一杯に追われているナサニエルを馬なりで抜き去ると、重馬場の鬼である
シリュスデゼーグルにも追われただけで並びかけた。
ここから
シリュスデゼーグルが頑強に抵抗したが、フランケルが優位に立って
最後は1 3/4馬身差をつけて勝利。
これで生涯戦績は14戦14勝となり、無敗のままターフに別れを告げた。
これまでのように大差勝ちではなく高いレーティングこそつかなかったものの、3着にナサニエル、4着にパストリアスと下馬評通りの結果となったため、
レースのレベルを示すレースレーティングは129.75ポンドという、同年の凱旋門賞を軽く上回るぶっ飛んだ値を記録した。
4歳時の戦績は5戦5勝で、やはり当然のようにカルティエ賞年度代表馬、最優秀古馬を受賞。
また「チーム・フランケル」として、ペースメーカーのブレットトレインや調教師、騎手、助手らも含めて特別賞が授与された。
評価
2着との平均着差は実に5馬身差、
生涯で合計すると約70馬身差となり、その他馬をぶっちぎるド派手な勝ち方から、史上最強馬として推す声も多い。
その異常なスピードは特筆に値するもので、
「スプリントG1を勝てるスピードでマイルないし中距離を走破する」と言われる。
セシル師が語ったところだと、
「ストライドの大きい走り方なのでトップスピードに乗るには数完歩かかるが、一度そのスピードに乗れば誰も追いつけなくなる」とのこと。
社台ファーム総帥の吉田照哉はその馬体を「全身お尻」と評した。
そして何よりすさまじいのは、彼がこれだけ圧勝し続けたライバル達もまたただ者ではなかった点であろう。
彼らの戦績を見てみると…
フランケル被害者の会会長。フランケルと5戦して全敗したうち、実に2着4回、3着1回。
しかしムーラン・ド・ロンシャン賞、ジャック・ル・マロワ賞、クイーンエリザベス2世Sと
フランケルのいないマイルG1では横綱相撲で完勝しているのである。
フランケルがいなければ間違いなく彼がマイル王になっていたのであろうが…
フランケルと初顔合わせのデューハーストSの時点ですでにG1を2勝。
その後ジュライカップ、フォレ賞など欧州スプリントの頂点を制覇し、G1を5勝する名スプリンターに。
先に書いた通り、マイルG1を5連勝。BCマイル3連覇・G1を14勝した女傑ゴルディコヴァを倒したマイル王である。
日本の鬼婦人ジェンティルドンナをドバイシーマクラシックで粉砕したことでも有名なクールモアのエース。
ドバイシーマ以外にもコロネーションC3連覇やBCターフ制覇など、12Fでは安定した強さを誇った。
調教中の故障が理由となり引退、その後治療の甲斐なく安楽死となったのが非常に惜しまれる…
そのセントニコラスアビーを同じドバイシーマクラシックで破ったフランスが誇る最強騙馬。
ジャパンカップや香港ヴァーズなど世界をあちこち巡り、9歳で引退するまで最終的にG1を7勝する息の長い活躍を見せた。
フランケルのデビュー戦と引退レースで激突した、同じ父ガリレオの産駒。
ちなみに件のチャンピオンSはナサニエルにとっても引退レースであり、その後も奇妙な因縁が続いた(後述)。
実はフランケルにデビュー負けしたために勝ち上がりが3歳の未勝利戦まで遅れてしまった。
しかしG2を圧勝してから、追加登録料を払ってまでキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに出走。
前述のセントニコラスアビーや同年の凱旋門賞馬ワークフォースを見事破って勝利。翌年にはエクリプスSも制し活躍した。
ゴドルフィンの秘密兵器。実はフランケルの2戦目の条件戦に出走予定だったのだが、不測の事態により回避していた。
フランケルが引退した翌年に
シリュスデゼーグルらを破ってチャンピオンSを勝利しており、インターナショナルSでも
セントニコラスアビーをねじ伏せて2着に入っている紛れもない強豪。
…などなど、他にもデビュー戦でフランケルの11着に敗れたカラーヴィジョンはのちにイギリス長距離レースのビッグタイトルであるG1アスコットゴールドカップを制している。
他にもサーミッド、ロデリックオコナー、イモータルヴァース、グランプリボスなどG1を2勝以上している猛者は枚挙に暇がない。
こうした実力者たちに圧勝し続けたがためにフランケルの14戦のうち130ポンド以上を記録したのは8回、さらにそのうち6回は135ポンド以上を記録しているのである。
セシル師が闘病中で体調が思わしくなかったこともありフランケルがイギリス国外に遠征することはなかったので、この点を批判されることもある。
しかし上記のライバル達がフランケルを避けて世界各地でG1を制したため、大した問題ではないという声が一般的である。
その最たる例が、フランケルが4歳時に出走したサセックスステークスと同時期のフランスのマイルG1ジャック・ル・マロワ賞であろう。
着順 |
馬名 |
着差 |
他G1勝ち鞍 |
1着 |
エクセレブレーション |
|
|
2着 |
シティースケープ |
1 1/4 |
ドバイデューティーフリー(現ドバイターフ) |
3着 |
イルーシヴケイト |
クビ |
ロートシルト賞 |
4着 |
ムーンライトクラウド |
アタマ |
モーリス・ド・ゲスト賞 |
5着 |
カスパルネッチェル |
短首 |
|
ある意味では、この強豪たちこそがフランケルの名声を不動のものとした立役者なのかもしれない。
また王道距離の12Fへ挑戦することもなかったので、クラシックディスタンスを重視する人からこの点を嫌われることもある。
これはセントジェームズパレスSまで陣営を苦しませたフランケルの行きたがる気性によるところが大きかったが、
年齢・実戦経験を重ねるにつれてフランケルは落ち着きを増していき、それに従って距離延長が可能になった。
セシル師曰く、「5歳でも現役を続けていればキングジョージ6世&クイーンエリザベスSやBCターフを勝てたのではないか」
とのこと。実際チャンピオンS後にはアブドゥッラー殿下に現役続行を提案していたらしい。
逆に短距離路線への可能性については、「フランケルのメンタルが持たなかっただろう」とのこと。
レーティングあれこれ
2013年のレーティング見直し
競走馬の能力を数値化する取り組みであるレーティング。その公式国際レーティングである
ワールドサラブレッドランキングは、2012年時点では
ダンシングブレーヴ(競走馬)が1987年の凱旋門賞で記録した
141ポンドが1位となっており、フランケルの
140ポンドをもってしてもこれには届いていなかった。
しかし実はレーティングの評価基準は年を追うごとに厳しくなっており、
「昔の馬の評価が甘すぎる!」といった批判が(それ以前からだが)高まっていたのである。
そして2013年、IFHA(国際競馬統括機関連盟)は、突如ワールドサラブレッドランキングより前の競走馬の
レート修正を提示。
1977年~1991年までの競走馬のレートが年区分ごとに一律で引き下げられたのである。
この処置によって
ダンシングブレーヴのレートはマイナス3されて138ポンドとなり、結果として
フランケルの
140ポンドが歴代1位となった。以後これを上回る評価を受けた馬は出ておらず、同等の評価を受けた馬も2022年の
フライトラインのみである。
この処置にはダンシングブレーヴの調教師が猛反発するなど、未だに議論が続いている。
エピソード
馬房ソムリエ
馬房について強いこだわりを持っていたことで知られる。
入厩して初めて入った馬房では行儀が悪かったため別の建物の馬房に移されたフランケルは、
僚馬が見えてかつ外の景色を眺めやすいその馬房をいたく気に入ったという。
その後別のより環境の整った馬房に移された際には、毎朝蹄鉄が外れていたり
旋回したり扉を蹴ったりと不満タラタラで、結局すぐにもとのお気に入りの馬房に舞い戻ることになった。
ナサニエルとの因縁
同じレースでデビューし、同じレースで引退したフランケルとナサニエル。語感も似てる。
同じガリレオ産駒というだけでなく、その後も奇妙な因縁が続いている。
【エネイブルに関する因縁】
キングジョージ3勝、凱旋門賞連覇など世界を股にかけてド派手な戦績を残した絶対女王エネイブル。
彼女はナサニエルの産駒だが、馬主はフランケルと同じアブドゥッラー殿下である。
【ダービー馬の父の因縁】
2021年に産駒のアダイヤーがダービーステークスを勝利し、フランケルは「ダービー馬の父」となった。
その翌年、ナサニエル産駒のデザートクラウンがフランケル産駒でジュドモントファーム所有のウエストオーバーを下し、ナサニエルも晴れて「ダービー馬の父」となった.
2011年クラシック世代
2011年クラシック世代は、フランケル、ナサニエル、エクセレブレーション、ドリームアヘッドといった先に挙げた
馬たち以外にも
などの実力派・個性派が揃い踏みしており、世界全体で見ても評価の高い世代である。
種牡馬として
2013年から、現役時代に引き続きジュドモントファームのバンステッドマナースタッドにて種牡馬入り。
現役時の無双ぶりから、初年度の種付け料が
12万5000ポンド(当時のレートで1600万円)という高額に設定された。
当初は懐疑的な見方もあったが、初年度産駒から高い勝ち上がり率を記録している。
2016年には初年度産駒の1頭である
ソウルスターリングが阪神ジュベナイルフィリーズを制し、
異国日本にて最初のG1馬を輩出。
2017年にはその
ソウルスターリングがオークス勝利も達成し、お膝元欧州でも
クラックスマンがチャンピオンSを7馬身差で圧勝するなど大活躍。
その後もソウルスターリングと同期の2018年安田記念馬
モズアスコット・2020年朝日杯フューチュリティステークス馬
グレナディアガーズ等数々のG1馬を各国に送り出し、2021年には
アダイヤー、
ハリケーンレーンらの活躍でついに
英愛リーディングサイアーを獲得。
2022年には自身の産駒
アルピニスタによってはじめて
凱旋門賞も制するなど、その勢いはとどまるところを知らない。
産駒の特徴は実に幅広く、適正距離はスプリンターからステイヤーにいたるまで万能。
日本では「早熟で、勢いにのると手が付けられないが一度負けると脆い」という評が多いが、
アルピニスタや
モスターダフのように晩成傾向で古馬以降から調子を上げていくような産駒もいる。
2023年には、自身の孫エースインパクトが無敗でフランスダービーと凱旋門賞を制し、
6月のロイヤルアスコットでも自身の産駒がG1を3勝する無双ぶりを発揮。
この活躍を受けて種付け料は35万ポンド(6500万円)に達しており、現代の世界の競馬を牽引する存在であることは間違いないだろう。
追記・修正はマイルG1を10馬身差以上で制覇してからお願いします。
- 牝馬なのに欧州血統を支配するアーバンシーは何なんだホント -- 名無しさん (2024-02-17 04:46:31)
- 項目名に(競走馬)を付ける事を提案します -- 名無しさん (2024-02-18 08:25:26)
最終更新:2025年03月20日 21:43