三冠馬

登録日:2023/05/28 Sun 15:59:00
更新日:2024/06/16 Sun 16:53:12
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三冠馬(英:Triple Crown)とは、主に競馬の平地競走において、特定の3競走全てに勝利した馬のことを指す。
この「特定の3競走」とは、3歳馬のみ出走可能なGⅠ競走(=クラシック三冠)、あるいはメスの馬のみ出走可能なGⅠ競走(=牝馬三冠)を指すことが多い。
古今東西、競馬における「強さ」の象徴として扱われてきた概念で、この称号は全てのホースマン、全ての馬のだといえる。




はじめに

三冠(Triple Crown)という概念が誕生したのはもちろん競馬の発祥地イギリス……というわけではなく、実はアメリカとされている。
1930年頃、アメリカで3つのクラシックレースを制覇した名馬ギャラントフォックスを称える記事内にTriple Event Winnerという表現が用いられており、以降段々競馬における「三冠」という概念が普及していったとされる。

ただ一方、アメリカにおける三冠成立以前からとっくにイギリスなどでは今と同じ三冠の体系が存在していたとも言われており、詳細は定かではない。いつものブリカスの負けず嫌いという説も濃厚だが。

我が国における三冠の体系はイギリスのそれを模範にして誕生したもの。
1940年頃に現在のクラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)が揃うこととなった。後述の牝馬三冠と区別するため、これらを牡馬三冠と呼ぶことも多い。
なお、「牡馬」とは書いているが、牝馬も出走可能(せん馬は無理)*1だし、何なら理論上は三冠獲得すら夢ではない。ただ、余程の事情が無い限り牝馬は勝ちやすい牝馬三冠を目指すのが基本。クリフジ?アイツはもう男だろ

また、牝馬三冠のうち最初の二冠(桜花賞、優駿牝馬)も同時期に成立したが、牝馬の三冠目に関してはモデルとしたイギリスで該当する競走が存在しなかった(というより牡馬三冠と共通だった)ため、牝馬三冠についても戦後しばらくまで菊花賞が事実上の三冠目となっていた

結局日本における牡牝三冠路線の完全分離は、三冠目としてビクトリアカップ(後のエリザベス女王杯)が新設された1970年と戦後四半世紀が経ってからであり、それからさらに時を経て現行制度の牝馬三冠の成立は、秋華賞の創設及びエリザベス女王杯の古馬混合戦への変更がなされた1996年とかなり遅いものとなった。

競馬を少しでも嗜んだことのある、あるいは馬主としての活動にまで手を出している諸兄なら痛いほどお解りの話だろうが、出走にすら苦労を要する競馬の世界において、一着をとることはとてつもなく難しい。特に最高峰の舞台であるGⅠならなおさらである。

そんな一世一代の場で3つもの勝利を重ねたサラブレッドに敬意が払われるのは至って当然のことで、古くより三冠レースの制覇はそれ自体が非常に価値あるものとされてきた(ただ、最近は「長距離勝ってもねえ……」みたいな風潮のせいか様々な国で価値が下がりつつあるのも事実)


牡馬クラシック三冠

先述した通り、日本の三冠はイギリスを参考に構築されたもので、1940年頃に今とほぼ同じ体系となった。
2023年6月現在、牡馬クラシック三冠を達成した馬は8頭存在する。

皐月賞 (中山競馬場・芝2000m)
東京優駿(日本ダービー) (東京競馬場・芝2400m)
菊花賞 (京都競馬場・芝3000m)

以上の3レースが日本におけるクラシック3冠とされており、サラブレッド系3歳(旧4歳)にのみ出走権が与えられる。
すなわち、これらのレースには生涯に一度しか出走することが出来ない
また、見てもらったらわかる通り、それぞれのレースについて競馬場(右回り左回り含む)、距離がまるっきり異なっており、三冠制覇にはこれらを全て乗りきる高い対応力が要求される。

この艱難を乗り越え見事三冠馬という称号を手にした馬は過去に8頭存在し、初代のセントライトを除く*2全てがその後別のGⅠ*3レースに勝利している。三冠馬になるには確かな実力が必要不可欠であることの裏打ちといえるだろう。

また、今までの牡馬三冠馬は全頭、三冠競走全てにおいて同じ騎手が鞍上を務めているし、うち3頭は三冠のみならず生涯ずっと同じ騎手であった。
馬の実力もさることながら、騎手と馬の絆もまた三冠制覇には大切な要素であるといえよう。まあ騎手側が脳を焼かれて鞍上を譲りたくなかったパターンも多そうだが……。


以下、そんな各三冠馬たちを紹介する。


セントライト(1941年)


-セントライト快走、セントライト快走、速度を増して各馬を離しました。優勝確実、優勝確実であります。-

三冠達成時戦績:12戦9勝
生涯戦績:12戦9勝
三冠達成騎手:小西喜蔵

日本競馬史上初めて現れた三冠馬。三冠体系成立後わずか2年という超スピードでの達成となった。
当時はまだ皐月賞、菊花賞という名前すら存在せず、横浜農林省賞典四歳呼馬京都農林省賞典四歳呼馬という早口言葉みたいな名称で呼ばれており、東京優駿も東京優駿競走という名でまだ「日本ダービー」の副称が付く前である*4
宝塚記念・有馬記念は存在すらしていなかった*5

第二次世界大戦真っ只中で、競馬への関心も楽しむ余裕もほとんど無かった時代であったが、そんな中でもセントライトの強さは頭一つ、いや二つくらい抜けたものとみなされており、不良馬場となったダービーでは今なお史上最大着差である8馬身差での勝利を飾っている。
その後、鞍上の小西は「快晴だったら一秒くらいレコード更新してた」と語っており、いかに楽勝であったかがわかる。初代三冠馬としてふさわしい実力者であったことは間違いないようだ。

史上初の三冠達成、種牡馬としての一定の成果が評価され、初代顕彰馬に選出されると共に、自身の名のついた重賞セントライト記念が後に設立された。どうやら後輩たちとの相性は悪いらしく、三冠馬のうちこれを勝っているのは今のところ皇帝のみとなっている…

シンザン(1964年)


-シンザンがきたっ!シンザンがきたっ!!シンザンがきたっ!!!-

三冠達成時戦績:11戦8勝
生涯戦績:19戦15勝(残り4戦は全て2着。生涯連対)
三冠達成騎手:粟田勝

戦後初の三冠馬にして、当時牡馬が獲得可能なGⅠ級レースをすべて制覇し、後の日本競馬に多大な影響を与えた「神馬」
八大競争の勝利数から「五冠馬」とも称されており、今なお日本史上最強馬議論に名が挙がる至高の存在である。デビュー前はあんま強そうじゃなかったらしく、厩務担当の中尾氏は仲間から「新参www」と煽られたそう。

圧倒的勝率をほこるシンザンであるが、数少ない敗北もすべて2着と非常に安定感が高い。19戦連続の連対は2023年現在も破られていないしもう多分破られないあまりに偉大な記録である。
しかも、その2着は全てオープン競走やGⅠ前哨戦であり、格の高い八大競争等では全戦全勝
騎手や調教師にはシンザンが賢すぎてレースの格を理解していた(=大レースだけ本気を出した)とまで言われるほど。

派手さはなくとも堅実に伸びてきて、最後に勝利を奪っていくその走りは「鉈の切れ味」と称された。
競争成績でレコードを出してはいないものの元々勝ったレースでも好位追走から堅実に抜け出して力を使い切らずに押し切る馬の走り方、そして主戦の栗田が元々「ハナ差だろうと大差だろうとタイムが速かろうと遅かろうと1着で入線してれば勝ちは勝ち」な騎乗スタイルだった事から来る物であり、何なら「(レコードを)出せって言われたらナンボでも出せますよ」とまで明言していた程。

「神馬」としての威光は競走馬引退後も健在で、種牡馬としては海外輸入馬の勢いが圧倒的な中で二冠馬ミホシンザンや菊花賞馬ミナガワマンナを輩出している。
また、種牡馬引退後も長く元気に生き続け、没年齢35歳は当時のサラブレッド最長寿記録であり、GⅠ優勝馬としては今も破られていない

既存の記録をほぼ全て塗り替え、現在でも破られていない記録を数多く残し続けた「最強の戦士」シンザン
その凄まじい実績が高く評価され、顕彰馬入りはもちろん、自身の名を冠した重賞シンザン記念がのちに設立されている。なお、こちらに至っては現在三冠馬による優勝例は一個もない*6。三冠馬同士って仲悪いんか…?*7
ちなみに我らが八十冠馬タケユタカ(ディープ産駒、牡54)は本レースを2023年のライトクオンタム含め8勝している。いくらなんでも勝ちすぎである。


ミスターシービー(1983年)


-大地が!大地が弾んでミスターシービーだ!-

三冠達成時戦績:9戦7勝
生涯戦績:15戦8勝
三冠達成騎手:吉永正人(現役中ずっと同じ)

シンザン以来、約20年ぶりに現れた三代目三冠馬。
シンザン引退以降に現れた6頭の二冠馬が誰一人として三冠を達成することはできず、世間が三冠の非現実性を実感し始めた頃に颯爽と現れ見事人々の夢を叶えたスーパースター。「史上最も愛された三冠馬」と評されている。

久しぶりに現れた三冠馬という点もさることながら、シービーはとにかく人を惹きつける魅力にあふれた馬であった。

まず出自からスゴい。
一時代を築いた快速天馬トウショウボーイが、デビュー戦を共にしたシービークインと、半ば駆け落ちのような経緯で授かった子供がシービーだった。
なお、シービークインはミスターシービーの出産後繁殖能力を失っており、トウショウボーイ相手に貞操を守り抜いたこととなる。これ何て純愛小説?

また、シービー最大の魅力といえばそれまでのセオリーをことごとく無視した常識破りな走りである。
ダービーでは大出遅れからのごぼう抜きをしてみせたかと思えば、菊花賞では逆に超早仕掛けからの粘り勝ちなど、その型に囚われない走りは当時の競馬ファンの心を鷲掴みにして離さなかった。30年後にそのCMを見た後自分の菊花賞でマネした白いアイツのことは忘れろ

さらに、この代は世代としてのレベルも非常に高く、シービーは三冠馬としては珍しくライバルにも多く恵まれた
シービーの永遠の宿敵(とも)である日本総伏兵大将カツラギエース、マイルの皇帝ニホンピロウイナー、3歳で有馬を勝ったリードホーユー、皇帝をアッと驚かせたギャロップダイナなど枚挙に暇がない。

ロマンチックすぎる出会いの両親、天衣無縫の走り、最高のライバル、若き井崎脩五郎がウホッ!した程の端正な顔立ち等、ジャンプの主人公みたいな要素をこれでもかと備えたミスターシービーは、今なお多くの人から愛され続けている。

シンボリルドルフ(1984年)


-赤い大輪が、薄曇りの京都競馬場に大きく咲いた!-

三冠達成時戦績:8戦8勝(無敗)
生涯戦績:16戦13勝
三冠達成騎手:岡部幸雄(現役中ずっと同じ)

日本競馬史上初の無敗三冠を達成し、古馬となってからも圧倒的なパフォーマンスで当時の競馬界を支配した「永遠なる皇帝」
また、ルドルフの三冠達成のタイミングは、日本競馬においてグレード制が導入されたちょうどその年という変革期である。
当時の記録であり、長年破られなかった芝GⅠ七勝の記録から七冠馬とも呼ばれる。

前年のシービーに次ぐ三冠馬だが、その性質は真逆と言っていいほど異なっており、シービーが破天荒な走りで愛された三冠馬だとしたら、ルドルフはシンプルに無慈悲な強さを誇る三冠馬であった。

シンボリルドルフという馬を語るうえでまず出てくるのは「勝利より、たった三度の敗北を語りたくなる」とまで言われたその圧倒的戦績だろう。
その“たった三度”とはそれぞれ菊からの中一週&下痢気味で出たJC引退級のケガ明け&超不利な大外枠で出たうえに出遅れまでした天皇賞(秋)レース中に故障しそのまま引退となったサンルイレイSの3つである。
言い換えれば、元気な状態で出たレースでは相手が前年度三冠馬だろうと海外の強豪だろうと翌年の二冠馬だろうと関係なく、全てコテンパンに叩きのめしてきたのである。しかも、日本で自分を負かした相手はヤクザよろしく次走で徹底的に潰している。

ここまでの強さを誇ったルドルフだが、その割には別にとんでもない身体能力があったと言われることは少ない(もちろん多少はあっただろうけど)。
本馬の強さの秘密はその頭の良さであったと言われている。何せダービーでは岡部の指示を無視して勝手に直線でスパートかけて勝ったし、日経賞では終始馬なりで勝手に逃げ勝ちしたのだ。中に体内時計でも仕込んであるのか疑いたくなるほどである。おかげで岡部は脳をこんがり焼かれ、後にクソデカお気持ち怪文書*8まで書くはめに…

騎手すら超越する恐るべきレースセンスで戦ってきたルドルフの強さは産駒に伝わりにくいのではないかという心配もあったが、種牡馬になった初年度から不撓不屈の帝王ことトウカイテイオーを輩出。
親子揃っての無敗二冠、JC有馬制覇を達成する運びとなり、そのドラマ性はJRAのCMにも取り上げられ今も多くの競馬ファンを魅了している

前代未聞の成績をうちたて、「理想のサラブレッド」に限りなく近づいたルドルフは、生涯の相棒だった名手こと岡部に「騎手生活が38年間に及んだのはもう一度シンボリルドルフのような馬に巡り会いたいと思ったから」とまで言わしめ、40年近く経った現代でも“最強馬”の象徴的存在となっている。

ナリタブライアン(1994年)


-弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!10年ぶり、10年ぶりの三冠馬!-

三冠達成時戦績:13戦9勝
生涯戦績:21戦12勝
三冠達成騎手:南井克巳

クラシックの三冠レースで計15馬身以上の差(皐月3&1/2,ダービー5,菊花7)をつけて圧勝し、3歳時に暴力的な強さを誇った「シャドーロールの怪物」
古馬になった後は怪我などの影響で精彩を欠いたものの、全盛期の強さは当時の競馬界で群を抜いており、クラシック期に限れば史上最強だとする声も多い。

当時ブライアンの競走能力に魅入られたのは競馬ファンだけではなく、実際に関わったホースマンたちも同じ、あるいはそれ以上であった。
デビュー前にブライアンに跨った主戦騎手の南井は「ギアチェンジの感じがオグリキャップに似てる」と評し、最初から期待を寄せ続けた。もう一度言う、「デビュー前」である。

また、クラシック期は何馬身も後ろで隣で、古馬となってからは鞍上からブライアンを見つめていた若き天才ジョッキー武豊も最高評価を与えており、
勝てる気がしない。負けても仕方ない。」
「(兄のビワハヤヒデが宝塚を5馬身差で圧勝した際)ブライアンならもっとすごい勝ち方をしてた
「(マヤノトップガンとのマッチレースとなった伝説の阪神大賞典を制した際)もっと楽に勝てると思った
と、厄介オタクじみた多大な期待を含んだコメントをいくつも残している。
なお、当時のトップジョッキーの一人でありビワハヤヒデの主戦騎手だった岡部は既にルドルフに脳を焼かれていたからか脳をあまり焼かれておらず、「兄弟対決になってもワンチャンブライアンに勝てた可能性もある」とコメントしている。

1994年当時間違いなく日本競馬界の頂点に君臨し、多くの人々を沸き立たせたナリタブライアン。古馬以降の変調や腸捻転による早逝、産駒成績の不振が惜しまれるものの、その怪物じみた走りが色あせることはないだろう。

ディープインパクト(2005年)


-世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!!-

三冠達成時戦績:7戦7勝(無敗)
生涯戦績:14戦12勝
三冠達成騎手:武豊(現役中ずっと同じ)

おそらくこの項目を読んでいる諸兄、いや今日本に住む30代以上の人間全員に説明不要であろう。誇張抜きに今の日本競馬を根本から作り上げた伝説の名馬、それがこのディープインパクトである。
通称、「英雄」「奇跡に最も近い馬」「一着至上主義」

アニヲタwikiの当該項目に読むのに時間がかかる熱のこもった解説があるため軽い紹介にとどめるが、ディープインパクトは競走馬として、種牡馬として、そして何よりヒーローとして、他の追随を許さない存在であると言えるだろう。

競走馬としては皇帝に次ぐ無敗三冠、覇王に次ぐGⅠ7勝を達成しており、その走りは空を翔んでいると形容された。
また、種牡馬としては後述する無敗三冠馬、暴力的強さを誇ったゴリラウーマン三冠牝馬を筆頭に、のべ70ものGⅠタイトルを独占している。自分の背中に乗せていた産駒*9も加えると150勝…?

そして忘れてはならないのが、彼の存在で巻き起こった社会現象である。ディープ自身のポテンシャルとJRAやメディアの熱い売り出し、そして跨る武豊の各メディアへの積極的な露出を地盤とする高い知名度が相乗効果となり、ディープの動向は競馬紙のみならず一般紙やお昼のニュースなどでも取り上げられるほどであった。
ハイセイコーやオグリキャップなどと並び、「競馬はよく知らないけど名前は知ってる」存在にまで至ったことは、これほどない快挙だといえよう。

こうした生涯に渡って多大なる功績を残したことで報知杯弥生賞を長くて言いにくい報知杯弥生賞ディープインパクト記念に改称することとなった。
馬名を冠したレースは前述のシンザン以来、実に53年ぶりのことである。
ちなみに改名後初回のレースは自身の産駒であるサトノフラッグが制している。

全てにおいて規格外な存在だっただけに、その些かの早逝*10が心から惜しまれるディープインパクト。最後に、永遠の相棒であり本馬一番のファンである武豊による総評を添えたいと思う。
すごくシンプルに、走るのが速い馬。スピードがあるとか、持久力があるとか、全てを通り越して、圧倒的に足の速い馬

オルフェーヴル(2011年)


-金色の馬体が弾んでいる!オルフェーヴル先頭!これを追う者はなし!-

三冠達成時戦績:10戦6勝
生涯戦績:21戦12勝
三冠達成騎手:池添謙一*11

この時代以降になると親しみ深い馬・実際に見たことのある馬が増えてくるアニヲタ諸君も多いだろう。本馬はそんな人たちにとって、一生忘れられない三冠馬になるのではないだろうか。
オルフェーヴルはそんな「記録より記憶に残る馬」の代名詞であり、人呼んで「金色の暴君」「激情の三冠馬」である。

今までに紹介してきた三冠馬はみなどこか優等生的な面を残していたが、オルフェはそんなのとは一切無縁な暴れん坊であった*12
デビュー戦勝利時や三冠達成時に暴れて鞍上の池添を振り落としたり、阪神大笑点で勝手に一人別方向へ走った後上がり最速で戻ってきたり、引退後会いに来た池添に足蹴りをかましたりと、「そういった」トリビアには事欠かない。ネタエピソードの数は三冠馬随一だろう。三冠馬としての格は申し分ないが品格はぶち壊していった

ただ一方で、その内に秘めたポテンシャルは今までの三冠馬に勝るとも劣らないほど怪物じみたものであった。
三歳時には三冠だけに飽き足らず有馬記念まで制しているし、先述した阪神大笑点に関しても一人だけ100m近く余分に走ってなお2着に入るなんてよほど抜けた実力がないとできない芸当である。

またさらに、オルフェは日本競馬の悲願である凱旋門賞制覇に、某怪鳥と並んで最も近づいた存在でもあった。
2012年には最後勢いよく先頭に立ち、「もう勝っただろ…!」と思わせてからの謎失速*13で大穴ソレミアの2着、2013年にも出走してフランス版ゴリウー超名牝トレヴの2着に入っており、しかも前哨戦のフォワ賞は2年連続で優勝している
…何というか、いかにもオルフェらしい反逆っぷりであるといえる。

こんな暴れん坊のオルフェだが、主戦を務めた池添からの愛は本物であり、ラストランの有馬を8馬身差の大圧勝で制した際には「僕はオルフェーヴルを世界一強いと思ってます」大胆な告白信頼に満ちあふれたコメントを残している。
オルフェ自身も池添には会えばテンションが上がる程度には懐いており、先述した引退後の足蹴りも池添がカメラの方を向いた時に「もっとこっちを構って♡」といわんばかりに足を当てていたのが真相なところ。かわいい。
再び池添がオルフェの方を向いていた際は懐いていた

また、フランスにて鞍上を務めた世界一の悪童騎手の一人C.スミヨンもまた名誉オルフェ信者の一人であり、「現時点での世界一」「あのフランケル*14でさえ差し切れる」とコメントしている。凱旋門賞で負けた際には悔しさのあまり奥さんと共にレース後のパーティーで泣いていたとか。
厄介なオルフェファンの中には今なおスミヨンを不当に中傷し、「スミヨンなんかじゃなく池添なら確実に凱旋門勝てた」と根拠のない発言でスミヨンのみならず当時のオルフェ陣営、さらには栄冠を得たソレミアやトレヴまでこき下ろす者がいるが、スミヨン自身も全力でオルフェと勝ちを目指していたことは忘れないようにしよう。勝負の世界に『もしも』はないのだ。批判するならちょっと前にやらかした肘打ちの件にしよう。

実績と血統が認められて引退後は種牡馬入りするが、引退直後より種付けシーズンの時の方が筋肉ムキムキになっていたり、産駒の適性は芝3,600mからダート1,200mまで様々だったりと、相変わらずカオス。
とりわけダートで結果を出す産駒が多い事から踏まえると、オルフェーヴルの評価も「芝もダートもいける晩成馬だが、桁外れの能力があったので三冠馬にもなれた」という意味不明な事になりかねない。なんなんだアンタ

国内のみにとどまらず国際的な舞台に果敢に挑戦し、その強さを全世界に知らしめた稀代の暴君オルフェーヴル。日本競馬が世界に進出する大きな足掛かりを作った生きる伝説であることに異論を唱える者はいないだろう。

コントレイル(2020年)


-父ディープインパクトの偉業から15年、衝撃には続きがありました!-

三冠達成時戦績:7戦7勝(無敗)
生涯戦績:11戦8勝
三冠達成騎手:福永祐一*15

今なお流行が収まる気配はなく、我々の生活に大きな影響を与えている新型コロナウイルス。コントレイルが活躍した2020年はちょうどその流行が猛威を振るい始めた頃であり、外出制限など非常に厳しい措置がとられた状況下だった。
親子での無敗三冠という世界初の快挙が達成されたのは、静まり返ったがらんどうな競馬場だった。

さて、コントレイルの戦績を今一度見てみると、正直すさまじいの一言につきる1着8回,2着2回,3着1回,4着以下なしと、その安定感は過去の無敗三冠馬に決して劣ってないし、彼らと違い2歳でのGⅠ制覇も達成している。ラストランのジャパンカップでも見事に有終の美を飾っており、右も左もわからないコロナ禍でよくこんな成績がとれたものだと感心せざるを得ない。

しかし残念なことに、コントレイルはとにかく過小評価されがちである。心無いアホな競馬ファンからは「同期が弱かっただけ」*16「三冠馬の恥」などと揶揄されることも。さてはアンチだなオメー。

ただ、彼らを擁護するわけではないが、コントレイルが非常に不運な馬であったことは否めないだろう。
まず、前述した通り当時はコロナ禍真っ只中であり、競馬場にも厳しい入場制限がかけられていた。悲しいかな、人間どうしても自分の目で見た光景の方がより素晴らしいものとして印象に残ってしまうため、「強いコントレイル」を生で見られなかったのは大きな痛手だったといえる。
そして、そのあまりにも高すぎる血の価値ゆえに大事を取って4歳限りの引退が決まっていたため*17、その実力を証明する場を制限されてしまった*18のも、ファンからの評価においてはマイナス要因と言えた。

また、上下の世代にとんでもないバケモノがいたのも不運だった。3歳時の伝説のジャパンカップではルドルフの壁*19を打ち破り日本史上最強牝馬の呼び声も高い2400最速の女アーモンドアイと戦い、4歳時の天皇賞(秋)では当時ハンパない勢いを見せていた強かったころの撃墜王エフフォーリア*20と戦うことになったのだ。
「それでも勝てよ」と言われればそれまでなのだが、今思うと同情の念すら湧いてくる相手である。レイパパレ?アイツも弱くはないから…

そしてそのせいもあってか歴代三冠馬の中では唯一年度代表馬を逃している。投票対象初年度での顕彰馬としても先輩のオルフェーヴル、ディープインパクトが一発で突破しているのに1票足りずに初年度落ちしたのも過小評価される要因か*21

とはいえ、クラシック期には同期を一切寄せ付けず、ステイヤー気味で菊は楽勝というパターンが多い過去の三冠馬と異なりマイラー気質*22ゆえ本来手が届くはずのなかった菊花賞ド根性でしのぎ切り三冠を手にした本馬の実力は紛れもなく本物であり、その証拠として上述したレースでも大敗はせず必ず複勝圏内に入る力強さを見せている。あと自撮り写真をメディアに提供できるくらいには賢い。せめてコロナさえなければ…

鞍上をずっと務めた福永もコントレイルへの思い入れはとても大きく、ラストランで見事優勝した際には男泣きまで見せている。引退式にて福永は「コントレイルと過ごした時間は夢のような時間でした」と熱く語った。

色んな外的要因に悩まされながらも、類まれなる実力を発揮し競馬史に間違いなくその名を残したコントレイル。種牡馬としての成功もぜひ大いに期待したい。


牝馬三冠

牡馬クラシック三冠と同様に、牝馬三冠もまたイギリスの体系をモデルに構築されたものである。2023年10月現在、牝馬三冠を達成した馬は7頭存在する。

桜花賞 (阪神競馬場・芝1600m)
優駿牝馬(オークス) (東京競馬場・芝2400m)
秋華賞 (京都競馬場・芝2000m)

以上が現在における牝馬三冠とされ、サラブレッド系牝馬3歳(旧4歳)にのみ出走権が与えられる。よってこれも牡馬三冠と同じく、生涯一度しか出走が許されない

ただ、前述したとおり日本が体系を模倣したイギリスには牝馬の三冠目にあたるレースが個別には存在せず牡馬三冠と共通だったため、日本の牝馬三冠は時代と共に変遷を余儀なくされた。
具体的には、三冠目にあたるレースが
(菊花賞→)ビクトリアカップ→エリザベス女王杯→秋華賞
となっていった。
ビクトリアカップができた1970年で牡馬三冠と切り離されて牝馬三冠の体系が成立し、その後のエリザベス女王杯への承継を経て、秋華賞ができた1996年以降より今の牝馬三冠体系が成立している。

なお、三冠目の秋華賞は、菊花賞とは異なり正確にはクラシックレースではない
クラシックとは歴史あるレースのことであり、秋華賞(および前身となったビクトリアカップ、エリザベス女王杯)は比較的近年になってから設立されたレースであるため。
宝塚記念が八大競走に数えられないのと同様の理由である。
詳細は三冠牝馬の項目を参照。

海外における三冠

当然のことだが、クラシック三冠という体系は日本のみならず世界各国に存在する。ところが、輸送技術の発達により(特に欧州間での)国家間の移動が容易になったことで、走るレースの選択肢が大いに広がり、それに伴って三冠の価値は世界全体で年々下がりつつある*23
今ではヨーロッパのほとんどにおいて三冠自体が形骸化しつつあり、その価値が認められているのは日本アメリカオーストラリアなど限られているのが実情である。

ただ、だからと言って三冠馬が評価の低い存在になったかといえば決してそうではない。歴史に目を向ければ、世界の三冠馬は今なお語り継がれるほどの伝説的強さをほこった者ばかりである。
歴史上全ての三冠馬を紹介するとなるとページがいくらあっても足りないので、以下では中でも代表的なものを取り上げ紹介しようと思う。

オーモンド(1886年)

三冠達成国:イギリス(2000ギニー、エプソムダービー、セントレジャーS)
三冠達成時戦績:8戦8勝
生涯戦績:16戦16勝(生涯無敗)

本馬のことを一度でも耳にしたことがあるという人は、相当の競馬通といえよう。何せ140年近く前の三冠馬であり、当時の日本には国会や憲法すらなかったのだから。
ところが、競馬発祥の地イギリスの長い長い歴史においても、オーモンドはおそらく5本の指に収まるであろうリアルチート三冠馬である。

オーモンドがしのぎを削った1886年クラシック世代は今なお史上最高の世代の一つとされるほど修羅だらけの代であり、2歳時に16戦16勝という世紀末覇王も腰を抜かす戦績を残したザバード2歳でGⅠ二勝していたこちらも無敗馬ミンティング等、有力馬が揃いに揃っていた。

そんな中でデビューしたオーモンドは、強いことは認められつつも上記の怪物どもには一歩及ばないだろうと評価されており、2歳時3戦3勝無敗という成績を収めつつもクラシック緒戦2000ギニーでは3番人気であった。

だがオーモンドの力は格別だった。2000ギニー、ダービーにてそれぞれミンティング、ザバードを破り、三冠最終戦セントレジャーSも難なく優勝。歴史上初の無敗三冠馬が誕生した瞬間であった。

ここまででも十分歴史的名馬なのだが、オーモンドが凄いのはここからである。セントレジャーS頃から、オーモンドは喘鳴症(喉鳴り)という難病に悩まされはじめた。
この病気、屈腱炎と並ぶ競走馬殺しの病であり、今でこそ様々な治療法が確立されているものの、一昔前、ましてや19世紀には不治の病の一つであった。

引退待ったなしの病にさいなまれる羽目になったオーモンドだが、陣営は4歳以降も現役を続行する判断を下した
そしてその結果、オーモンドはいかなるレース、いかなる強豪相手でも一切先着を許さず、生涯無敗で現役生活に終止符を打ったのである。人で例えると、病気でめっちゃ息苦しい中桐生祥秀やサニブラウン相手に勝つようなものだろうか

そのあまりに完璧すぎる成績や、規格外の根性が評価され、オーモンドは"Horse of the century(世紀の名馬)"という称号とともに今なお称えられている。

一方種牡馬としては受胎率が非常に悪いと言う致命的な欠点を抱えており、子のオームからの血統が繁栄したもの、現代ではそこからテディへ繋がるラインの子孫が細々と残る程度である。

セクレタリアト(1973年)

三冠達成国:アメリカ(ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS)
三冠達成時戦績:15戦12勝
生涯戦績:21戦16勝

「麒麟や龍、ユニコーンなど、世に伝わる架空の生物はいくつか存在するが、あるいはセクレタリアトも、そうした神話の世界の生き物なのではないか──」(JRA-VAN Ver.Worldより)

…御覧のように、JRAにすら神話生物扱いされるほどの恐ろしい強さをほこり、「怪物」という表現すらなまぬるい空前絶後のモンスター、それがセクレタリアトである。通称、「BIG RED」「tremendous machine」
ディープと同じく本wikiの当該項目にやたら熱いノリの解説があるため詳細はそちらに委ねるが、セクレタリアトは言うなればこの世の理の外側にいるような、まさしく競走馬として最高峰の存在であった。

なおアメリカの三冠は距離のブレが日本やイギリスと違い「1マイル1/4~1マイル1/2(1900~2400m)」と約500m以内に収まっているので脚質的には楽なのだが、
それを上回るのがケンタッキーダービー~プリークネスS間が中1週、プリークネスS~ベルモントSが中2週の計5週間で3レースを消化するという短期日程。
そのため速さだけでなく強さが要求されるのが大きな違い。馬場もダートで余計に強さ勝負の面が大きい。

本馬を語るうえで欠かせないのはそんなクラシック戦線で披露した、およそ同じ生物とは思えない圧巻のパフォーマンスであろう。ケンタッキーダービー、プリークネスS、ベルモントSの全てにおいて、50年以上経った今でも破られていないウルトラレコードを叩き出したのだ。よくもあんなキチガイレコードを!

特に三冠最終戦ベルモントSで叩き出したレコード2:24:0は凄まじいを通り越して異次元そのものであり、同距離の歴代2位記録はブラジルで計測された2:25:97というチートっぷり。おそらく今後二度と破られる日は来ないであろうアンタッチャブルレコードである。

競走馬の限界のその先を人々に見せつけ、馬であるかぎりこいつを超えることは不可能とまで言われたセクレタリアト。まさしく三冠馬の中の三冠馬であり、本馬を称える声は未来永劫絶えないだろう。

カウントフリート(1943年)

三冠達成国:アメリカ(ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS)
三冠達成時戦績:21戦(!!)16勝
生涯戦績:21戦16勝

セクレタリアトの解説を読み、該当項目まで訪ねてくれたアニヲタ諸君はきっとこう思っただろう。「もうこいつがアメリカ最強じゃね?」
確かにセクレタリアトが余りに規格外であることに間違いはないが、そこは世界一の国アメリカ「最強」の2文字に待ったをかけるバケモノ中のバケモノがうじゃうじゃいるのである…
ここで紹介するカウントフリートもその中の一人(一頭)であり、米国史上最強と推す声も多い鬼才の神童三冠馬である。

戦績の欄を見て驚いた方も多いかもしれないが、カウントフリートは2歳で15戦、3歳で6戦と、三冠に至るまでに21度もレースの舞台に立っている。中4日で出走したこともあると言えばその恐ろしさが伝わるだろうか。
時代的に馬の出走管理のノウハウがほとんどない時代だったので仕方ない話ではあるのだが、そんな厳しさの中カウントフリートは当時のホースマンが腰を抜かすようなパフォーマンスで無双を続けたのだ。

調教の時の逸話を一つ紹介しよう。
2歳の時にカウントフリートが調教でダート6ハロン(約1200m)を走らされたのだが、その時のタイムが1:08:02であったのだ。(参考までに、同距離で施行されるBCスプリントの2022年の勝ちタイムが1:09:11である…)
80年近く経った今ですら一切遜色ない(どころか余裕で一線級)のタイムに関係者は仰天し、測り間違いか何回も検証したという。幸い(?)正しかったらしいが。
その他にも、2歳最終戦ウォルデンSでは30馬身差勝ち、三冠最終戦ベルモントSでは25馬身差勝ちなど、怪物エピソードはあまた存在する。これを「その他」に区分するのも頭おかしい気がするが…

ところで、諸君はベイヤースピード指数というものはご存じだろうか。これはレースタイム、距離を参考に算出されるアメリカ独自の値であり、同国でかなり市民権を得ている指標である。
一般重賞馬は100近く、歴史的パフォーマンスを披露した馬は120近くの値が与えられ、新時代のUMAことフライトライン126もの評価が与えられた。正直アイツの場合もっとあってもいい気はするが

これを発案したベイヤーさん、どうやら俺らと同じロマンチストだったらしく、当時もう引退していたセクレタリアトを映像から独自に算出した結果、139という値が出たと述べている。
これでも十分怪物級なのだが、さらにカウントフリートの指数を計算してみたところ、150にまで至ったのではないかと述べている。馬が出していい数字ではない

これほどの実績を残しながら、三冠達成後すぐという早期の引退となったカウントフリート。その魔物じみた力の全容を知りたかったと思うのは私だけではないはずである。

シアトルスルー(1977年)

三冠達成国:アメリカ(ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS)
三冠達成時戦績:9戦9勝(無敗)
生涯戦績:17戦14勝

アメリカン・ドリーム。それはアメリカの起源たる幸福追求権に基づいた、出自の階層を抜け出して栄誉を勝ち取るという夢そのものである。格差拡大や人種差別の存在から概念自体否定する声も多いが。
リンカーンやロックフェラーなど、夢の体現者は数多く存在するが、こと競走馬の世界となると、アメリカ史上初の無敗三冠馬シアトルスルーの右に出るものはいないだろう。

ケンタッキー州の牧場で生まれたシアトルスルーは、あまりの見栄えの悪さから「醜いアヒルの子」という可哀そうなあだ名をつけられ、牧場ではおろかセリでも評価は地の底。選抜セリ市にすら出られず一般セリ市での販売となった。
正直、この時点では一勝でもできればいい方だと思われていただろう。

だが、調教開始以降盛大なフラグ回収シアトルスルーの逆襲がはじまる。逃げ戦法に活路を見出した本馬は、デビュー戦から連戦圧勝
6戦6勝(GⅠ二勝、うち一つは10馬身差勝ち)という成績をひっさげクラシック戦線へ駒をすすめた。
三冠戦でも勢いは全くとまらず、同世代のライバルを歯牙にもかけない走りで優勝史上初の無敗三冠馬が今ここに誕生したのだった。

古馬以降も実力に陰りは全くでず、むしろどんどん怪物性を増していく後輩三冠馬であり純度100%の闘争心の塊ことアファームド相手に圧勝したり、GⅠ九勝の刺客エクセラーと今なお語り継がれる大接戦をくり広げたりと、多くの競馬ファンを感嘆させた。
ルドルフといいシアトルスルーといい、この時代の無敗三冠馬は別の三冠馬を潰さないと気が済まないのだろうか…?

競走馬としても猛烈に強かったシアトルスルーだが、種牡馬入り以降はそのバケモノじみたポテンシャルを盛大に拡散孝行息子エーピーインディのおかげもあり、今では「シアトルスルー系」と呼ばれる世界的血脈の一つが成立している。
その血を受け継いだ馬は日本にも数多く存在し、父としてタイキブリザード(安田記念)やダンツシアトル(宝塚記念)、母父としてアグネスワールド(ジュライカップ)やシーキングザパール(モーリス・ド・ゲスト賞)を輩出している。

競争成績と繁殖成績を合わせて見た時、アメリカどころか世界のどこにもシアトルスルーを超えるものはいないとする声も多い。あの日セリにいた「醜いアヒルの子」は、夢をかなえて白鳥になったのである。

アメリカンファラオ(2015年)

三冠達成国:アメリカ(ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS)
三冠達成時戦績:8戦7勝
生涯戦績:11戦9勝

1978年のアファームド以来37年ぶりに誕生した待望の三冠馬。そのため今現在のアメリカ競馬ファンにとって一番馴染みのある三冠馬でもある。
「アメリカクラシック三冠とBCクラシック」と定義されるグランドスラム*24を初めて達成した馬であり、名の通り「アメリカの王」という称号が相応しい存在である。

3代前の父にファピアノを持つファピアノ系、2013年にサラトガセールに出されるも少し前に怪我した影響で見栄えが良くなく
また生産者が有力仔馬を100万ドル以下では売却しない方針もあり、結局代理人を経由する形で30万ドルで買い戻された。
翌年春には入厩するが管理する調教師から「彼のような動きをする馬を管理したことが無い」と太鼓判が押されていた。

満を持したデビュー戦ではパドックで入れ込んだこともあったにしても1着馬に9馬身差の5着に敗れた。
次走ではデルマーFSに出走するが前走の敗退があっても2番人気に推された。
また前走はブリンカー着用が良くなかったと判断され耳に綿を詰めて出走、ハナを奪うとそのまま2着馬に4馬身3/4差をつけて初勝利をGⅠで飾った。
更にフロントランナーSも逃げ切りを見せてGⅠ2勝、ブリーダーズカップJFの出走を目指すも怪我で回避したが最優秀2歳牡馬に選出された。

3歳初戦はレベルS(GⅡ)に出走し出走メンバーで唯一斤量119ポンド(54kg)を課せられるも1番人気に推され6馬身1/4差をつけて勝利し人気に応えた。
次走は同じオークローンパーク競馬場のアーカンソーダービーに出走し1.1倍の圧倒的1番人気に推され8馬身差の圧勝

満を持してアメリカ三冠レースの1冠ケンタッキーダービーに出走し1番人気になるも、サンタアニタダービーなど6戦無敗のドルトムントなど有力馬もいたことで3.9倍だった。
本番ではドルトムントがハナを奪い、それに追走する形でレースを進め徐々に後続と距離が広がり前3頭の叩きあいになった。まず先頭を走ったドルトムントが脱落し、2番手だったファイアリングラインを最後差し切る形で1馬身差で勝利・1冠目を手にした。

2冠目のプリークネスSは前走から1.9倍の圧倒的1番人気となるがレース直前に激しい雷雨によって一気に馬場が不良になってしまう。
レースではハナを奪うとそのまま後続を放しにかかり、第3・4コーナーで後続に詰め寄られるも最終直線で突き放し騎手もムチを使うことなく7馬身差をつけて2冠目を手にした。

最後の1冠ベルモントSは馬の状態を優先し、厩舎のある競馬場で調整、レース直前に現地に輸送する手段が取られた。
出走馬の多くがケンタッキーダービーからで三冠全てを出走したのはアメリカンファラオだけであった。
レースではいつも通りハナを奪うと3コーナーで後続が必死に追うのも何のその。ほぼ持ったままで5馬身1/2差で勝利し見事三冠を達成した。
なお馬券は単勝で9万票以上が売れたがその内95%が換金されず、厩舎のお披露目会には3万人のファンが駆け付け三冠馬の誕生を祝った

ハスケルSではケンタッキー以来番手の競馬となったが3・4コーナーで先頭を奪うとそのまま勝利。
次走はトラヴァーズSを選んだが同月に2度の大陸横断遠征だったことで馬への負荷を考え調教師は乗り気でなかったが、調教の状態が良かったのと馬主の意向で出走が決定。
だがレース直前に発汗が見られるなど明らかに状態が良くなく、いつも通りハナを奪い後続を放すも外から差し切られてしまい新馬戦以来2着に敗れた。

馬主からはこれで引退するようなことも口にしたが調教師は次走は万全の状態でレースさせると豪語しBCクラシックへの出走を決定。
引退レースとなるBCクラシックでは1.7倍の1番人気に支持され、好スタートを決めるとそのまま後続を離しにかかり最後は6馬身半差で有終の美を飾った
この成績で2015年エクリプス賞の年度代表馬および最優秀3歳牡馬に満票で選出、陣営も最優秀調教師・最優秀馬主・最優秀生産者にそれぞれ選出された。

年度代表馬に満票で選出されたのは、今なお破られないアメリカGⅠ16勝の実績をあげた怪物ジョンヘンリー以来2頭目の快挙であった。

その後種牡馬として種付け料30万ドルを付けられるも、同価格の種牡馬と比べるとあまり活躍馬が出ていないこともあり徐々に価格が下落している。
一方でアメリカンファラオ産駒ではあるものの日本のダートで活躍しているカフェファラオ*25は、アメリカの熱心なファンがいるだけでなく、調教師も注目するほど産駒には大きな期待が掛かっていることから彼らにとってアメリカンファラオが特別な存在であることもうかがえる。

余談だが、アメリカンファラオの名は提出時にミスによって「Pharoah」と登録されている。アメリカンファラオの圧倒的戦績を鑑みると、これはもはや競馬史上最大級の綴りミスといえる。
馬主もまさか名前間違えた奴がこんなに強いとは思わなかっただろう。
前述したカフェファラオの名前登録の際は訂正できたはずなのだが、変なところで律儀にも本馬もまた父と同じPharoahと登録されており、リスペクトを感じるとしてアメリカからの人気に一役買っているらしい。

ゴールデンシックスティ(2020年)

三冠達成国:香港(香港クラシックマイル・香港クラシックカップ・香港ダービー)
三冠達成時戦績:11戦10勝
生涯戦績:30戦26勝(2023年現在)

-It's GOLDEN SIXTY! The SUPERSTAR!!-

2023年現在、世界の第一線で活躍している三冠馬といえば、このゴールデンシックスティが真っ先に挙げられるであろう。
現代競馬とは思えない出走数および勝率、それに伴う歴代一位の獲得賞金額*26などが示すように、ゴールデンシックスティは現役競走馬の中でまぎれもなく「世界一」という称号が許される一頭である。

香港の若きエースヴィンセント・ホー騎手がデビューからずっと手綱を握っておりおしどり夫婦切っても切り離せない最強コンビとして名を馳せている。

オーストラリア出身ながら、香港の馬主に見いだされ購入されたゴールデンシックスティ。きて早々オトコの象徴を切られる憂き目にあった後、*27デビュー戦から連戦連勝一度謎の10着をとった以外はほぼ全てで勝利し、クラシック戦線へ歩を進めた。

香港のクラシック体系はクラシックマイルから順に1600m、1800m、2000mと段々距離が延びる形式をとるが、ゴールデンシックスティはそんな距離の不安を一蹴
全試合で後方待機策をとり、ゴール前で差し切るスタイルで無双を重ね、一番人気を裏切ることなく優勝。史上二頭目の三冠馬となった。

三冠達成後も本馬の勢いは衰えるどころかより一層増すことになり、三冠後初のレースではGⅠ8勝の歴史的マイラービューティージェネレーションに勝利。世代交代ののろしをあげた。
そして翌年2021年末まで本馬は全戦全勝16連勝という意味不明な成績をあげ、当たり前だが年度代表馬にも選出された。

そのあとのレースに関しては実際にテレビで見た人も多いであろう。2022年初めに2戦連続でよもやの敗戦を喫し年齢による衰えがささやかれはじめたものの、その後は以前と全く変わらない、いやむしろ進化したかのようなレースぶりを披露。勝ちに勝ちを重ねつづけた。

2023年に入ってもその勢いは健在。8歳になったにも関わらず、後輩にしてこちらも歴史的名馬の風格を漂わせるロマンチックウォリアー*28カリフォルニアスパングル*29相手にも一切引けをとることなく、4戦4勝という戦績を残している。香港馬ってみんな名前かっこいいよね
まだ見たことのない人は、当年1月に行われたスチュワーズカップの映像を見てみてほしい。戯れにも、死闘にも見えた一世一代の舞台で、ゴールデンシックスティが威厳を見せつけた名勝負であった。去勢済みで種牡馬になれないので働けるだけ働いた方がいいとは言え、もう老害の域では…

そしてその勢いのまま2022/2023シーズンの香港年度代表馬の称号も獲得し、史上初の三年連続年度代表馬となった。
せん馬ということもあり、アメリカの誇るキングことケルソ*30を重ねた人もいたのではないだろうか。

暮れの香港マイルでは、前哨戦を使わずぶっつけ本番で参戦。8カ月ぶりの実戦かつ大外枠ということもあり、高齢なのも相まって不安視する声がささやかれた。
ところが、蓋を開けてみると完璧なスタートで枠の不利を消しつつ、最後はとてつもない末脚を繰り出して余裕の圧勝GⅠ10勝目をマークした。
同郷の後輩や日本の強豪らの挑戦をたやすく返り討ちにし絶対王者の君臨を世界に示すこととなった。彼のゴールデンが既に失われていることを嘆く声が木霊したのは言うまでもない

今なお進化を続け、全盛期の到来を全く感じさせない香港競馬史上最高の英雄ゴールデンシックスティ。現役の本馬を見られていることに感謝の念すら抱かずにはいられない。
そんな彼も2023/2024シーズンを以って引退予定。ちなみにオーナーによると引退後はなんと日本のノーザンホースパークで余生を送るとのこと。
残り数少ない現役生活、彼がどれほどの記録を積み重ねていけるかにも注目しよう。



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最終更新:2024年06月16日 16:53

*1 クラシックレースは元来優秀な繁殖馬を選定する目的で設立されたため、タマのない馬はコンセプトから外れてしまう。

*2 セントライトの時代は競走の選択肢が遥かに少ないのもあるため単純比較はアンフェアでもある。

*3 シンザンの時代までは厳密に言うとまだGⅠの概念は無かった。

*4 「日本ダービー」の副称が付くのは戦後の1950年から。ちなみにこの時はまだ正式名は「東京優駿競走」であり、現在の東京優駿となるのは後述するシンザンが三冠を達成する1964年のことである。

*5 有馬記念は1956年(第1回は「中山グランプリ」の名称)に、宝塚記念は1960年にそれぞれ創設。

*6 牝馬まで含めればジェンティルドンナとアーモンドアイが制覇しているが。

*7 まぁ実際の所は3歳1月の1600m戦として設立されている為、現代だと三冠馬どころか牡馬クラシック路線に乗ろうとする競走馬なら半月前のホープフルSか翌週の京成杯(どちらも皐月賞と同競馬場・同距離)に行くと言う話である。出走ですら完全に覚醒する前のオルフェーヴルだけ。

*8 『ルドルフの背』というまんまなタイトルの自伝本。現在プレミア価格が付きなかなか手に入りにくくなっている。

*9 むろんレジェンドジョッキー武豊のこと。

*10 骨折により17歳で安楽死処分。

*11 これで池添は史上最年少(32歳。牝馬三冠まで含めると2003年にスティルインラブで達成した幸英明の27歳)で三冠ジョッキーの栄冠を手にした。ちなみにオルフェの全兄・ドリームジャーニーの主戦騎手でもある。

*12 それでも普段は非常に大人しく、レース時にスイッチが入るタイプ。気性面では全兄ドリームジャーニーより全然マシだったと言われている。

*13 勝ったソレミアの鞍上であるO.ペリエにすら「勝てるとは思ってなかったけど、なんかオルフェーヴルが走るのを止めていた」と困惑されたほどのものだった。

*14 当時マイル戦にて圧勝に圧勝を重ね、14戦14勝というバケモノじみた成績を残したUMA。ワールドベストホースランキングにて140ポンドの評価を与えられ、公式で歴代最強だと認められている。

*15 三冠達成時は43歳であり、牡馬三冠ジョッキー・牝馬三冠ジョッキー双方含め最高齢での達成となった。

*16 実際当時は目立った活躍馬がいなかったが、後にエフフォーリアを倒すポタジェ、世界を舞台に逃げ回りGⅠ2勝を達成したパンサラッサ、芝からダート転向後連戦連勝で遂に世界の頂を制したウシュバテソーロなど粒揃いであり、今となっては否定材料が格段に増えている。

*17 なんならアメリカや欧州であれば、生産優先の傾向が強いため、こんな戦績の馬は大抵3歳のうちに引退させてしまうが。

*18 管理調教師の矢作芳人調教師は「世界の矢作」と称されるほど管理馬の海外遠征を非常に積極的に行い、多くの実績を出してきたことで有名な人物である。コントレイルについても、矢作師は「海外遠征できるならドバイターフ(ドバイ・メイダン競馬場で開催される国際GⅠで左回り1800m戦。矢作師はコントレイルの適正距離について「ベストは左回り1ターン」と睨んでいた)に連れて行きたかった」と語っている。また、コントレイル自身もデビュー前から球節に不安を抱えており、それが悪化したことに加え軽度ながら繋靭帯炎も発症してしまったことで、4歳時に宝塚記念を回避している。

*19 「ルドルフの呪い」とも。先述したシンボリルドルフが打ち立てた「GⅠ7勝」という記録を、名だたる名馬が同じ記録まで辿り着きながら超えることができなかったことからそう呼ばれた。アーモンドアイの場合はコントレイルとの対戦の前戦である2020年天皇賞(秋)を勝利してこの壁を打ち破り、そしてラストランとなったこのジャパンカップで「GⅠ9勝」という新記録を打ち立てることになる。

*20 エピファネイア産駒。主な勝ち鞍は2021年皐月賞・天皇賞(秋)・有馬記念。3歳時までは非常に強かったものの、4歳時以降は蹄の不調などに悩まされて一転してスランプに陥り、遂に本来の実力を取り戻せぬまま5歳時初戦の京都記念で心房細動を発症して競走中止、命に別条なかったもののそのまま引退となった不遇の名馬。

*21 顕彰馬の選定方法がディープ以降とそれ以前で違う為正確に比較するならその2頭との比較になる

*22 コントレイルの管理調教師である矢作芳人調教師の談。コントレイルの本来の適正距離については矢作調教師が「マイルから中距離」、福永騎手が「調教次第では1200でも走れる馬」というように関係者でも意見が分かれているが、いずれも「長距離は適正距離外」という見解は一致している。

*23 特に近年だと英国三冠が顕著か。三冠最終戦のイギリスセントレジャーの評価下落、さらに「三冠挑戦の為に走った名馬が悉くその後の大レースを取りこぼす」状態になっている為。ただ現代欧州のトップ調教師であるエイダン・オブライエン師が「夢」として幾度となく挑戦している為他の欧州と比較するとまだマシだったり。

*24 アファームド以前はBCクラシックがなかったためそもそも挑戦ができなかった。

*25 2022年にフェブラリーS連覇達成とマイルCS南部杯を勝利して同年のJRA最優秀ダートホースを受賞した

*26 2023年4月のチャンピオンズマイルの勝利により、ウィンクスの記録を抜いて達成。

*27 香港競馬では種牡馬にして競走馬を生産するスタイルではない(そもそも狭い香港に牧場作るスペースがない)為基本他国から購入し、牡馬の場合は即去勢される事が多い。

*28 主な勝ち鞍に香港二冠、香港カップ連覇、コックスプレートなど。類まれな勝負根性を武器に、中距離で絶対的な強さを誇る浪漫勇士。24年には来日し安田記念を制した

*29 ロマンチックウォリアーの同期で、彼が唯一落とした香港クラシックカップの勝ち馬。GⅡでは無双、GⅠでもほぼ複勝圏内を外さない安定感が魅力の加州星球。ゴールデンシックスティを下した数少ない馬の一頭でもある。

*30 2歳から9歳まで走り、5年連続年度代表馬というこれまた意味不明な記録を残したUMA。アメリカの名馬100選にて第4位に選ばれている。