ノーザンダンサー(競走馬)

登録日:2021/11/07 Sun 17:48:00
更新日:2025/01/02 Thu 00:20:56
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Northern Dancer(ノーザンダンサー)(1961〜1990)とは、カナダ生産・調教の元競走馬・種牡馬。
競走馬としての輝かしい活躍もさることながら、その人智を超えた種牡馬成績でサラブレッドの血統樹を文字通り己色に染め上げた、20世紀最大最高最強“種牡馬の中の種牡馬”(サイアー・オブ・ザ・サイアー)とでも呼ぶべき超越個体である。
こいつが英米仏で生産・調教されてないとか何の冗談だ?



血統背景

父ニアークティックは生まれも育ちもカナダ*1。マイルと短距離中心に47戦21勝と太く長く走りつつ、勝率45%近くをキープした*2]]が51戦9勝、しかも重賞1勝馬でさえ競走馬の中では上澄みに近いレベルのエリートであることを考えると、とんでもない以外に評価しようがない)カナダ年度代表馬にして、わずか3頭の産駒でニアークティック系としてサイアーラインを確立させた大種牡馬。クッソ偉大なのに挟んでる息子と親父殿がとんでもなさすぎて影が薄い
母ナタルマは本格的に活躍する前に骨折で引退を余儀なくされたが、これまた偉大なる父の血を引く良血牝馬である。

そしてこの牡馬、両親もさることながら両祖父がとんでもなかった。
父方の祖父ネアルコはイタリア生まれの伊達牡馬。14戦無敗の無双馬にして、「現在の競馬界にネアルコフリーの馬なし」*3とさえ言われる超級種牡馬。
母方の祖父ネイティヴダンサーは22戦21勝、普及し始めていたモノクロテレビの競馬中継に映える芦毛の馬体で「グレイゴースト」「グレイファントム」と称された1950年代アメリカ最強馬の一角にして、「孫の代で覚醒する」*4ことでおなじみネイティヴダンサー系を確立した超級種牡馬。地味にノーザンダンサー系の踊り関連命名の始祖でもある。
つまりどういうことかというと、やべーやつとやべーやつの血統合流点がやべーやつにならないわけがなかった。まさにその血の運命



競走戦歴

幼少期(誕生〜デビュー前夜)

本馬のオーナーブリーダーであるエドワード・P・テイラー氏は、ビール醸造で巨額の富を築き上げたカナダの大富豪であり、学生時代以来の競馬ファンでもあった。そこに自社の宣伝やカナダ競馬を欧米級にランクアップさせるという野望が合わさり、自ら生産者となって欧米競馬界に宣戦布告しようとしたのだ。
趣味と野望が高じて牧場(ウインドフィールズファーム)造ってオーナーブリーダーになるのだから、サラブレッドブリーディングは文字通り大金を持て余した神々の遊びである。馬主になるだけでも大概神々の遊びだが。なにしろ北島のサブちゃんは格安で買ったキタサンブラックがあんだけ活躍し獲得賞金18億7000万というJRA歴代2位記録を残してなおトータル赤字


さて、ニアークティックの活躍でカナダ有数の馬産家として名を馳せたテイラー氏は、さらなる良血との配合によりその血を研ぎ澄ますため、アメリカでのセリでネイティヴダンサー産駒の牝馬を購入した。これがナタルマである。
1960年の繁殖シーズン途中に調教中骨折で引退を余儀なくされたナタルマに、種牡馬入り初年度のニアークティックを種付けすることで、61年5月27日に本馬は産まれた。もしかしなくても立派な遅生まれである。
父の名“新北区(ニアークティック)”と母父ネイティヴダンサーにちなみノーザンダンサーと名付けられた幼駒は、1歳でセリに出されるも買い手がつかず、結局テイラー氏自身が牧場名義で所有することになった。
なお買い手がつかなかったのは正直自業自得であり、いくら血統的に素質馬っつってもドチビな遅生まれに25,000ドルはそりゃ誰も買わねーわな、としか……

そう、ドチビである。なにしろこの馬、元がドチビな上に成長が遅く、育ちきってようやく体高15ハンド*5ちょいしかなかったのだ、映像などを見るとカウボーイ用のストックホースや大き目のポニーと思ってしまうレベルで小さい。
これがただのハイスペックドチビだったらよかったのだが、こいつはただのドチビではなかった。闘争心旺盛で、ほぼ自分よりでかいのしかいない牧場の牡馬をシメてボスに君臨し、張られたロープを引きちぎるわ小屋の壁は蹴り壊すわ、まさにやりたい放題のガキ大将。
しかもまだデビュー前のジャリボーイなのに既に気合の入った女好きで、牝馬を見るとノリノリで追い回すスケベ小僧である。
おまけに調教が始まると鞍上を振り落とそうと荒ぶるわ荒ぶるわ。健康優良不良少年とはまさにこのこと。

これにはテイラー氏も「ナタルマもいい値段したし、もし活躍したらを考えると惜しいけど、こうもアレだと去勢した方がいいかなぁ……?」とガチめに悩む。そりゃ悩む、誰だって悩む。
そこに待ったをかけたのが、ウインドフィールズファームと関係の深い調教師のひとり、ホレイショ・A・ルロ師。馬主経験のある裕福な一家に生まれアルゼンチンから渡米後、親の金で高等遊民を経て36歳でテイラー氏の勧めに乗って調教師に転身。順調にキャリアを積み上げケンタッキーダービー馬*6まで育て上げている、経歴のさりげないネタっぷりとは裏腹に上澄み系のガチなホースマンである。
ルロ師がいかにしてテイラー氏を説得したかは知られていないが、ともあれ、彼の説得によりノーザンダンサーのナニとタマは守られた。もしもこいつが騸馬*7になってたら、サラブレッドの血統史はそれこそ人理焼却クラスの大惨事になっていた可能性すらあった。なにしろ後世に名だたる偉大すぎる種牡馬軍団全消滅であるからして。
いやもうホント、ルロ師マジGJである。

そんなわけでナニとタマをフル装備したまま、ノーザンダンサーはルロ師のもとで調教を受け、次第に秘めた素質を解き放っていった。
なお、前脚に父よろしく裂蹄を発症したためデビューが遅れた模様。


2歳時〜小さなガキ大将の大いなる第一歩〜

63年8月、カナダのフォートエリー競馬場で行われた未勝利戦(ダート5.5ハロン)で、見習い騎手のロン・ターコット*8を鞍上に出走。2着に6馬身以上差をつける圧勝でデビューを飾る。
同競馬場でデビュー含め3戦2勝2着1回の成績を収め、ウッドバイン競馬場に転戦。ここでもカナダ最大の2歳戦コロネーションフューチュリティを6馬身差蹂躙するなど3戦2勝2着1回。そしてグリーンウッド競馬場で1勝した後、ついに陣営はアメリカ遠征に踏み切る。

カナダの同期相手の格付けは終わったとばかりにアメリカに殴り込んだノーザンダンサーは、11月にアケダクト競馬場の一般競走で米国デビュー。マヌエル・イカザ騎手を鞍上に、アメリカ競馬の2歳馬最大戦ベルモントフューチュリティの勝ち馬ビューパーズを8馬身差と、まさに赤子ですらないとばかりに蹂躙する。
続くレムセンステークスも軽く勝ってカナダ産馬ながらダービー有力候補に名を連ねるが、裂蹄の治療と冬季休養のため温暖なフロリダ州に3ヶ月滞在。カリフォルニア州からわざわざ裂け目を塞ぐ治療技術持ちの装蹄師を招聘するガチっぷりである。
結局2歳時は9戦7勝2着2回の完全連対を達成し、カナダ最優秀2歳牡馬に選出された。


3歳時〜カナダ競馬史上初の米国ダービー馬、そしてカナダ史上最も米国三冠に近づいた優駿〜

64年、3歳緒戦はそのままフロリダで始動。2月の一般競走を叩き台にするが3着敗戦。どうも鞍上が過剰に鞭を入れまくったのが原因らしく、鞍上ユーザリー騎手はこの1戦でボッシュート。
ウィリアム・シューメーカー騎手に乗り替わってフロリダダービーを含む3連勝すると、ケンタッキーダービーに向けケンタッキー州へ移動。ケンタッキーダービーへの騎乗依頼も出したものの、既に有力なお手馬がいたシューメーカー騎手は辞退。ルロ師のツテで呼び寄せたウィリアム・ジョン・ハータック騎手*9に乗り替わることになった。
ハータック騎手との初コンビとなったブルーグラスステークスではテン乗りもなんのその。2着アレンデールに半馬身差まで詰め寄られるも、粘りきって連勝記録を伸ばす。

そして迎えたケンタッキーダービー。サンタアニタダービーを勝ったヒルライズを筆頭に、本馬を含め錚々たるメンバーが集いも集い12頭。一番人気はやはりサンタアニタダービー圧勝のヒルライズ、鞍上はシューメーカー騎手。当年は緒戦以外無傷といえどやはりカナダ産ゆえの侮りもあったのか、ノーザンダンサーは二番人気に推される。
そもそもケンタッキーダービーには、創設以来89回に渡り外国馬を阻んできたという実績もあった。血統やそこから導かれる素質こそ特筆すべきものだが、やはり外国馬が獲れるものではないというのが当時のケンタッキーダービーである。どうあがいてもフラグだが、まだ笑っちゃダメよ?

かくてチャーチルダウンズ競馬場に集い、ゲートインした各馬がスタートを切る。馬群中段の好位につけたノーザンダンサーは、向こう正面から徐々に位置取りを押し上げていき、3角で早くも先頭と競りかける。
4角で先頭を奪い直線でスパートをかけるが、猛追してきたヒルライズとゴール直前での馬体を併せた熾烈な叩き合いの末、クビ差凌ぎきって2分フラットでゴールイン。

この瞬間、ケンタッキーダービー史上初の外国馬による勝利が確定。
そして同時に

カナダ競馬史上初の米国クラシック三冠競争勝利馬


そしてテイラー氏にとっては、カナダ産競走馬が米国競馬の頂点に立つという、野望成就の日がついに訪れた瞬間だった。それが自身の所有馬でともなれば、喜びも一入だったことだろう。
「ノーザンダンサー、ケンタッキーダービーに勝利せり」の報は瞬く間にカナダ全土を駆け巡り、馬の者であるなしを問わず国民を歓喜と熱狂の渦に叩き込んだ。
特に故郷であるオンタリオ州都トロントは、浮かれポンチという言葉が腕組んでラインダンスしてるレベルでウッキウキになっており、ありとあらゆるところにノーザンダンサー勝利記念の垂れ幕や看板が掲げられたそうな。
ちなみにケンタッキーダービーを3歳の誕生日以前に勝ったのも、ノーザンダンサーが史上初だったりする。初物フルコースかな?

走破タイムはディサイデッドリーのレコードをコンマ4秒更新する当時のレースレコード。というか57年を経た現在でも、ケンタッキーダービーにおける堂々のブロンズレコードである。
彼より速いタイムでチャーチルダウンズのダートを駆け抜けたのは、今なおセクレタリアト*10(1分59秒4)とモナーコス(1分59秒97)の2頭しか存在していない。偉大なる赤いアイツの今後破れそうにないトンデモレコードェ……
ダート10ハロンのレースで2分の壁を破るのは、かくも難しく偉大なのだ。……それにしてもセクレタリアトだけ次元が違いすぎない?ほんとに生身の馬なのかコイツ……

さて、そんなわけでトリプルに初物のケンタッキーダービー勝者として戴冠したノーザンダンサーと陣営だが、これを勝ったのだから次なる目標は当然、クラシック三冠第2戦・プリークネスステークス。
2週間しか猶予がないのでさっさとメリーランド州まで移動し、ピムリコ競馬場にて強敵(とも)を待つ。まあそうは言ってもケンタッキーダービーとメンツほとんど変わらんのだが
つまり一番人気は今回もヒルライズ。そして案の定ノーザンダンサーはニ番人気。米国代表として空気読まないカナダの田舎者をねじ伏せろ、ってことなのだろう。
はい、またしてもフラグです本当にry

ということで始まりましたプリークネスステークス。ノーザンダンサーは2〜3番手を追走する上々の位置取りでレースを進め、直線向いて先頭に立つ。前回はここからヒルライズがかっ飛んできたのだが、今回の彼にそんな猛威はなく。
好位先行からの抜け出しという王道のレース運びで、2着ザスカウンドレルに2馬身1/4差をつける完勝。ヒルライズは最後に差されクビ差の3着となった。
これで米国クラシック二冠達成。残すはベルモントステークスのみ。本国の期待はノンストップ高、むしろここまでくると米国の馬の者にも「こいつ、ガチに史上初のカナダ発米国三冠イケるのでは……?」と敵ながらあっぱれな空気が生まれる。

そんなわけで、48年のサイテーション以来実に16年ぶりの米国クラシック三冠馬誕生なるか、史上9頭目の名誉をかけたベルモントステークスへ向けベルモントパーク競馬場へ……と言いたいところだが、この年の同競馬場は工事中。代替開催地はアケダクト競馬場、ノーザンダンサーが米国競馬界に殴り込みをかけた思い出の場所である。
三冠馬の期待を背負い、米国三冠競争初の一番人気に推されたノーザンダンサー。しかしここまで2戦、どちらも一番人気のヒルライズはノーザンダンサーに敗れている。まさかフラグなのでは……?案の定フラグでした
出走後は3番手と好位につけ、そのまま直線向いたノーザンダンサーだが、ここから伸びない。ざわめく観衆を横目に抜け出したクァドラングルとローマンブラザーに屈し、勝ち馬クァドラングルから6馬身差の3着に終わった。(フラグの)構築、回収、いずれもマッハ!
敗因についてはいろいろ取り沙汰されたが、有力説は「スローペースに引っかかった」「途中で脚の腱が攣った」のふたつだそうな。

米国三冠馬の栄誉こそ逃しはしたが、それでもカナダ史上初の米国二冠を引っさげて凱旋したノーザンダンサーは、カナダ最大のレースであるクイーンズプレート*11へ出走。
いつものように馬群中団を進み、3角手前で早くも仕掛けて外からまくると、4角途中から一気に後続を突き放して最終直線を疾走。最後はハータック騎手が後ろを振り返る余裕すら見せ、2着に7馬身半差つける圧勝で凱旋レースを飾り、ウッドバイン競馬場に詰めかけた大観衆から満腔の拍手喝采で祝福された。
その後、再度の米国遠征とトラヴァーズステークス出走を目標に調教を進めていたが、8月の朝の調教後に左前脚屈腱炎の発症が確認され、無念の引退となった。
9戦7勝米国クラシック二冠ということでカナダ年度代表馬に満票で選出、また米国最優秀3歳牡馬にも選ばれた。なお、米国年度代表馬の座は5年連続選出のケルソ*12に掻っ攫われた模様。


種牡馬時代

ノーザンダンサーの生年は、日本ではシンザン*13、アメリカではレイズアネイティヴ*14が産まれた年で、実は意外とエポックメイキングな年だったりした。
また、当時の競馬界はネアルコ系の中でも特にナスルーラ系、あとはまだまだ強いセントサイモン*15系にハイペリオン*16系などといった群雄割拠の時代で、ネアルコ系+ハイペリオン系の父系とネイティヴダンサー+アルマームード*17の母系を持ち、当時の優良血統がかなり収束しているノーザンダンサーは、良血の収束点かつその播種役として期待されたフシもあった。

種牡馬としての血統背景や当時の競走馬の血統よもやま話はともかくとして、66年に生まれ故郷ウインドフィールズファームで種牡馬入りしたノーザンダンサーは、初年度種付け料1万ドルで21頭の初年度産駒が誕生し、そのうち18頭が68年に競走馬登録された。
初年度なら数はまあこんなもんやろ、と思ったな?では勝ち上がり数とステークスウィナー数を見てみよう。
初年度競走馬登録産駒18頭、うち勝ち上がり馬16頭。さらにそのうちステークスウィナー10頭。ステークスウィナー率は競走馬登録されたもののみに絞っても55.5%。初年度産駒全体で見ても47.6%と、控えめに言って狂った超高成績である。
いくら良血収束点とはいえ、初手からここまで産駒がヒャッハーするとか誰も思ってなかった。まあ想定しろってのが無理な話だけど

初年度産駒でいきなりこれだから、本国カナダの馬の者が狂喜乱舞したであろうことは想像に難くないが、それ以上に瞳に$マークを浮かべたのがお米の国の馬の者、それも生産者ガチ勢ども。
メリーランド州にウッドストックファームを構えるデュポン婦人(前述した米国最強騸馬ケルソのオーナーブリーダー)など、テイラー氏に「うちの近くにいい土地があるのよ。そこ買ってこっちでノーザンダンサーを種牡馬入りさせなさいな」とわりと露骨にラブコール。
なお、ノリノリでそれに乗ったテイラー氏はウインドフィールズファームメリーランド支場を設立、デュポン婦人の目論見通り69年にノーザンダンサーが移籍して米国種牡馬入りした。
米国入りした際の種牡馬シンジケートは総額240万ドル(75000ドル×32株)。当時としてはかなり強気の価格設定だが、あっさり枠が埋まったそうな。そらまあこんな良血収束点のシンジケートって考えたらドチャクソ安いわな

で、ちょうど米国入りした69年登録の第2世代産駒筆頭と言えば……そう、ニジンスキーである。ニンジン好きではない。いや、多分好きだったろうけど。
現在にしてなお最後の英国三冠馬にして、それを無敗で成し遂げた馬を超えたUMA枠、同時に種牡馬としても無双の限りを尽くした超絶級のやべーやつ。
初年度からヒャッハーし2年目には無双馬爆誕なのだから、ノーザンダンサーのザーメンの価値たるやうなぎ登り……では済まなかった。
その後もサドラーズウェルズやらザミンストレルやら、GⅠを複数回勝ってみせるトップホースをバカスカ輩出。しかもそれらが種牡馬として、ちょっと何言ってるかわからないレベルの活躍を見せた。何ならヴァイスリージェントノーザンテーストのようにノーザンダンサー産駒としては成績が微妙、もしくはダンツィヒのように素質こそパなかったが故障や病気で爆速引退を余儀なくされた産駒でも、種牡馬としては無双した。余りの無双ぷりの影響で世界の競走馬の平均馬格が下がるほどであった。
ノーザンダンサー系支流・ニジンスキー系やヴァイスリージェント系やサドラーズウェルズ系やダンツィヒ系として、がっつり競走馬の血統樹に食い込んでるレベルである。親父のムスコが種牡馬無双なら、息子たちのムスコも種牡馬無双だった。ナウすぎるムスコ♂
全盛期には非公開の種付け料が100万ドルを超えてるのが公然の秘密とされ、「ノーザンダンサーのスペルマは同量の金と等価値」とまで言われたくらいである。インフレも甚だしい。

ただし本馬の場合年間最多交配数は55頭、原則36頭とかなり厳しく管理されていた。産駒数も一番多い年で36頭、年平均だと26頭くらい。元々あまり受精率の高い馬ではなかったようだ。まさかの低受精率=淘汰圧説
その厳重な管理が種付け料高騰の一翼を担ったのも確かだろうが、同時に無理させなかったからこそ長く種牡馬としてヤリチン生活を満喫できた、というのもまた確かだろう。無(理のない範囲で楽しく)課金理論みたいなもんやな
長いこと種牡馬生活を送ったため産駒数そのものは結構な数だが、サンデーサイレンスのように「迷わずヤらせろ、どんどんヤらせろ」した結果、短期で産駒爆増というわけではなかったのだ。それはそれとして勝ち上がり率もステークスウィナー率もちょっとおかしい数値なので、受精さえすればその淘汰圧を乗り越えたとみなされて才能開花する……のかな?たぶんきっとおそらくメイビー。
この厳正な種付け数管理が血の蔓延を適度に防止し、子や孫にも上手いこと肌馬が回ってきた…というのも彼の血が世界を侵略した要因の一つだろうか

産駒や子孫の特徴は……あえて言うならずば抜けたスピード。本当は適応性と言いたいところなのだが、あまりにも多彩な環境に適応しすぎてて、もはや血統のデフォスキルなんだよなぁ……
距離の長短?SMILE区分GⅠ勝利馬を全部門完備してるが何か?
馬場の種類?和芝でも洋芝でもダートでも大活躍したが何か?
馬場コンディションや天候?良かろうが悪かろうが走ってみせるが何か?
これだよ。もうアレだ、どんな血統の牝馬ともニックス発動させて、牝系のスペックを引き出しつつ両親のクソ強因子を確定継承させるのがノーザンダンサーの固有能力だったんじゃねーの?ってレベル。というかそうとでも思わないと、ここまで種牡馬無双の限りを尽くした理由が説明できない。

87年4月に繁殖シーズン半ばで種牡馬を引退。受精率低下が見過ごせないレベルになってきたのが理由だった。これを受けてメリーランド支場は役目を果たしたとされ翌年に閉鎖、本馬専用の隠居場・ノーズビュースタリオンステーションとして残され、ここで余生を過ごすことになる。
90年11月15日に疝痛を発症。翌16日に安楽死処置が施され、29歳没。20世紀最大最高の種牡馬にふさわしい長寿であった。15日にはアリダーが他界しており、ネイティヴダンサーの偉大な孫の連日の死は競馬界を深い悲しみに沈めたという。
遺体はすぐに生まれ故郷に移送・埋葬され、92年にはウッドバイン競馬場に銅像が建てられた。
本馬は19世紀末の偉大すぎる無双種牡馬セントサイモンとよく比較され、「19世紀のセントサイモン、20世紀のノーザンダンサー」と謳われたものだが、セントサイモンの産駒がイギリス一国にほぼ集中・血の飽和を招いて袋小路からの父系ほぼ断絶に至ったのとは対照的に、ノーザンダンサーの血はあまねく世界中に播種され、繁栄を続けている。
どんだけ繁栄しているのかといえば、適当なサラブレッド1頭探してきたら5-7代前に以下の代表産駒が複数いるのは当たり前、そのうち2-3頭がインブリードとなっていてノーザンダンサーの多重クロスが出来ていることだって珍しくないほど。
ブリカスはホンマそういうとこだぞ

なお、競争引退同年にカナダスポーツの殿堂入りしており、これは人間以外では初。76年に競馬の殿堂が創設されると初年度殿堂入りを果たしており、同時に米国でも競馬の殿堂入りした。
ちなみにブラッドホース誌が企画した「20世紀米国名馬100選」では43位。やはり米国出身でない分評価が落ちたか。


ノーザンダンサー産駒傑作選

GⅠ馬だけでもちょっとご無体すぎる数になり一覧項目が数個作れるレベルなので、競走馬もしくは種牡馬として、あるいはその両方で上々の成績を出したもののみ年代順に記載する。
というか傑作選ということで極限まで削ったのに、本馬の項より長くなるとかどういうことなの……?単なる重賞馬にまで裾野広げたら一覧項目いくつ作成することになるやらわからんのでマジ勘弁してください

ニジンスキー

ノーザンダンサー産駒が初期最高傑作にして、産駒全体から見ても最高傑作候補筆頭の無敗英国三冠馬。つまり競馬界全体から見ても上澄みオブ上澄みのやべーやつ。
名前の由来はロシアのバレエダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキー。「北の踊り手(ノーザンダンサー)」と「燃え盛る一節(フレーミングページ)」の仔に「精神の脆さを抱え、妖美なる演技で名を馳せた異能の天才ダンサー」の名を付けるのだから、馬主のネーミングセンスはお美事の一言。
天才の名は性格にも影響を及ぼしたか、はたまた御本人が晩年に「生まれ変わったら馬になりたい」と語った通りに転生でもしたのか、ムカつくと馬房に籠城するわ、気に入らないと後ろ足で立ち上がり威嚇するわ、調教でも言うこと全然聞かんわ、と実にキレた性格の持ち主。ドチビな親父と真逆の見栄えする大柄な馬体と裏腹に、デビュー自体不安視されたことすらあった。

が、一度デビューするとこれがまた走る走る。出るレース走るレース全て圧勝・楽勝・完勝しかない、文字通り無敵のレース運び*18で英国三冠を無敗で勝ち取り、凱旋門賞に出走。
ちなみに元々英国三冠最終戦・セントレジャーステークスに出す気はなかったオブライエン師だったが、ドンカスター競馬場サイドの「是非に!!」という要望に無敗英国三冠馬主という欲の皮を突っ張らせたか、馬主が応じ出さざるを得ないことに。勝ったからよかったようなものの凄まじく消耗しており、馬体重が出走前に比べ30ポンドほども落ちたとか。

馬主というフラグに加え、どう見ても距離適性が足りてなさげなセントレジャーの疲労が抜けきらなかったか、はたまた回復したとはいえ白癬の後遺症もあったか、ついでにファンやマスコミが本場の周りでフラッシュ焚いたり大騒ぎしてメンタル抉られたのも大きかったか、凱旋門賞は2着敗戦。
陣営は「なぜセントレジャーに出したし」と案の定フルボッコされ、「三冠馬が凱旋門賞で勝てば斜陽のセントレジャー復活でVやねん!」とフラグにもほどがある皮算用してたドンカスターさんサイドに対しても、「凱旋門賞目指すならセントレジャーには出るな、出すな」と見事なオチがつき、元々落ち目の権威がストップ安以下まで直滑降してしまった。
その後、元よりラストラン予定だったチャンピオンステークスに出走し2着。生涯戦績13戦11勝2着2回の完全連対という成績を引っさげ、米国で種牡馬入りした。シンジケート総額は544万ドルで当時のレコード額。
なお、名付け元のニジンスキーの未亡人であるロモラ・ニジンスキー夫人が馬主の好意でエプソムダービーに招待されており、亡き夫の名を冠する優駿がダービーを制覇したのを見届けた夫人は泣き崩れたとか。

種牡馬としては文字通りチート級の活躍を見せ、GⅠ馬を書き出すだけでも一苦労というレベルの無双っぷりである。シンジケート総額544万ドルは間違いなく安すぎた。
というか一代でニジンスキー系を確立するあたり、やはりあの親父にしてこの息子だった。
代表産駒としては仏ダービー馬カーリアンや英愛ダービー二冠馬シャーラスタニ*19、マル外の持込馬ゆえJRAクラシック路線に進めなかった“スーパーカー”マルゼンスキー、欧州三大レース*20無敗三冠の神馬にしてニジンスキーの忘れ形見ラムタラ*21など。
しかしながら、御本尊が生きてた20世紀の時代は大いに流行し、後継達もそれはもう暴れ回ったのだが、残念ながら3代下がったあたりから他のノーザンダンサー系の流行等もあり、21世紀からは急激にその影響力を落としてしまった。
ただ現代でも母系にその名を見る機会は多く、競技の場に今なお大きな影響を及ぼしている。


ヴァイスリージェント

ニジンスキーと同世代のクソ強チート種牡馬。
全兄*22ヴァイスリーガル*23が2歳時8戦全勝のカナダ最優秀2歳牡馬として高い評価を受けていたため、本馬も大きな期待を背負ってデビュー……したがパッとしなかった。まあディープインパクトの全弟オンファイア*24も屈腱炎が理由とはいえパッとしなかったし、ブラッドスポーツってそんなものなのだが。血統ですべて決まるなら生産者も馬主も調教師も騎手も苦労せんわな。現実はウイポとは違うのです

脚部不安で満足にレースできないこともあり早々に引退。全兄が活躍してて両親ともに名血、ってことで種牡馬入りしたわけだが……種牡馬無双RTAはーじまーるよー。
活躍馬を出しも出したりの大活躍で、79年から11年連続カナダリーディングサイアーという、ちょっと何言ってるかわからないトンデモ記録を樹立。
産駒傾向としては仕上がりが早く馬場を問わないスピード型が多く、2歳からがっつり使う北米競馬にジャストフィット。

代表産駒としてはやはり後継種牡馬デピュティミニスターか。米2歳王者として活躍した後種牡馬入りしてこれまた大活躍、ゴーフォーワンドやオーサムアゲインを筆頭に数多の活躍馬を仕込んだ。日本ではフレンチデピュティの父、クロフネやカネヒキリの祖父として有名。
サイアーラインも地味に伸び続けてるのだが、それ以上にこの系統は母父として強かったりする。フレンチデピュティ然りクロフネ然り。


リファール

フランスのスプリント・マイル路線で活躍した、ノーザンダンサー短距離型産駒の初期傑作。名前の由来はフランスのバレエダンサー、セルジュ・リファール。
クラシック路線では距離が長すぎて惨敗したものの、ジャック・ル・マロワ賞やフォレ賞を勝って名を挙げた。

競走馬としても十分に一流だったが、種牡馬としては超一流。なにしろあの踊る勇者の父として、競馬史に名を刻んでるのだから。
産駒としては問答無用の80年代欧州最強馬ダンシングブレーヴ、ブリーダーズカップターフを制したマニラ、凱旋門賞馬スリートロイカスあたりが有名どころ。他にも20頭近くのGⅠ馬を輩出し、リファール系としてノーザンダンサー支流の確固たる系譜を残した。
2005年6月に36歳で大往生。長寿馬が多いノーザンダンサー系でも、記録的な大長寿。
しかし、競走馬としてはガチガチのスプリンターなのに産駒は普通にクラシックディスタンスを走れるあたり、気性か?


ノーザンテースト

日本におけるノーザンダンサー系最大派閥・ノーザンテースト軍団の始祖にして総帥。要するにサンデーサイレンス枠の先代。
カナダ生まれの馬で、母の兄に名種牡馬ニアークティックがいる良血。あれ?そういえばノーザンダンサーの父って…
そんなわけで彼は祖母レディアンジェラの3×2というなかなかに攻めたインブリードを持っている。

1歳時のセリで「ノーザンダンサー産駒の牡馬で一番いいの買ってこい」と社台グループ*25初代総帥である父・吉田善哉氏の命を受けた現社台グループ総帥・吉田照哉氏に落札される。
電話報告の際に父から「お疲れ、帰ったら何食いたい?」と労われた照哉氏が「寿司食いてえ」と返したのがきっかけで、寿司=魚→北の味と連想した善哉総帥に命名された。
競走馬時代は英仏のレースに出走し、GⅠ勝利はフォレ賞のみと、ノーザンダンサー軍団の中ではそこまで冴えた成績ではなかった。*26

引退後は予定通り種牡馬として社台ファーム入りし、供用開始。驚くほど見栄えが酷かった*27ため日高の口さがない一部生産者から「わざわざアメリカからヤギ買って来やがったぞ社台の奴らwwww」と盛大に煽られたりしたのだが……
当初は無双馬こそ出なかったものの、己の格に見合ったレースで堅実に勝ったり掲示板を確保する馬主孝行な馬を多く出し、徐々に期待され始める。
また「ノーザンテースト産駒は三度変わる(成長する)」と称される通り、太く長く走れる馬が多く、長く走れるだけに勝ちを重ねられるのも強みだった。
82年にテスコボーイからリーディングサイアーの座を奪うと、通算10回その座に輝く種牡馬無双を見せ、さらに90年から2006年の17年連続リーディングブルードメアサイアーという記録も持っている。
ノーザンテースト産駒がノーザンダンサー系の血で日本の血統地図を書き換えたことにより、北米産の強い血が日本の競馬界に流れ込み、後の強い日本馬を生む一端となったことは疑いようのない事実である。
一時は破産寸前まで追い込まれていた社台が日本最大の生産者にまでのし上がったのは、ノーザンテーストのおかげといっても過言ではない……どころかガチなんだよなぁ。

産駒としてはダービー馬ダイナガリバーりゃいあんメジロライアンの父で有馬記念と春天を制した名ステイヤーアンバーシャダイエアグルーヴの母で5着まで写真判定の超接戦を制したオークス馬ダイナカールあたりが有名か。
しかしながら獲得賞金でトップに立つのはGⅠ勝ちこそないものの細く長く走り続けた孝行馬マチカネタンホイザだったりする。
00年に種牡馬を引退してからは、その比類なき功績から専用の馬房とパドックを与えられ、悠々自適の余生を送った。04年に33歳で大往生。
ややフィリーサイアーの傾向があり大レースを勝った後継種牡馬は早逝してたり引退してたりで日本の直系は全滅済み。メジロアルダンが中国でこさえた子孫が細々と父系を繋げてる程度である。
しかし牝馬の活躍馬は多かったことも有り例によって牝系から血は絶えることなく受け継がれており、SS軍団ともども絶えることはないだろう。絶える頃には日本滅びてんじゃないですかね


ビーマイゲスト

ノーザンダンサー産駒の中ではパッとしなかったが種牡馬無双枠。
GⅠ勝鞍こそなかったが7戦して重賞3勝とそこそこの成績を挙げ、才能を惜しまれながら脚部不安で77年に引退。78年に80万ドルのシンジケートを組まれ、クールモアスタッドで供用が始まった。

種牡馬初年度からいきなり仏愛ダービー二冠馬アサートを輩出し、その後も活躍馬をコンスタントに量産、都合67頭(ブラッドホース誌曰く78頭)のステークスウィナーを送り出した。シンジケートの総額を考えればレア度詐欺もいいところ。
産駒傾向はマイルから12ハロンまで幅広く対応し、古馬になっても衰え知らずなピークタイム長めのものが多い。というか本馬も28歳まで種牡馬やってた衰え知らずなので、産駒の活動期間の長さは父譲りなのだろう。
産駒の有名どころとしては上記アサート、イギリスの名マイラーオンザハウス、フランスで牡馬に混じってマイル戦線を駆けたGⅠマイル2勝牝馬ルースエンチャンティー、欧州調教馬で唯一のベルモントステークス勝ち馬のゴーアンドゴー、愛チャンピオンステークスとKGⅥを制したペンタイア

02年まで種牡馬として供用され、04年に繫養先のクールモアスタッドで老衰により死去。30歳の大往生だった。
彼の死に際し、クールモアの広報が「彼はクールモア建国の父のひとりだった」と追悼の意を示したほど。競走馬としての不完全燃焼を晴らすかのような種牡馬としての活躍は、クールモアにとっても多大な利益をもたらしたから、スタッド全体でその死を悼み惜しむのもむべなるかな。


ザミンストレル

74年度ノーザンダンサー産駒最高傑作たる小さな大詩人*28。母方の祖母がニジンスキーの母フレーミングページであり、ニジンスキーは伯父にしてある意味で兄という複雑な関係。まあサラブレッドにはよくあることだが。
四本脚全てが白い四白に美しい栗毛の馬体、そして顔には大きな流星と、かなり目立つ容姿だが親譲りのチビ助。
ドスケベガキ大将が災いして去勢されかけた親父殿や神経質かつキレた性格の伯父上様とは違い、性格面は温和で聡明だったそうな。こいつホントに奴の仔か?
イギリスの馬主サングスター氏に購入され、アイルランドの調教師筆頭ヴィンセント・オブライエン師*29に調教されることになる。
2歳時に英国2歳馬最強決定戦デューハーストステークスを含む3戦3勝、3歳時に英愛ダービー二冠とKGⅥを含む6戦4勝と上々の成績を残し、英国年度代表馬に選出。900万ドルのシンジケートが組まれアメリカで種牡馬入りし、生まれ故郷ウインドフィールズファームで供用された。

産駒の有名どころとしては、愛伊オークス二冠のメロディスト、フランスのマイル〜インターミディエイト路線で活躍したレミグラン、ダート無双馬シガー*30の父でチャンピオンステークスを制したパレスミュージックなど。
ステークスウィナー58頭を送り出し英愛2歳リーディングサイアーを獲得するなど、一般通過種牡馬基準ではチート級の大活躍だったが、なにしろ兄弟の上澄みどもはニジンスキーやらの一般通過クソ強チート種牡馬。さすがにあまり目立てなかった。
チートがチートすぎるだけで、競走馬としても種牡馬としても一流以上のこいつはとんでもなく凄いんだがなぁ……
ノーザンダンサー系最強種牡馬軍団の中での総合種牡馬成績は中堅どころだが、GⅠ馬を計10頭輩出してる時点で大概大成功である。ノーザンダンサー系ってやべーやつはとことんやべーから……

ノーザンダンサー他界より2ヶ月先立つ90年9月、蹄葉炎と悪性腸炎を併発し16歳没。種牡馬としてはまだまだ現役半ばでのあまりに早く、そして若すぎる死は、多くの馬の者を嘆かせるものとなった。


トライマイベスト

ノーザンダンサー系の中では地味ながら面白い立ち位置にある馬。後述のエルグランセニョールの全兄でもある。
競走馬としては2歳時こそ3戦3勝でデュハーストステークスを制し翌年の活躍を期待されていたが、生まれつき前脚の形状に異常があったことが災いし、4連勝で迎えた2000ギニーステークスを19頭中19着で殿負け。そのまま無念の引退となった。
種牡馬としてはイタリアを中心に活躍し、1990年・92年のイタリアリーディングサイアーを獲得しているが、大物と言える産駒はBCマイルを制したラストタイクーンぐらいの寂しい成績であった。

こんな馬がこの項に載っている理由、それは彼の一族が2020年代現在もなお一定の勢力を誇っているからに他ならない。
ラストタイクーンはマルジュやビッグストーン、エズードなどマイル~中距離にかけて活躍する馬を多く輩出。さらにマルジュも種牡馬として活躍し、ラストクロップで宝塚記念などを勝ったサトノクラウンは初年度産駒から日本ダービー馬タスティエーラを送り出した。
また現役時代は当時GⅡのクイーンアンS勝利が最高成績だったワージブも名スプリンターロイヤルアプローズなどGⅠ馬を複数輩出。さらにロイヤルアプローズ産駒のアクラメーション、アクラメーション産駒のダークエンジェルが英愛を中心にスプリント・マイルで活躍馬を大量に送り出している。

そしてこの血統についてだが、何故か妙に日本との関わりが多い。
上記のサトノクラウン・タスティエーラ親子より前からビッグストーン産駒のマル外メイショウドトウが活躍しているし、そもそものラストタイクーン自身がリース種牡馬として来日し、桜花賞馬アローキャリーを出している。
他にも現代日本で種牡馬の第二極として存在感を示すキングカメハメハは母父ラストタイクーンであり、その影響力はうかがい知れない。
またワージブのラインについても2024年には高松宮記念でダークエンジェル産駒のマル外マッドクールが、安田記念でアクラメーション産駒の香港馬ロマンチックウォリアーが相次いで活躍するなど、存在感を示している。
重賞馬1頭しか出せなかったものの、ワージブ自身も晩年に日本で種牡馬活動をしていたりする。

何よりトライマイベスト自身、1992年に日本に輸入されて種牡馬活動を送っているのだ。ただ残念ながら翌1993年に18歳という若さで早逝し、直仔の日本での適性はわからずじまいであった。


ダンツィヒ

ノーザンダンサー産駒種牡馬部門の最高傑作。「ノーザンダンサー後継種牡馬四天王は?」と聞かれたら、ニジンスキー(上述)やヌレイエフ(後述)やサドラーズウェルズ(後述)と確定で選出されるやべーの。というかニジンスキーと並ぶノーザンダンサー後継種牡馬ツートップ。
ちなみにダンツィヒというのは馬主の故郷ポーランド・グダニスク市の旧名。英語での発音はダンシグが一番近いらしく、この名前で表記するメディアも多い。他にもウイニングポストシリーズだとダンジグ表記になっていたり。
デビュー戦からして2着に8馬身半差蹂躙という飛ばしっぷりだったが、デビュー前から抱えていた膝の剥離骨折が徐々に悪化。
3連勝後の検査で獣医から「おのれら大概にしろや、次走らせたら命はないんやぞ?」と残当すぎるドクターストップ、無念の引退。むしろ剥離骨折してるのわかっててなぜ走らせたし

とまあ、競走馬としては比類なきスピードの素質を持てども即引退せざるを得なかったダンツィヒだが、種牡馬としてはどうか……?

誰がどう見てもぐうの音も出しようがない大・活・躍!!

でした。
初年度からいきなりチーフズクラウン*31が暴れまくるのに始まり、ダンシングブレーヴにボコられはしたが名マイラー兼大種牡馬として名を馳せたグリーンデザート、競走馬引退後に日本に輸入され「地方のサンデーサイレンス」のあだ名と産駒実績で日本地方競馬にダンツィヒ系を播種したアジュディケーティング、ダンツィヒ後継種牡馬として世界を股にかけ大活躍したデインヒル、自身はGⅠ勝鞍こそなかったが産駒はGⅠを勝ちまくったダンツィヒ晩年の傑作種牡馬ウォーフロントなど、芝ダート国境を越えて大暴れ。
3年連続北米リーディングサイアーという20世紀以降わずかに4頭目の大偉業を成し遂げ、ニジンスキー以来久々の超大物ノーザンダンサー後継種牡馬の登場に競馬界は沸いた。そして沸いただけでは済まず、21世紀にはノーザンダンサー系の約半分がダンツィヒ産駒父系に支配されてるレベルだからパない。
ちなみに本邦だと、新潟1400mでレコード勝ちし関屋記念を連覇した重賞4勝のせん馬マグナーテン、海外GⅠを2勝したのに国内GⅠはさっぱり勝てなかったことに定評のあるアグネスワールド、ウマ娘にもなった短距離重賞善戦マンビコーペガサス、馬主の友人島田紳助にちなんだトンチキ馬名のステキシンスケクンなどがダンツィヒ産駒である。日本に来たのはイロモノスプリンターやマイラーが多いのね。

また母父としてもドチャクソ有能であり、本邦だけでも[グラスワンダー>グラスワンダー(競走馬)]]にビリーヴにニシノフラワーにスターリングローズにハギノリアルキングが活躍し、海外まで含めるとガチのマジにやべーやつら揃いである。因子継承率の高さ半端なさすぎでは……?
なお、97年ジャパンカップのパドックはでたいへん変態かつご立派な馬っ気(勃起)を披露し、完璧なレース運びをしたエアグルーヴにぶっ挿し……もとい差し切ってのけたピルサドスキー兄貴もダンツィヒ直系の孫である。爺様と違ってマジチン無双はできなかった……あんなご立派なウマナミだったのに

04年をもって種牡馬を引退し、06年に老衰のため29歳没。種牡馬最終年度産駒のハードスパンが米国クラシック戦線でストリートセンス及びカーリンとガチバトルを繰り広げるなど、最後の最後までクソ強優駿を輩出し続けた。


ヌレイエフ

ノーザンダンサー後継種牡馬四天王が一角。つまり例によってこいつもやべーやつ。
名前の由来はソ連出身のバレエダンサーで、ニジンスキー(ヒト息子の方)の再来と称されたルドルフ・ヌレエフ。なので由来を尊重し、ヌレイエフではなくヌレエフと表記される場合もある。
で、ニジンスキーの再来の名を戴いたからにはその名に恥じぬザ・やべーやつな活躍を……できなかったんだなぁ、これが
いや、最初は幸先よかったのだ。デビュー戦でいきなりGⅢを圧勝し、次走もこれまた文句なしに圧勝して、意気揚々と英2000ギニーに出走し首位入線……かーらーのー進路妨害判定でまさかの失格。さらに感染症で汚名返上の機会すら与えられず引退という、実にトホホな競技馬生である。
なお、首位入線馬の失格処分は同レース史上初だったそうな。嬉しくねえ初物だこと……

引退後は馬主の所有するフランスの牧場で種牡馬入りし、初年度からシアトリカル*32を送り出すが、調教師らの助言でアメリカ行きが決まると、1400万ドルという破格のシンジケートが組まれ、ケンタッキー州のウォルマックマーナートンファームに移籍。
決して高くない受精率にも関わらず多くの活躍馬を世に送り出し、産駒は各国に散らばったため、リーディングサイアーとなったのは87年と97年のフランスのみ。だが、逆に言えばどこでリーディングサイアーになってもおかしくないほどコンスタントに重賞級の産駒を送り出していたわけで、やはりやべーやつである。
10歳の頃に放牧先で右後脚を粉砕骨折というどうあがいても絶望な重症を負ったが、懸命な治療により奇跡的に回復している。とはいえ、骨折した右後脚は生涯引きずっており、歩けるだけでも大概奇跡だったのだが。

産駒は主にターフに強く、有名どころとしては前述のシアトリカル、GⅠ10勝の女傑ミエスク、凱旋門賞馬パントレセレブル、GⅠ5勝馬のソヴィエトスタースピニングワールドなど。傾向としてはマイラーが多いが、スプリンターや中距離馬もそこそこいる。
ちなみにシアトリカルはヒシアマゾン姉貴の親父殿でもある。
日本ではブラックホークの父として有名だが、どちらかといえば母父としての方が知名度高いかも。ジャングルポケットにゴールドアリュールにトゥザヴィクトリーなどなど、活躍馬多し。
また、ミエスクがミスタープロスペクターとの間にキングマンボを産んだため、エルコンドルパサーにとっては父方の牝系曾祖父になる。改めて見るととんでもねえ血統だな、ターフの怪鳥

脚に後遺症を抱えつつ種牡馬生活を続けていたが、腫瘍切除手術を受けた際に合併症を起こし、2001年10月に24歳で死去。


ストームバード

ニジンスキーやザミンストレルと同じオブライエン師のもとでデビューした快速馬。馬主もザミンストレルと同じサングスター氏。
親父殿は言うまでもなく、母父はカナダ三冠馬、オカンもカナダオークス馬と、いわばカナダのどろり濃厚エリート血統詰め合わせ。

2歳時は欧州最高の2歳戦デューハーストステークスを含む5戦全勝。まさにぶっちぎりの活躍を見せて英愛両国で最優秀2最牡馬に選出、今後を嘱望される若き優駿の登場に馬の者の期待は有頂天。
が、3歳の春先に厩舎の元厩務員崩れのクソガキチンピラに鬣や尻尾を切られるという事件が起きると、それでメンタルに罅が入ったか一気に調子を崩し、脚を負傷するわ風邪引くわで、上半期は一度もレースに出せずじまい。
夏場に総額2800万ドルというちょっと何言ってるかわからない巨額のシンジケートが組まれたこともあり、箔付けも兼ねて凱旋門賞への出走が決まる。ところが前哨戦で9頭立ての7着と惨敗してしまい、凱旋門賞に出ることなくレースを去った。

種牡馬としてはケンタッキー州のアッシュフォードスタッドで供用され、総計63頭のステークスウィナーを輩出。
産駒傾向としては仕上がりが早く頑健で、欧州の重い芝や北米のダートを苦にしないゴリゴリのパワー型が多い。カナダ産なのに継承因子はダイナミックなアメリカンなのね。
また、仕上がりが早い分早熟かつ枯れるのも早いが、早熟馬が人気で4歳くらいでスパッと引退することが多い北米ではあまり気にされなかったとか。

代表産駒はGⅠ1勝ながら親父を超える勢いで種付け無双しまくったチート種牡馬ストームキャット、仏オークスでミエスクをボコったGⅠ9勝の名牝インディアンスキマー、英オークスと愛ダービーを戴冠したバランシーン、エーピーインディの兄でプリークネスステークスを勝ったサマースコールなど。
なお、ストームバード系は実質ストームキャット系に塗り替えられた模様。偉大な親父と息子に挟まれた影薄な大種牡馬とか、こいつもニアークティック枠かい

99年に受精率低下から種牡馬を引退し、04年に老衰で死去。24歳だった。


ディキシーランドバンド

こいつも競走馬としては大成できなかったが種牡馬入りして覚醒枠。
通算成績24戦8勝のうちグレードレースはわずかに2勝、しかも強者不在の微妙な布陣。さらにクラシック戦線では前哨戦でボコられ大レース出走回避を繰り返し、GⅠレースに出走叶えば容赦なくフルボッコされて轟沈と、どうあがいても二流馬としか評価できないものだった。
それでも24戦してケロッとしてたのと、母ミシシッピマッドが頑丈かつGⅠ勝鞍を持つ活躍馬だったこともあってか、馬主がデラウェア州に持ってた牧場で種牡馬入り。戦績が祟ったのと馬産の中心地から外れてたこともあり、当初は繁殖牝馬にあまり恵まれなかった。
ぶっちゃけ期待してたのは馬主と安くノーザンダンサーの血を付けられる中小生産者くらいのものだったろうし、その期待だって戦歴相応にささやかなものだったはずだ。

が、ここから元ポンコツ競走馬の逆襲が始まった。初年度からいきなり3頭の重賞馬を送り出すと、その後もコンスタントに活躍馬を出すわ出すわの大活躍。いつしか産駒のステークスウィナー数は117頭に達し、ノーザンダンサー産駒の中でも大成功したマジチン筆頭格に昇格。
なんとなんと、ノーザンダンサー後継種牡馬のステークスウィナー輩出数七傑*33に食い込んでみせたのだ。下剋上ってレベルじゃねーぞこれ

産駒傾向も多岐にわたり、芝よしダートよし、スプリントGⅠよし世界最長芝GⅠアスコットゴールドカップ連覇よし。距離も馬場も必ず産駒の誰かが対応してるという、ノーザンダンサー系の適応力をフルに活かして活躍した。
産駒の有名どころは初年度産駒にしてアスコットゴールドカップを連覇したクソ強ステイヤードラムタップス、スプリント〜インターミディエイト路線でGⅠ2勝したディキシーユニオン、仏オークス馬エジプトバンドなど。
母父としても米ダービー馬を2頭輩出するなど活躍し、日本ではデルタブルースやサウンズオブアースの母父として有名。


エルグランセニョール

馬主サングスター氏・オブライエン師調教の、ノーザンダンサー産駒が辿る黄金パターンに乗った馬。乗られる側なのにね
ちなみに先述のトライマイベストの全弟で、後述のサドラーズウェルズは同世代産駒にして同厩の戦友。
デューハーストステークスや英2000ギニーを含む、6戦6勝の文句なしにぶっちぎりな戦績を引っさげてエプソムダービーに出走するも、これまたノーザンダンサーの同世代産駒セクレトとの叩き合いに破れ、アタマ差及ばぬ2着。
距離不安という悪評を叩き潰すべくアイリッシュダービーに出走、こちらは2着に1馬身、3着には6馬身差つける余裕の走りで勝利した。
その後はKGⅥを経て凱旋門賞に出る予定だったが、脚部不安から渡米。後脚蹄の破傷組織を除去しレース復帰を目指すも叶わず、無念の引退となった。

引退後はテイラー氏の本拠ウインドフィールズファームで種牡馬入りし、後にクールモアが所有するケンタッキー州のアッシュフォードスタッドに移動している。
受精率が低く、生涯産駒数は400頭ほどと言うほど多くはなかったが、競走馬登録された333頭中8割弱が勝ち上がり、ステークスウィナーもきっちりばっちり送り出している。ノーザンダンサー産駒種牡馬最強軍団には劣るが、それでも十二分な活躍と言えるだろう。
馬場や距離を問わず仕上がりも早く、おまけに成長力まで完備。産駒傾向はまさに万能だった。
後継種牡馬には恵まれておらず、どちらかといえば母父からの牝系の方が活躍は多い。
代表産駒はKGⅥの勝ち馬ベルメッツ、英愛でGⅠ5勝を挙げたロドリゴデトリアーノ、米国でGⅠ1勝した以上に繁殖牝馬として無双したトゥソードなど。

受精率がめっきり減った00年に種牡馬引退、06年に老衰で25歳没。


サドラーズウェルズ

英国の同名劇場の名を戴く大種牡馬。上記エルグランセニョールは同父同厩の戦友兼ライバル。ちなみに母フェアリーブリッジの半弟に前述のヌレイエフがいたりする。
エルグランセニョール同様のノーザンダンサー産駒黄金パターンでデビューし、2歳時を2戦2勝でまとめたが、3歳始動戦でエルグランに破れ、英国三冠ルートの裏街道を進むことに。
その後はアイリッシュ2000ギニーを勝ってジョッケクルブ賞(仏ダービー)も2着。その間に愛ギニーでボコったセクレトがエルグランを撃破、さらにエルグランが負傷引退。厩舎のエースに押し上げられることに。
次走エクリプスステークスをレコード勝ちして名を高めつつKGⅥに出走するが、こちらは前年英ダービー馬ティーノソの2着。
その後は勝ったり負けたりで凱旋門賞に出るも、サガスから20馬身近い大差の8着と轟沈。通算11戦6勝の成績を残し3歳限りで引退した。
引退時点では「クラシックディスタンスだと甘くなるマイル〜インターミディエイト専」「エルグランセニョールよか小物やんか」という評価で、アイルランドで種牡馬入りした当初はそんなに期待はされてなかった*34のだが……

はい、この手の書き方の黄金パターン入りまーす。

ノーザンダンサー後継種牡馬の後期最高傑作と言えばこの男、サドラーズウェルズ

いやもう本当にそんなレベルで大活躍。
初年度産駒からいきなり仏愛ダービー二冠のオールドヴィック、古馬開眼したインザウイングスを輩出し、2年目以降もエルコンドルパサーの夢を叩き潰したフランス総大将モンジュー以下、世紀末覇王の親父殿にしてKGⅥでダンシングブレーヴ最強産駒をねじ伏せたオペラハウス、凱旋門賞馬カーネギー、英愛ダービー二冠の名馬にして10年連続リーディングサイアーの無双種牡馬ガリレオ、ハードル無双イスタブラクなど、まさに綺羅星の如き名馬を出すわ出すわ。
13年連続英愛リーディングサイアー、通算14回というちょっと何言ってるかわからない……どころではなく余裕のセントサイモン超えである。おまけに通算14回のリーディングサイアー獲得は18世紀の無双種牡馬ハイフライヤー(13回)超え。
傾向としてはスタミナ・パワー型の欧州馬場に特化しているとも評され、障害競走でも実績を出しているが孫世代のテイエムオペラオーやアメリカの芝競争でも一定の成績は残しており、後期最高傑作というのは伊達ではない。
このハイフライヤー、血の飽和と閉塞でセントサイモン同様急激に子孫が衰退した、というか繁栄しすぎた血統ってクロスが強くなりすぎるので普通そうなるのだが……サドラーズウェルズ?ガリレオがしっかり後を固めてさらに播種しまくったけど何か?
そんなわけで種牡馬無双顕現して世界中で産駒がヒャッハーしたサドラーズウェルズだが、これだけ無双しても子孫の繁栄度ではダンツィヒ系に負けてるんだよなぁ……マジで何なのあの系統

08年に種牡馬を引退後は功労馬として穏やかな余生を送っていたが、11年に30歳で大往生した。
なお、全弟のフェアリーキングも大種牡馬であり、ファルブラヴなどの名馬を多く輩出。兄貴の代替種牡馬などでは終わらないことを天下に示してのけた。ちなみに兄貴の系譜は中長距離、弟は短距離マイルと、産駒の距離適性が見事に分かれてることでも有名だったりする。






追記・修正は世界を己色に染め上げ……るのは無理なので普通にお願いします。

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最終更新:2025年01月02日 00:20

*1 と言いつつ、種付けされたのはネアルコが種牡馬として供用されていたイギリスで、いわゆる持込馬に微妙に近かったりするのだが

*2 これだけ長く走って4割半ば勝てる、という時点で大概とんでもない話である。本邦で出走数が比較的近い[[イクノディクタス>イクノディクタス(競走馬

*3 ただし、だいたいノーザンダンサーと愉快なチート産駒たちが種牡馬無双したのが理由

*4 ノーザンダンサー以外だとミスタープロスペクター、アリダー、シーバードなど。日本だと芦毛伝説第二章ことオグリキャップが該当する

*5 例によってヤード・ポンド法系列単位。ヤード・ポンド法死すべしジヒはない。1ハンド=4インチ=約2.5cm。つまり15ハンドでだいたい150cm台前半である。ちなみに馬体の体高は肩甲骨の間の隆起までの高さで計測する

*6 ノーザンダンサーより2歳上のディサイデッドリー。この馬はテイラー氏ではない馬主からの預託である。テイラー氏と親交深くはあるが、別に彼の厩舎はテイラー氏専属ではなかった

*7 主に気性がヤバすぎたりして去勢された元牡馬。日本において去勢は対バーサーカー用の最終手段だが、海外ではわりかし行われている。ちなみに自前で生産しないことと調教やレース時の従順化を重視してるため、香港勢とシンガポール勢はほぼ騸馬である。また、種牡馬引退後の功労馬もよほど温厚でない限り去勢される

*8 後に米国史上最強馬の一角・「マンノウォーの再来」「2代目ビッグ・レッド」セクレタリアトの主戦騎手となる男。米加両国で騎手殿堂入りし、競馬関係者として初めてカナダ勲章を授与されたレジェンドジョッキー

*9 ディサイデッドリーがケンタッキーダービーを勝ったときの鞍上。ケンタッキーダービー通算5勝、通算4,272勝のレジェンドジョッキー。ちなみに同じウィリアムのシューメーカー騎手とは不仲だったそうな

*10 「マンノウォーの再来」「2代目ビッグ・レッド」と謳われた、米国競馬史上最強馬の一角。馬主の病死と相続税捻出の煽りを受けて種牡馬シンジケートが組まれ、アホほど強くまだ余裕で走れるのに3歳で引退を余儀なくされたが、2歳デビュー〜引退までの間で21戦16勝と他馬を蹂躙しまくり、米国三冠競争を全てレコード勝ちしたとんでもないヤツ。特にベルモントステークスでの31馬身差2分24秒というダートクラシックディスタンスのワールドレコードは、ほぼ確で永遠不滅の大記録

*11 カナダ競馬のダービー相当レース。当時はダート10ハロンだったが、現在はポリトラック馬場の同距離開催。ちなみに英国連合のトップの性別次第でレース名を変えており、2024年現在はキングスプレートになっている。

*12 ジョッキークラブゴールドカップ5連覇、ワシントンDC国際ステークスを芝のステークス競争未勝利ながら4馬身半差完封、しかも両レースでワールドレコードなど、ちょっとイミフな記録を同年に叩き出した米国史上最強騸馬。御年7歳はいくら騸馬とはいえ、競走馬としては大長老である。ちなみに9歳まで余裕の現役だった模様。とんでもねえタフネスジジイだな!?

*13 日本競馬史上初の「五冠馬」にして「神馬」。「シンザンを超えろ」は当時の日本のホースマンの至上命題であり、七冠戴く永遠の皇帝・シンボリルドルフ登場までの約20年間果たされることはなかった

*14 ミスタープロスペクターの親父殿にしてネイティヴダンサー直系。アリダーやマジェスティックプリンスなど多くの活躍馬を輩出した大種牡馬

*15 19世紀最後期に種牡馬として世界最大の無双っぷりを披露したやべーの。期待されない血統に変な馬体で10戦無敗のまま故障引退と、超天才とマジキチは紙一重を地で行った存在として有名。直系は繁栄しすぎて特濃近親交配で血が飽和しほぼ断絶、とコントのオチのような末路を辿ったが、血統背景への影響力はネアルコ同様とんでもない御方。まあ例によってノーザンダンサーと愉快な産駒たちが種牡馬無双したからなんだが

*16 セントサイモンの奇跡の血量を持つ大名馬にして偉大なる種牡馬。直系子孫はほぼ断絶状態だが、ノーザンダンサー&産駒無双で血統背景としては今なお凄まじい広がりを持ち、ネアルコやセントサイモンよろしくハイペリオンフリーの競走馬はほぼ存在しない

*17 ナタルマの母。産駒成績は可もなく不可もなく程度だったが、その産駒の牝馬がヘイローを産むわノーザンダンサーを産むわと大活躍……というかこの2頭の祖母ってだけで繁殖牝馬として超級の成果、何なら競馬史に金文字で記されるレベルである。孫の世代にやべーやつというのは地味にネイティヴダンサーと同じであり、ノーザンダンサーが活躍したのはこの特性がダブルで発動したからというヨタ説も

*18 特に3歳前半は遊びながら圧勝してるレベル。他馬との格が違いすぎて、競った馬が逆に可哀想に感じるかもしれない

*19 エプソムダービーでダンシングブレーヴに勝ち、凱旋門賞では逆にフランス総大将ベーリングもろとも撫で斬り一閃にされた馬。ダービー二冠という時点で大概やべーやつだし、凱旋門賞で叩き合ったベーリングは不滅のレコードを持ち鬼の末脚を誇るたいへんやべーやつなのだが、凱旋門賞でのダンシングブレーヴは神話級にやべーやつだったので……

*20 エプソムダービー、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス、凱旋門賞

*21 デビュー戦含め4戦4勝、競走馬としてはガチの無敗神馬だった。……が、種牡馬として33億円の超高額で日本にやって来てからはノーザンダンサーの強いクロスが災いし無事大失敗、購入した日高の皆さんに地獄を見せた。なにしろ当時の繁殖牝馬、優秀どころはほとんどマルゼンスキーの血が混じってたから、まともに種付けできる良血牝馬がいなかったのだ。産駒も全然走らず、ノーザンダンサー系で遺伝しないタイプのやべーやつというのも珍しい。母父として2011年春天勝利馬ヒルノダムールを出したのが救い……なのか?

*22 両親が全く同じ兄馬

*23 この御仁も76年から3年連続カナダリーディングサイアーとかやってる地味に凄い馬。つまり兄弟合計で14年連続カナダリーディングサイアーである。やべーやつの兄貴も大概やべーやつだった。後に日本に輸入され、本邦ではゴールドシチーの親父殿、またはパドックと地下馬道でジョバーしてたマーベラスサンデーの母父として有名。ぶっちゃけ日本に来るよりカナダにいた方が長生きと活躍できてたんじゃないの?

*24 種牡馬としては中央重賞3勝のウキヨノカゼを輩出している

*25 言わずと知れた日本最大の競走馬生産牧場グループ。ここに書ききれないほど日本競馬史に残る数々の名馬を生産し、現代の日本競馬界において絶大な影響力を誇る存在である。とは言え、ノーザンテースト購入時はまだまだ中規模牧場の一つに過ぎなかった。

*26 そもそもGⅠ勝ってる時点で競走馬としてはエリート中のエリートの上澄みなのだが、まあそこは置いといていただきたい

*27 体が小さく、短い足と大きな頭を有するという独特の風貌の持ち主だった。ちなみに買ってくるよう頼んだ吉田善哉氏も、いざノーザンテーストを見たところ「こんな小柄でにぎやかな顔の馬は成功するわけない、照哉に任せたのが失敗だった」と嘆いたという。最も善哉氏も善哉氏で、晩年にアメリカで種牡馬としての価値が全く見出されなかったサンデーサイレンスを大枚を叩いて購入し、アメリカ競馬界から笑い者にされたのだが。

*28 ミンストレルとは吟遊詩人の意

*29 ニジンスキーの調教師としても有名。そらアイルランド調教師全一にもなるわな

*30 米国三冠馬サイテーション以来の16連勝を叩き出したダートのやべーやつ。芝ではパッとしなかったがダート転向直後に覚醒&無双した

*31 米国三冠競争こそ勝てなかったものの、最優秀2歳牡馬を勝ち取りGⅠ7勝を挙げ、種牡馬としても父の面目を施したスーパー孝行息子

*32 4歳まではなかなか勝ちきれないもどかしい状況が続くが、米国に移籍し5歳になって覚醒。芝のGⅠレースを6勝し、種牡馬入りしても多くの活躍馬を世に送り出した遅咲きのトップホース

*33 本馬を除くと155頭のニジンスキー、115頭のリファール、188頭のダンツィヒ、135頭のヌレイエフ、323頭のサドラーズウェルズ、そして日本ゆえステークスウィナーという概念が薄く計測しようがないが、実績的にほぼ確のノーザンテースト。ちょっとサドラーズウェルズだけ次元が違いすぎない?

*34 それでもGⅠ3勝できる時点で大概ぐうの音も出ない優駿なのだが、ダービー馬のエルグランセニョールと比較しちゃそりゃねえ……