C.エレガンス

登録日:2024/06/22 Sat 13:50:54
更新日:2024/06/24 Mon 09:54:46
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人類の暮らしに大きく貢献している生物」と聞いて、wiki籠りの皆様はどんな生物を思い浮かべるだろうか?

人類の良き友、頼もしい相棒であるイヌやネコ、ウマといった動物。
人類の目や心を癒してくれる美しい花々。
人類のあくなき食欲を満たしてくれる様々な家畜や作物。
残酷だが、その命を代償に多くの人々を救ってきた数多くの実験動物やモデル生物。

利己的で人類至上主義な考えかもしれないが、人間の歴史において、様々な生物が発展や進歩に貢献してきたことは確かである。

そんな数多くの生物、特に人間によって様々な実験に用いられていた「実験動物(モデル生物)」の中に、幾多ものノーベル賞に貢献してきた、物凄い功績を持つ種類がいるのはご存じだろうか。
その名は「カエノラブディティス・エレガンス(Caenorhabditis elegans)」、通称「C.エレガンス(C.elegans)」。

文字だけ見ると、いかにもエレガントで美しそうな生物……なのだが、
最初に言ってしまうとその正体は、ニョロニョロと動く、エレガントとは程遠い外見の動物「線虫」の仲間。
しかも、その姿は顕微鏡を使わないとはっきり見えない程小さなサイズなのである。

こんな小さくてニョロニョロした、下手すればキモく感じてしまいそうな動物が、どうして多くのノーベル賞に貢献するほどにまでなっているのだろうか。

この項目では、現代科学、現代医療を支える、縁の下のエレガント(?)な動物、「C.エレガンス」について解説する。

【目次】


【概要】

<そもそも線虫って?>

線虫(せんちゅう)」というのは、文字通りニョロニョロした細い糸のような形の動物で、専門用語で「線形動物門(せんけいどうぶつもん)」と呼ばれるグループに属する。
体は昆虫と同じ「クチクラ」と呼ばれる固い物質に覆われており、脱皮をして大きくなることが知られている。
人間に寄生する「回虫(かいちゅう)」や「蟯虫(ぎょうちゅう)」、激痛の原因「アニサキス」、松を枯らす「マツノザイセンチュウ」、農作物に甚大な被害を与える「ダイズシストセンチュウ」「ジャガイモシストセンチュウ」のように人間生活に被害を与える種類が代表的。
それらばかりが目立ったせいでそれ以外の種類=人間生活に迷惑をかけずひっそりと暮らす線虫の研究は長年進んでいなかったが、本格的に研究が進む中で、その種類は海底から地上まで非常に膨大である事が判明。
多く見積もって、なんと1億種もの線虫が存在する可能性が指摘されているほどである。

そして、今回紹介する「C.エレガンス」も、本来はそんな自然界でひっそりと暮らしている線虫の一種である。

<概要>

冒頭でも述べた通り、「C.エレガンス」は顕微鏡サイズの小さな線虫の仲間で、大きさは1mm程。
透明な体を持ち、外からも体の中が丸見えである。
基本的に雌雄同体で、自らが作った精子と卵子を体内で受精させ、卵を作って繁殖する。
ただし、性別を決める「性染色体」の配列の都合上、ごく稀にオスが生まれる事があり、そのオスと交尾をする事も可能である。
1匹の雌雄同体の個体が産む卵の数は生涯で300個で、生まれた幼虫は脱皮を繰り返して大人になる。
寿命は餌が豊富な場合僅か1ヶ月だが、餌が不足する、温度が合わないなどの不利な条件下になると絶食に耐える事が出来る形態(dauer larva)に変化し、数ヶ月休眠する事が出来る。

ミクロサイズと言う事もあって細胞(細胞核)の数は非常に少なく、雌雄同体の個体は959個、オスはおよそ1033個しかない。
しかし、数は少なくてもそれぞれの細胞は合理的に配列され、体の表面は勿論、筋肉や消化管、神経、生殖細胞など様々な器官が存在している。
特に、神経細胞は僅か302個だけしかないが、刺激を嫌ったり化学物質を使った餌付けが出来たり、非常に優れた機能を持つ。
また、目は存在しないがその分嗅覚が非常に優れており、嗅覚に関する遺伝子の数は1200種類と人間(400種類)や犬(800種類)を上回る。
ちなみにこう見えて細菌を食べる獰猛(?)な細菌食性で、実験室では培養した大腸菌を餌として使う場合が多い。

C.エレガンスの正式な学名である「カエノラブディティス・エレガンス(Caenorhabditis elegans)」は、「エレガント(elegans)な新しい(Caeno)桿線虫(かんせんちゅう)(rhabditis)」という意味。
桿線虫(かんせんちゅう)」というのはかつて考えられていた線虫のグループの事で、「新しい」と言う前置きは、1950年代に分類の見直しが行われ現在の学名に変更された際に付けられたものである。
一方、「エレガンス」という線虫にしてはお洒落過ぎる名前は、動く際に綺麗なラインカーブを描く様子に命名者が惹かれた事が由来らしい。

なお、和名は現状付いておらず、略称の「C.エレガンス」が事実上の和名として扱われている他、
たまに「エレガンスセンチュウ」として紹介される事もある。

<実験動物に選ばれた理由>

実験動物と聞くと、マウスやラット、モルモット、ショウジョウバエなど様々な動物が思い浮かぶかもしれないが、
そんな中でミクロサイズ「C.エレガンス」も1950年代以降、様々な実験に使えそうな動物の候補として検討されるようになった。
その理由として、以下のようなものが挙げられる。

①細胞数が少ない割に様々な器官が揃っている
先程も解説した通り、C.エレガンスの細胞の数は僅か900~1000個程しかないが、それにもかかわらず人間と同じように表皮や筋肉、消化管、神経などの器官がばっちり揃っている。
つまり、人間のような構造が僅かな細胞で再現されているため、研究に使うにはもってこい、という訳である。
また、C.エレガンスの細胞数はランダムではなく全ての個体で統一されているため、細胞の数が違うという変異が分かりやすい。

②体が透明なので細胞が丸見え
C.エレガンスは無色透明のスケルトンボディを持っているため、体がスケスケである。
そのため、遺伝子を弄ったり特殊なたんぱく質を体内に入れたりした時、外部から変化が分かりやすい。

③一生のサイクルが早い
先程も述べた通り、C.エレガンスの一生は僅か1ヶ月であり、生まれてから4日には既に成虫になり、卵を産み始める。
つまり、細胞に変化を起こさせた時、成長にどのような影響が出るのか、子孫はどうなるのか、などの研究結果があっという間に分かるのである。

④雌雄同体の個体が1匹で繁殖するので遺伝子がほぼ均一
C.エレガンスは雌雄同体であり、しかもその個体が体内で自己受精を行ってしまう。
これは、遺伝子レベルで考えると1つのタイプの遺伝子だけをシャッフルするという事になり、完全に同一のクローン程ではないが、遺伝子がほとんど同じ、専門用語でいう「均一」な状態になる。
遺伝子を調べる際、これは様々な個体で比較したりする場合など非常に便利である。

⑤冷凍保存が可能
実はC.エレガンス、ひ弱そうに見えて低温に非常に強く、マイナス200度近い状態にして凍らせても、解凍すれば復活する事が出来る。
そのため、液体窒素を用いた凍結保存が可能であり、場合によっては何十年も保存が出来てしまうのだ。

これらに加え、実験動物として使うための研究の過程で、C.エレガンスは受精から誕生までの細胞の増殖や移動、変化も克明に記録され、突然変異が起きた際に一発で分かるほどにまでなった。
更に、1990年代には人間の遺伝子の全配列を解読する「ヒトゲノム計画」の前準備としてC.エレガンスの遺伝子配列が多細胞生物として初めて全て解読され、そちらの分野にも大きく貢献した。
なお、その際にC.エレガンスの持つ遺伝子の40%は人間にも共通して存在する事が発見されている。

このように、「実験」に用いるのにうってつけの条件や特徴が揃ったC.エレガンスは、生物に関する様々な研究に多用されるようになったのである。

【C.エレガンスとノーベル賞】

ゆりかごから墓場までの一生、遺伝子配列、体内の構造、あらゆる要素が人間の前に丸裸にされたC.エレガンス。
そんな実験動物を用いた研究は現在に至るまで数多く存在し、あのNASAやJAXAを始めとする各国の宇宙機関の共同プロジェクトによって宇宙に持ち込まれた個体も存在する。
そして、その中には科学の権威たるノーベル賞に選ばれた研究もあるのだ。しかも1つではなく、3つも。
以下、そんな物凄い研究成果を紹介する。

◇2002年:ノーベル生理学・医学賞
生物に詳しくない人も一度は聞いた事があるかもしれない「アポトーシス」に関する研究が対象。

「アポトーシス」というのは、一部の細胞があらかじめ決まった時期や条件に達すると自ら死んでしまう現象の事。
オタマジャクシがカエルになる際に尻尾が無くなるのも、人間の指の間に隙間が生まれるのも、人間の体内の中で現れた癌細胞のほとんどが死滅するのも、このアポトーシスの代表例である。
実はこの研究において大いに役立ったのが、全ての細胞の数や成長の仕方が判明しているC.エレガンス
体は小さくても、C.エレガンスも受精卵の段階から発生する過程で「アポトーシス」を起こしていたのである。

受賞の対象になった3人のうち、シドニー・ブレナーは「C.エレガンス」を本格的に実験動物として定着させた事、ジョン・サルストンはC.エレガンスからアポトーシスを発見した事、
H・ロバート・ホルビッツはこのアポトーシスが起きない変異体を解析し仕組みを調べ上げた事が功績として挙げられている。

◇2006年:ノーベル生理学・医学賞
アンドリュー・Z・ファイヤーとクレイグ・メローが受賞。

生物学を学んだ皆様はご存じかもしれないが、DNAに刻まれた情報をタンパク質という「形」にする過程を「セントラルドグマ」と呼ぶ。
新世紀エヴァンゲリオン』でもこの名前を聞いた事がある人は多いだろう。
2本の鎖がらせん構造になっているDNAの情報を一旦1本の鎖の「RNA」、専門用語でいう「メッセンジャーRNA(mRNA)」に転写し、これを基にその時に必要なタンパク質が産出されるというのが、一連の流れである。

ところが、このmRNAに、短い1本鎖のRNAが引っ付くと、タンパク質を作る工程、専門用語でいう「翻訳」が出来ない状態になってしまう。
これを「RNA干渉(RNAi)」と呼ぶのだが、この現象が最初に発見された生物がC.エレガンスなのである。

何故こんなタンパク質を作る工程を防いでしまう機能を持っているのか、という理由に関して、最も有力なのはウイルスへの対抗策という説である。
ウイルスは自分自身のDNAやRNAを細胞内に注入し、次々に自身のコピーを作り出してしまう。
この緊急事態に対抗するため、ウイルスのRNAにわざと短いRNAをくっつけさせ、コピーの生成を防ぐ、という訳である。
ミクロサイズのC.エレガンスも、ウイルスに対する防御策をしっかり持っているのだ。

このRNA干渉の仕組みを応用すれば、厄介なウイルスや難治ながん細胞を、短いRNAの鎖を注入する事で消滅させることができるかもしれない他、
有害なたんぱく質を生成してしまうアルツハイマー病の遺伝子を阻害する事も可能だと考えられている。
他にも、「ノンカフェインのコーヒー豆」「ニコチンが無いタバコ」「アレルギー源(アレルゲン)を抑えた食料」など、遺伝子組み換えの分野においても、RNA干渉は大いに注目されている。

C.エレガンスを使った研究が、皆様の暮らしを大きく変えるかもしれないのだ。

◇2008年:ノーベル化学賞
wiki籠りの皆様の中には、「オワンクラゲ」というクラゲを使った研究で、日本の科学者・下村脩がノーベル賞を受賞した事を覚えている人がいるだろう。
1960年代にオワンクラゲに含まれている緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見した功績を称えたものだが、
それから数十年後、このタンパク質を合成する配列が刻まれている、専門用語でいう「発現させる」遺伝子が発見され、これを組み込んだC.エレガンスの特定の細胞が緑色に光る事が確認された。
これにより、GFPに関係したこの遺伝子はオワンクラゲのみならず様々な生物でも有効に使える事が実証され、
目的とする遺伝子が働いているかどうか、光ってお知らせしてくれる「レポーター遺伝子」として大いに活用される事になったのである。
オワンクラゲに隠れて地味だが、C.エレガンスもしっかりこの偉大な研究の中で光り輝いたのだ

この功績により、下村と共にマーティン・チャルフィー、ロジャー・Y・チエンがノーベル化学賞を受賞している。

【C.エレガンスのがん検診】

そんなC.エレガンスだが、2010年代以降、新たな形で皆様に貢献するようになっている。

「概要」の欄でも述べた通り、C.エレガンスは非常に優れた嗅覚を持ち、僅かな匂いでも嗅ぎ分けて反応を変える事が出来る。
これを活かした研究により、がんで闘病中の患者のおしっこに含まれる僅かな独特の臭いに、C.エレガンスが引き寄せられる事が判明した。
つまり、C.エレガンスを活用すれば、僅かなおしっこを使うだけでその人の体内でがん細胞が増殖していないか、事前に探知する事が可能となるのだ。
しかも、研究ではそれまでの腫瘍マーカーと比べて非常に高性能である事、僅かな匂いでも反応するため早期発見にも貢献する事など、様々な利点が提唱されている。

日本を中心に研究が進められているこの新たながん検診は、少しづつだが認知度が広がっているようで、最近はCMも流されている。
透明な体のようにいまいち存在感が薄いC.エレガンスの知名度も、もしかしたら少しづつ上がっていく……のかもしれない。

【近縁種など】

非常に様々な形で研究に貢献しているC.エレガンスだが、実は1つだけ欠点が存在する。
生物の進化など様々な研究を行う際に、特定の生物と近い種類の生物との体形や構造、遺伝子の比較がよく行われるのだが、
それに使うC.エレガンスに近い種類の線虫が現状なかなか見つかっていないのである。

一応、C.エレガンスと同じ「カエノラブディティス属(Caenorhabditis)」の線虫の仲間として「C.ブリグジー」こと「カエノラブディティス・ブリッグサエ(Caenorhabditis briggsae)」や「カエノラブディティス・レマネイ(Caenorhabditis remanei)」が存在しており、前者は全ての遺伝子配列の解析も完了しているのだが、
これらは同じ線虫でもC.エレガンスから系統学的に相当離れた立場にあり、例えていうなら「ヒト」と「ネズミ」ほど違う種類なのである。
そこで、研究者は世界各地からC.エレガンスに近い種類の新たな線虫を捜索しており、日本からもその候補として2018年に石垣島のイチジクの木の実から新種の線虫「カエノラブディティス・イノピナータ(Caenorhabditis inopinata)」が発見されている。

一方、これら「カエノラブディティス属(Caenorhabditis)」の線虫とは異なるグループの線虫「プリスティオンクス・パシフィカス(Pristonchus Pacificus)」も実験動物として多く使われており、遺伝子解析やC.エレガンスとの比較実験も行われている。
こちらもC.エレガンスと同様に細菌を食べる一方、栄養状態が悪くなると口の形が変形し、他の線虫を襲って食べるようになる。
また、野生個体の生態もC.エレガンスとは異なり、幼虫は昆虫(甲虫)の表皮に休眠状態で待機し、昆虫が死ぬと成虫になり、死骸に湧いたカビや細菌、別の線虫を襲って食べる捕食者として君臨する。
ただし、飼いならされた実験室の個体は、寒天培地の上で大腸菌を与えられ(一応)ゆったりとした生活を営んでいる。


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最終更新:2024年06月24日 09:54