窓ぎわのトットちゃん

登録日:2024/08/11 Sun 17:46:00
更新日:2024/09/14 Sat 21:06:50NEW!
所要時間:約 10 分で読めます





この本を、亡き、小林宗作先生に捧げます。


窓ぎわのトットちゃん』とは、タレントの黒柳徹子が執筆した自叙伝である。
なお、本項では作中での登場人物としての黒柳を指す場合は「トットちゃん」と表記する。


【概要】

黒柳がトモエ学園に入学した時から第二次世界大戦により青森県へ疎開する直前のことを描いている。
多少の脚色はあるもののほぼ完全なノンフィクション作品なので、黒柳の幼少期の日常だけでなく、1930年代後期~1940年中期の東京都の日常や風俗を知ることのできる貴重な資料ともなっている。
特に後半では段々と戦争の足音が日常にも聞こえるほどになっていることがハッキリとわかる描写があり、なにより戦争とは直接関係ないもののクラスメイトのが描かれているため、見る人によっては暗い気持ちになってしまうかもしれない……。

2023年には完全な続編として『続 窓ぎわのトットちゃん』 が刊行。
集団疎開で青森県に行き、戦後NHKの専属タレント*1として活動し、ニューヨークに留学するまでが書かれている。
かつては「トモエ学園のエピソード以上に面白いものを書けない」という理由で完全続編を書くことなく過ごしていたが、2022年から始まったロシアとウクライナの戦争のニュースを見ていくうちに「戦争のときに子どもだった自分はどうだったか思い出し、書こうと思った」ということで42年の時を経て執筆・刊行した。


【映像作品】

大ヒットしたのにも関わらず、映像化は黒柳の意思で一切行われていなかった。その大きな理由は「校長先生を演じられる人はいない」とのことで、出版直後に映画化ドラマ化のオファーが複数あったものの上記の理由で全て断っていた。

だが、出版から36年後の2017年に『トットちゃん!』というドラマにてようやく映像化が成された。この作品は幼少期から今までの黒柳のことを描いたものであるため、『トットちゃん』原作の描写はそれほど多くなかったが、長い時を経て映像化されるということに多くのファンが驚いていた。
ちなみに肝心の小林先生は竹中直人が演じていた。

そして2023年には、全編『窓ぎわのトットちゃん』のみで構成された同名のアニメ映画がテレビ朝日開局65周年記念作品として公開された。
黒柳を始めとした生徒役はリアルさを重視して小学生の子役が起用されている。小林先生の声を担当したのは役所広司。


【あらすじ】

小学1年生のトットちゃんは、学校にチンドン屋を呼び寄せたり、机をひっきりなしに開けたり閉めたりするなどの理由で、学校の先生から他の児童の迷惑になるということで入学してからわずか数ヶ月で退学させられてしまう。
そんな折、トットちゃんの母親は小林宗作によって設立されたトモエ学園の存在を知り、娘の性格に合うと思い彼女をそこへ通わせることに。

校舎が電車になっており、各々自由に過ごすことができる不思議な学校に、トットちゃんは興奮し毎日を楽しく過ごすようになる。
だが、戦争の影響がやがてトットちゃん達にも及び始めて……。


【登場人物】

黒柳家

実際の黒柳には弟妹がいるが、この話では何故か存在が省かれておりまるで一人っ子のように描かれている。

トットちゃん(黒柳徹子)
この物語の主人公。
天真爛漫な性格で、老若男女どころか種族問わず仲良くできるほどの高いコミュニケーション能力を持つ。
物心ついた時から自分のことを「トットちゃん」*2と称していたため、次第に父親以外の周りからもそう呼ばれるようになった。
尋常小学校に入学するも、たった数ヶ月の間でチンドン屋を呼び寄せたり、机をひっきりなしに開けたり閉めたりするなどの度重なる行為により退学させられ*3、トモエ学園へ転入。
最大の理解者となる校長先生や、個性豊かなクラスメイトたちとの出会いを経て、トットちゃんが得たものとは?

トットちゃんのパパ(黒柳守綱)
NHK交響楽団の前身となる新交響楽団所属のバイオリニストで、コンサートマスターでもある。
周りが娘のことを「トットちゃん」という中、彼は「トット助」と呼んでいる。
戦争が激しくなる中、慰問のために軍歌を弾くよう要請されるが、弾いたら充分なお金が貰えると知りつつも自身のバイオリンでそれを弾きたくないと固辞するなど、自身の音楽に強い信念を持つ。

トットちゃんのママ(黒柳朝)
退学宣告された娘を一切叱ることはなく、彼女が生き生きと学校生活を送れるようにとトモエ学園へ通わせる。
また、自身の信念の為に軍歌を弾かない夫の姿を見て、「それでいい」と理解を示すなど、夫にも強い信頼を置いている。
自身も『窓ぎわのトットちゃん』人気に肖り、自叙伝『チョッちゃんが行くわよ』を出版。後に『チョッちゃん』のタイトルで朝ドラ化される。*4

ロッキー
黒柳家のペットの(シェパード)。
黒柳とは種族の違う兄弟のようなもので、毎日のように楽しく触れ合っていた。
「オオカミごっこ」をしている時に誤ってトットちゃんの耳を噛みちぎりかけるところだったが、彼女の強い説得により大きな罰を受けずに済む。
しかし、物語終盤で突如消え去ってしまう。
母親は「ロッキーはどこかに行ってしまった」とだけ伝えそれ以上のことは言わなかったものの、娘は納得した素振りを見せる。が、二度とロッキーに会えないと悟り、トットちゃんは大声で泣いたのであった……。



トモエ学園


小林宗作
トモエ学園の校長先生にして、黒柳が冒頭の献辞を寄せるほど慕い続けている恩師
金子家の婿養子になっており、それに伴って本名は金子宗作であるが仕事や著作活動では旧姓の小林のまま。

東京音楽学校(現:東京藝術大学)卒業後、音楽の専門の先生として小学校に赴任。
しかし「自身の想像力を一切使わせないようにするが如く全く同じ絵を描き写させる」「説教臭い歌を歌わせる」などといった教育に疑問を感じ僅か2年で教師を辞める。
その後ヨーロッパへ渡った際、後に5千円札の顔となる新渡戸稲造と知り合って彼からリトミック*5の存在を教わりその内容に感銘を受ける。
パリにて1年間リトミックの学校でその真髄を学び、帰国後自らの私財を投じてリトミックを取り入れた幼小一貫校のトモエ学園を作った。

とても優しく温厚な先生で、学校に通う子供たち全員に深い愛情を持って接する。
例えば、汲み取り式便所で誤って財布を落としてしまいそれを拾おうと柄杓を使って糞尿を掬いとり、辺りに撒いたトットちゃんに対しても、「後で(糞尿を)戻しておけよ」とだけ声をかけてそのままどこかへ行ってしまうほど。
更には毎日のように軽い騒動を起こしていたトットちゃんに「君は本当はいい子なんだよ」と優しく声をかけるほど、とにかく子供達のことをどこまでも信用していた。
だが、子供を侮辱するかのような発言をする人に対しては強い怒りの感情を抱いているようで、劇中ではハンディキャップのある子に「尻尾はあるか」と軽い冗談で訊いた先生に対し、まるでその子供を守るかのように烈火のごとく怒鳴り散らしていた。
正直、現代の義務教育でも問題視・疑問視されることがある部分が多い……。

なお『トットちゃん』のラストは「校長先生たちが空襲から逃れて無事だった」という場面で終わっているので戦後の詳細が書かれていないが、本人は第二次世界大戦後、学校の再建よりも自分と同じ志を持つ教育者を育てるということを優先し、国立音楽大学の講師になった。
学校の再建をすることなく1963年に死去。

泰ちゃん(山内泰二)
化学が好きな子で、教室でいつもフラスコを使って実験をしていた。
トットちゃんが密かに心を寄せており、毎日のようにこっそりと彼の鉛筆を削るほどだった。
しかし学園内の相撲大会で思い切りトットちゃんに負けてしまったので、怒りながら悔し紛れに「大きくなって君がどんなに頼んでも、僕のお嫁さんにはしてあげないから」と言い放ってしまう。
とはいえそれでもトットちゃんは健気に鉛筆削りを続けているのであった。

その後は東京教育大学(現・筑波大学)理学部物理科の1期生として勉学に励み、更にアメリカへ渡り様々な研究を続けた結果、ウプシロン中間子を発見しその後仁科記念賞を受賞するなど、黒柳とはまた別ベクトルで凄いことを成し遂げていた。
NHKの番組『新プロジェクトX』でトモエ学園が扱われた際には、実質的な当事者インタビューパートに手紙を寄せるなど、黒柳と並んで同窓生の代表も務めている。

高橋くん(高橋彰)
大阪府から転校してきた男の子。
身長が同級生と比べても非常に低く、もうこれ以上伸びることはない所謂小人症。
校長先生はそんな高橋くんを勇気づけるため、運動会では彼が有利になれる競技をいくつか作った。
成長してからは明治大学電気工学部に入学。卒業後は浜名湖のそばにある電気会社へ就職し調査役のポジションへと就いた。

泰明ちゃん(山本泰明)
小児麻痺を患った男の子で手足を自由に動かすことができず、いつも足を引き摺って移動していた。小児麻痺になった理由は恐らくだが、ポリオにかかったものと思われる。*6
夏休みにトットちゃんと一緒に木登りに初めて挑み、彼女のアシストもあって無事登ることに成功する。
だが、春休みの間に突如亡くなってしまう。死因は文中でも書かれてないため不明だが、恐らくポリオが悪化したか。

なお、実はタレントの中川翔子の祖母の従兄弟に当たり、その事は中川が黒柳の冠番組『徹子の部屋』に出演した際に明かされた。

ミヨちゃん(金子ミヨ)
小林宗作の娘。なお、親子なのに苗字がそれぞれ違う理由は小林宗作の項を参照。
その後は「小さな子を教えたい」という思いから父親同様音楽教師の道を進む。


【トモエ学園】

東京都目黒区自由ヶ丘(現:自由が丘)に存在していた、幼小一貫の私立学校で徹子の母校。
その当時の学校教育に疑問を感じていた小林宗作が、リトミック教育も取り入れる形で1937年に誕生。徹子が入った時点で1年から6年まで僅か50名の児童しかいない非常に小規模なものであった。

特徴は、まず子供達の個性を重視しているため決まったカリキュラムは存在せず、各々好きなようにさせる方針を取っていたこと。
また、発達障害*7や身体的障害、ハーフなど、当時では差別され、また学校教育でも爪弾きにされていた子供達も受け入れていたこと。この点は現代からしても先進的な教育方針だと考える人も多い。今でいうところのフリースクールやモンテッソーリ教育、インクルーシブ教育に近いことをしていたと言えるかもしれない。
更に、子供達が学校に楽しく通うことができるようにと、子息を通わせていた東急電鉄の重役のツテで廃車となった電車を引き取り、教室へと改造して用いていること。
このへんは『トットちゃん』作中でも、教室を増やすことになる→当然電車を搬入する→生徒たちに話が伝わった際に「線路が無いのにどうやって電車が来るんだろう?」と話題になったことから教員たちもそれはそうだと判断し課外授業として見学に行く、というエピソードが描かれている。

しかしながら1945年、第二次世界大戦にて空襲を受け校舎が跡形もなく燃え尽きてしまう。
その光景を小林一家は見ていたが、泣くわけでも怒るわけでもなく「次はどんな学校を作ろうか」とポツリと呟いたそうで、肝が据わった彼の姿を見た息子の巴は驚いたそうな。

その後いろいろあって小学校は廃校になり、幼稚園のみ再建して存続する。
だが1963年に小林が亡くなると残った幼稚園も閉園し、翌年1964年に事実上の廃園となった*8
学園のあった場所は大型スーパーマーケット「ピーコックストア自由が丘店」を経て(『トットちゃん』原作最後のエピソードで黒柳が訪れているのはおそらくここ)、2023年にはJIYUGAOKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)」という名の大型商業施設として生まれ変わっている。




今は無きトモエ学園に思いを馳せながら、追記修正をお願いします。

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最終更新:2024年09月14日 21:06

*1 テレビ放送黎明期は新興メディア故、その地位は映画や舞台に比べて非常に低く見られており、テレビ局がタレントを育成して専属出演者として契約する例がほとんどだった。

*2 原作の序盤で、彼女の名前の正式な発音は「てつこ」だが、「つ」が拗音になり(『ひみつのアッコちゃん』のあつこ→アッコみたいなパターン)、さらに幼児語的な変化(やや舌足らずに「てっこ」と言うと「とっと」になるのがわかるはず)と+周囲がちゃん付けで呼ぶので「トットちゃん」になった、という説明がある。

*3 当時は公立校でも退学処分はあった模様。

*4 こちらには娘の黒柳徹子が出演している。

*5 音楽教育法の一種。

*6 ポリオワクチンは1961年に接種が開始されたので、それ以前に生まれていた山本くんは残念ながら受けられなかった。

*7 黒柳自身も『トットちゃん』前提のインタビューの際に「現代で言う学習障害に当てはまる児童だったのかもしれませんね」と肯定しているほか、この作品での描写でも強い衝動性などややこれに近い面も見受けられる。

*8 私立自由が丘学園高等学校を後継校としているものも散見されるが、厳密にはトモエ学園が分離するまえの学校(学校法人としての自由が丘学園)の子孫であるためそういう意味での後継とできるかは微妙なところか。