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筑波大学

登録日:2009/12/04 Fri 11:21:04
更新日:2026/07/21 Tue 00:10:18
所要時間:約 4 分で読めます





1972年に造られた東京教育大学が前身となる国立大学。
さらに東京教育大学の前身は東京高等師範学校(および東京師範学校)である。

学力としては中堅~。レベルが高いのに認知度が低い東工大(東京工業大学)タイプの大学は多数ある中、
筑波大学は珍しく偏差値による学力以上の評価を(世間から、また研究においても)受けている大学である。
理系は高い評価を持つが、前身が教育大であった性質上、教師を目指す者が多い。その結果データ的な意味での就職率は学力のわりにあまり高くない。

設置場所には議論があったものの、最終的に筑波研究学園都市建設の一環として茨城県新治郡桜村(現在のつくば市)に開設された。
土地の確保時に問題があり、細長い敷地になってしまっている。
そのため敷地の横を通る道路は景色が変わらず、曲がる道を間違えやすい。

研究分野に力を入れていて、宇宙センターがあったり、ノーベル賞受賞者もいたりする。
全体的な校風は変わっていて、学校と生徒の関係は立地上かなり濃い。

なぜなら学生の7割以上が筑波大学の近辺に住むことになり、学生宿舎ですら学園内にあるので文字通り

裸の付き合い

がかなり多くなるからだ。



慣れればどうってことないが、合わない人は合わない。

学校の広さは日本第2位(1位は北海道大学)。

周辺の町は茨城県なので想像通りあまり栄えてはない。

だが最近はショッピングモールがいくつか建設されたり、つくばエクスプレスが通ったりと段々成長しているよう。


ちなみに大学別自殺者数1位…。合わない人は合わないんだよ…。

筑波大に通う友人からの証言のため、未確認の情報であるが女子学生の妊娠者数も多いらしい。
勉強ばかりしていた真面目な娘を孕ませるとはうらやま…けしからん。


なんて言われてるが、在学中の妊娠者はほとんどいないレアケース。

ただ前述した通り、人と人の距離感が異常に近いので、

「カップルになる」=「半同棲」

の図が成り立ってしまう。これを良しととるか、嫌ととるかは人次第。

ちなみに建て主は嫌だった。



半同棲なので就職した時まで付き合ってるカップルは、かなりの確率で結婚する。
もしかしたら噂はこの辺からきたのかも。
ちなみにあの有名な「げんしけん」と同じ名前のサークルもしっかりある。

一部とは言え元ネタだしね。

規模は都内の私立大学のサークルと比べてしまうと、やはり劣るもののなかなか頑張っている。

つくば市が「研究学園都市」と呼ばれているので、「とある魔術の禁書目録」二期のイベントをサークルが誘致したり。

秋葉原~つくば間を通るつくばエクスプレスもあるので、オタク文化はなかなか明るいのかも。

理系多いしね。
スポーツにもかなり力を入れていて、有名な選手も何人か輩出している。
特にサッカー、野球、陸上、バスケは全国的に強豪校として認知されている。

2020年には東京医科歯科大学とともに指定国立大学法人に昇格。名実ともに旧帝国大学(北海道大学を除く)に並ぶ大学になった。

●キャンパス

筑波キャンパス(茨城県つくば市天王台)
東京キャンパス(東京都文京区)

●設立の経緯
筑波大学の設立には複雑な経緯が絡んでいる。
前述通り、その前身は1949年に設立された東京教育大学だが、この大学も東京高等師範学校(1886年設立)、東京体育専門学校(1924年設立)、東京文理科大学(1929年設立)、東京農業教育専門学校(1937年設立)の四つの高等教育機関が合併してできたため、設立当初から出身母体による派閥争いが絶えず、大学名を決める段からひと悶着という不穏な船出であった。形態は文理大を引き継いだ研究型大学であったが、名称は師範学校派閥の強い要望により「教育大学」となったため、研究者養成の大学でありながら教員を多く輩出するという存在になった。
おまけに、三つのキャンパス*1が東京の各所に点在するという形になっていたことが、学部間の同窓意識の持ちにくさに拍車をかけることになった。

キャンパスは非常に狭く、メインキャンパスの大塚は11haしかなく*2、三つ合わせても30ha未満と、国立大学の中では最も狭小だった。
このキャンパスの狭さは度々問題になり、その都度移転の話が持ち上がるも、具体的な形になることはなかった。

そんな中、茨城県筑波山麓に先進的な研究をする学園都市を作ろうという決議が国会で為される。その中核となる大学は、新規で設立するより既存の大学を移転させる方がよかろうということになり、学力と研究力の高さや、かねてよりキャンパスの狭さに悩んでいた東京教育大学に白羽の矢が立った。
最も面積を欲していた理学部は大いにこれを歓迎したが、文学部は反対した。文献の渉猟が主な研究手段である文学部にとって、図書館や古書店、美術館、博物館が豊富にある東京こそが研究室そのものだったのである。茨城などというド田舎に行かされては文献一つ調べるにも一日がかりになり、研究環境が損なわれてしまう。
一方、理学部にも譲れない事情があった。当時は実験機材が大型化しており、狭い大塚キャンパスでは物理的に限界であった。古い建物に大型機材を持ち込んでは床が抜けるおそれすらあったため、プレハブ小屋を建てて凌ぐことすらやっており、早く広いキャンパスで存分に機材を使えるようにならなければ世界に置いて行かれるという危機感があった。
文学部だけ東京に残ってはどうか、という案もあったが、「文理の垣根を超えた新しい学問を生み出す」という設立の理念*3から、文学部だけ残留させては計画が骨抜きになる恐れがあり、行政はこれを認められなかった。
東京にいなければ研究環境が損なわれるという文系、広いキャンパスでなければ研究環境が得られないという理系、全学まとめての引っ越しでなければ意味がないという行政。三者三様の言い分は平行線をたどってこじれにこじれ、ついに行政は、「東京教育大学を閉学し、その代わりとして筑波大学を新設する」という強硬手段に出る。

そして1972年、筑波大学が開学する。その面積は258ha。総面積でいえば国内8位、単一のキャンパスとしては九州大学に次ぐ2位である。
理系は存分に研究ができる環境を手に入れたが、文学部は筑波に引っ越すことなく、最後まで東京教育大学の学生として過ごし、東京教育大学の卒業証書を受け取って学び舎を去った。
そうした経緯から、教育大学OBには、筑波大学を後身とは認めないという人が多い。漫画家の池田理代子(ベルサイユのばらの作者)もその一人であり、「筑波大出身はアシスタントも担当編集もお断り」と公言しているほどである。

●以下筑波大学(および前身の東京教育大学・東京師範学校)出身の著名人、作品

げんしけん(漫画)(筑波、中央の混合されたものがモデル)
木尾士目(漫画家、げんしけん)
犬丸りん(漫画家、おじゃる丸)
大塚英志(漫画原作者・小説家、多重人格探偵サイコ)
すえのぶけいこ(漫画家、ライフ)
そにしけんじ(漫画家、猫らーめん)
松村栄子(小説家)
田中ロミオ(シナリオライター)
永田亮子(声優)
伊藤美紀(声優)
後藤啓介(声優)
奥村政佳(歌手 RAG FAIR、ボイスパーカッション)
井原正巳(サッカー選手)
中山雅史(サッカー選手)
平山相太(サッカー選手)
野瀬清喜(柔道、ロサンゼルスオリンピック銅メダル)
青柳勧(水球選手)
金栗四三(マラソン選手、日本初のオリンピック選手)
永井道明(東京高等師範学校教授、東京女子高等師範(現・お茶の水)教授、ドッジボールの日本独自ルール普及者)

ライバル



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最終更新:2026年07月21日 00:10

*1 大塚、駒場、幡ヶ谷

*2 東京ドームが4.7ha、遊園地などを含めた東京ドームシティが13ha

*3 旧文理科大学もこの文理融合を謳い文句に設立されており、この派閥からすれば建学理念の回収という悲願を果たす好機でもあった。