デウス・エクス・マキナ

登録日:2025/02/06 Thu 23:24:35
更新日:2025/04/20 Sun 12:47:42
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小僧は暗い森の中で恐怖に身を震わせていた。
和尚よりもらった三枚のお札はとうに使い切ったものの、未だに山から抜けられなかった。
本来ならば山姥から逃げおおせたはずであった。
しかし、恐怖と慣れぬ暗い山道で迷い、巡り巡った挙句、再び山姥の家に着いてしまったのだ。
不意に、小僧は恐怖から物音を立ててしまい、山姥がこちらを振り向いた。

「そ~こ~かぁ~!」

と、いうところで小僧は目が覚めた。
どうやら夢だったのだ。


「デウス・エクス・マキナ」とはこういう感じのやつである。


【概要】

「デウス・エクス・マキナ」とは創作物における用語。
元はラテン語の「deus ex machina」であり、その意味は「機械仕掛けで現れる神」となる。
「機械仕掛けの神」と訳される場合も多い。

【語源】

紀元前5世紀頃の古代のギリシャの演劇で用いられた手法。
物語が錯綜し登場人物では解決が困難な状況になった際に、神を演じる役者がクレーンなどの大がかりな装置で荘厳さを演出して舞台に登場。
神の力で問題を解決して物語を締めるという手法である。

神を演じる人が舞台装置で出現するために「機械仕掛け」という意味であり、神自体が機械仕掛けという訳ではない。
そのため「機械仕掛けの神」という訳は厳密には誤りである。

【現代における用法その1】

上記の語源から転じて、冒頭みたいに創作の話で無理矢理話をたたむ展開を指す。
超展開、ご都合主義*1とも言われ、批判的な意味合いで使われる。

明確な定義こそないが、具体的には以下の要素が揃っていると該当しやすい。

1.伏線や脈絡なしに出てくる、あるいは起こる。
2.登場人物達によって解決すべき問題が解決されてしまう。
3.そのまま物語を締める。

「登場人物達によって解決すべき問題が解決される展開」については、「神などの第三者の介入」「偶然による突然の解決策の提示」などがある。
「神の様な凄い力を持つ役が出てきて、その力で解決して物語を終わらせる」だけでなく、脈絡のない「夢オチ」「爆破オチ」などで強引に物語を終わらせる展開も同様。簡単に言えば「その時不思議なことが起こった」というやつである。

語源の古代ギリシャの時代でも既に批判されており、アリストテレスは「物語の結末は必然性を持ってもたらされなければならない」と至極ごもっともな言葉を残している。
登場人物たちによって必然的に解決されるべき問題が横から出てきた無関係な存在によって終わるのは、何のカタルシス*2もない話になるため批判されるのも当然と言える。


「デウス・エクス・マキナ」に該当する例としては、具体的な作品名は挙げない。
しかし、抽象的な展開の例としては、以下のようなものが考えられる。

  • バトル物で、伏線も前フリもなしに主人公がパワーアップしてラスボスを倒し、そして一件落着となる。
  • 推理モノで、容疑者が突然脈絡なく自供しだす。あるいは突然明かされた超能力で犯人を当てる。

概ねこのような話になるか。

逆を言えば、上記の1~3の要素揃っていないのであれば「デウス・エクス・マキナ」とはなり得ない。
「伏線や脈絡がある」「手助けになるが、登場人物達が自力で解決する」「物語を閉めない」という形であればデウス・エクス・マキナではなくなる。


【ただし許容されうる場合もある】

これに該当するデウス・エクス・マキナでも許容されるケースというのも多少はある。

その一つにはホラーにおける対抗神話夢オチが該当。
怖い話を必要以上に引きずらず、怖さが一旦取り除かれるセーフティライン的なものと言える。
ホラーの場合、実は夢では無かったというオチになりがちだが。

また、ノリと勢いで話が進み、ご都合主義的な流れでもそれに気づきにくいケースもある。

「愛の力だ!!!!」
と熱血漢の主人公とヒロインが勢いで乗り切ってしまうと納得するしかない。

このほか、何かしらのカタルシスが発生する場合はご都合主義的な流れでも許容されたりする。
これも具体例は省くが、
  • パワーアップするが、力量的には互角で死闘になる。
  • それまで出会った人や仲間になった皆の力を受けてパワーアップする。
など。

とはいえこういった流れも、「死闘中に当人の努力、発想で勝敗が決する」「仲間になること自体が伏線」など、定義から外れる要素がないと批判されがちだが。

理不尽で不幸な展開に遭ってきた主人公が偶発的に幸せを手に入れてハッピーエンドになるという展開も一見するとこのパターン。
しかし、これまで不幸だったのだから幸せになっても良いだろうという同情心などから許容されることはあり得る。



【現代における用法その2】

「デウス・エクス・マキナ」という言葉が広く使われるようになった為か語義を拡大解釈され、
「伏線をはっていたり脈絡がある状態で登場した、巨大な力を持った人によって解決する展開」を「デウス・エクス・マキナ」と呼称する人もいる。
元の意味からズレてしまっているため、この使い方は誤用に近い。

「凄い力で物語を終わらせる」という点にこそ用法その1と共通点はあるが、「伏線や脈絡がある」点で差異がある。
元のアリストテレスの批判では、「伏線や脈絡がないのでカタルシスがない」ことの方が重要視されているので、こちらの使い方でデウス・エクス・マキナを持ち出して批判しても的外れであろう。
言葉の定義のズレには気をつけたい。

「伏線をはった状態で登場した、権威や力を持った人によって解決する展開」には、以下の様なプロットになるか。

1.主人公一行は様々な凄い力を持っているが、それを隠して旅をしている。
2.旅先で苦しんでいる人を助ける。
3.調査して、その元凶となる悪人がいることを突き止める。
4.元凶の元に攻め入り、懲らしめる。

そして一件落着となる。

主人公、あるいはその味方が作中最強格チートキャラ勧善懲悪系の話であれば、こういう話になりやすい。

用法その1との大きな違いは、読者・視聴者に最強の存在が主人公サイドだと最初から分かっている点であり、大暴れすることもあれば、他キャラの活躍を奪わないように活躍が抑えられることもある。
また、敵がメタを張ってきたり、普通に敵が強くて苦戦するということもあり得る。
すごいパワーを持っていても、倒すべき敵に辿り着くまでに紆余曲折してあっさり解決する展開でないことも多く、最後に悪役がぶっ飛ばされる展開にカタルシスを感じることもあり得るだろう。
ある種のお約束的な展開とも言えるか。

【現代における用法その3】

「デウス・エクス・マキナ」自体は上記の様な展開のことを指すのだが、その中二チックな格好良さから「デウス・エクス・マキナ」になぞらえた固有の存在の名称として使われる事もある。
原義と同様に、話を終わらせられるだけの強大な力を持った存在や神であるか、展開をコントロールできる役割になる。
あるいは「機械仕掛けの神」という訳通り「機械で出来た神」という意味でデウス・エクス・マキナとして登場するケースもある。
その場合は、強大な力を持った人類を管理するコンピュータが支配する世界やとてつもない力を持つ巨大なロボットなどが該当することも多いか。
あるいは単純に機械に関連する存在みたいな捩りで使われることもある。


似ている様で違うもの

大雑把に言えば、何の伏線も無しにニンジャが現れてその場にいる人と戦い始める様な展開にした方が面白いとしたら、元の展開を考え直した方が良いという指針。
「何の伏線も無し」「ニンジャという何でもありな存在」という点でデウス・エクス・マキナと似た気配を感じるかも知れない。
しかし、無理矢理話を畳む為に出すのがデウス・エクス・マキナであり、話を展開するために出すニンジャとは、出す理由が真逆である。


追記・修正はデウス・エクス・マキナにならないようにお願いします。


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最終更新:2025年04月20日 12:47

*1 脚本家によって都合の良い展開

*2 溜った心のもやもやを一気に解放すると言う意味。語源はアリストテレス。