登録日:2025/11/20 Thu 21:01:38
更新日:2026/02/10 Tue 11:52:59
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SPRINGFIELD ARMORY
SINCE 1794
概要
スプリングフィールド造兵廠は
アメリカのスプリングフィールドにあった兵器工廠。
建国時から1968年までの軍の銃器生産を担当した。
歴史
アメリカ建国直後の1777年に陸軍主導のもと建設され、94年にワシントン大統領の命により銃器に関する機能を統合した工廠として成立した。
スプリングフィールドはコネチカット川と主要都市への基幹道路が通る土地で、尚且つ外洋船が通りづらい地点であったことから海軍による艦砲射撃などからも守られていた為、武器庫として好立地といえる場所であった。
94年までは武器製造能力があったかは定かではないが、少なくとも80年代までには兵器廠として機能していたとされる。
87年にはシェイズの反乱が発生した。武器奪取を目的として造兵廠への攻撃が画策されたものの、攻撃は州兵によって防衛、鎮圧された。
この造兵廠は南北戦争に始まり二度の世界大戦に
ベトナム戦争直前までの200年近くの間米軍制式ライフルや大砲、弾を生産し続けていた。
1800年代においては部品の規格化、ライン式の組み立て工程、時給制などの先進的な概念を導入し、南北戦争においては北軍の銃器生産に大きく貢献しその後のアメリカの生産基盤の礎伴っていると言われる。
しかしベトナム戦争にて米国企業が制式ライフルを納入する仕組みが出来上がってしまったことから存在意義が失われ、1968年に閉鎖された。
残された施設は記念公園や博物館に改装され、74年にはブランドを買い取ったスプリングフィールドアーモリー社がM14の民間モデルなどを生産している(造兵廠とこの会社に関係性はない)。
製品
ライフル
米陸軍初の前装式
マスケット銃。デザインはフランスのシャルルヴィルM1763/66を参考としており、フリントロック式で口径は.69口径。
射程は100~200ヤード程度。生産はスプリングフィールド、ハーパーズフェリー造兵廠で製造された。
米英戦争時の主力であったが、欠点もあったためM1812へと更新された。
現代の陸軍勲章において、30日連続で戦闘任務に従事した歩兵/特殊部隊員に送られる戦闘歩兵章(1941~)にM1795の意匠が取り入れられている。
- M1812/M1816/M1822/M1835/M1840/M1842
米英戦争の後、その際の主力小銃の欠点を改善すべく開発された前装式マスケット。デザインはフランスのシャルルヴィルM1777を参考としており、フリントロック式で口径は.69口径。
射程は100~200ヤード程度。M1812の生産はスプリングフィールドでのみ行われたが、後継モデル(1816、1822/タイプⅡ、1835/タイプⅢ、1840、1842)ではハーパーズフェリー造兵廠でも製造された。
最終モデルであるM1842はアメリカ最後のライフリングのないマスケットであり、米軍初の製造工程での互換性を重視した小火器であった。
後には雷管に対応すべく改修されたモデルが誕生しており、南北戦争では南軍にて使用された。
- M1855
- M1861/M1863/M1865/M1866/M1868/M1870/M1871
南北戦争後半にて北軍の主力を担った前装式ライフル銃(ライフルドマスケット)。
ズッ友なフランスから得たミニエー弾を用いており、200~400ヤードの射程を誇る。
雷管も導入したため信頼性と風雨への耐性が高い点が特徴。
コルト社その他20社にも発注がなされ、3年間で26万丁が生産された。
戦後には真鍮製の薬莢を用いる後装式の銃がトレンドとなった。M1861とそれらの改良型は後装式に改修され、それらで得られた知見がM1873として結実することとなる。
- M1873/M1875/M1877/M1880/M1882/M1884/M1886/M1888/M1889
アメリカ陸軍初の後装式ライフル。トラップドア式の単発で使用弾薬は.45-70。最大射程は2500ヤードで、薬莢式としたことで最大分間25発の射撃が可能となった。
精度も3.4MOA近く、現代の歩兵銃と肩を並べる。
最初は銅製の薬莢を用いていたが、より変形に強い真鍮に変更され現在までそれが踏襲されている。
改良型のM1888に派生したが、そのころには連発銃の研究が始まっており時代遅れになりつつあった。
- クラッグ・ヨルゲンセン(M1892/M1896/M1898)
ノルウェーのオーレ・ハルマン・クラッグとエリック・ヨルゲンセンにより1886年に開発された連発式ボルトアクションライフル。
デンマークで1889年、ノルウェーで1894年に開発されたことを機に広まり始めた。
当時としては先進的な左装填式の5連発かつ無煙火薬を前提としたライフルであったが、数年後に出るGew98の機構が優秀すぎた為過渡期の銃と言える状態で歴史の間に消えていった。
1892年、アメリカではいまだにM1873が主流であった。
M1873は後装式の単発式ブリーチロックライフルであり、黒色火薬を用いる時代遅れな銃であった。
Gew88その他優秀な無煙火薬式連発ボルトアクションが生まれる時分、なりふり構っていられなかったアメリカはクラッグヨルゲルセンライフルの国産化を決定する。
弾は7.62x58mmの.30-40クラグ弾。ペンシルベニアのフランクフォード造兵廠が制作し、銃はスプリングフィールド造兵廠が担当することとなった。
米西戦争にて用いられ始めたものの、単発式の運用になれていた前線部隊やスペイン軍の7x57mmモーゼル弾の方が協力であったこと、そしてGew98を基にしたM1903が採用されタことがとどめとなり、1917年時点で予備装備として下げられてしまった。
しかしながら50万丁近く製造されたため、民間に払い下げられたあとは入手性のいいライフルとして認識された模様。
米西戦争にて米軍はスペイン軍のM1893連発式ボルトアクションの速射性に苦しめられた。その教訓から大々的に連発式ボルトアクションを用いるドクトリンへと更新する必要性が出てきたため、クラッグヨルゲルセンのノウハウとともにM1893とその後継であるGew98を参考に新型小銃を開発した。それがM1903である。
形状はほぼまんまGew98なのだが、独自のカービンのバリエーションを採用する必要がないように24インチ短銃身を採用している。
弾薬は初期が.30-03弾だが1906年には.30-06弾に更新された。
第一次大戦末期の米軍参戦前、ピターゼン氏が本銃を拳銃弾をセミオートで連射可能にするデバイス「ピダーゼンデバイス」を考案した。軍からも好評で量産されかけたが間に合わず頓挫している。
その後第二次大戦前半まで用いられたのち、一部の狙撃仕様などを除いてM1ガーランドに置き換えられた。
英国では、使用していたSMLEが黒色火薬を用いる時代遅れなものであったため、新型弾を用いるP13を制作。しかし第一次世界大戦開戦に伴い更新がすぐにできないということで、従来の.303ブリティッシュ弾を用いるように改修したP14を策定。そして米国にも製造の依頼を出し、ウィンチェスター、レミントン、ボールドウィン3社が対応した。
米国でもM1903が参戦に伴い不足したためP14をM1917として採用し.30-06弾に合わせて改設計を行った。
生産はウィンチェスター社主導で行われ、レミントン、ボールドウィン社がつづいた。スプリングフィールドは監修。
そうして数の上ではWW1米軍の主力といえる量のM1917が配備された。
こちらにもピターゼンデバイスを装着する試みが行われたが、こちらは実現していない。
戦後はM1903に対する予備兵器と位置付けられ後方部隊で用いられた。
その他
製品のフィクションでの活躍
既存項目については各ページを参照。
追記・修正よろしくお願いします
最終更新:2026年02月10日 11:52