アットウィキロゴ

德永英明

登録日:2026/1/02 Fri 13:50:00
更新日:2026/01/03 Sat 16:35:45
所要時間:約 8 分で読めます




德永英明は1986年にデビューした日本のシンガーソングライターである。

概要

数少ない1/fゆらぎ*1を持つ人物の1人で、ハスキーでどことなく癒される歌声をデビューからずっと多くの人々に届けている。
高音域が得意で、故に女性曲も難なく歌うことができる。
八重歯が特に目立ち、お世辞にも歯並びはいいとは言えないが、これは矯正したら歌声や発音が変わってしまうことを指摘されたので、歯並びが悪いと思われようとも歌を優先するために敢えてこのままにしてるとのこと。

デビュー曲の「Rainy Blue」を始め、「壊れかけのRadio」 や「輝きながら…」等の代表曲を持っている。
そして2005年からはカバー曲に比重を置くようになる。しかしカバー曲ばかりが目立つようになった結果、一部の人からカバー曲おじさんと揶揄されるようになったが。

大のサッカーファンであり、それがきっかけで、TBSの「スーパーサッカー」の司会を務めたことがある。
が、後述するもやもや病*2がきっかけで僅か数ヶ月で降板に見舞われてしまった。

経歴

1961年2月27日生まれ、福岡県柳川市出身。保険会社に務める父親の関係で生まれてからは福岡県内を転々とするようになり、中学に入ってからは兵庫県伊丹市で育つ。
ちなみに中学校に入学したばかりの頃は博多弁を馬鹿にされ暫く虐められていたが、遂にキレてしまいそのリーダー格をぶっ倒したことですぐさまイジメがなくなった。

絵画が得意な父親の影響もあり幼少期は美術にのめり込んでおり、様々な絵画コンクールに入賞していた一方、音楽はさほど興味を持っていなかった。
しかし中学2年の頃、下校中に「お前は歌手になる」という本人曰く天からの声が聞こえてきたことにより歌手になる事を決意する。
中学3年には母親に強請りギターとコードブックを購入してもらい、音楽にあまり興味のなかった幼少期とは打って変わって一気に音楽にのめり込むようになる。
中学~高校にかけて100曲以上のオリジナル曲を作っており、その中には初恋の相手の名前をタイトルにした曲も。

専門学校に進学するが、歌手になりたいという思いが抑えきれず中退し上京。
上京してしばらくすると、曲を作ってレコードデビュー出来るというお誘いの声がかかったので、その話に乗り軽井沢で働きつつ曲作りをする生活を送る。
が、それは歌手志望の若者を完全にカモにした詐欺で、彼と同じように騙されて軽井沢に来た人がたくさんいた。
彼も途中から騙されていたことに気付いていたが、とにかくガムシャラに仲間と切磋琢磨しつつ曲作りに徹していた。
こうして「Rainy Blue」の原曲となる「ザ・レイニーシーズン」が完成する。
彼の代表曲の1つとなったことを考えればこの軽井沢時代も決して無駄ではなかったと言えるだろう。

軽井沢から戻ったあと、歌手になるチャンスを掴むため色々リサーチし、音楽業界の人達がよく打ち合わせで利用しているカフェを見つけそこのウェイターとして働くようになる。
精算の際音楽関係者とわかると、領収書を書くついでに自分のデモテープを渡すなどひたすら貪欲に売り込みを続ける。
そんな中、EPICソニーからデビューしたロックバンド「BARBEE BOYS」のディレクターであった人物から「アコースティックなバラードをやった方がいい」と言われ、以後このアドバイスが音楽制作の軸になる。

1982年には山口百恵やピンク・レディーを輩出したオーディション番組、「スター誕生!」に参加。
アイドル的な要素の強いこの番組ではあるが、歌手デビューの糸口を掴むために貪欲に参加していたのである。
予選にて山下達郎の「RIDE ON TIME」を披露、無事決戦進出となる。
なお、この回の決戦進出者は彼の他に2人おり、1人は松本明子そしてもう1人は本田美奈子.*3
前者はバラドル、後者は正統派アイドルからのミュージカル女優とそれぞれ大活躍しており、結果的にこの回の決戦進出者全員がそれぞれの形でブレイクを果たしていたことは今なお語り草となっている。

そして決戦は予選と同じく山下達郎の「RIDE ON TIME」を披露。あとは各プロダクションやレコード会社から採用の意志を示されるのみであった。
だが非情にもどのプロダクションやレコード会社からも採用の意思表示はされず、結果的に振り出しに戻ってしまった。
ちなみにこの回は5名以上の決戦進出者がおりながら採用の意思表示がされたのは松本明子たった1人であり、本田美奈子.ですら採用されなかったことを思えば非常に評価基準が厳しいものであったことが窺える。

しかし彼はそう簡単に折れず、テレビやラジオのCMソングやドラマの主題歌を歌うチャンスを得られるかもと閃き、TBS緑山に入塾して演技を学ぶ。
卒業時に作成したビデオにて、5年後に武道館で沢山の観客に歌を聴かせる歌手になるという想いを語っていた。そして5年後、その想いは現実のものとなるのであった。

1984年からは新宿のライブハウスにて本格的に歌手活動を始める。ちなみにこの頃父親から「25歳までにレコードデビューできなかったら、自分と同じ保険の営業マンになれ」と忠告されており、この時点で23歳であったので残された時間はほんの2年弱しかなかった。
しかしここから彼の逆転劇が始まる。

翌年の1985年、第2回マリンブルー音楽祭にて「Rainy Blue」がグランプリに輝く。
そしてこの音楽祭の主催者が立ち上げたミニFM局「KIDS RADIO STATION」が制作・総指揮をとるロックミュージカル「はらじゅくグラフィティ」を行うことになり、その主演オーディションに参加。
ミュージカルスターやダンサーを目指す多くの若者達が参加する中、役柄のイメージとルックス、歌唱力が抜きん出ていたためか無事主演を勝ち取る。*4
そしてこのミュージカルの主役はトニーという名前で、彼自身思い入れがあるのかデビュー後に設立されたファンクラブ名は「TONY'S CLUB」と、この名前を拝借している。

そして1986年1月21日、「Rainy Blue」でレコードデビュー。中学生時代から夢に見ていた待望の歌手デビューを果たした。
なおレコードデビューの時点で24歳10ヶ月。父親の25歳までという約束まであと数ヶ月というギリギリのところであった。

1987年8月には富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル「輝きながら…」が、週間オリコンチャートの10位以内に入るヒット曲となり、この事がきっかけで「ザ・ベストテン」や、「歌のトップテン」等の人気歌番組に次々出演することができ、その人気と勢いを高めていくこととなる。
1989年には「夢を信じて」、「壊れかけのRadio」をリリース。両方30万以上のヒットを放つことができた。
そして1994年には元モデルの女性と結婚し2人の子供に恵まれる。
2001年には「スーパーサッカー」のMCに抜擢される等仕事プライベート共に順調であった。

が、その年の5月にもやもや病を発症。活動休止を余儀なくされてしまう。当然ながら「スーパーサッカー」のMCも僅か4ヶ月で降板となってしまった。
しかし翌年の2002年11月に克服し復帰を果たしており以後も音楽活動を続けるようになる。
とはいえ完全に治っているわけではなく、2016年以降に脳の手術を2回行っている。

2005年に初のカバーアルバム「VOCALIST」をリリース。
高音域が得意なこともあってか松田聖子や中島みゆき等の様々な女性アーティストのカバーを次々と行うようになり、以後カバーソングに重きを置いて活動していくこととなるのである。


主な楽曲

Rainy Blue
デビュー曲。彼にとって歌手デビューのきっかけを作ることとなった楽曲でもある。
歌番組等で「レイニーブルー」と表記されることが多い。
1997年にはセルフカバー版として「Rainy Blue 〜1997 Track〜」がリリースされた。
後述する次男の名前の由来にもなっている。

輝きながら…
フジカラー・スーパーHRのCMのタイアップ曲。*5
彼がブレイクするきっかけになった曲であるが作詞作曲共に一切携わっていなかったので、シンガーソングライターである彼からすれば「正直複雑で素直には喜べなかった」と後に語っている。
「輝き」の
部分から着想を得たのか、「ザ・ベストテン」にて同曲の歌唱時に、彼の後ろにハゲのおじさんがズラリと並ぶ謎演出は今も尚語り草となっている。
なお、

夢を信じて
ドラゴンクエスト 勇者アベル伝説の1~26話までのエンディングテーマ。
同作がどちらかと言えばマイナー寄りな作品ということもあってか、「 ストリートファイターⅡ MOVIE」の主題歌である篠原涼子の「恋しさとせつなさと心強さと」同様、実はアニソンだと知られてない曲の1つでもある。
このアニメがフジテレビ系列で放送されていた縁で、同局の歌番組「夜のヒットスタジオ」で同作の主人公のアベルを演じた古谷徹が応援という形でゲスト出演した事がある。
1月15日に発売予定であったが、その日は成人の日で大量のドラクエファンがレコード店に殺到する恐れがあると考慮し、翌日である1月16日発売に変更された逸話がある。

壊れかけのRadio
夢を信じてから半年後に発売された楽曲で、TBS系列のドラマ「 都会の森」の主題歌タイアップ曲である。尚、このドラマに德永も友情出演している。

余談

歌手デビュー前にカラオケ映像の俳優の仕事をしていたことがあり、その映像の一部が「ザ・ベストテン」で取り上げられたことがある。

次男は俳優兼歌手のレイニ。
父のデビュー曲にあやかってこのような芸名になったのかと思いきや、まさかの本名。つまりキラキラネームである。

2025年度のM-1グランプリの敗者復活戦にて、吉本興業所属のコンビ・ミカボが德永英明に関するネタを披露。
ネタの内容は、「ボケの土屋翼がツッコミの山田裕磨に徳永に関する豆知識を披露するも、そこで取り上げられているのは『カバー元の歌手をリスペクトしているためカバー曲の印税は一切受け取ってない……と思いきや普通に全部受け取っている』『ダウンタウンの浜田がビビってしまうほどとても怖い親友がいる』等、なぜか徳永の好感度が下がってしまうように聞こえるものばかりになっている」というもの。
会場では大ウケし、2組のコンビのうち観客投票率が高かった方が勝ち抜く方式での戦いの中、ミカボは不利な出順のトップバッターであったにもかかわらず3連勝と好成績を残したほか、視聴者にもインパクトを与えたのかこれがきっかけで「徳永英明」がXにてトレンド入りを果たしてしまった。
ちなみにミカボは2023年度のM-1グランプリの準々決勝でも同ネタを披露していたものの、その際は合格せず。今回準決勝に進出したことでようやくテレビ中継にてこのネタが初披露されることとなった。



思春期に追記修正お願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

最終更新:2026年01月03日 16:35

*1 1万人に1人の確率でいると言われており、他には宇多田ヒカル、美空ひばり、花澤香菜もそうだと言われている。また鬼滅の刃でも取り上げられており、産屋敷耀哉がそれであると設定されている。

*2 別名:ウィリス動脈輪閉塞症。脳の血管が細くなることで脳に行く血液が減ってしまう病気で、結果として、手足の麻痺、しびれ、言語障害などの症状が出る。楽器を吹く、運動をする等で息を激しく吸ったり吐いたりを日常的にやっている人が罹りやすい、日本人を始めとするアジア人が発症しやすいという傾向がある

*3 出演時は本名の工藤美奈子名義。

*4 最終オーディションには後にTRFに所属するSAMが参加していた。

*5 このCMには当時トップアイドルであった南野陽子がメインで起用されている。