名松線

登録日:2013/03/07 Sun 17:33:28
更新日:2025/10/24 Fri 21:35:43
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名松線(めいしょうせん)は松阪駅と伊勢奥津駅を結ぶJR東海の鉄道路線である。

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概要

全線の1日当たりの利用者数は700人。
収入は約4000万円しかないのに営業費用(維持管理費)は約8億円もかかるJR東海一の超大赤字路線
一説では留萌本線釧網本線、かつての日高本線等と日本一の大赤字路線の座を熾烈に争ってるとされている。
え、なんでこんな超大赤字路線廃線しないかって?
実は二度も廃線候補になったのだが(実際一度は廃止承認の申請までしている)、一部の住民の反対と代わりの輸送手段が見つからず存続している。
2009年10月8日の台風18号の被害で現在家城~伊勢奥津間は不通になっていたが2016年3月26日に復旧した。
JR東海は廃止する気満々だったが、地元の三重県と津市が復旧費用負担に応じたため、存続が決まった。

路線名の由来

ところでこの「名松線」という名前についてだが、「松」は「松阪」だが「名」はどこ?と思われるかもしれない。
答えは「名張」の「名」である。
元々は路線名の通り名張まで開業させる予定で、最終的には桜井まで延長して「桜松線」に改称する計画だったのだが…。
1930年に参宮急行電鉄が現在の近鉄大阪線桜井~名張~伊勢中川間、近鉄山田線伊勢中川~松阪~伊勢市間を開通させた為、名松線が松阪~名張間を開業させる意義を失ってしまった
ただし、参急→近鉄線はレール幅が標準軌(1435㎜)であるため、貨物列車(国鉄→JRの在来線はレール幅1067㎜)などの需要を目的とした桜松線の計画は第二次世界大戦後も残った。
しかし昭和30年代以降の急速なモータリゼーションの進展で貨物を目的とした計画も消滅し、現在の路線が完成している。

伊勢奥津~名張間は、三重交通バスが連絡しているが、現在は名張まで出られる便は1往復が残るのみ。しかも、伊勢奥津駅前発は早朝に発車するので、名松線からの乗り継ぎは不可能。


使用車両

  • キハ11形
JR東海の地方交通線で御馴染みの車両。1両で運行されている。(朝ラッシュの1.5往復のみ2両編成)
たまに見るJR貨物の何も運んでないレッドサンダーとかプラレールの世界じゃないれっきとした旅客用です。
2015年8月までは上の画像のような白い車体に湘南色の帯を巻くタイプが運用されていたが、以降はステンレス車体の車両が原則になった。

  • キハ25形
2両編成で所定のキハ11形が不足した際の代走を務める。

駅一覧

松阪…紀勢本線近鉄山田線乗り換え。三重県中部の中心都市である松阪市の代表駅。

上ノ庄…何にもないけど辛うじて1日の乗客数二桁の駅。

権現前…開業時から1930年までは終着駅だった。
旧嬉野町(現在は松阪市の一部)の最寄駅だが、北のはずれにあった近鉄・伊勢中川駅前が今では圧倒的に賑わっている。

伊勢八太…何にもない、待合所すらない。

一志…近鉄大阪線川合高岡駅に乗り換え可能。但し北に150m程離れてる他、公式な乗り換え駅とはされてないので連絡運輸はない。

井関…開業時から1931年までの終着駅だった。近くに近鉄大阪線があるせいで、誰も乗らない。
1日の乗客数は僅か2人で三重県内の常設駅の中では最も利用者が少ない。

伊勢大井…辛うじて待合所はある。

伊勢川口…かつては中勢鉄道の終着駅だった為非常に賑わっており、無人駅にも拘らず今も残る駅舎はかなり大き
……かったのだが、2015年に取り壊されてしまった。

関ノ宮…重要文化財がある成願寺があるせいか、それなりに人気がある。

家城…2013年現在、松阪駅を除くと唯一の有人駅かつ交換可能駅。そのため、大半の列車は交換待ちで数分〜数十分止まる。
100回の甲子園にも出場した三重県立白山高等学校があるお蔭で名松線唯一の1日の乗客数三桁を誇る。(松阪駅は4ケタ)

伊勢竹原…日本のJR駅の中でもっともダムに近い駅(1.5km)という変な記録を持つ駅。

伊勢鎌倉…牛山氏の全国秘境駅ランキング79位。

伊勢八知…津市美杉庁舎の最寄駅。
後、駅舎が一軒家みたいなのも特徴的。

比津…かつて南北朝時代から戦国時代までの200年近く伊勢を支配した北畠氏の本拠地だった霧山城の最寄駅。

伊勢奥津…終着駅。
北畠氏を祀る北畠神社の最寄駅。



追記・修正は名松線に実際に乗るまでこの状態で代行します。

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最終更新:2025年10月24日 21:35